7.どこから手をつけようかな
光熹元年(189年)9月 司隷 河南尹 洛陽
シン・チャオ、董卓だよ。(ベトナム風)
宮廷の改革について、配下の協力が得られることになった。
しかし、どうやってそれを進めるのかが問題だ。
「それで董卓さま。改革とは、具体的にどのようなことをお考えなのですか?」
「ああ、それなんだがな、実は俺も、どこから手を付けていいか、迷ってるんだ」
「ええっ、そんなことでは何も進みませんよ」
「分かってるって。だからお前たちの知恵を貸してほしいんだ。まずは今の朝廷の問題について、考えてみようじゃないか」
「ふむ、それではまず、実際に朝廷で働いてきた私から、お話ししましょう」
我ながらいい加減とは思うが、実際にどうやったらいいか分からないのだ。
そこで協力を求めると、まずは実際に朝廷内部で働いてきた荀攸が語りはじめる。
荀攸いわく、やはり天子の寵愛をいいことに、専横を働く宦官が問題だそうだ。
宦官とは後宮に仕える去勢された男子で、天子は彼らを勉強や遊びの相手として育つ。
おかげで天子は彼らに親近感を持ちやすいし、宦官も天子に忠誠を誓っている。
しかし中にはそれをいいことに、私利私欲をむさぼる宦官がいる。
奴らは天子に入る情報を操作し、逆に天子の指示を都合よく捻じ曲げ、自身の利益に結びつけようとする。
おかげで正義がないがしろにされ、官吏もやる気を無くして、政治が停滞しているのだ。
それと同じくらい問題なのが、外戚だ。
外戚ってのは皇太后の一族で、天子が幼い頃に即位すると、代わりに政務を担当する。
これは当時の儒教観念により、皇太后が幼帝を補佐するものと刷り込まれているからだ。
そうすると一族の者が高位高官の地位に就き、ひどい横暴を働いたりする。
第10代 質帝の外戚である梁冀なんて、想像を絶するほどの無法者だ。
完全に政権を私物化し、それを批判した質帝を毒殺すらした。
そして代わりに桓帝を擁立して、13年後に誅殺されるまで権力を握り続けたのだ。
死後に没収された財産は、国家租税の半分ほどにもなったと言うから、とんでもない話である
俺を召喚した何進も外戚だが、梁冀なんかに比べればかわいいもんだ。
それで宦官と外戚は利害が衝突しがちなので、大抵はいがみあう。
後漢時代でいえば、第4代の和帝以降は幼い天子の即位が続いたため、宦官と外戚が交互に権力を握るような形になってしまった。
「おかげで郷挙里選も形骸化していますからね」
「ああ、美味しいところは奴らの身内に独占されて、名士があぶれてるんだろ?」
「ええ、困ったものです」
宦官と外戚の争いは、確実に政治を蝕んでいた。
具体的にどれぐらいひどいかっていうと、こんな話がある。
本来、漢王朝の中央で働く官吏は、郷挙里選によって選ばれる。
現代でいうと、キャリア官僚の選抜だな。
この候補に推薦することを察挙といい、中央の重臣の他、郡太守や州刺史にその権利があった。
例えば洛陽を含む河南尹では、年に6人を察挙できたという。
しかしここに外戚から圧力が掛かり、その身内が推薦されてくる。
この圧力たるや相当なもので、ほとんど断れない。
そこである太守は考えた。
6人のうち5人は受け入れるが、残り1人だけは有望な者にして、国に報いたいと。
そうして信頼できる者に選んでもらったのが种暠という人物で、彼は後に司徒になったという。
恐るべきは、6人中5人の人選を太守に強いるほどの権力を、外戚が持っていたということだ。
当然ながら、同様の権力を持っている宦官も、平気でこれをやる。
おかげで能力も志もない人物が中央へ進み、利権をむさぼって、横暴を働くことになるわけだ。
さらにひどいことに、これを看過できずに処罰した者が、宦官の讒言によって処罰されることまであった。
これが大々的にやられたのが、”党錮の禁”だな。
宦官が自分たちを批判する官吏や知識人を、党人(悪い仲間)として禁錮(監禁)した事件だ。
166年と169年の2回に渡って発生し、数百人の官吏や知識人が殺されたり、捕まったりしている。
「そうなると、宦官と外戚が弱ってる間に、有能な人材を要所につけて、王朝を立て直すべきなんだろうな」
「ええ、それが現実的でしょうね。しかし宦官も外戚も、いずれ息を吹き返しますよ」
「だよなぁ。何皇太后は健在だし、天子も宦官を必要とする。遠からず元に戻るか……」
俺たちはそう言って、ため息を吐いた。
何進と何苗が亡くなったとはいえ、皇太后は無事だ。
その権威に便乗して、私利私欲をむさぼろうとする輩は、後を絶たないだろう。
宦官だって、皇太后や天子にとっては便利な存在だ。
その状況につけこんで、また横暴を働くことになるのは明白である。
ここで俺は無理があるかと思いながら、腹案を披露した。
「あのよ、結局のところ、劉弁陛下にがんばってもらうしか、ねえんじゃねえかな」
「がんばってもらうって、どんなふうにだよ?」
「俺たちが話してるようなことを、認識してもらって、外戚や宦官の横暴を抑えるんだ」
「ふ~ん……まあ、いいんじゃねえか」
「そうっすね。それができれば、一番いいっす」
弟たちは肯定的だが、荀攸と賈詡は違った。
「何を言ってるんですか。そんな畏れ多い」
「ですね。それができれば、苦労はありません」
そう言って2人は苦い顔をする。
たしかに、それができれば苦労はしない。
しかし俺はさらに粘ってみる。
「俺もそう簡単にできるとは思ってねえ。だけどな、ここで諦めちゃあ、この国の将来は暗いぞ」
「……しかし天子さまへの教育など、皇太后が許すはずがありません。それこそ太傅でもなければ」
「おお、そうだ。俺が太傅になるとか、どうだ?」
「ご冗談を。太傅にはすでに袁隗どのが就任しています。その重みは、丁原どのとは大違いですよ」
「冗談に決まってんだろうが。だが太傅は無理でも、その下の官職なら誰かねじ込めるんじゃねえか? 例えばお前とかをよ」
そう言って荀攸を見ると、彼が嫌そうな顔をする。
「私が、ですか? たとえ誰であろうと、そのような横槍は嫌われますよ。どのような名目でねじ込むのですか?」
「そう言われると、俺も困るな。なんかねえか? 賈詡」
困った時の賈詡に振ると、彼は少し考えて口を開いた。
「…………そうですね。董卓さまは、あくまで天子さまの教導を、望んでいるだけなのですよね?」
「ああ、そうだ。下手に権力なんか求めても、関東士人の恨みを買うだけだからな」
「ならばその姿勢を喧伝しつつ、天子さまの話し相手として、招いてもらうのはいかがでしょうか?」
「おお、それができりゃあいいが、陛下が俺を招いてくれるかな?」
俺の疑問に対し、賈詡は自信ありげに笑う。
「大丈夫ですよ。陛下はけっこう、董卓さまのことを好いておられるようですから」
「ええ、そうか? 俺のことを、ヒゲ親父って呼ぶんだぜ」
「だからこそですよ。私はそれを、董卓さまに気を許している証拠と見ます」
「う~ん、そうかなぁ?」
たしかに劉弁は俺に対し、ヒゲ親父だのなんだのと気安く話しかけてくる。
しかしその口調は荒く、とても俺を慕っているふうではない。
賈詡はそれを親愛の表れと見てるようだが、はたして正しいのかどうか。
「まあまあ、もしも嫌われていれば、また別の手を考えましょう。まずは動いてみませんか?」
「まあ、お前が言うんなら、あながち的外れでもないんだろうよ。よし、その方向で動いてみるか」
「はい。荀攸どのも手伝っていただけますね」
「ええ、それがこの国のためになるのなら、協力は惜しみませんよ」
「もちろんです。それでは――」
こうして俺たちは、天子を教育する方針で動きだした。
はたしてそれは上手くいくのやら。




