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雨女考察3

 テストが終わって2日経ち、金曜日になった。


 あれから少し注意してみたら、剛志の言っていたことは本当で、雨宮雫に関する噂が結構流れていた。人殺し、売春、危ない連中と関係がある、と、普段の雨宮からは想像も出来ないものばかり。しかしそれを、不自然過ぎる時期での転校というのが後押しをしているようだった。


「今日も曇り、か」

 見上げた曇天。分厚い雲は邪悪な笑みを浮かべているようにも見えて、初夏だというのに寒気を催した。


 2週間で2日しか晴れない、なんて、もはや清々しい程に異常だと思うのは俺だけでは無いはずだし、雨続き特有のカビ臭さが町中に蔓延(はびこ)るなんてたまったものではない。


 その臭いへのせめてもの抵抗として、体育の授業で本気を出してみた。このままでは気がおかしくなってしまうと判断した俺は、汗の臭いでカビの臭いを上書きしようとした。


 でも、そんな事を考えている時点でもう既に気がおかしくなっているんだ、と気づいたのは、張り切り過ぎて体力が尽き、まだ授業中だというのにグランドの真ん中で倒れてしまってからだ。


「大丈夫か、梶原?」

 バスケ部の木下が、苦虫を噛んで狼狽えているやつを見るかのような、同情の顔色で覗き込んで来る。


「あー、しばらく立てそうに無いから、あとは任せた」

「任せたって……」

 全てを放り投げた俺に、木下は勘弁してくれ、と言いたげに、剛志がはしゃいでいるほうを指差した。


『喰らえ我が殺人シュートオォォオ!!』

『なっ! 玉が分身しただと!?』

『違う! あれは残像だ!』

『よく見ろよあれはただの靴だ!』

『玉野が倒れたぞ!』

『靴にやられたのかっ、なんてやつだ』

『おーい、田井中、お前ファールな』


「――アレの飼い主はお前だろ?」

「どこのアニメを実写化してるんだ、あいつは」

 ビースト田井中。あれが真の『馬と鹿の合成獣(キメラ)』というやつか。


「というか、剛志の飼い主なんて重荷は俺には背負えない」

 紛れも無い本音。心の底から嫌だしな。


「フィールドが広い分、アレは暴走するからな」

 木下は呆れながら、しかしどこか楽しそうな苦笑を浮かべて言った。


「サッカーなんて、もて余したアレの筋肉も喜ぶだろうさ」

「……違いないな」

 成る程。木下はやっと、あの筋肉馬鹿にバスケを冒涜されないで済むから楽しそうなのか。


「ところでさ」

 剛志のほうを見つめたまま、木下が話を切り替える。


「お前ら、また何かやってるのか?」

「? 何かってなんだ?」

「いつものあれだよ。探偵さん」

「いや、してないが」

 何故いきなりそんな話になるのか、解らないと言いたいところだが、心当たりが無いわけでも無いからなんとも言えないもどかしさに喉を塞がれた。


 木下は次に、同じくサッカーをやっている女子達のほうを見た――と言っても男子がメイングランドを使っているため、ハンドボール用の小さいグランドだ。


 雨が続いていたせいで、久しぶりの野外競技である。皆どこかテンションが舞い上がっているらしく、俺と同じように倒れてしまっている生徒もちらほら居た。


 そして、


「そうか。お前達の事だから、雨宮さんの事でなんか動いているんじゃないかと思ったんだ。田井中もしつこく付きまとってるみたいだしさ」

 剛志め、まだ続けてたのか。


 木下の視線の先には、ハイテンションなクラスメート達の中で殆ど唯一、灰色のオーラを身に纏っている雨宮が居た。


 雨の日。つまり体育館での授業の時は休んでばかり居たのに、どうかしたのだろうか。


「剛志がしつこいのはいつものことだし、俺は探偵じゃない。別になにもしてないし、なにかをするつもりも無い」

「そうか」

 俺の皮肉に、木下はあっさりと頷いた。


「まあ、気が変わったらさ、声をかけてくれよ。協力するから」

「そうならないことを願ってる」

 木下は授業に戻るため、俺元から走り去っていった。


『喰らえ殺人パス!!』

『うわっ! 渡来がやられた!』

『おい田井中お前仲間になんてことを!』

『というか靴を履けよ!!』

 かくいう俺は、向こうが賑か過ぎて戻る気にならなかった。




 グランドに横になってから5分ぐらいか。


 疲れ果てた体で一度ラクな体勢になってしまうと、なかなかそこから抜け出せなくなるものだ。その典型的な状況で、俺の右手に何かが触れてすぐに弾けた。


「……?」

 右手を確認するが何も無い。


 しかし、汗にまみれた身体を冷やすような感覚が、その右手から広がっていた。


 ポタッ、と、次は頬に、同じものが落ちる。


 空を扇ぐと、曇天はいつの間にやら黒さを増して、不可解な笑みを毒のある無表情に変えていた。


 雨だ。


 そう気付いた瞬間、それはいきなり本降りになる。


 突然の天候の変化、とは言えない。元々今日は天気が悪かった。


 だが、


「雨か……。調度良い。今日の授業はここまでだ。早く教室に戻れ」

 教員の畑山の指示は、俺にとっては手遅れだった。


「……最悪だ」

 呟く。そうすれば少しは、気がラクになると思った。


 でも勿論そんなはずは無くて、雨は俺の全身を瞬く間に濡らし、染み込んでいく。


 ダメだ。やめろ。これ以上雨を浴びたら思い出してしまうかもしれないだろう。そんなことを考えている時点で既に思い出しているのだという自責は後から込み上げてきて、その叱咤する気にもなれない己の馬鹿さ加減を少しでも誤魔化そうと、今日は元々、いつもより少しだけ、気がおかしかったからだ、と言い訳を並べる。


 誰が聞くわけでも無い言い訳。そこに意味は無いが、信じてもいない神様へ文句を言う事が出来る。


 動けない。それは疲れているせいだ。金縛りなんかじゃない。


 抵抗する手段の無い無能な脳に、いくつもの声が、映像が、浮かび上がり、回り巡る。


 ――さよならだ。


 ――呪われてくれ。


 ――君だけが来てくれるって。


 ――信じてた。


 そして中学校の屋上から飛び降りた人間が居た。


 追い込んだのは俺だ。やり過ぎた、なんて言葉じゃ追い付かないような事をした。


 あいつを苦しめ、追い込み、嘲笑い、そしてそのせいであいつは死んだ。


 世間では自殺ということになったが、あれは紛れもなく、どうしようもないほど、殺人だった。


 犯人は俺だ。


 俺が殺した。


 俺が、あいつを、殺したんだ。


 その事実を突き付けるため、あいつは俺を呼び出して、そして、俺の目の前で飛び降りた。


 あいつはそれを呪いだと言った。


 その通りだった。


 あいつがかけた呪いは、あの日と同じように、雨が降る度、俺の脳裏をその記憶で焼き焦がす。


 そしてその熱に耐えられなくなると、この発作が起きるのだ。


 クラスメート達はもう、屋根のある場所に避難している。動けない俺だけが取り残されて、雨粒がのし掛かり、地面に磔にする。


 込み上げてくる嘔吐感。


 熱い。なのに寒い。


 内臓から押し上げてくるものが食道を焼いて、雨粒が皮膚を凍らせる。


「達巳!」

 声がした。行きすぎたお人好しであり馬鹿の代名詞、田井中剛志の声だ。


 そして、駆け寄ってくる影は3つあった。


 ああ、どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ。


 田井中剛志と、川崎結愛と、雨宮雫。


 苦しみから目を逸らすために止めていた思考を、唇を噛んで再起動させる。


 剛志に背負われて、考える。


 耐えろ。せめて水道まで、我慢しろ。


 そして、




「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 プレハブ屋根のある水道まで来て、体内から熱源を吐き出す俺の背中を、雨宮が擦り続けていた。


 川崎はさっき、荷物を取ってくる、と教室へ戻っていった。タオルで身体を拭こうにも今の俺には教室まで歩く体力が無いから、助かる。


 剛志は珍しく沈黙していた。謝り続ける雨宮が不可解過ぎて唖然としているのか、はたまた空気を読んだのか。


「ごめんなさい、ごめんなさい」

 ここまで来ると、少し怖かった。


 いわゆるヤンデレというやつか、なんて冗談を思い浮かべても、全く笑えないぐらいには、この現状は冷たい。


「そのごめんなさいは、雨を降らせてごめんなさい、という意味か」

 吐き終え口を濯ぎながら、切れた呼吸を整えもせずに問う。


 雨宮は今にも消え入りそうな声で、そうです、と頷き、


「私は、雨女ですから」

 そう言った。


 雨女。そう、こいつは雨女だ。名前は雨宮雫。冗談にしては出来すぎていて笑えない。


 そしてこいつは、雨女だからこそ、周りの人間を拒絶した。関わらないで下さいと転校の挨拶で言う程に、覚悟をもって。


 だが、


「……雨女の私は、皆に嫌な思いを、させてしまいます。だから私は、ひとりで居たいんです」

 その言葉は、上っ面だけの戯言だ。


「ふざけるなよ」

 俺は思う。


「ひとりで居たいだと? ならなんで助けるんだ」

 言葉にだけ覚悟を乗せて、肝心な心のほうにはなんの覚悟も無い。外装を固めるのに必死になって、鎧だけ立派な虚弱な剣士みたいなものだ。結局なにも出来ない。


「それは……」

 言葉を詰まらせる雨宮。どこまで脆いんだよ、こいつの心は。


「周りとは関わりたくない。でも傷つけたくないからはっきりと拒絶出来ない。ひとりで居たい。なのに、苦しんでるやつが居たら手を差しのべる。この矛盾はなんだ?」

 それは全て、彼女の意思の弱さの表れだ。


「お前は自分が雨女だと言ったな。お前が悲しんだら雨が降る、と。なら、今、お前は悲しんでいるのか?」

 その問いに雨宮は頷いた。


 その頷きは、天空から降りてきた蜘蛛の糸のひとつだ。


 それは遥か地上にある蜘蛛の巣と繋がりひとつの真実を作りあげる。


 偶然や運命、思惑や因果。それらはひとつひとつが蜘蛛の糸となり、絡み合って蜘蛛の巣となる。つまり蜘蛛の巣とは真実や事実なのだ。


 そして、その蜘蛛の巣に捕らえられる餌がある。


「――はっきり言おう。お前のそれは、勘違いだ」

 その餌はつまり、何かの出来事の理由、もしくは、犯人だ。


 蜘蛛の巣にかかりかけた雨宮は、途端に眉を潜めた。


 何か言いたい事があるようだが、先手は取らせてもらう。


「お前が悲しんでるから雨が降っているわけじゃない。雨が降っているからお前が悲しんでいるんだ」

 雨宮の表情が雲っていく。ちらっと剛志のほうを見たら、やつは鼻を鳴らして、意味不明だ、と、両手を挙げた。


「順を追って説明する」

 立っているのが辛くなって、水道に体重を預けて、雨宮に視線を戻す。


「お前は孤独を望んでいない。他人の事ばかり考えているやつが、孤独なんて望めるわけが無いんだ」

 そう、これは所詮哲学論だ。だが、雨宮の場合は違う。


 孤独を望むというのはつまり対人恐怖症か極度のめんどくさがりかだ。困っている人を見かけたら助ける。そんな発想を持っている人間には到底考えられない思想だ、と、少なくとも俺はそう思う。


「なにを、言っているんですか?」

 雨宮は苦笑した。解らないのか、解りたくないのかは、所詮他人の俺には解らない。


「本当は、ほっておくつもりだった。だが悪いな、雨宮。気が変わった」

 そう前置きをして、続ける。


「――お前の正体を、暴いてやる」

 解っている。これはエゴだ。


 俺はやっぱり、揚げ足を取るのが好きらしい。こんなことにまで首を突っ込んで、なんの責任も取れないといのに。


「雨女なんていう超常現象の真実を突き止めて、終わらせる。もしそんなことが可能だとしたら、お前はどうしたい?」

「そんなの、無理です」

「やってみなければ解らないだろう」

 結局、俺も雨女も、自分の事も他の事も、解らない事のほうが多いのだから。


「ひとりの人間の感情によって天候が左右される、なんてことよりは、 ずっと現実的だからな」

 雨宮は俯いて何も答えない。


「フラシーボ」

 変わりに俺が呟く。


「思い込みの力ってやつだ。いつだかのお前は、雨の日に嫌な事が起きた。それが偶然何度か続き、お前は雨の日には嫌な事が起きるものだと勘違いした。そしてそれがいつからか湾曲し、嫌な事が起きたら雨が降るのだと思うようになった」

 あり得ない話では無い。少なくとも、雨女よりは現実的だ。


「それが、雨女の正体」

「そんなの……」

 雨宮が反論しようと口を開き、しかし思いとどまって閉ざしてを繰り返す。


 ふと、荷物を持った川崎が顔を、出したのが見えた。


「仮説だ。全部、仮説でしか無い。屁理屈だ」

 だが、と、深く息を吸い込み、


「雨女としての自分を終わらせたいか?」

 もう一度、さっきと同じ問いを、違う言葉で投げ掛ける。


 僅かな沈黙の後、雨宮が小さく頷く。


「助けて、くれるんですか?」

 その弱々しい言葉に、今度は俺が言葉を失った。


 こいつは、今までどれほど、この問いを誰かにぶつけたかったのだろうか。


 考えてみれば、すぐに解ったはずじゃないか。


 ――どうか私に、関わらないでください。


 こんな言葉に、悲鳴以外の意味なんて無いはずだ。


 良い意味でも悪い意味でも、その本当の意味は解らないにしても、彼女は最初からずっと、助けを求めていたんだ。


「助けは、しない」

 俺は正義の味方じゃない。助けられる保障なんてどこに無い。


 でも、


「だが」

 やれることは、あるはずだ。


 俺は雨宮から視線を外し、川崎と剛志を見た。




「――出番だぞ、馬鹿共」




 そのお人好し二人は、馬鹿呼ばわりされておきながら、笑った。




「俺は出番が来なくても目立てるようにずっと色々調べてたんだせ、こっそりな」

 と剛志は胸を張る。全くこっそりじゃなかったがな。


「おや?」

 川崎は白々しい態度で鞄からいくつかのコピー用紙を取り出し、


「こんなところに偶然、とあるサイトのとあるやり取りを印刷したものが!」

 白々し過ぎていっそ清々しいな。


「えっと、あの……?」

 着いてこれない雨宮は目を白黒させていて、それはそれで面白い光景だった。


 まぁ、こいつらがなにかしらやっているだろうとは思ってたからな。話が早い。




「さて、雨女に終止符を打とうか」

 他の誰でもなく、雨が嫌いな俺のために。






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