1 十年の歳月、栄える町
夕方から降り出した雨は次第にその雨足を強めていき、夜が更けるにつれて、屋内にいても雨音が聞こえてくるほどの激しい雨となっていった。大きな建物に対してその内側ですごしている人数が極端に少ない、このがらんとした空洞と静寂のせいで、かすかな雨音すら必要以上に大きく聞こえるのかもしれない。
ロワリア国際会議場の内部、二階の一室。大きな部屋に応接室を真似たようなテーブルとソファのセット。奥のほうにある一組のデスクは執務用にあつらえたものだが、住居である別棟にも手ごろな広さの執務室があるため、この部屋はさほど重要でも急ぎでもない仕事を、義弟妹たちと雑談でもしながらこなすためにある執務室もどきだ。用途に合わせた特定の部屋名を定めるとすれば、特別談話室とでも呼ぶのが妥当なところだろう。
会議場内部の壁は厚く、大抵の音は遮断する。他国の化身も集う場所なのだから、重要な会話が万が一にでも外にもれては困るのだ。廊下で誰かが騒いでいても、よほどの大声であるか、扉が開けっ放しにでもなっていないと気付かない防音性能。石材に囲まれた部屋の中で音が反響し、逃げることなく内部だけに響いて消えていく。木材のようなぬくもりはない。音も衝撃も、すべて跳ね返ってくる。ひどく無機質で冷たい、寒々しい建物である。
ロワリア国の化身、ロア・ヴェスヘリーは特別談話室のデスクで、自分の背中には大きな椅子にもたれながら目を閉じた。ホワイトノイズのように響くかすかな雨音が心地よい。内側の音は外部にもれにくいが、どうも屋外の音は屋内にまで響くらしい。不思議なものだが、雨の音が嫌いではないロアにとっては好都合だ。
もしこの建物の中が、ロワリアの町と同じように賑やかだったなら、もう少しくらい温かな空間になるのだろうか。この場所になにか特別不満があるわけではないが、何日も外出の予定がなくこもりきりでいると、なんとなく喧騒が恋しくなることがある。近代のロアは楽天家なのだ。
「ジオ、北部で発生した火災事故の件はどうなっているんだい?」
問いかけてから目を開けた。ロア一人だったはずの部屋の中、デスクのすぐ前に黒髪の少年が立っている。薄手の黒いパーカーを着たラフな格好で、右目を覆うほどの長い前髪から漂う陰気さと、まっすぐに前を見据える翡翠のような緑の瞳は対照的だ。口数の少ないこの少年を暗い男と思うか、それともクールな男と思うか。それぞれ意見の分かれるところだ。
「家屋はほぼ全焼。発火元はリビングの暖炉で間違いなさそうだ。女性の遺体があがっているが、それ以外に死傷者はない。隣接していた建築物もなかったから、被害はその一軒だけだ」
「火の不始末か……」
少年は現在の名をジオ・ベルヴラッドという。ロワリア国を形成する領地のひとつ、ラウの領主であり、守護神の現身だ。
この世界における唯一であり最高位の神――炎、水、地、風、光、闇、各属性を司る六柱の守護神たち。ジオは風の守護神ベルヴラッドに選ばれて契約を交わし、神の現身となった元人間である。この世界を構成するそれらの六大属性は各大陸にも宿っていて、東大陸は炎、西大陸は水、南大陸は風、北大陸は地、そしてその四大陸に囲まれる形で浮かぶ中央大陸は光と闇を司っており、各大陸の属性に符合する守護神とその現身がひと柱ずつ現存している。ちなみに光と闇の神は二柱でひとつの存在で、光闇の神と呼ばれている。つまり現身もまた一人である。守護神の現身は各大陸に一人ずつ、きっかり五人だ。
守護神の現身は基本的にどこかしらに領地を与えられている。もちろん領地を持たない現身もいるが、ジオの場合はラウだ。まず守護神の宝珠と呼ばれる、神の啓示を下界にしらしめるための媒介となる宝石があり、その宝珠が契約者となる者を選ぶ。その契約の場となった土地や、次の契約者を求めた宝珠が顕現した土地、あるいは契約後に現身がここと定めた土地が、その現身を主として繁栄する地となる。
彼の肩書きのひとつである領主とは領地の主という意味合いだが、守護神の現身として、つまり領土の守り手としての意味合いを持つ領守と呼ばれることもあり、これは創世神話や守護神の伝承などにも出てくる表記だ。領守も領主も音が同じなので口頭で判別することは難しいが、これらの呼び分けは現代となってはあまり意味はない。現身はこの世界で同時に五人しか存在しえない領守であり、この世界にあまたといる領主のうちの一人である。そこまで知る現代人は、おそらく神話や宗教に対して勉強熱心な一部の者だけだろう。
「事故ということで処理してよさそうだね」
「ただ……」
「ただ?」
「その家には子どもが一人いるはずだが、その子どもがいまだ見つかっていない」
「火災発生当時は日中だったから遊びに行っていたとしてもおかしくはないが……家に帰ってきていないのかい?」
「ついさっき入った警備隊の報告によるとな。それと」
「ロアー! ジオー!」
バン、と勢いよく両開きの扉が開き、部屋に飛び込んできたのは紫髪の少女だ。セミロングの髪を側頭部でひとつにまとめた、ロアやジオよりも少しばかり幼く見える顔立ちの彼女――ロワリア国にある三つの領地のひとつ、リワン亡国の化身であるリン・ヴェスワテル。ロアの義妹だ。
リンはずいぶんあわてふためいた様子でロアとジオがいるデスクのほうまで駆けてくるが、ここに辿りつく前に足を滑らせて転倒してしまった。ロアがジオに目配せをすると、ジオは渋々といった様子でリンを助け起こす。
「屋内で走るからだ」
「な、なによ! あんただってときどき走ってるじゃない!」
「お前ほどじゃない」
「リン、そんなにあわててどうしたんだい?」
リンははっと思い出したように身を乗り出す。
「そうよ、そう! そ、外! 外になにかいるの!」
「なにか?」
ロアが聞き返すとリンはコクコク何度も頷いた。
「戸締りしようと思って、正門と裏門を見に行ったのよ。そしたら、う、裏門の近くになにかいたのよ!」
「話が前に進んでいない。なにがいたんだ」
「そんなの知らないわよ! とにかくなんかいるのー!」
リンがじれったそうに駄々をこねる。ちらりと時計を見た。時刻は既に午後十一時をまわっている。続いて窓を見る。大粒の雨が窓を叩いているのがデスクの位置からでも確認できた。
「こんな雨の中かい? このあたりに魔獣の類が出ることはほとんどないはずだけど……」
「カルセットじゃないなら、近くに森だってあるんだし……く、クマとかイノシシとかが出てきたのかもしれないじゃない!」
「たしかにその可能性もないとは言い切れないね。そのどれでもなく、ただの不審者か、たまたまそこに置かれてあったモノが生き物に見えたのかもしれない」
「見間違いはともかく、ただの不審者ってなによ……」
立ち上がり、歩き出しながらロアはふとジオを見る。
「そういえば、さっきなにか言いかけていただろう。道すがら報告の続きを聞こうか」
「ああ……」
ジオが裏門のある南の方角に目をやって、どことなく言いよどむかのように黙った。
「自己解決したのかい?」
「……報告として。警備隊から子どもが見つからないと連絡を受けるより少し前のことだが、路地裏に二人で歩いている子どもを見かけた」
「子ども? その行方不明の……いや、見つかっていないのは一人だったね。孤児かい?」
「いいや……そうは見えなかったが」
「それで、その子たちはどうしたんだい」
「声をかけたら逃げていった。雨も降っているから、すぐに帰るだろうと追いはしなかったが……」
「幽霊かなんかだと思われたんじゃないの?」
リンがからかう。黒髪に黒い服のジオは、暗い場所で見れば人の形をした黒い影にしか見えないだろう。
「その可能性も……まあ、ないとは言い切れないだろうね」
ジオがなにか言いたそうな目でこちらを見た。ロアは小さく笑ってから仕切りなおす。
「ジオが見た子どもたちも気がかりだが……とにかく、まずリンが見たものがなんだったのか確認してこようか」
結果として、リンが見たものは魔獣でも野獣でもなく、不審者でもなければ見間違いでもなかった。二人の幼い少年が、会議場を囲う柵にもたれて座ったまま、寄り添い合うようにして眠っていたのだ。ジオに確認すると、彼が見たという子どもたちで間違いないようだ。見たところ歳はまだ十歳かそこらだろう。いつから外にいたのか、すっかり全身がずぶ濡れで服もあちこち汚れている。だが話に聞いていたとおり、何日も外で暮らしていたようには見えない。
見つかるのがもう少し遅ければ――というより今夜リンが二人に気付いていなければ、このまま雨に打たれながら眠り続けて凍死していたかもしれない。放置するわけにもいかず、リンにお湯と着替え、それに毛布の用意を言いつけてから、青髪の少年と茶髪の少年をロアとジオがそれぞれ背負って中に運び込んだ。
暗闇に慣れてしまった目は光に敏感になっていたのか、会議場内に戻って間もなく少年たちは目を覚ました。見知らぬ誰かに背負われて、見知らぬどこかに連れて行かれそうになっていることに気が付くと、あわててロアたちの背中から飛び降りて外に続く扉に向かって走った。
逃げようとする少年たちの目の前にジオが現れる。風属性の能力による空間転移だ。突然のことでおどろいたらしい二人のうち、茶髪の少年が尻餅をついた。終始無表情のジオはもう片方の少年のほうに目を向けると、わずかに目を細める。一度ロアを見てから再び少年に視線を戻し、ため息をひとつ。少年たちの肩を掴んでロアのもとに戻ってくる。
茶髪の少年は訝しむようにジオを見上げていたが、ロアを見た途端にぽかんと間の抜けた顔になる。理由は青髪の少年だ。茶髪の少年より背は少し低い。独特な色合いの青髪と、紫色の大きな瞳。童顔だが整った顔立ちをしており、将来美青年になることは想像に難くない。
ロア自身と瓜二つの外見をした少年。ロアもそのことに気付いたが、そういうこともあるだろうとただ微笑んだ。
「君たち、名前は?」
ロアに似た少年は警戒心をあらわにロアを睨んだが、こちらに害をなす気がないことを悟ったのか、すぐに眉間の力を抜いて答えた。
「……礼。こっちは郁」
まだ声変わりの来ていない、少し高い声だ。