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千年世界録  作者: 氷室冬彦
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12/19

10 事情の策に加わる黒

「なにかあったんですか?」


「郁が怪我をしたみたいでね。今手当てしているが、もしよくならなかったら医療所に連れて行ったほうがよさそうだ」


「結構大きな怪我なんだね。それじゃあ僕たちはそろそろおいとましたほうがよさそうかな」


「そうですね。すみませんロアさん、長居してしまって」


「こちらこそすまない、助かるよ」


 セルとリーズを見送ったあとに医務室へ向かう。医務室と言っても、ちょっとした医療器具が保管されているばかりで、ここにある薬といえば風邪薬や消毒液などのかすり傷に使うもの程度だ。ロアもリンもジオも怪我などめったにしない。足りない薬を買い足しに行ったジオがすぐに帰還し、手当てはすぐにおこなわれた。


 郁夜の傷はひどい状態だった。左目の真下から口の横まで、頬に一筋の大きな切り傷ができていた。傷の深さもそれなりだったが、まるで切れ味の悪い刃物で無理矢理切り裂かれたように傷口がズタズタだったのだ。


「ナイフならこうはならないね。どちらかというと針のような、先の尖ったもので切り裂いた形だ。切られた方向は下から上にだね」


「そうね、傷の両端の部分。切り始めにあたる口元の部分はキレイにスッパリ切れてるけど、目の下の切り終わり部分は肉がえぐれてるわ。もう少しいっていたら目がつぶれていたでしょうね。痕が残るかもしれないわよ」


「傷の太さからして、きりやアイスピックのようなものを使ったんだろう。目まで到達せずに済んだのは、郁が咄嗟に身を退いたからなのか、それとも本人が我に返って手を退いたのか。背丈が足りなかったのかもね。そのときの二人の体勢にもよるが……」


 言いながらロアはジオの腰にしがみついている黒髪の少年を見た。黒髪に黒い目をした小柄な少年。黒はロワリアではもちろん、他の地域でも少し珍しいとされている色だ。既に手当ては終わっているが、彼も彼で足に無数の小さな切り傷と、いくつかの擦り傷ができている。


「ジオ、その子とは知り合いなんだね?」


「あんたの子孫とか?」


「村に住んでいる子どもだ」


 村――というのはジオが管理するラウの村のことだ。


 少年はロアを目が合うと怖がるようにジオの背中に隠れてしまう。ジオはとくに無反応で、まるでその体勢にすっかり慣れきっている様子だ。少年はジオと同じく右目を前髪で隠しており、服もジオと似た黒いパーカー姿だ。顔立ち自体は特筆すべきほど似てはいないかもしれないが、それでも全体的な装いがジオと著しく類似していて、こうして並んでいると兄弟のように見える。


「礼」


 しばらく二人を見比べていたロアは、不意を打つように礼に目を向け、やや鋭さをまとった声で呼びかけた。静かな医務室に響いたまっすぐな声は、ぼんやりと手当ての様子を見守っていた礼にはおどろいただろう。ロアに名前を呼ばれた瞬間に肩をびくりとさせ、その拍子に彼の足元に一本のアイスピックが落ちた。鋭くとがった銀色のニードルに柄がついたシンプルな形状で、その先端から持ち手に部分まで血液が付着している。ずっとうしろ手に隠し持っていたのだ。リンが見ている前で妙な動きをしてバレてしまうことを恐れ、部屋にこっそり置いてくることもできなかったのだろう。


 礼は足元に転がったそれをあわてて拾い上げると、さっと手を背中側にまわして隠してしまう。その様子を見ていたジオが腰にまとわりついている少年の肩に触れた。


零羅れいら。……ぜろ、お前の両親は飲食店をやっていたな」


 零羅と呼ばれた少年はうつむいたまま黙っている。


「親の仕事道具を持ち出したということかい」


「村の飲食店でアイスピックなんて使うの? そういうのってバーで使うイメージなんだけど」


「夜には酒も出している。昼間でも飲み物を頼むと演出のために客の目の前で氷を割っていた」


「へえ、それは楽しそうだね」


「いい店だ」


「あら、あんたが褒めるなんて珍しい」


「おおかた、その店に通っているうちにその子と接点ができたんだろう。お兄ちゃんなんて呼ばれていたほどだし、ずいぶんなつかれているようだね」


 しかし――ロアは本題に入る。


「そのおとなしそうな子が、親の仕事道具をこっそり持ち出して、あまつさえそれをふざけて振り回して郁に怪我をさせた――とは少し考えにくい。顔色も悪いし、礼と郁の態度も気になる。なにがあったんだい?」


 ジオが零羅の背中を押して事情を話すように催促するが、彼はうつむいたままなにも答えない。郁夜と礼をちらりと見て、零羅と目が合った礼が二歩前に歩み出た。


「旅行……」


「うん?」


 アイスピックを背中に隠したまま、礼は零羅の顔色を確認しながら打ち明ける。


「友達の手伝いに行くって。いきなり知らない大人が入って来たんだ。零羅のお母さんが刺されて、お父さんが逃げろって言って。近くにあったのを持って振り回したら怯んだから逃げたんだよ。でも道がわからなくて、みんな死んでた。どこに行けばいいかわからなかったんだ。びっくりして振り上げたら当たっちゃったんだよ」


 礼にとっては必死に説明しているつもりなのだろう。彼の言葉から確実にわかるのは、この零羅という少年の両親が強盗に襲われ、零羅だけがどうにか逃げ出すことができた――ということだ。


「それはいったいどこで? ジオ、警備隊から報告は?」


「いや、事件が起きたという知らせは届いていない」


「なら国外か。レスペルに確認したほうがいいな。礼、彼から聞いたことをもっと詳しく教えてくれ」


 礼の言葉をひとつひとつ辛抱強く聞いていくと、零羅の両親は友人が経営している飲食店に臨時の助っ人を頼まれ、店の手伝いのために零羅をつれて隣国のレスペルに向かったそうだ。場所はロワリアとの国境が近い西部の町で、そこから少し離れた静かな場所にある小さな古い宿に部屋をとっていたらしい。


 宿に到着し、父が件の友人の店に向かう準備をしていたとき、覆面で顔を隠した男が三人押し入ってきた。まず部屋の出入り口のすぐ傍にいた母親が刺され、父親は咄嗟に手元にあった荷物を男たちに投げつけながら、零羅に逃げるように言った。零羅は足元に転がっていたアイスピックを手に取り、それを振り回して男たちが怯んだ隙に間をぬって逃げ出すことができたが、宿の主人やわずかにいた他の宿泊客たちも既に全員殺害されていた。


 見知らぬ土地でどこに行けばいいのかもわからず、パニックになったままがむしゃらに走り続けた末にラウの森まで戻ってくることができた。足の怪我は何度も転ぶうちにできたものらしい。無数についた切り傷はレスペルとロワリアの間にある森の中でできたのだろう。あの森にはカルセットもほとんど出ず、子どもの足でも横断できる距離だ。リワンからレスペルへ、あるいはレスペルからリワンへ、森を通って遊びに行く子どもも珍しくない。


 途中の道行く人々から何度か声をかけられたが、恐怖で混乱した頭では助けを求めることすらままならず、両親を襲った男たちが自分を追ってきているのではないかという焦燥感と、誰かに助けを求めてもその相手まで殺されてしまったら――という恐怖心から、村や町に逃げ込めず、一人で森の中に隠れていたらしい。


 ラウの森には小さな泉がある。そこは景色が美しく、なんとも神秘的な空気が漂っている場所だ。ジオともよくそこで会っていたらしい。礼と郁夜とは彼らがここに住むようになってすぐのころに出会っており、一緒に遊ぶ仲だったそうだ。三人が待ち合わせに使っていたのもその場所で、礼と郁夜が森の中でうずくまって震えている零羅を見つけ、いつもどおり声をかけて肩を叩いたところ、いまだ混乱状態に陥っていた零羅はおどろき、あの暴漢たちに追いつかれたと思い込んで握っていたアイスピックを振り上げた。それがたまたま郁夜の顔に当たってしまった――というのが、事の顛末だ。


 礼が零羅をここにつれてきて部屋に隠そうとしていたのは、その暴漢たちから零羅を匿おうとしてのことらしい。直接ロアたちに伝えればよかったものを、彼らも動揺していたのだろう。


「ロア、レスペルの警備隊に連絡してみたけど、強盗は既に確保されてるわ。三人のうち二人はその子の父親と相打ちになったみたい。あとの一人もすぐに発見されたって。金目当てっていうより、宿の主人に恨みがあったそうよ」


「居合わせた宿泊客は巻き込まれただけか……助からなかったのは残念だが、これ以上被害が出ることがないのはよかったじゃないか」


 特別談話室に移動して三人を座らせたあと、リンの報告を聞いたロアは改めて零羅を見た。零羅――闇祢零羅やみねれいらは不安そうにロアを見上げている。口数が少ないのはもともとなのか、あるいは事件の精神的なショックによるものか。


「君を引き取って面倒を見てくれるような親戚はいるかい?」


 零羅はうつむいたまま首を横に振った。


「そうか。実は君の隣にいる礼と郁も、君と似たような状況にあるんだ。養護施設に入るには国境を超える必要がある。空きのあるいい施設を探すにも時間がかかるし、いろいろあった直後でいきなり知らない場所で暮らすのも不安だろう。今は心を落ち着けるための時間が必要だ。だから、これからどうしていきたいか、考えがまとまるまでここで面倒を見ているんだよ。君さえよければ、礼たちと一緒にしばらくここにいないか?」


 まだ幼い黒い瞳がロアの背後に控えているジオを捉え、次にロアを見た。


「君と知り合いだというジオもここにいるし、礼と郁ももちろんそうだ。施設のことも、君たちが望むなら三人で一緒にいられるように取り計らうこともできるよ。悪い話じゃないだろう。どうする?」


 ロアの問いかけに、零羅は数秒遅れて頷いた。


「なら決まりだね」


 そう微笑みながら、ロアの頭にはあるひとつの考えが浮かんでいた。とはいえ、現段階ではまだ「考えがある」と言えるほどでもない。


 ただなんとなく頭に浮かんだだけの、少し吹いただけでも消えそうなほど漠然とした空想だ。

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