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雨女考察2

 雨宮雫が転校してきてから3日が経ち、最初の金曜日となった。実はテストが結構間近に迫っていたりするのだが、学校の勉強に力を入れる程の気力は起きない。


 雨宮は保健室で、自分を雨女だと言っていた。俺はそういうオカルト的なものを信じないからなんとも言い難いが、こうも雨ばかりが続くと、その信念も挫けそうになる。


 というわけで、雨宮雫について。


 あの保健室でのやり取りの後、剛志や川崎に確認したところ、転校してきた初っぱなの挨拶でも、私に関わらないで下さいと言ったらしい。


 その願いは決して他人任せでは無く、雨宮は他人との接触をあの手この手で回避していた。


 あの粘着系筋肉男、田井中剛志による執拗なアピールさえスルーし、昼御飯を一緒に食べようという他女子の誘いも全て断り、休み時間はあまり教室には居ない、という徹底ぶりである。


 俺も高校進学当初に似たような事をやっていたが、田井中剛志という最初の(バカ)で挫折したからな。関心する。


 だがそれでも雨宮に対する不満や愚痴が広まらないのは、その美貌だけが理由では無い


 彼女は誘いやらなにやらを断ったりスルーしたりする時、必ず困ったような反応をして、申し訳なさそうな顔をするのだ。


 なにか理由があるんだろうな、というのは、最初に関わらないでと言われた時点で諦めた俺にさえわかった。


 だが、そのにかかが解らない以上、何も解っていないのと同じだ。


 何も解っていない以上、何も来ない。


「梶原。あんた、顔色悪いわよ」

 昼休みを使って雨宮考察をしていたら、川崎に言われた。川崎とは去年もクラスが一緒で、名字の都合上席もすぐ近くだ。だからなんだかんだでよく話す。


「……どれくらい悪い?」

「この前田井中に席をびしょ濡れにされた時の斎藤さんと同じぐらい」

「もう死んでしまいたい、って顔して気がするんだが、あのときの斎藤は」

「うん。今のあんたもね」

 多分それは雨が続き過ぎているからだ。


 しかしそんな事を川崎に教えても不毛だと判断した俺は、心配は要らない、と一言告げてから、


「ところで剛志はどうした?」

 話を変える。


 川崎は、うわぁ、あいつの話しとかしたくないなー、と今にも言い出しそうなほど嫌そうな顔をして、


「階段を使って筋トレしてくるって言ってさっき出ていったわ」

「階段を、だと…?」

 あの野郎、学校の階段を通行不能にするつもりか。


「あとこうも言っていたわ。雨宮ちゃんが俺に構ってくれないのは、俺の筋肉が足りないからだー、とか」

「……いや、逆だと思うんだが」

「奇遇ね、あたしもよ」

 あの筋肉野郎、脳ミソだけじゃ飽きたらず魂まで筋肉に変えやがったのか。


「なら、雨宮は?」

「どっかに行ったわ。いつも通り、ね」

 ふて腐れたように頬杖をつく川崎。


 ちなみに彼女は雨宮への接触に対して積極的では無い。ネット依存性の川崎は現実世界においてはドライだ、というわけでは勿論無い。


 ネットや機械いじりが好きだがそれは趣味に留めて、仕事にはしたくない。現実と趣味は徹底的に分別しているのだ。


 ならば現実での彼女はどんな人間か、と聞かれたら、正直よく解らない。


 川崎結愛は変人だ、というのは、川崎結愛と田井中剛志が幼馴染みである、という事実から派生して生まれた噂だが、別に全くのデタラメというわけでも無いのだ。


「好奇心旺盛なお前が、雨宮にそそられないのは意外だな」

 思わず口に出してしまったその本音に、川崎は歯止めを失ったリスのように頬を膨らませた。


「そんななんでもかんでも興味を示す、みたいな言い方しないでよ。あたしだって、雨宮さんが知られたくないって言うのなら、スリーサイズ以外は調べたりはしないわ」

「スリーサイズは調べるのか」

「調べるんじゃないの。調べたの」

「過去系になってお前が容疑者から確信犯になったわけだが、言い訳はあるか」

「悔いなら無いわ。でも言い訳はさせて。雨宮さんが可愛過ぎるのが悪い」

「責任転嫁にも限度があるぞ」

 掴み所の無い分、川崎は剛志以上に質が悪い変態だ。


 川崎は、それに、と身を乗りだし、その大きな瞳に俺の顔が映りそうな程、顔を近付けてきた。


「あたしが調べたりしなくても、あんたが推理したら色々解るんじゃない? ねぇ、探偵さん?」

「解りもしないし、解ろうとするつもりも無い。それに俺は探偵じゃない」

「何を今更言ってるのかしらねぇこの鈍感ニブ男は。雨宮さんのあの『不自然さ』はもうクラスの皆知ってるけど、固くな過ぎてお手上げちゃんぽんなのよ? だからあんたに期待してる。皆待ってるあなたの推理」

 変な言い回しをする時程、こいつは本気なのだ。真剣になるのは恥ずかしい、という典型的な現代っ子思考を持っているから、真面目な時程冗談めかすのだ。


「無茶を言うなよ」

 俺は降参のポーズを取り、さりげなく川崎から距離を置く。


「現状では情報が足りない以前に必要な情報が何かも漠然とし過ぎて解らない。それにパンドラの箱を開ける勇気は俺には無い」

 情けないが、後者が本音だった。


 だって、彼女は保健室でこう言ったのだ。


 私は人を殺した。


 と。


 そのことについて調べるのは、生半可な覚悟では駄目だ。それに、雨宮のあの頑な拒絶をなんとかするために、彼女の知られたくない事を調べたりしたら、雨宮と近付くどころか拒絶を強められたりするかもしれない。


 もしかしたら、俺達のほうが、彼女を拒絶するかもしれない。


 そうならないようにするには、今は、知らぬが仏、という言葉を信仰する他無い。


 下手な好奇心なんかでは知っちゃいけないことなんて、この世にはいくらでも転がっているのだ。


「乗り気じゃ無し、かー」

 川崎は残念そうに座り直して、両手を頭の後ろで組む。


「なら仕方がないけど、もし気が変わったら言いなさいよね」

 にそう言って、この話は終了、と、言外に告げた。




 ちなみに、雨宮が自分を雨女だと言っていたり、人を殺した、と言っていたりした事は、誰にも教えていない。


 知りたくないことや知られたくない事は全部、知らぬが仏という言葉で片付けられるものだ。便利な言葉である。


 しかし、腑に落ちない事がいくつかあった。


 ひとつは、人を殺した、なんていう事を初対面の俺に教えた事だ。


 脅しのつもりだったのかもしれない。私には近付かないほうが良い、という暗喩だったとも考えられるが、それならば何故、他の人間には伝えないのか。何故、俺だけに伝えたのか。


 次に、拒絶は徹底しているくせに、やり方がひどく中途半端な事だ。


 雨宮は初対面から、いきなり俺を罵倒してきた。しかしそれは演技だった。


 演技は苦手なのだとしても、本当に嫌なら関わらないで欲しいという感情は伝わるはずだ。しかし雨宮にはそれが無い。申し訳なさそうに、本当は拒絶なんかしたくないかのように皆から距離を置く彼女は、後ろめたさに後ろ髪を引かれているかのように、何かに怯えていた。


 拒絶する理由。つまり動機。


 彼女は皆が不幸になるからだと言った。


 だが彼女はこうも言っていた。『私が悲しんだり苦しんだりすると雨が降る』と。


 その言葉を信じるわけでは無いが、この言葉の中で傷を追っている人間は雨宮本人であり、回りの人間じゃない。


 にも拘わらず雨宮は、この体質のせいで人が死んだと言った。


 矛盾だ。


 不幸な目に合っているのは、実際に悲しんだり苦しんだりしているのは雨宮なのに、何故それで他人が不幸になっている?


 気になる、というわけでは無い。だが、何かがおかしいのは確かだ。


 俺の考えがおかしいのか? 雨宮が何かを隠しているからか?


 解らない。


 解らない事だらけだ。


 現段階で解るのは、ひとつだけだった。




 午後には体育の授業があった。雨も降っているからまたバスケで、なんかまた木下と剛志の一騎討ちが始まっている。


「これがバスケ部の維持だ!」

「ならばこっちは筋肉の繊維だ!」

「字面が似てるだけじゃないか!」

 元気だな、あいつら。全く、羨ましいとは思わないが。


「畑山先生」

「なんだ、梶原」

「すみませんが、保健室に行ってきていいですか。ちょっと、気持ち悪くて」

「またか。仕方がないな。行って来い。付き添いは要るか?」

「いえ、結構です」

 また前の二の舞にはなりたくないしな。


 体育館を後にした俺は、保健室より先にトイレに向かった。割りと皆冗談として捉えるが、俺が吐きたい、気持ち悪いという嘘を言った事は無い。全部本当なのだ。


 しかも最近は雨が続き過ぎて、悪化までしてきた。


 喉の奥から、異物感と一緒に嫌悪感が押し寄せてくる。


 やばい。これは、やばい。


 よくある事だが、トイレまで耐える事が出来なくて、近くにあった水道で吐いた。


「うあっ、ぐっ……があ」

 喉が焼けるように熱いを息をする隙もなく吐き出される昼食達は、嫌悪感だけを残して排水溝に消えていく。


 苦しい。今回こそ死ぬんじゃないか、とはいつも思っているが、大抵生き残れる。頭がガンガンして、思考が薄くなっていく。


「だ、大丈夫ですかっ!?」

 気絶したくても気絶出来ない地獄に、鈴が転がる様を幻視した。


 吐くのに必死な俺の背中を、誰かが忙しなくさすってくれている。今は授業中だぞ、こんな時に、誰だよ、廊下を出歩いてるやつは。


 異物感を吐き終えて、息を調える間も誰かは背中を擦り続けてくれた。小さいが、優しい手だった。


「えっと、口をゆすいで、水を飲んで下さいっ。胃液で喉が焼けちゃいますよっ」

 そうだったのか。嘔吐というのが日常茶飯事だったからあまり意識していなかったが、そんなに危険なんだな、吐くって。


 後ろで背中を擦ってくれている誰かの指示に従い、口をゆすいで水を飲んだ。


 そしてまた息を調えて、なんとか深呼吸が出来るまで落ち着くと、背中から小さな手が離れた。


「……ありがとう、助かったよ。――雨宮」

「……あ……」

 振り向いた先で彼女は、しまった、というような顔をしていた。他人を拒絶しているくせに、人助けか。


 雨宮は豊かな胸の前で気まずそうに自分の手を握って、顔を反らした。


 彼女は今のところ、体育の授業は1度も受けていないのだ。そしてここは保健室近くの水道だし、もしかしたら、吐いている時の声が聞こえて助けに来てくれたのかもしれない。


 でも、だとしたら、


「あの、……それでは、私はこれでっ」

「ちょっと待ってくれ」

 逃げるように背中を向けた雨宮を呼び止め、頭がクラクラするのを、水道に寄りかかる事でなんとか堪えた。


 雨宮は立ち止まった。


 本当は逃げたいんだろうに、なんて律儀なやつなんだ、と俺は思う。


 そうか。


 遥か上空から垂れてきた糸が、地上にある蜘蛛の巣と繋がるかのように、偶然居合わせたという奇跡が、蜘蛛の巣という辻褄(つじつま) を完成させる。


 ああ、たった今さっき、知らぬが仏という言葉の有り難みを実感したばかりだというのに。


「頭がガンガンするんだ。少し、手伝ってくれないか」

 まともに歩けないといえのも、事実ではあるしな。




 保健室に入ると、俺はすぐ、ベッドに倒れ込んだ。嘔吐はしたが本当に体調が悪いわけじゃない。だが、嘔吐っていうのは疲れるんだ。嫌悪感は吐き出してくれないくせに、胃の中のものと体力は根こそぎ奪っていく。本当に、厄介なものだ。


 対して雨宮は、忙しそうに棚を漁っていた。保険医はまた居ない。仕事しろよあの野郎。


「えっと、吐いちゃった時には、お薬、えっと」

「風邪とかじゃないから、薬は要らないぞ」

「あ、そうなんですか……って、……っう」

 再び、しまった、という顔をする雨宮。他人と関わってしまった自分を責めているのだろう。


「……しかし、助かったよ。今回は、結構やばかったから」

 ベッドに寝転がりながら、本心からの感謝を述べる。返事は無い。だが、まるで屍のようだ、という冗談が続かない程度の存在感が、彼女にはあった。


「ちょっとた持病みたいなものだから、あまり気にしないでくれ」

 寝転がったまま手だけ振り、大丈夫だというアピールをする。


 返事は無い。


 さっき完成した蜘蛛の巣が、雨宮という獲物。捕まえる事は無いだろう。


 知りたくなかった事実は、しかしまだ真相では無い。


 彼女という人間が解ったのだ。彼女が言った言葉の矛盾が矛盾では無くなった事で。


 しかしそれはただの鍵だ。彼女という人間が解ったところで他人を拒絶するという行動の動機には至れない。それは、次の段階へ進むための鍵でしか無い。


 これを使う勇気は、俺には無い。


 いや、俺にはその資格が無いのだ。


「でも本当にさ、お前が居てくれて助かったよ。居てくれなかったら今頃水道の前で倒れて」「あなたはっ!

 くどかったらしい感謝の言葉は、雨宮の癇癪によって上書きされた。


「あなたは、自分が何をしてるか解っているのですか!?」

 解っている。


「私は人を殺した、と、あなたには教えましたよね!」

 勿論、覚えている。


「私は人殺しです! しかもあなたが嫌いな雨女なんですよ!? 関わらないほうがあなたのためなんですよ! だから……!」

 必死だな、と思った。


 必死で、がむしゃらで、頑なで、だからこそ、


「お願いですから、関わらないで下さい……。お礼なんて、言わないで下さいよ……」

 哀れだ。見下すわけじゃなく、そうも思った。


 お礼も駄目、という拒絶では無く、お礼そのものに嫌悪しているかのような反応。


「ありがとうと言わたくないなら、助けなければよかったじゃないか」

 そして、真実に迫りパンドラの箱を開けるのが怖かったが、このままでは居られないという本能が俺に選ばせた選択肢は、最悪なものだった。


「それ、は……」

 言葉を詰まらせる雨宮。助けない、という選択肢は彼女には思いつかなかったらしい。たが、それは必然だ。何故なら彼女は、あまり話す事が無くても解ってしまう程に、優しい人間だから。


「正直、お前の性格じゃ、この学校のやつらを拒絶し続けるなんて出来ないぞ」

 なにせ優しくない俺でさえ手駒に取られてご覧の通り、な現状だからな。優しい雨宮には不可能だろう。


「そんな事ありません!」

 声を荒げる雨宮。その口調には、私の何が解るんだ、という怒りも込められている気がした。


 ああ、解るさ。なんたって俺も、人を殺している。


「そんな事あるさ。特に田井中剛志と川崎結愛だ。あいつらには気を付けろ。かなりの馬鹿(お人好し)だからな」

「えっ……」

 俺の警告に、反論を失い驚く雨宮。


「剛志はしつこいし、川崎はやり口が巧妙だぞ。お前の性格だと、あいつらはどうにも出来ない


 そして俺は、人差し指を立てて提案する。


「手伝ってやろうか? お前が独りで居られるように」

「…………」

 雨宮は唖然としていた。それもそうか。この提案は明らかに矛盾しているのだから。


 俺が雨宮を手助けするためにはつまり、俺が雨宮に構ってくるやつらをなんとかしなければならない。だが、そのために俺は雨宮の近くに居る必要がある。よって雨宮は、独りにはならない。なれない。


「だめ……です。それだと、意味が、ありません」

 雨宮の返事は妥当なものだった。


「だが、独りになりたいんだろう? 関わらないで居て欲しいんだろう?」

 俺はさらに問い詰める。完全に、悪役の配置だな。昔を思い出すよ。


「…………はい」

 苦しそうに、彼女は答えた。苦しめてるのは俺だ。そう思うと、また、吐き気がしてきた。


 しかし、こんなんで苦しんでしまうのか。


 人の心は弱い。俺が思っている以上にずっと脆い。それを俺は、実体験を経て知っていたはずなのに。


 ――なにをやっているんだ、俺は。


 途端にさっき吐きそびれた嫌悪感が込み上げてきて、唇を噛んだ痛みで誤魔化した。


 最悪だ。


 解っているのに、これ以上踏み込んだら彼女は確実に傷付くというのに。


「……解った」

 頷いて、納得したようなフリをする。


 自重しやがれ。今の俺は、剛志達以上の大馬鹿野郎だ。


「俺はもう、お前と関わらないよう、努力しよう」

 逃げの一手。情けないかもしれないが、今はこれが、こいつのためであり、俺のためなんだ。




 ◇◆◇◆◇




 俺は、超常現象を信じない。幽霊とか魔法みたいなもののことだ。


 雨宮雫は雨女だという。彼女が悲しんだり苦しんだりすれば雨が降る、というオカルト現象もまた超常現象なのだが、これはもう挫けて信じてしまいそうだ。


 2回目の保健室でのやり取りから1週間が過ぎ、テスト期間に入った。テストは3日に分けて行われるが、今日はテスト最終日の水曜日だ。


 しかしここは割愛しよう。なんたって今日までの1週間、6日中3日が雨という惨事だったのだ。勉強なんかに集中出来るわけも無く、結果は散々だった。それに疲れた。


 しかし、だ。ここ最近の降水確立は、元から雨が多いらしいこの地域でも普通では無いだろう。確か、去年はこんなに酷くなかったはずだし。


 今日は貴重な曇りの日で、テストの帰りに剛志や川崎とファミレスに入った。


「テストが終わった後のこの解放感って、本当に良いわよねー」

 伸びをしながら川崎が言う。


「そうかあ? 俺もう既に束縛感MAXだぜ」

 と続く剛志。なんか元気はつらつに言っているがこいつの言う束縛とはつまり補習の事だ。


 こいつは毎回『受けたテストの数だけ補習がある男――ミスターパーフェクト――』と呼ばれている程に、奇跡を起こしている。得意そうに見えて保険体育さえも補習だ。呆れるを通り越してもうどうでもいい。


「お前さんはどうだっんだ、達巳」

「さあな。結果が出なければなんとも言えない」

 正直あまり自信が無い。なにさ寝まくったからな。最近は。


 ウエイトレスに案内された席に座って、早速メニューと向き合う。


 ちなみに、俺は親から仕送りされる金を小遣いにしている。おばあちゃんならも了承済みだから、横領じゃないぞ。


「とりあえずテストの事なんか綺麗さっぱり忘れて、食うぜぇ」

「意気込むのは良いけと田井中。あんた、家でお母さんが御飯用意してるでしょ」

「そっちも食う」

「あんた、どれだけ食べるつもりよ」

「俺の筋肉は、常に栄養を求めているのさ」

「燃費の悪さが気持ち悪い」

「笑顔で毒を吐くのはやめようぜ!」

 無茶な要求をするなよな、とは思ったがめんどくさかったから言わなかった。


「つうか、田井中。あんたが誘ったんだから、あんた、あたしの分奢りなさいよ」

「おっと川崎ー、苛めるのは筋肉だけにしてくれよー、俺の財布はちょっと弱いんだからよー」

「本当に不快よね、あんたの筋肉ネタ」

「だから笑顔で毒吐くなよ!」

「剛志、次また筋肉ネタ出したらその筋肉を焼くからな」

「耐えてみせるぜっ」

「よし、焼こう」

「しまった誘導された!? てかなんでライターなんて持ってんの!?」

「ああ、おそらく前ここに座ってた誰かの忘れ物だ」

 こいつはもう馬鹿過ぎて話しにならない。というかウエイトレス、仕事しろよなんでちゃんと片付けていだよ。


「で、剛志。そんな事より本題はなんだ」

「本題? なんだそりゃあ」

「わざわざこんなところに呼び出したんだから、何か話があるんじゃないのか?」

「? なにを言ってやがるんだお前さんは」

「? なにって、普通に本題に入ろうと」

「んなもんねぇよ。飯を食いに来ただけだぜ?」

「…………」

 またやってしまった。


 いわゆる考え過ぎというやつだ。そんなに深くない事さえも深く考えようとしてしまうのだから、損な癖である。


「もっと気楽に生きようぜ達巳よー。そんな考えてばっりじゃ身体が腐るってな」

 剛志は立ち上がって、ボディビルダーの真似のポーズをした。


「見やがれこの筋肉を。腐る事なき肉体を」

「変わりに目が腐るがな」

「というか田井中。御願いだから立ち上がらないで」

「恥ずかしがるなよ川崎ー。この肉体で恥じる事なんざひとつもあっっっちぃ! おいこら達巳! おいこらなんで無言で俺の腕を焼くんだ!?」

「いや、約束を果たした」

「要らねぇ律儀さ!」

 しかし悪目立ちし過ぎた。回りの視線が集まっている事に気付いて、俺は何事も無かったかのようにソファーに身を沈める。


 俺の態度で流石に空気を読んだらしい剛志は座り直し、


「見ろ! 俺がゴミのよ――っ!?」

「いい加減にしなさい。殺すわよ」

 目が、目が本気ですよ川崎さん。


 おそらくテスト開けだからだろう、異常なテンションだった剛志も、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


 注文を終え、去り行くウエイトレスの後ろ姿を執拗に眺めながら、剛志が言った。


「……で、本題なんだがよー」

「さっきそんなのは無いと言ってなかったか?」

「いんやぁ、さっきのはあれだ。シリアスな空気になる前に一発ギャグを入れておこうという俺の気遣いだ」

「いらん」「いらないわよ」

「まあそう言うなって。皆大好き雨宮雫ちゃんの話だ」

「…………」

 本当にシリアスな話題になりそうだな、おい。俺はあまり触れないようにしてたのに。


「あれ、どう思うよ、達巳」

「どう、と言われてもな」

 どうとも思わない、と言えば嘘になる。


 だが、だからどうした、という話なのだ。


「俺には関係の無い話だ」

 そう、関係無い。


 雨宮が独りを望んでいるとか、余計なお世話だとか、そんな話はどうでもいい。


 1週間前は雨宮に「協力してやろうか」なんて言ったが、そもそも俺には動く理由が無い。


 俺は、周りの人間より少しだけ頭の回転が早い。


 しかしそれは回転が早い、というだけで決して良いわけじゃないのだが、とにかく、能力値が多少高い事に変わりは無い。


 能力が高い。そう言えば聞こえは良い。


 能力の高さは武器になる、というのは誰だって思う事だろう。


 その通りだ。能力の高さは武器になる。


 ――そう、つまり、凶器に。


 その凶器を持っている人間は、自重しなければならない。


 気を付けなければ簡単に誰かを傷付ける。


 振り回すつもりは無かろうと、鋭い刃は些細な理由で何かを突き破り、貫く。


 そんな人間が無差別に動くというのは、無差別殺人と大差無い。だから、理由も無く動くわけにはいかないのだ。


「それはあたしも賛成」

 めんどくさそうに同調を示す川崎。


「多数決だ。この話はやめよう」

 味を占めて、半ば無理矢理話を終わらせようとした時だ。


「この前の日曜日。雨宮雫は病院に運ばれたらしい」

 剛志が言った。


「あくまで、らしい、だがな」

 はは、とから笑いして、剛志は続ける。


「――雨宮雫は雨女らしい」


「――雨宮雫は人を殺したらしい」


「――雨宮雫は神に愛された人間らしい」


「――雨宮雫は身売りしているらしい」


 淡々と、しかし一字一句正確に、その曖昧な言葉を並べていく。


「それって……」

 訝しむ川崎。対して俺には、あまり驚きは無かった。


「全部噂だぜー。根も葉もねぇのに広まってる噂。学校のそこらに転がってやがる」

 気に入らない、と言外に悪態をつき、剛志は歯軋りを立てる。強く食いしばり過ぎて笑っているように見える。


「そうは見えねぇだろ。あの子が殺人だの売春だのなんて、どっからどう見ても、ありえねぇ。しかもそれはな、クラスの全員が、俺の意見に同意してやがる」

 剛志は頭が悪いし、物事を深く考えない。


 その剛志がこんな事を言い出すのか、と思ったら、


「そのありえねぇ噂を撲滅してやろうと思うんだがっ、協力しちゃあくれねぇか!」

「……は?」

 難しい事を言い出すかと思いきやドストレートで肩透かしされた。


「どうしたらいいかとか、なぁんもわかんねぇのよなー」

「さいですか」

 その剛志の馬鹿ぶりに、どこか安心している俺が居た。


 結局、逃げているんだ、と思う。


 散々な言い訳を並べちゃいるが、俺は、行動を起こして現状を変えてしまうのが、怖いのだ。


 店内から見上げた曇天は、今にも雨を吐き出しそうだった。


 でも結局、その日はなんとか、雨は降らないでいてくれた。




 ◇◆◇◆◇

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