1-1 美しいものには棘がある
放課後、清水茜は学校の図書館で本を読んでいた。
大学受験生ということもあり読んでいた本は現国の受験参考書。図書館は人も少なく静かだったため、勉強は意外なほどはかどった。
そのため、夕日が図書室の奥の壁を照らすほど低くなって初めて時間の経過に気が付いた。
どうやら、だいぶ長居したようだった。集中すると時間を忘れてしまうのが、自分の悪い癖だと思う。
窓から見える夕日。
赤く染まった太陽が、ゆっくりと地平線に沈んでいくところだった。
黄昏時だ。もう、数分で夜になるのではないだろうか。
周囲を見ると残っている生徒は、清水を含めて五人程度。
『そろそろ帰るか』
清水茜は机の上に広げていた本を片付けカバンにしまうと席を立ちあがった。
カーン…ゴーン…カーン…ゴーン…………
どこからともなく教会の鐘の音が聞こえてくる。
最終下校時刻を告げる放送ではない。
『あいの世界』へと人々を誘う始まりの鐘だ。
世界は凍ったように停止し、図書室から人が忽然と消えた。
いや、一人の少年だけが残っていた。
白い肌に、紅い瞳。口元には不自然なほど長い犬歯。
そして、何よりも少し中性的な端正で魅力的な容姿。
映画や書籍に書かれている特徴とよく一致している間違いなく吸血鬼だ。
しかし、時間的には、まだ夜ではない。古典的ではない昼間も活動できる今風の吸血鬼ということだろうか。
少年は席から立つと静かに清水の方へ歩いて来た。
吸血鬼は、清水茜を見て満足している様子だった。
今までの中で一番上等な獲物だったからだ。
モデルのような長身ですらっとしたスタイルと優美な立ち姿。
陶器のような白い肌と対照的な腰まである流麗な赤髪を持ち、凛とした雰囲気を纏った美少女。
大きな瞳は美しいが少し吊り目で気をの強さを感じさせるのがあえて言うと難点だろうか。
これで処女なら最高なのだろうが、そこまで望むのは現代においては贅沢なことだ。
通常、吸血鬼は獲物を容姿と魔力で魅了し、相手を夢心地の状態にしてから血を吸うのだが、この吸血鬼は野蛮にも、唐突に清水に襲いかかった。
まぁ、吸血鬼が現れることは、ある程度予定調和なんだけど。正直襲われると思わなかった。
都内の某都立学校の図書室で倒れる女生徒が続出しているという噂を聞いて、生徒に混じり待っていたんだけど、こんなに簡単に引っかかるとは。4万円出して制服を買った甲斐があった。
しかし、まさか、<<真紅の魔女>>である、この私を襲うとは。
私の顔は知らなくても、長髪で赤毛の美少女には手を出すな。
これは人の闇に潜む人外にとっての常識だ。
私の存在に気が付き、警戒し、凶行を納めれば良いだけだったのに、どうやらこの吸血鬼はよっぽど野蛮で無知らしい。
お仕置き、いや調教が必要だ。
突如、吸血鬼の足元の床から鋭い棘の付いた蔓が現れ、吸血鬼の足に絡みついた。
そして、見る見るうちに吸血鬼の体全身に絡みついて、体の動きを拘束した。
普通の人間の仕業ではないことは、明らかだった。
「何者だ。貴様」
清水を<<真紅の魔女>>と気が付かない上に、能力を見ても始末人と気が付かず、こんな言葉を言うなんて。
今まで裏の世界に生きていないことは明白だ。おそらくつい最近吸血鬼になったのだろう。
「私のことを知らないなんて、あなたの方こそ、何者かしら。新人君であることがバレバレね」
清水は左手を伸ばし吸血鬼の顔を撫でた。
「真紅の魔女よ。別名、カードの魔術師。覚えておきなさい」
清水が使った吸血鬼を拘束した棘の蔓は、魔法の一種だが呪文ではなく、特殊なタロット・カードの魔力を利用したものだ。特殊なタロット・カードを所有し、呪文を唱えることなく魔法を扱う清水は、真紅の魔女以外にも、カードの魔術師の二つ名で呼ばれていた。
『さて、こんなバカを吸血鬼にしたバカ親は誰だろうか。そして、教育もせずに野放しにしたバカ親は』
それが現状における最大の問題だ。
二百年前ならまだしも、現代においては人外のものが人間に深刻な被害を与えることはガイドラインで禁止されている。
そのため、今の時代の吸血鬼は、原則、血液製剤と輸血用血液で喉の渇きを癒す。
もちろん、抜け道はある。売春が禁止されても怪しい風俗があるように、人間から直接、生の血を吸わせる怪しいビジネスがある。
これらにより、一般市民を襲い、血の飲むなどという野蛮な行為は、原則無くなった。
だが、人間界に強姦する人間がいるように、吸血鬼の世界にもルールを守れない奴らが居る。
もし深刻な危害を加えようなことをすれば、そんなような奴らは私のような始末人に掃除される。
未成年の子供が犯罪を犯したら、保護者である親が非難されるように、子供吸血鬼が不始末を犯せば、親吸血鬼も連帯責任で原則罰則を受ける。そのため、むやみやたらに血を与え吸血鬼を増やすようなことはなしない。
まして、ろくな教育もせずに野に放つなんて、事件を誘発して、自分の首を絞めるようなものだ。
「さてと。あなたの親は誰かしら。教えてちょうだい」
棘の蔓を伸ばし、頭の中に入れる。相手の思考までは読めないが相手が嘘をついているかどうかぐらいは確認できる。
「お前なんかに話すか」というと、顔に向かって唾を吐いた。
まだ、教育が足りないようだ。
締め付け、さらに苦痛を与える。皮膚が破れ、血がしたたり落ちる。
教育の効果があったのだろうが、吸血鬼は話し始めた。
「ミユキって言うんだ。それ以外は知らないよ。写真もない。本当だ。嘘じゃない」
どうやら、嘘はついていないようだ。
「でも、顔は見たんでしょ。身長は」
「判った話す。それより少し緩めてくれ。痛くてうまく話せない」
吸血鬼は不老だが、ゾンビと異なるので痛みがなくなるわけではない。
嘘を言っているわけではないので、清水は吸血鬼の体を拘束する蔓を少し緩めた。
「あぁ。身長はあんたより少し低いな。百六十くらいで赤いコートを着ていた。長い黒髪で色白の十代後半の綺麗な女だ」
「それだけじゃ、判らないわね。何か他に特徴はなかったの」
「左目の目尻の下にホクロがあった。間違いない」
泣きボクロってやつだ。色っぽいと言う人もいるが、人相的には、泣きボクロのある人は色情問題や不倫を起こすと言われていて、あまりありがたくないホクロだ。
「どこで知り合ったんだ」
「吉祥寺だ。吉祥寺のシフトってライブハウスだ。嘘じゃない」
そう言い終わると、突如、新米吸血鬼は清水の首に両手を伸ばし、再び襲い掛かってきた。
どうやら、初めから隙をついて攻撃するつもりだったらしい。大人しくなり話し始めたのも清水を油断させるためのものだったのだろう。もっも、本人は隙をついたつもりだろうが、清水は油断などしていなかった。
棘の蔓を再び強く締め付け拘束しようとする。
吸血鬼の力は人間の数倍だ。そのため、力を入れたのだが、反射神経的な動作のため、力加減を間違え、強く締めすぎてしまった。
棘の蔓は吸血鬼の体に強く食い込み皮膚は敗れ、絞った雑巾のように血が噴き出した。そして、さらに悪いことに頭に入れた蔓が具現化した。
当然のごとく一瞬して脳を破壊した。
「しまった。やりすぎた」
人外のものが人間に深刻な被害を与えることが禁止されているように、人間が人外のものに深刻な被害を与えることも禁止されている。人間の容疑者、犯罪者にも人権があるように、人外の容疑者、犯罪者にも基本的権利があるのだ。
そのため、必要以上の危害を与えると、権利侵害になりかねない。
今回の場合は、脳を破壊してしまったので、現実世界において意識不明。目覚めた後も記憶障害や精神障害を引き起こす可能性がある。
「まぁ、いいか」
清水は開き直ることにした。
吸血鬼になった罪と報い。冷酷だが、そう考えることにした。
傷害罪の罪状は、正当防衛で乗り切れる。
正直、元人間に怪我をさせたのは、これが初めてではない。慣れてはいけないのだろうけど、慣れてしまった。いや、感情・感覚がマヒしないとやっていけないという一種職業病なのだろう。迷っていたら、自分が殺されるんだから。悩むのも生きているからできることなのだ。
清水は、気持ちを切り替えると素早く図書館を後にした。
読んでいただきありがとうございます。GWの読書として「アレクシア女史、倫敦で吸血鬼と戦う」(ハヤカワ文庫FT)を読んだら、書いてみたくなりました。