事実がフェイクとなり、フェイクが真実になる時代へ
ひとは、AIの生成物を本物と判断するよりも、本物をフェイクであると判断することの方が多い。―― なんて研究報告もあったり、なかったり。
画像生成AIや動画生成AIが、予想通りの使い方をされ始めている。
ありもしない画像や動画を高精度に、誰でも簡単に作れるようになったためだ。動画はまだしも、静止画に至っては、もうほとんどが判別不能な領域だ。
さて、選挙戦である。
こどものケンカのような、エモーショナルな動画や画像が、SNSや動画投稿サイトなどで、数多く投稿され始めた。お互いの勢力が、相手側がアップロードしたものに対し、「それはフェイクだ!」と口汚く、罵り合う。これは数年前あたりから、想像することの出来た「悪夢的未来の姿」そのもの。
こうなると「事実」すらもが、フェイクへと移行する。
何年か前、東欧の政治家がスキャンダル動画を撮影され、「Photoshopだ!」と叫び、笑いものとなった。おそらくその政治家は、Photoshopが写真を加工するだけのソフトであることを知らず、恥をかいたわけだが、現在であれば、「ディープフェイクだ!」のひと言で通ってしまう。ここまでくると「実際のスキャンダルの証拠」ですら、「AIによる生成物である」とすることが可能となる。
多くの人々は、信じたいものだけを真実とする「物語」の中を生きている。重要なのは「事実」ではなく、ひとそれぞれの「真実」だからだ。
真実は、ひとの数だけ存在する。
冷静な人間は、事実ベースで物事を見るが、感情的な人間は、真実ベースの物語に酔う。これまでは絶対的な価値を有していた「事実」ですらも、その立場が揺らぎ始めている(すでに激震か)。
事件を起こした際、これからは、その証拠に対し、「類似する生成AIによるコンテンツ」を投稿すれば、火消しにも使えそうだ。生成物には、わざとAIによる生成であることが分かる「不具合」も仕込んでおけばいい。
―― 相手を貶めるために、ワザと相手が喜びそうな生成物を放流し、頃合いを見て、「ほら見ろよ、ここが完全にフェイクだろ!バーカ!バーカ!」とすれば、「エモーショナルな人々」を弄ぶことも容易だろう。こうすれば、「本物の証拠」ですら「フェイクのゴミ箱」の中へと遺棄することが可能だろう。
―― AIフェイクは、事実をもすべてフェイクへと溶かす、禁断の果実となってしまったのかもしれない。
最近、大昔から存在する動画にすら「AIだ!」とコメントが付いているのを見かけるようにもなった。「自分にとって否定したもの」であれば、とりあえず「AIだ!」とでも言っておけば、真偽の分からない人間たちには、レッテルとしても機能する。―― とんでもない話である。
本物かフェイクかを判別する作業も、多大なコストを要し、人々は疲弊させる。疲弊の先に待つのは、思考停止。直観を裏切る「願望の制御」まで持つ人間は、果たして全体の何パーセントほど残されているのだろうか?
集合知とは、また別の「集合的悪意」の形成までもが、すでに可能となった世界ともいえる。




