難波王
難波王はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/139118438)
一
震旦(中国)は近隣諸国にとって比類なき超大国で、文明的であるとは震旦のようになることを意味した。
権力を君主に集中させるのもその一つで、大和政権の君主たる大王も中央集権を目指した。
八洲(本州・四国・九州)の諸国が連合した大和政権は、大和王権を盟主としていたが、国々の諸王であった豪族たちが大きな権限を与えられていた。
そこで、大王の幼武は集権化を図り、豪族たちの権力を排除しようとした。
何ら拘束を受けない専制を悲願とし、彼は大王の一族たる阿毎氏とも血生臭い内部抗争を繰り広げた。
幼武の従兄である押磐王子も弓で射殺され、その弟たる御馬王子も捕らえられて殺された。
押磐王子は子に恵まれなかったが、妹である青海王女の子供たちを養子に迎え入れていた。
子供は三人おり、長女の飯豊郎女/飯豊は実父の郷たる忍海に青海王女ともども身を寄せ、長男と次男である意祁と袁祁の二人は本土たる畿内(奈良県・京阪神)から脱出した。
兄弟は畿内の山岳民である国栖に身をやつし、猟師らに助けられて尾張国(愛知県西部)へ逃れた。
兄弟は更に美濃国(岐阜県南部)を通り、旦波国(三丹地方)を経て播磨国(兵庫県南部)の縮見(志染町)に潜伏した。
そこは押磐王子の旧領で、管理人の忍海部細目/細目は幼武に帰順していたが、意祁と袁祁を匿い、身分を隠させるために牛馬の飼育に携わらせた。
畿内では青海王女が祭祀により幼武を権威付けることで彼に重用されていた。
幼武が崩御して息子の白髪大王が父の後を継ぐと、青海王女の代理として白髪大王の側近となった飯豊は、子供のいない白髪大王に意祁と袁祁の生存を打ち明け、彼らを養子に迎えるよう助言した。
彼女は弟たちと密かに連絡を取り合っていた。
虚弱な白髪大王は後宮に引き籠もっており、飯豊の助言をそのまま受け入れ、縮見に使者を派遣した。
使者が来訪した際、意祁は名乗り出るのを躊躇った。
長男という責任ある立場によって彼は元から慎重だったが、逃亡生活は彼を優柔不断かつ猜疑心の強い人間にし、使者は幼武が放った偽物ではないかと疑った。
対して次男として気儘に育てられてきた袁祁は、各地を逃げ回る生活に我慢できず、再び阿毎氏に相応しい扱いを受けたいと渇望していた。
そのためには自身ばかりか兄を危険に曝すのも辞さず、彼は正体を明かした。
幸い袁祁が名乗った使者は、白髪大王が遣わした本物で、意祁と袁祁を白髪大王のところに連れ帰った。
宮中に参内した二人は飯豊と再会し、彼女によって本物の意祁および袁祁と認められ、白髪大王の養子に迎えられた。
豪族たちも兄弟を白髪大王の養子と認めた。
意祁と袁祁は葛城氏の血を引いていた。
葛城氏は最大の豪族で、阿毎氏とも縁戚関係にあり、幼武によって滅ぼされたが、名門としての権威は未だ健在だった。
大王の養子になった意祁と袁祁は、白髪大王の縁者と結婚した。
意祁は白髪大王と乳兄妹たる春日大郎女を娶り、袁祁には難波王が嫁いだ。
難波王は白髪王子の義兄弟である磐城王子の娘だった。
こうして意祁と袁祁の二人はその地位を回復させた。
しかし、兄弟のどちらが太子となるかで紛糾した。
白髪王子は年長の意祁を立太子しようと考えていたが、袁祁が使者に身元を明かした自分こそ太子に相応しいと訴えた。
それ故に白髪大王が没すると、意祁と袁祁のどちらを大王にするか決まるまでの間、ひとまず飯豊が政務を執ることとなった。
飯豊は幼武の絶対的な支配で社会が混乱したのを鑑み、どのようなことも懇ろに豪族たちの合議に諮った。
白髪大王の後継者をどうするかも議論されたが、豪族たちの思惑が錯綜して決まらなかった。
そこで、袁祁は青海王女に取り入るという挙に出た。
青海王女は仮の大王となった飯豊の実母として大きな影響力があった。
彼女は亡くなるに当たり、遺言で袁祁を白髪大王の跡継ぎに推薦した。これが決定打となり、袁祁は意祁を押し退け、二十三代目の大王に選ばれた。
二
強引に即位した袁祁は、政務については引き続き豪族たちの合議に諮ったが、押磐王子の死にまつわる賞罰は自らの手で行った。
袁祁が行方知れずになっていた押磐王子の遺骨を探した。
沙々(さ)貴山氏の置目老嫗/置目がその場所を教えると、袁祁は置目を宮殿の近くに住まわせて厚く持て成した。
置目の兄である倭帒宿禰/倭帒も君の称号を与えられた。
同族の韓帒宿禰/韓帒は押磐王子の殺害に関わったので、袁祁は彼を奴隷にし、押磐王子の陵墓を守らせた。
逃亡中の意祁と袁祁から食べ物を取り上げた山代之猪甘も斬り殺され、その一族は膝の腱を断ち切られた。
袁祁は養父の仇たる幼武の陵を破壊しようともし、その実行を意祁に命令した。
意祁は幼武の墓に赴くと、その隅を少し突き崩した。
彼は袁祁に復命し、養父の仇討ちという私情で大王の陵墓を破壊すれば、国の権威を傷付けると主張した。
そして、陵の隅を少しだけ崩し、恥を与えるに留めれば、その寛容さで人々の信頼を得られると述べた。
そう言われては袁祁も意祁の判断を良しとせざるを得なかった。
袁祁が意祁に幼武の墓を壊すよう命じたのは、汚れ仕事をさせて彼を貶めるためでもあった。
大王の位に即いても袁祁はことあるごとに意祁を劣位に置こうとした。
それには袁祁の妻たる難波王も加担した。
難波王の父である磐城王子は実母の吉備窪屋稚媛/稚媛と実弟の星川王子が白髪大王に叛乱を起こして討たれ、それに参加していなかった彼も、冷や飯を食うこととなった。
無論、難波王も冷遇されて不満を募らせていた。
そのせいか袁祁の妻になると、難波王は反動で増長し、大王の伴侶たることを鼻に掛け、義兄の意祁すら見下した。
宴席で立ったまま盃を渡すなど彼女は公の場でも意祁に無礼な振る舞いをした。
袁祁も難波王の振る舞いを咎めないで寧ろ面白がり、不遇を託った者同士で夫婦の仲は良好だった。
難波王は輝くばかりに美しく、彫りの深い顔立ちは繊細なまでに愛らしかった。
衣服には豊かな体の輪郭がくっきりと表れており、胸の二つの肉塊は大きくて丸く、張りがあって瑞々しかった。
衣服を脱ぎ捨てた難波王は、袁祁の服をゆっくりと剥ぎ取って馬乗りになった。
彼女は男根を手に取り、腰を下ろしながら自分の秘所へと導いた。
熱く血を滾らせた袁祁のものは、温かくて濡れた難波王のものに取り囲まれて柔らかく締め上げられた。
袁祁は大声を上げ、彼女の乳を揉みながら腰を動かし、何度も精をたっぷりと吐き出した。
難波王も高く声を響かせて体を震わせ、夫の精を全て受け入れた。
しかし、夫婦の間に子供は出来なかった。
意祁も妻の春日大郎女と子作りに励んでいた。
春日大郎女は手白香王女や春日王女、橘王女ら多くの子を産み、同族の和珥糠君娘/糠君娘を乳母にした。
子供たちは全て娘だったが、我が子のいない袁祁は意祁への警戒を強め、遂には彼を排除しようと決心した。
そのことを物部木蓮子/木蓮子が意祁に報せた。
木蓮子は春日大郎女の実父である物部目/目の弟で、物部氏は司法や警察を掌っていた。
袁祁の決心を意祁に密告した木蓮子は、自分には意祁のために袁祁の方を排除する意志があることも伝えた。
彼は一族の権限を行使し、袁祁についてだけではなく、意祁のことも調査していた。
端から見れば意祁は愚直で、宮中に余り顔を出さず、子作りに耽るなど野心があるようには思えなかった。
だが、それは袁祁に睨まれないための演技で、本当は意祁も権力を欲し、兄を押し退けて即位した弟を恨んでいた。
そのことも見抜いた上で木蓮子は意祁を訪ね、姪の夫たる彼を手助けしたいと告げた。
意祁としては木蓮子をどこまで信用できるか分からなかった。
しかしながら、袁祁が意祁を排除しようとしているのはありそうな話で、もし木蓮子の提案を断れば、大王ばかりか物部氏までも敵に回してしまいかねなかった。
隠していた野心を見抜かれたこともあり、意祁は袁祁の排除を決意した。
袁祁はまさか意祁が反撃に打って出るとは思っておらず、物部氏の手によって西暦の紀元後四八七年に暗殺された。
その死は事故によるものとして処理された。
三
意祁が二十四代目の大王になると、難波王は彼から謹慎を命じられた。
周囲も難波王の増長を問題視していたので、意祁に無礼を働いていた彼女が謹慎を命じられても不思議には思わなかった。
難波王の父である磐城王子らは既に故人だったので、誰も彼女の味方をしなかった。
袁祁という唯一の後ろ盾を失った難波王は、怯えきった様子で謹慎させられた。
その様は意祁に得も言われぬ満足感を与えた。
意祁は袁祁を恨んでいただけではなく、何かと要領の良い彼に劣等感を抱いてもいた。
難波王はそのような袁祁と一緒になって意祁を馬鹿にしてきた。
無論、意祁には難波王の処分を謹慎だけで済ませるつもりなどなかった。
そうした意祁の復讐心も木蓮子は見抜いていた。
意祁から官界の長たる大連に任命された彼は、難波王に子を産ませてはどうかと主君へ耳打ちした。
袁祁は難波王との間に子供が出来ず、意祁は息子に恵まれぬまま春日大郎女に先立たれていた。
春日大郎女は意祁の娘を六人も産んでおり、もし意祁が難波王に子供を産ませれば、袁祁は種無しと嘲られても仕方なかった。
しかも、難波王が息子を産んだなら、袁祁から寝取った妻の子を太子にするのも痛快だろう。
そのような木蓮子の囁きは意祁の劣等感を擽った。
亡弟の妻をそのまま寝取っては流石に差し障りがあったので、意祁は難波王が処罰を恐れて自殺したとし、木蓮子に偽の身分を用意させた。
そして、難波王は菟田首の娘である大魚となった。
木蓮子は難波王を住まわせるための妾宅も準備してやった。
彼は意祁が難波王のいる妾宅に赴く時は、美酒や珍味を手配した。
袁祁に怯えなくて良くなった意祁は、たがが外れて贅沢に耽り、政務は木蓮子たちに丸投げした。
妾宅に住まわされた難波王は、生き延びるべく意祁に媚びを売った。
意祁が袁祁を暗殺したと知らないでのことではあったが、難波王の媚態は余りに露骨だった。
大きな浮沈を経験しただけに難波王は二度と苦しい生活を送りたくなかった。
意祁は袁祁の寡婦を這い蹲らせるのが嬉しくて堪らず、難波王の二の腕を掴んで引き摺るように引っ立て、辿り着いた寝台に押し倒した。
彼は難波王にのし掛かると、ざらついた舌で執拗に耳や首筋を舐め、衣類を捲り上げて下履きも引き下ろさせた。
自らも下衣を寛げた意祁は、難波王の体を乱暴に返して背後から覆い被さった。
股間に灼熱の怒張を宛がい、彼は難波王の牝を逞しい牡で擦ってぐずぐずに蕩けさせた。
難波王は忘我して嬌声を上げた。
手加減を失った意祁の激しい突き上げに腰を浮き上がらせ、噛み付くように首筋を吸われて白い喉を反り返らせた。
胸を愛撫された彼女は、痺れるような快感に喘ぎ、体をびくんと跳ねさせ、その刹那に意祁のをきつく締め上げてしまった。
意祁は低い唸り声を上げて射精し、力強く腰を動かしながら、難波王の奥に精を断続的に注ぎ込んだ。
絶頂の余韻で難波王の体は小刻みに震えた。
意祁は難波王にゆっくりと覆い被さり、彼女と唇を重ね合わせた。
彼は何度も飽くことなく抱き、難波王が息子の稚鷦鷯を産むと、彼を太子とした。
それには難波王の嘆願も影響していた。
我が子を太子に出来たらという欲も関係していたが、不遇を託っていた難波王は、弟の妻を寝取ろうと必死な意祁にも共感するようになっていった。
そうした難波王の感情に気付いていたのか、意祁も彼女を愛し、稚鷦鷯を慈しむようになった。
木蓮子は意祁の奢侈に批判的な的鹿嶋/鹿嶋と穂瓮君を冤罪で処刑しており、稚鷦鷯が太子となるのを周りに認めさせた。
意祁は快楽に溺れながら四九八年に亡くなり、難波王も彼の愛妾である大魚として殉死させられた。
木蓮子は工廠たる石上神宮も任され、物部氏の権限を強めるのに成功し、満足して息を引き取った。
註
*意祁と袁祁が国栖に身をやつし、猟師らに助けられて尾張国へ逃れる:『真清探當證』
*木蓮子が意祁から大連に任命されて石上神宮も任される:『先代旧事本紀』




