探偵もどきのペナルティー
――俺には関わらないで下さい。
高校に進学して早々、俺はそんな事を言った。
でも、田井中剛志という馬鹿と出会い、川崎結愛に付きまとわれて、挙げ句の果てにはとあるイジメ騒動を解決させた事をきっかけに、探偵さんと呼ばれるようになった。
ちなみに。
俺は超常現象というものを信じない。
だというのに俺は、数々の超常現象を目の当たりにする事になる。
雨女やさ迷う亡霊。ドッペルゲンガーとか洗脳。時間退行。
そんな非現実的で波乱万丈な高校生活を振り返って、活力が続く限り、書いていこうと思う。
でも、俺は今でもこう思うんだ。
あり得ない事はあり得ない。超常現象なんて起きない、と。
だって、奇跡も、悲劇も、どんな事件も、そういうのを作り上げてきたのは結局、人間なのだから。
今日は学校を休もう。
身を包む布団はもはや身体の一部で、今の俺にとっての布団は騎士にとっての鎧で、武士にっての刀と言っても過言では無い。
それほどまでに憂鬱な目覚めだった。ということだ。全国の騎士や武士の皆さん、変な比喩に使ってごめんなさい。
布団の隙間から時計を確認してみると、目覚ましはまだ鳴っていなかった。寝起きが良いわけじゃない俺がそれでも起きてしまったのは、木製の雨戸を強烈にノックする音のせいだ。居留守を使おうとお構い無しだから質が悪い。
……雨は嫌いだ。
雨が降っているから学校を休もう、部屋に籠ろう、という欲求が働くぐらいには大嫌いだ。
しかし6月の梅雨時、古い家の古い畳。その上に敷かれた布団はどうにもカビ臭い。
お婆ちゃんの家で暮らすようになって1年と半年が過ぎたが、こればっかりは慣れる事が出来なくて、俺の決意は 瞬く間に揺らいだ。
目も覚めてしまい、また寝る気分になれなかったのは多分、昨日寝すぎたからだ。
昨日の雨が降っていた。というよりここ1週間ずっと雨だ。
だから、と言ったら言い訳にしかならないが、俺は昨日の授業全部寝ていた。登校してすぐに寝て、気付いたら皆帰ってた、ってぐらい寝ていた。寝すぎて頭が痛かった。
そんな昨日と今日で寝続けろ、というほうが無理な話で、むしろ重苦しい布団という名のロボット鎧を脱ぎ捨てた所で、目覚まし時計が鳴った。
ジリリ、という金を叩く音を模した電子音を1秒足らずですぐに止め、俺はそのまま部屋を出る。
「おや、たーくん。今日は早いねぇ」
居間ではお婆ちゃんが朝御飯の準備をしていて、味噌汁の匂いがカビ臭さを和らげる。
「……おはよう」
感嘆するようなお婆ちゃんの態度のせいで忘れかけていた挨拶を済ませて、座蒲団に腰を置く。
「今日は何かあるのかい?」
「いや、何もないよ。ただ、なんとなく起きちゃったから」
言いながら、手持ちぶさたを誤魔化すために興味無い天気予報に目を向けた。テレビに映し出されたニュースキャスターの差し障り無い外観が、朝のテンションには調度良い。
『今日の降水確率は20%です』
「嘘つけ」
今まさに降ってるんだから、100%だろう。と思い、意味の無いツッコミを入れてしまった。
「ここ数日の天気予報は、本当に信用出来ないねぇ」
「まったくだ」
お婆ちゃんに同意して悪態を付き、目の前に置かれていく朝ご飯達とにらめっこ。うわぁ、また焼き魚。せめて朝はもっと手軽なものにして欲しい。
面倒な骨抜きをしながらもう1度テレビを見ると、天気予報のお姉さんは『ただし所により局地的な大雨が』とかなんとか言い訳みたいな言葉を並べていた。
「局地的な、ねぇ」
嫌味を込めながら呟く。
「どっかに雨女でも居るんじゃないのか。なんて考えちゃうよな」
なんといってもこの雨だ。
降水確率20%で、局地的な雨が、この町に当たるなんて。不幸だ、という他ない。
「おやおや、女の子限定かい?」
「どっちでも」
冗談で言っただけだから拘りなんて無い。
「とりあえず、頂きます」
これ以上雨の話なんてしても、不毛だ。
◇◆◇◆◇
強い雨の中で、果たして傘はどれ程有意義であるか、という議題を上げたら、その会議場はどこまで盛り上がるだろうか。
試しに脳内でやってみたら、登校中の暇潰しどころか家を出た瞬間に結論が出た。
「よー、達巳」
玄関先で待ち構えていたのはクラスメートの田井中剛志。制服越しでも解る鍛え上げられた肉体はもはや学生の域を越して、かなり老けて見せる鎧になっていた。
いや、制服越しでも、と言ったら間違いかもしれない。何故ならそいつは今、制服が雨に濡れまくって身体にピッタリくっついているのだから。身体のラインくっきり。
やばい。なんか吐き気が。
「どーした達巳ー。顔色悪いぞー。雨だからかー?」
いや、それもあるが9割お前のせいだ。
「……おい、剛志。お前、何故傘を差していない?」
「あー? んなもんなー、子どもは数の子って言うだろ? だから、 まだまだ大人になりたくない俺は雨なんてへっちゃらなのさ」
ピーターパン症候群をこんな筋骨隆々で語られても対応に困る。というか、数の子ってなんだよ。地上の生き物で例えろとは言わないからせめて誕生ぐらいさせろ。
「……へんな嘘を吐くな。将来の目標を高校1年の段階て決めてた人間が、大人になりたくないなんて思うわけが無い」
「うっは、バレちまったらしょうがねぇ。本当の理由は――なんでだと思う?」
意味深な尋ね方をしてくる剛志。
「近寄るな、俺まで濡れる」
傘を差して歩き出したところで、こいつが俺に謎掛けをしてきたのだと気付いた。
「理由があるのか?」
「おうよ。一応な。っつっても、元々はお前に謎掛けするためにやったことじゃねぇから大した謎じゃない」
残念ながら、と両手を広げる剛志。雨に濡れる事への抵抗は微塵も無く、彼の荷物はビニール袋で守られていた。
ビニール袋の中に折り畳み傘がちらりと見える。
「…………」
ふむ。やってみるか。
だが寝起きの頭で、しかも両手が塞がっている現状では思考回路の巡りが悪い。とりあえず、血が足りない気がした。
「昨日と一昨日は、普通に制服で登校していたな」
問うと、剛志は頷いた。というか、登校はいつも一緒だから確認するまでも無いが。
「さらに、昨日までは普通に傘を差していたはずだ。つまり、傘を差さない理由は昨日の朝から今日の朝までの段階にある」
考えるが、頭が重い。朝には強く無いんだがな。しかも雨も降ってるし。
だが、わざわざ謎掛けをするということは
俺にも関係している事と考えてもいいはずだよな。つまり原因は昨日の学校か。
「剛志。昨日の授業割りはなんだ?」
昨日はすっと寝てたから、解らないんだ。
それを承知していた剛志は用意していたかのように得意げに、
「選択授業が2時間。家庭科が2時間、国語、理科をやって終わりだな」
その表情はいかにも「この中にヒントがあるぜ」と語っていて、少しムカついた。
「あー、解った」
「早っ」
謎掛けにすらなってないと思うぞ、という挙げ足は取らず自重して、答え合わせだ。
「剛志の選択授業は体育だからな。そして家庭科は移動教室だったような気がする」
昨日は確か家庭科と理科が移動教室だったはずだ。その時仕方なく起きたから、覚えている。
「そうだな。それで?」
「体育教師の畑山はいつもギリギリまで授業をしている。どうせ次の家庭科が移動教室だと知らされていなかった畑山がいつも通りギリギリまで授業をやっていたせいで、体操着もしくはジャージから着替える暇が無くなってしまったんだろう」
「見てきたように言いやがるな……。なんか気持ち悪いが、お察しの通りだ」
「そしてお前は2時間の間、体操着もしくはジャージで授業を受け、制服ではなくそのどちらかで授業を受けたほうが涼しいしラクだと味をしめた。それが動機だ」
「こうなるって解っていながら出した謎掛けだから俺にこんな事言う資格はねぇだろうがさー、若干キモいぞ、その思考の早さ」
言い方に少しムッとしたが、今はどうでもいいし、耐えよう。
「お前は考えた。どうしたら正当な理由で誰にも咎められずラクな格好で授業を受けられるかを。そして答えが今、つまり、びしょ濡れになって今日は制服を使えなくしようと思い至った。――で、どうだ?」
見ると、髪から滴を滴らせながら、剛志はそのゴツい手で拍手をしてきた。
「さっすが探偵さん。お見事だぜ」
「探偵じゃない」
それにこれは用意された謎掛けだ。少し考えれば誰だってたどり着けるはず。
「今更否定しなさんな。お前さんが学校で散々披露してきた数々の名推理が与えちまったあだ名なんだからよー。もっと愛着をもって受け取ろうぜ」
イヒヒ、とからかうように笑う剛志を横目に睨んで、俺は嘆息する。
「推理をしたくてしたんじゃないし、あだ名にされるほど大それた事をした覚えもない。むしろそうやって過大評価されると、困るんだ」
そう、俺は探偵をやりたいわけじゃない。
可能な限りひっそりと生きたい。人の視線に囲まれると、たまに窒息しそうになる。
それに、俺は確かに、人より少しだけ頭の回転が早い。だがそれは、決して長所なんかじゃ無い。むしろ俺にとっては、無くしてしまいたい短所だ。
だから、頭の回転が少し早いからと付けられたあだ名なんて、不名誉極まりないものでしかなく、可能であればやめて欲しい。
しかし、それは出来ない相談だった。
ある事件をきっかけに親元から離れ祖母の家で暮らしていた俺は、その事件の影響で周りの人間を拒絶していた。
だが、また違う事件をきっかけに、周りとかかわり合いを持たなければならなくなった。
どちらも根本的な理由は、この思考回路の早さだった。
ああ、考えが纏まらないが、とにかく、そんなわけで俺は、自分のこの思考回路の早さが好きじゃない。これのせいで俺は罪人になってしまったんだ。むしろ呪ってやりたいとも思っている。
そんな俺が探偵だなど、冗談にしては笑えない。
つまりこれは罰なんだろうな、と、最近思うようになった。
この嫌いな思考回路の早さを日々使う事で、あの事件を決して忘れないようにするための罰。
そう、これは
――中学の頃人を殺した、俺に対するペナルティーなのだ。