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ヤマト奇談集  作者: flat face
河内王朝
36/40

童女君

童女君はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/138276340)


   一


 ()(しま)(本州・四国・九州)の諸国が連合した大和(やまと)(せい)(けん)は、国々の王が豪族となり、その一族たる(うぢ)(かばね)という称号で序列化されていた。

 (おみ)(きみ)の姓を持つ豪族は、大和政権の君主である(おお)(きみ)の同盟者で、(むらじ)(みやつこ)の姓を持つ豪族は大王に直属し、特定の職掌を以て奉仕した。

 (ものの)()(うぢ)は連の姓を持ち、警察や諜報を担当していた。


 彼らは「()()(さと)」なる国の王族だった。

 大和政権の盟主たる大和(やまと)(おう)(けん)は「鳥見の里」を征服することで建国された。

 戦いに敗れた物部氏は、大王に直属することで却って大和王権の重鎮となった。


 (ものの)(べの)()()(わか)(たける)という大王の下で官界の長である(おお)(むらじ)に抜擢された。

 大連は目の父たる(ものの)(べの)()()()()()()()()も就任していた。

 布都久留は(ものの)(べの)()()(ふつ)()()(ふつ)(もろ)(がたの)(かみ)(なが)(ひめ)(かみ)(なが)(ひめ)の息子だった。


 髪長媛は大和政権の太子であった()(ぢの)(わき)(いらつ)()の妻だったが、夫を政争で毒殺され、彼の仇を討つため、連合政権の実力者たる伊呂弗に接近した。

 彼女は伊呂弗に媚びを売り、彼のものになって布都久留を産んだ。

 そうして物部氏は菟道稚郎子と髪長媛の家系である(くさ)(かの)(みや)(おう)()の後ろ盾になった。


 しかし、布都久留は同じ髪長媛の(はら)から産まれたにもかかわらず、日下宮王家の人間が大王の一族たる()()(うぢ)として扱われ、自身は物部氏の妾腹とされたことに苦悩した。

 その様を幼い頃から見てきた目は、物部氏の職務に励むことで誇りを持とうとした。

 幸い目の働きは評価され、彼は物部氏の当主となった。


 それに、妻の()(にの)童女(をみな)(ぎみ)童女(をみな)(ぎみ)も幼武の太子たる(しら)(かの)()()の乳母に選ばれた。

 童女君は垢抜けてこそいなかったが、背が高くて肌には透き通るように真っ白だった。

 彼女の瞳は情熱的なまでに輝き、その顔立ちやくっきりとした眉ともども強い意志を湛え、胸は豊かに膨らんでとても大きかった。


 童女君は()()()()とも呼ばれ、曾祖父である米餅(たがね)(つきの)(おお)使()()米餅(たがね)(つき)は幼武の曾祖父たる大王の(ほむ)()(わけ)に餅の原形となる(しとぎ)を献上していた。

 彼は誉田別が即位するのに貢献した()(にの)(たけ)(ふる)(くま)(たけ)(ふる)(くま)の息子で、甥の(なか)(とみの)()()()()は誉田別の息子である(おお)鷦鷯(さざき)から大王の直轄地たる屯倉(みやけ)の管理を任された。

 また、米餅搗の兄弟である()(ふれの)使()()()(ふれ)は菟道稚郎子の祖父だった。


 そのように恵まれた出自ながら、童女君の父たる()(にの)(ふか)()(ふか)()はうだつが上がらなかった。

 そうであるがゆえに童女君は自分がしっかりしなければならぬと思い、面倒見が良くて世話焼きだった。

 夫の目に対しても彼女は手厳しかったが、口うるさく彼の尻を叩きながらも何だかんだで世話を焼いていた。


 そうした童女君のことを目も愛した。目は童女君を押し倒すと、いつも鮮やかに濡れているその唇を接吻で無理矢理に開かせ、喉の方まで口付けしていった。童女君も固くなって脈打つ目のものに手を伸ばした。

 長いこと楽しみに没頭した二人は、満ち足りた様子で息を弾ませながら横になった。

 目と童女君の間には娘の(かす)(がの)(おお)(いらつ)()が産まれた。母の童女君が白髪王子の乳母を務めたことで春日大郎女も太子の乳兄妹となった。


 白髪王子は童女君に懐き、童女君も白髪王子を可愛がった。

 名前の通り白髪王子は産まれた時から髪が白かった。

 肌もまた白かったけれども瞳は紅く、幼武は(かん)(せき)の知識に基づき、白髪王子の身体的な特徴を瑞兆として喜んだが、気味悪がる声も少なくなかった。


 そればかりか白髪王子は日光が苦手な体質で、童女君はそのような彼を不憫に思い、他の男子に対するのと違って甘やかした。

 白髪王子の実母たる(かつら)(ぎの)(から)(ひめ)(から)(ひめ)は夫の幼武に滅ぼされた実家を再興するため、我が子に期待しすぎていた。

 白髪王子はその重圧に耐えかね、乳母の童女君に安らぎを見出した。


 幼武はそうした童女君を後宮に住まわせた。

 大和政権は八洲に土着の()(じん)を代表する()(こく)と見なされており、大王も()(こく)(おう)とされたが、超大国の(しん)(たん)(中国)に比べると、中央集権化が進んでいなかった。

 そこで、幼武は集権化を進めるため、豪族の男性を従わせるだけではなく、様々な勢力の女性を後宮に住まわせ、大王の権威を示そうとした。


   二


 中央集権化を推進するため、幼武は震旦を利用することで大王の権威を高めようともしていた。

 彼は震旦の宋と使節を遣り取りした。

 阿毎氏は(あや)(ひと)に倣って()(せい)を名乗り、幼武も()と称し、西(せい)(れき)の紀元後四七七年に使()()(せつ)()(とく)()百済(くだら)新羅(しらぎ)(みま)()()()(しん)(かん)()(かん)(しち)(こく)(しよ)(ぐん)()(あん)(とう)(だい)(しよう)(ぐん)、倭国王の、四七八年に(かい)()()(どう)(さん)()の称号を承認してくれるよう宋に求めた。


 それらの称号は皇帝の代理として倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓の民政と軍政を司り、安東大将軍の位階を有する倭国王を意味した。

 倭は倭人がいる八洲と周辺の島々、百済は(から)(くに)(朝鮮)の西南部に、新羅は東南部にある王国、任那は南端部にある倭人の居留地、加羅は中南部の連合政権、秦韓は新羅と加羅の、慕韓は加羅と百済の国境地帯だった。

 それらの民政と軍政を司る根拠として幼武は(こう)()()による朝貢の妨害を挙げた。


 高句麗は韓郷の北部にある王国で、倭国と対立しており、開府儀同三司に叙せられていた。

 韓郷の南部の民政と軍政を掌握しなければ、宋への朝貢がままならぬと幼武は主張した。

 高句麗は(ほく)()にも朝貢していた。


 当時、震旦は王朝が南北に二分される(なん)(ぼく)(ちよう)の時代にあった。

 (なん)(ちよう)の宋と(ほく)(ちよう)の北魏は対立しており、高句麗は二股を掛けていた。

 幼武はそのことを利用し、倭国に帰化した帰化人の()(さの)(あお)(あお)(ひの)(くまの)(はか)(とこ)(はか)(とこ)に流麗な上表文を書かせ、宋に高句麗の不実と自国の忠節を宣伝した。


 その中で幼武は先祖たちが八洲の東西や韓郷の南部に武威を行き渡らせたと誇らしげに謳い上げた。

 幼武も西では()(のの)(おお)()(おお)()(あや)(しの)()()()()()()という(はり)(まの)(くに)(兵庫県南部)の海賊を討伐させ、東では目に()(せの)(あさ)(けの)(いらつこ)(あさ)(けの)(いらつこ)なる()(せの)(くに)(三重県中部)の山賊を討たせた。

 朝日郎は大和王権が伊勢国を侵略した際、山間部に逃れた者たちの末裔で、同胞たちと共に()(せい)()(ひこ)()()()()といった神々を祀り、父祖伝来の信仰を細々と守っていた。


 しかし、集権化を目指す幼武はそれすら許さなかった。

 彼は朝日郎たちに倭国の祭祀を強要し、税や労働も求めた。

 朝日郎たちは幼武の要求を拒否し、倭国の軍が侵攻してくると、山岳選を展開して抵抗した。


 山で育った彼らは、狩猟を生業とし、弓に長けていた。

 そのせいで目と共に朝日郎の討伐に出動した(ものの)(べの)()(しろ)()(しろ)は朝日郎を捕らえられなかった。

 目は(きく)(ものの)(べの)(おお)(おの)()(おお)(おの)()に朝日郎の矢を楯で防がせ、朝日郎を捕縛するのに成功した。


 囚われの身となった朝日郎は、幼武の残虐を堂々と批判しながら斬首された。

 朝日郎の同胞たちも臆することなく、大王の非道を訴えた。

 彼らも処刑した目は、割り切れぬ思いを抱えながら帰還した。


 目も幼武のやり方が強引に過ぎるとは思っていた。

 だが、幼武が推し進める集権化は、倭国が震旦のような文明国となるのに必要なことだった。

 ならば、そうした目標を掲げる大王に尽くすのが物部氏の職責だった。


 幼武はそのような目を厚遇した。

 彼は朝日郎の討伐における菟代の失態を責め、彼の所領を没収すると、それを目に与えた。

 目はそれ以後も忠勤に励み、幼武が敵と思った者を弾圧するのに警察や諜報の分野で貢献した。


 ところが、いざ幼武の治世が終わってみると、苛烈な弾圧で社会は混乱し、彼の崩御した直後に狩猟民の毛人(えみし)が反乱を起こした。

 白髪王子も義兄弟の(ほし)(かわの)()()から命を狙われた。

 反乱を起こした毛人は、将軍の()(びの)()(しろ)()(しろ)に平定され、星川王子には目と二人で大連を務める(おお)(ともの)(むろ)()(むろ)()が軍を起こした。


 (おお)(とも)(うぢ)は大王の近衛軍を率いており、室屋は太子の白髪王子を護るため、星川王子の謀叛を失敗させた。

 そうして白髪王子は二十二代目の大王である(しら)(かの)(おお)(きみ)となった。

 白髪大王も幼武と同様、(てつ)の名で震旦に使者を派遣した。


 ただ、幼武と違って白髪大王は任官を欲しなかった。

 宋は百済や高句麗を優遇して幼武を使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、()(おう)に任じるだけで済ませて開府儀同三司に叙さなかった。

 幼武は宋の後を継いだ(なん)(せい)(りよう)からそれぞれ(ちん)(とう)(だい)(しよう)(ぐん)(せい)(とう)(だい)(しよう)(ぐん)に任じられたが、それは新しい王朝の開闢を祝うための形式的な昇進に過ぎず、倭国は震旦から授けられる称号に意義を見出さなくなっていた。


   三


 白髪大王は晴れて即位できたものの星川王子から命を狙われ、すっかり怯えきって気も狂わんばかりだった。

 本当に発狂されては敵わなかったので、韓媛たちは白髪大王に恐怖を忘れさせようとした。

 そのために彼女らは童女君に対し、白髪大王の乳母から側妾となるよう求めた。


 童女君が性に目覚めた白髪大王から女として見られ、懸想されていることを韓媛も気付いており、心中は複雑であるけれどもそれを利用することにした。

 韓媛は白髪大王の側妾になるならば、目を悪いようにはしないと童女君に約束した。

 彼女は白髪大王の地位を保つため、愛人にした室屋と組み、目は相対的に立場が弱くなっていた。


 夫のためとは言え、彼を裏切ることに童女君は逡巡したが、最終的に白髪大王の側妾となることを了承した。

 目を支えたくもあったし、白髪大王を安心させてもやりたかったからだ。

 彼女は閨で白髪大王の手を取り、自分の胸元に差し込ませ、激しく起伏している乳房へ押し当てさせた。


 白髪大王は童女君の熱くて柔らかい胸を掴むと、かつてのごとくその乳首にしゃぶり付き、彼女の生暖かい香気が彼の鼻孔を包んだ。

 股間のものが痛みさえ感じるほど直立し、彼は奇妙な声を漏らして全身を痙攣させた。

 童女君も微かに身悶えしながら、白髪大王と口を吸い合い、片手を伸ばして彼の陰茎を掴み出した。


 それを白髪大王は呻きを上げながら固くそそり立たせ、童女君に弄られて快美に身悶えした。

 白髪大王の上に自分の体を重ねた童女君は、彼のものを導き、脚を開いて腰を波打たせた。

 子供のような声を出して白髪大王は喘ぎ、艶めかしく尻を揺らめかす童女君に放泄した。


 異様な泣き声を漏らしつつ、彼女は下半身に熱いものが流れるのを感じ、骨まで蕩ける心地良さを覚え、白髪大王の上でぐったりとなった。

 二人は朧になった瞳で深い息を吐きながら横たわった。

 童女君が身を挺した甲斐もあり、白髪大王は狂人とならずに済んだ。


 しかし、二人の関係は目も知るところとなった。

 目は自身の不甲斐なさが童女君に身を売らせたと悲嘆した。

 そして、このような大王に奉仕する甲斐がどこにあると疑問を覚えた。幼武は荒々しかったけれども暗愚ではなかった。


 だが、白髪大王は後宮に籠もり、童女君に溺れる暗君だった。

 そうした大王に尽くす自分は何なのか。

 目は白髪大王の玉座を守るため、叛乱の鎮圧に奔走していたが、やがて限界を迎えて病床に伏した。


 それを報された童女君は、激しい後悔の念に襲われ、目のところへ駆け付けた。

 彼女は必死に看病したが、妻の愛を再確認できた目は、そのことに満足して物故した。

 しかしながら、童女君はそれに納得できず、罪悪感から自裁して果てた。


 彼女は白髪大王の子を孕んでおり、世継ぎとなり得る男の子だったが、表沙汰になることはなく母子ともども死んだ。

 白髪大王は愛する乳母との関係が彼女を死に追い遣り、お腹の子まで失う結果となったことに絶望させられた。

 それでも、童女君が支えようとした目の思いを汲み、倭国を安定させようとした。


 産まれなかった童女君との息子を除き、白髪大王には子供がいなかった。

 このまま白髪大王が崩御すれば、倭国に内乱が起きるのは必定だった。

 そうなるのを防ぐため、白髪大王は父の幼武が滅ぼした(おし)(はの)()()の息子たちを養子に迎え入れた。


 押磐王子は幼武の従兄で、その息子たちたる()()()()の兄弟は葛城氏の血を引いていた。

 二人の姉である(いい)(とよの)(いらつ)()(いい)(とよ)も葛城氏の神を祀る巫女だったので、韓媛も十分に了承できた。

 意祁と袁祁を養子に迎え入れた白髪大王は四八四年に亡くなり、韓媛は義理の孫が太子となるのを見届けて没した。



   註


*米餅搗が誉田別に粢を献上する:小野神社の伝承

*佐久が大鷦鷯から屯倉の管理を任される:『阿波国続風土記』

*武が宋に使持節、都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王と開府儀同三司の称号を承認するよう求めるも使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に任じられるだけで済まされる:沈約『宋書』

*哲が武の息子とされる:「松野連系図」

*南斉が武を鎮東大将軍に任官する:蕭子顕『南斉書』

*梁が武を征東大将軍に任じる:姚思廉『梁書』


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