1-2 二人の幼馴染
近藤信也が報道部の活動を終え、校舎を出る頃には、外はもう薄闇に包まれていた。
冬に比べると、だいぶ日が長くなったとはいえ、まだ四月の中頃、もうじき周りの暗闇に包まれるだろう。
校舎裏の駐輪場に置いてある自転車に鍵を差し込み、帰る準備をしていると背後から突然女子に快活な声をかけられた。
「ねぇ、信ちゃん。ひさびさに一緒に帰ろう」
振り向かなくても声と呼び名で誰だか直ぐに判った。
自分のことを信ちゃんと呼ぶ人間は、世の中には二人しかいない。幼馴染の姫川歩と星野守だ。星野守は別の学校なので、自動的に背後から声をかけたのは、姫川ということになる。
振り向くと、そこには誰もが認める美少女が立っていた。
見るからに運動好きで活動的な明朗快活な少女だ。人なっこい大きな瞳に、亜麻色のショートヘア。左側にヘアピンを留めるのが幼いころからの好みだった。
「別に良いけど・・・・ただし、飛ばすぞ」
「別に良いよ。私負けないもん」と姫川は平手で自分の足を叩いた。
陸上部なので自信があるということなのだろう。
「話は変わるけど。ねぇ、この記事書いているの。信ちゃんなんでしょ」
そう言うと、新聞を見せ、ある記事を指差した。
姫川が手に持っている小金井南高校学生新聞は、二週間に一回報道部が作成する校内新聞だ。報道部とは放送部と新聞部が合体したもので、近藤は新聞班に属していた。校内新聞は下駄箱側や部室棟の掲示板に貼られるので、それを無断で剥がしてきたということだ。
姫川が指差す先の記事の題名は、「某都立学校の図書室で起きた怪事件 ~事件直後に消えた、なぞの美少女」とある。間違いなく近藤が書いた記事だ。
近藤は学校新聞において都市伝説などオカルト系を担当しており、一週間ほど前に、某都立学校の図書室で起きた連続少女貧血・失神事件と少年が昏睡状態なった事件について書いたものだ。
記事はちゃんと調査しインタビューもして書いた。
そして、都市伝説コーナーである以上、「『何者かにより生命力を吸われていたのでは』との噂が現在校内で流れていると」とオカルト的に取り上げた。
病状が深刻な少年についてオカルト的に取り上げため先生たちや一部の生徒たちから倫理的に問題があると批判も多い。これについてはごもっともだと思い、当初から出来る限り扱いを小さくし短い文章にしたが、批判を逃れることはできなかった。完全に削除しなかった理由は、副題にある謎の美少女の存在があったためだ。
その日、その時間、図書館には一年から三年までの生徒が居たが、誰も知らない謎の女子生徒が少年の側に居たらしい。
通常、ジャーナリズムの世界では、犯罪者被害者問わず若くて普通の容姿の女性であれば美人となる。さすがに、某連続不審死事件には美人とは付かなかったけど。今回の事件は間違いなく美人だったらしい。
しかし、不思議なことに目撃者が覚えていたのは、鮮やかな赤毛で長髪、美人というだけでそれ以外の人相的特徴を覚えていない。
こんな不思議なことが本当にあったのだ。オカルト好きの近藤が頑張らない訳がなかった。
近藤は高校に入って一年間、オカルト記事を担当していたが、その多くは眉唾物だった。しかし、今回の事件は正真正銘の不可思議な事件だったため批判覚悟で多少無理をしても載せたかったのだ。
「なかなか好評の記事なんだよ。特に、この副題の謎の美少女っていうのが、ポイントなんだな」
近藤は得意げに姫川に語った。
恐らく謎の少女が事件のカギを握っているのだろう。この謎の少女が吸血鬼なのだろうか。編集長とかは、そう考えているみたいだけど、近藤の考えは違った。
今まで貧血などで倒れていたのが女生徒。昏睡状態の重傷になったのが男子生徒であること。謎の女生徒の目撃例は今回が初めてであること。男子生徒が図書館の常連であることを考えると、死んだ男子生徒が吸血鬼で、恐らく女生徒は退魔師だろう。入院中の男子生徒を吸血鬼と書くと、問題なので書かなかったが、近藤はこの考えが良い線行っているのではと思っていた。
何よりも美少女退魔師というのが良い。なんというか、いろんな意味で「もえる」。
魔法少女ならベストだが、この際、贅沢は言ってられない。
読者や報道部内での評判も良いので、謎の少女についてさらに掘り下げた記事を書きたいと近藤は計画を練っていた。
「何がポイントよ。まったく、高校に入ってからこんな記事ばっかり書いて・・・・」
姫川は呆れていた。
「しょうがないじゃないか。好きなんだから。知っているだろ。僕のオカルト好きは」
「子供の頃は、ホームズとか好きだったじゃない」
「今でも好きだよ。ホームズ大先生は。科学とオカルト。僕は両方を制覇するんだ」
幼馴染なので、姫川は、近藤が小学校の後半くらいからオカルトにのめり込んでいたのは知っていた。その頃はせいぜい本を読む程度だったが、高校生になり活動が自由になると、取材と称していろいろな心霊スポットに行くようになると、姫川には度を越えているように感じられた。
「何マッドサイエンティストみたいなこと言っているのよ・・・・・・・」
姫川には近藤が報道部に入って、オカルト記事を書いていることが面白くないのだ。いや、近藤のオカルト趣味自信を嫌がっていると言ってよかった。
オカルト趣味というと、姫川だけではない、大抵の女子は引いた。
その一方で、女性たちは、近藤が信じていない星占いや血液型占い、恋の魔法なんて記事を愛読して、それを信じて行動をかえるだから、近藤には不思議としか言いようがなかった。
気まずい沈黙のまま、自転車を転がしながら、校門へと向かった。
姫川が何を話したいか判っていたので、先に会話を切り出した。
「陸上部には入らないよ」
「里桜ちゃんに聞いたけど、毎日、夜に走ってるんでしょ。だったら、部活で走っても良いじゃない」
里桜は小学校六年の妹だ。姫川は自分が家に居ないときにも、たびたび家に来るため、近藤の家庭内での情報は姫川に漏れまくりだ。そして、学校における近藤の情報は姫川を通して家族に漏れまくりだ。プライバシーなんてあったもんじゃない。
「走っているのは、健康のためだよ」
なぜか、姫川は近頃会うたびに、陸上部に入らないかと勧誘する。
確かに中学時代は陸上部に入って皆と部活をしていた。
それは、自分がそれなりにできるスポーツが陸上しかなかったためだ。それに陸上は自分の気質に合っていた。リレーや駅伝など一部の種目は団体競技だが、陸上は個人戦だ。自分の失敗が他者の結果に影響する団体戦は正直昔から苦手だった。何よりも陸上は、自分との戦いであり、自分のペースでコツコツやるタイプの自分には合っていると思ったからだ。
自分が陸上をやりたいと言うと、姫川や星野も陸上部に入った。そして、二人はいかんなくその才能を発揮して、すぐに中心選手になった。そして、二年生になると市内、三年では都内のトップクラスの選手になった。
ハードルをやっていた自分は、都内百人中二十位くらいだろうか。一応、学校ではトップだし、本人としては上出来だと思うのだが。幼馴染の二人と比較すると何をやっても劣ってしまう。
「それに、部活だって忙しいし」
「忙しい? 報道部は週二回でしょ」
陸上部の部活動は、月、水、金、土曜日の週四日。対して、報道部は火曜日と木曜日の週二日。兼部も不可能ではないのだが。
「それに、ゲームばっかりしているじゃない」
「ゲームに忙しいんだよ」
「ゲームばっかりじゃ、不健康だよ」
「判っているよ。だから毎日、走っているんじゃないか。健康のために」
「そうじゃなくて~。もう、良いよ」
もう、良いよと言ってる割には、態度は違う。姫川は完全にヘソを曲げてしまった。
近頃は、いつもこんな感じ。いったい何のために、自分の話しかけてくるのか、近藤には判らなかった。
前を向くと、校門のところに紺のジャケットとジーンズを着た若い男性が立っているのが判った。
通りすがりに女の子たちが振り向き、視線を外さない美男子。
もう一人の幼馴染の星野守だ。
少し中性的な端正な整った顔に、長身でスポーツマンらしい均整のとれた体つき。
見るからに爽やかで誠実な好青年だが、見た目だけではなく、中身も好青年なのが、近藤にとってさらに眩しかった。
「守く~ん」と姫川は呼びかけ、手を大きく振る。
気が付いた星野は、少し微笑むと小さく手を振った。
別名、星野スマイル。男の近藤ですら変な気分になる甘く爽やかな笑顔だ。
何はともあれ、姫川が機嫌を直してくれたのは、近藤にとってはありがたかった。
「え~。あれが姫川先輩の彼氏。かっこいいな。私服ってことは武蔵?」
背後から羨望とやっかみの声が聞こえる。恐らく四月に入ったばかりの新入生だろう。
「頭も良いうえに、陸上部のキャプテン。100メートルで都大会の三位なんだって」
「なにそれ。チートじゃない。人生勝ったも同然じゃない」
「世の中にはそういう人もいるのよ。私たちには縁がないけどね」
「か~。あたしたちとは次元が違うわ。同じ学校に居ても別世界だわ」
それにしても、姫川も聞こえているのだろうに、振り向きもせずに顔色一つ変えない。もう聞き慣れたということなんだろう。
「どうしたの?」
「近くまで来たから、ひさびさに一緒に帰ろうと思ってさ」
「じゃあ、僕は邪魔にならないように、お先に」と言って近藤は自転車に跨った。
「バカ。お前とだよ。ここ2週間くらい。まともに話してないじゃないか」
「確かにそうかもしれないな~。このところ忙しかったし」
この二週間は記事の取材や書くのに忙しく話してなかったような気がする。
「え~。酷い。私とじゃないの」
「お前とは一週間前一緒に帰ったじゃないか」
「一週間前でしょ」
なぜか、自分を真ん中にしての会話。『お前ら恋人同士なんだろ。だったら人を挟まずに並んで話せよ』と近藤は思った。
逆か。恋人同士で二人でいる機会は別にあるからこそ、わざわざ今二人で並ぶ必要がないとも言える。
「なんか、近藤って惨めよね」
十数メートル離れたバス停のところにいる同じクラスの女子が隣の友人に呟いているのが判った。前後の文脈は聞こえなかったけど、それだけは確かに聞こえた。いや、判ったというべきだろうか。特に訓練したわけではないが、近藤は唇の動きだけである程度何を話しているか理解することができたのだ。
なぜだろう。こういうときだけ異常なほど目と耳が優れている。まったくもって、無駄な才能だ。
おそらく、場違いで不釣り合いな可哀相な人間だと女の子たちが呟いているのだろう。自分でもそう思う。
才色兼備の幼馴染に挟まれるオカルト趣味の凡人。
一緒に、並べちゃ駄目だろう。
確かに惨めとしか言いようがない。
子供の時は、当たり前のごとく良く三人で遊んでいたのに、これが大人になるということなのだろうか。
二人にとっては、当たり前の行為かもしれないけど、今の近藤にとっては非常に大きなプレッシャーだった。特に学校などの公衆の面前では。
とりあえずこの場を素早く去ることが一番重要だと、近藤には思えた。