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ヤマト奇談集  作者: flat face
河内王朝
35/39

稚媛

稚媛はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/138010781)


   一


 ()(びの)(くに)(岡山県・広島県東部)にある()()(おう)(こく)は、鉄や塩の産出、海上交通の利などを背景とし、()(しま)(本州・四国・九州)の諸国が連合した大和政権の中でも大いに栄えていた。

 吉備王国を統治する()()(うぢ)は、大和政権の樹立に貢献した(わか)(たけ)(ひこ)を始祖としていた。

 吉備国を征服した稚武彦は、その国王から王号たる()()()(ひこ)を襲名し、現地人の巫女である()()(ひめ)に何人もの子供を産ませ、彼らに現地の豪族たちと婚姻を結ばせた。


 それにより稚武彦の血を引く豪族たちが同じ吉備氏として吉備王国を治めるようになった。

 吉備氏は大和王権の君主たる(おお)(きみ)に尽くし、()(びの)(たけ)(ひこ)(たけ)(ひこ)が大王の息子である()(うす)の、()(びの)(かも)(わけ)(かも)(わけ)が大王の妻である(おき)(なが)(たらし)(ひめ)(おき)(なが)(ひめ)の遠征で活躍した。

 ()(びの)()(とも)(わけ)()(とも)(わけ)は妹が大王たる(ほむ)()(わけ)の愛人となり、弟らも料理人として仕えた。


 続く(おお)鷦鷯(さざき)()(びの)(あま)(べの)(おつ)()()(おつ)()()の娘たる()(びの)(くろ)()()(くろ)()()を愛人とした。

 こうしたことから()(びの)(しもつ)(みちの)(さき)()()(さき)()()は大王の大和(やまと)(おう)(けん)を格上である連合政権の盟主と認めなかった。

 ()(びの)(しもつ)(みち)(うぢ)は吉備氏の宗家に当たり、前津屋は当代の吉備津彦で、彼にしてみれば、大和王権は吉備王国の米や麦で養われているようなものだった。


 しかし、大和政権が八洲に土着の()(じん)を代表する()(こく)と超大国の(しん)(たん)(中国)から認められると、大王も()(こく)(おう)とされた。

 前津屋にはこれが面白くはなく、彼は女相撲や闘鶏の祭を催して大王を呪詛した。

 ()(びの)(かみつ)(みちの)()()()()はそうした前津屋の行動を危ぶんだ。


 ()(びの)(かみつ)(みちの)(うぢ)は吉備王国において吉備下道氏に匹敵する一族だった。

 その若き当主たる田狭は貴公子に相応しくどこか涼しげな立ち振る舞いで飄々としており、それを裏打ちする才覚に恵まれていたため、周囲からの信頼も厚かった。

 そのような田狭にすれば、前津屋の行動は余りに挑発的だった。


 だが、田狭が諫言しても前津屋は耳を貸さなかった。

 それだけ大王に対する前津屋の敵意は強く、また、彼は田狭のことも疎んじていた。

 幾つもの家系に分かれた吉備氏は、代を重ねる中で次第に一族内でも対抗心を抱くようになっていた。


 大王の(わか)(たける)はそれを利用して前津屋を暗殺した。

 前津屋の敵意を知った彼は、吉備氏であっても吉備王国で不遇をかこっていた()(びの)()()(べの)(おお)(ぞら)(おお)(ぞら)を抱き込み、(ものの)()(うぢ)の精鋭が吉備国へ潜入するのを手引きさせた。

 大和政権の警察を担当する物部氏は、諜報も担っており、暗殺にも手を染めていた。


 前津屋の一派は殺し尽くされ、幼武は次に田狭へ目を向けた。

 彼は倭国を震旦のごとく集権化させるため、豪族を従属させようとしていた。

 それゆえ、本土たる畿内(うちつくに)の大豪族であった(かつら)()(うぢ)は、幼武によって滅亡させられた。


 吉備氏は地方の大豪族で、しかも、田狭の妻たる()(びの)(くぼ)(やの)(わか)(ひめ)(わか)(ひめ)は母親が葛城氏の(かつら)(ぎの)()(ひめ)()(ひめ)だった。

 毛媛は()(びの)(くぼ)()(うぢ)に嫁いで稚媛を産み、その稚媛が田狭に嫁ぐことで葛城氏と吉備氏は同じ大豪族として仲を深めた。

 また、個人としても田狭と稚媛は仲睦まじかった。


 稚媛は艶麗無比の美女で、濃艶の肉付きを誇り、遠に聞こえた美貌は、見る者をはっとさせた。

 田狭は稚媛を布団の上に横たえると、唇や首筋を吸い、豊かに実った乳房を揉んだ。

 稚媛は甘い声を上げ、息も荒くなり、耳に舌を這わされた。


 田狭は稚媛の下腹部に手を回して尻や腰、背中など何とも言い難い魅力を持つ肢体を撫でた。

 彼は稚媛の大きな乳房を揉みしだき、熟れた尻を掴んだ。

 稚媛は白い肌を色付かせながら、与えられる快感の波に悶え、嬌声を閨に響かせた。


 内股に指を這わせ、田狭は稚媛の股間を押さえた。

 既に勃起している陰核を指で扱きつつ、秘所が濡れてきたのを確かめると、己の屹立した一物を突き立てた。

 彼は巧みに腰を動かし、夫の体に手足を絡める妻ともども絶頂に達した。


 田狭と稚媛は四人の息子に恵まれた。

 葛城氏の当主であった(かつら)(ぎの)(たま)()(たま)()を父とする毛媛は、叔母の(かつら)(ぎの)(いわ)()(ひめ)(いわ)()(ひめ)のごとき女傑となるよう稚媛を教育していた。

 田狭はそうした稚媛が嫁ぐに相応しい貴公子だった。


   二


 田狭を次なる標的とした幼武は、彼を(みま)(なの)(くにの)(みこともち)に任じて(みま)()へ赴くよう命じた。

 任那は(から)(くに)(朝鮮)の南端部にある倭人の居留地で、そこに倭国は領事たる任那国司らを派遣していた。

 幼武が田狭をそのような任那国司に任命したのは、吉備氏が海上交通に利権を有する大豪族だったので、海外事情に明るいであろうと説明された。


 しかし、田狭はその説明を額面通りには受け取らなかった。

 恐らく幼武は有力者たる田狭が留守の間、吉備王国への干渉を強めようとするつもりなのだろう。

 だが、内陸部にある大和王権は、吉備王国に匹敵するほどの艦隊を保有していなかった。


 それゆえ、田狭は幼武といえども自分の留守中にそう大したことは出来ぬであろうと考えた。

 彼は韓郷の(から)(ひと)と関係を強化し、その鉄資源や先進技術を手に入れ、吉備王国を再興しようとした。

 ところが、幼武は稚媛を年若い息子たちともども召し出すという奇策に打って出た。


 稚媛の祖父である玉田には(かつら)(ぎの)(つぶら)(つぶら)という甥がおり、その娘たる(かつら)(ぎの)(から)(ひめ)(から)(ひめ)は葛城氏が滅ぼされた際、幼武に嫁がされていた。

 韓媛を妻とした幼武は、大和王権と吉備王国の関係を修復するため、同族として家族で彼女を表敬訪問せよと稚媛に命令した。

 そう言われては稚媛も断れず、夫の立場が少しでも有利になればと船で畿内を訪れた。


 その訪問にはまだ幼い三男と四男が同行し、既に成人していた長男と次男は留守を任された。

 しかしながら、稚媛は幼武により人質として彼の後宮に留め置かれた。

 彼女は大王の妻に準じた扱いを受け、同行した息子たちも三男は(いわ)(きの)()()、四男は(ほし)(かわの)()()と呼ばれるようになったが、母子ともども交渉材料とされたことに変わりはなかった。


 それを報された田狭は新羅(しらぎ)に走り、倭国に圧力を掛け、妻と息子たちを解放しようと試みた。

 韓郷の東南部にある新羅は、八洲に近いこともあり、倭国の私掠船に何度も侵寇され、時には正規の水軍に襲撃された。

 当然ながら新羅と倭国の関係は険悪だった。


 もっとも、そうであるがゆえに新羅は倭国の実力を評価し、()(てん)なる倭人との通訳を特別に設けていた。

 倭国の盟主に叛逆した田狭も新羅から厚遇された。

 けれども、幼武の狡猾さは田狭の予測を上回った。


 稚媛たちを人質にした幼武は、困難をものともせず、陸路で吉備王国に侵攻した。

 まさか大王が攻めてくるとは思わなかった吉備王国は占領され、忠誠の証として田狭の次男が父を討つよう命じられた。

 韓郷に派遣された次男は、かねてより大和王権に味方していた()(びの)()()(べの)(あか)()(あか)()に監視された。


 ただ、次男には妻である(くす)(ひめ)が同行しており、彼女が赤尾を籠絡した。

 それによって次男は実父である田狭の討伐を渋り、樟媛に殺されたと偽られた。

 田狭はそのことを樟媛から報告され、合流した次男ともども身を隠して行方知れずとなった。


 こうして大打撃を与えられた吉備王国は、一応は大和王権に服したが、完全に服従したわけではなかった。

 引き続き大王の後宮に留め置かれた稚媛も、何とか夫の田狭や嫁家の吉備氏を手助けしようとした。

 彼女は幼武が世継ぎに恵まれていないのに目を付けた。


 幼武はその強引な政策により身内からも反感を買っており、反対派には自派の主張が受け入れられるなら、稚媛の息子たちが大王になっても良いと考える者たちさえいた。

 一応は幼武と韓媛の息子たる虚弱な(しら)(かの)()()が太子とされたが、それもどうなるかは分からなかった。

 それでも、幼武が身罷った後、大きな反動が来ることは、確実とされていた。


 その時に備え、稚媛が期待を懸けていたのは星川王子だった。

 末っ子であったけれども星川王子は父親の田狭とは瓜二つと称され、周りからそう評されてきたため、本人も自負が強く、次代の吉備津彦たらんと気張っていた。

 対して磐城王子は相対的に期待を懸けられなかった分、いじけて無気力となった。


 稚媛はそれを申し訳なく思い、せめて政争に巻き込まれず、無事に生きてくれるよう磐城王子を敢えて遠ざけた。

 そのことがより磐城王子をぐれさせた。

 政争から遠ざけたことを言い訳として稚媛はそのような磐城王子から目を背け、星川王子にだけ視線を注ぐようになっていった。


   三


 稚媛は個人としては決して強い人間ではなかった。

 大豪族の娘や妻という立場が彼女を支えていた。

 それゆえ、敵中である畿内で孤軍奮闘することになると、心細くて仕方がなかった。そして、そのような稚媛を支えたのが星川王子だった。


 稚媛は夫の田狭と瓜二つの息子たる星川王子に慰めを求めた。

 星川王子も桃杏のごとく豊満な稚媛から牝の視線を向けられ、牡として目覚めさせられた。

 ある夜に稚媛が添い寝と称して寝所へ忍び入ってくると、星川王子は母の体を抱え、人倫の道を踏み外してしまった。


 彼は凄まじい気組みで稚媛を引き捲り、彼女は汗ばんだ谷間を手をやられ、小さく叫んで固く股を合わせるもこじ開けられた。

 熟み尽くして濃艶滴る桃膚を探りながら、星川王子は両手を床に突いて喘ぐ稚媛の背に覆い被さり、母子(おやこ)相姦(たわけ)の大罪に没入した。

 切れ切れの喘ぎや皮膚の鳴る音を奏でつつ、二つの肉体は妖気を発して蠢いた。


 ひしと目蓋を塞いだ稚媛は、陶酔の表情で貌を仰向け、半開きにした唇から官能を疼かせる淫らな声音を洩らした。

 そのような実母と褥を共にした星川王子は、母親から離れられなくなり、必然的に彼女の陰謀に加担させられた。

 稚媛は幼武が没すると同時に(おお)(くら)を占領し、星川王子を擁立しようと計画していた。


 大蔵は諸国からの貢物が納められ、その中には武具もあった。

 畿内の兵器は物部氏が抑えており、武器を大量に入手するには大蔵を襲う他なかった。

 稚媛や星川王子は甲冑を纏って後宮を脱出し、意を通じた豪族から兵士たちを動員した。


 しかし、物部氏が要所を押さえており、大王を護衛する(おお)(とも)(うぢ)の近衛軍が反乱軍を殺していった。

 稚媛は吉備氏の艦隊が合流するのを期待していた。

 もしそれが実現していたなら、吉備王国が勝利していたかも知れなかった。


 だが、母や弟から見放されていた磐城王子が自身の安全を守るため、謀叛を密告しており、その功績で彼は平穏に生涯を終えた。

 吉備氏の艦隊が合流する前に畿内での叛乱が鎮圧され、吉備王国からの増援は撤退せざるを得なかった。

 しかしながら、その出動は決して無駄ではなかった。


 大蔵が大伴氏に焼き討ちされ、稚媛と星川王子は死んだと思われた。

 ところが、彼らは脱出に成功し、吉備氏の艦隊と合流していた。

 生きていることを明かしては追撃されかねなかったので、二人の生存は伏せられた。


 幼武の死による混乱で倭国も余裕がなく、吉備王国にばかり構っていられなかった。

 それをもっけの幸いとし、稚媛と星川王子は韓郷まで逃れて田狭と合流した。

 生きて再会できたことに夫婦は喜び合った。


 しかしながら、妻は夫の知らぬところで息子と関係を結んでいた。

 最初は隠されていたが、やがて夫の知るところとなった。

 星川王子は稚媛と同衾し、彼女の乳房や腰に愛撫を加えるばかりか、尻の谷間に手を滑り込ませ、秘部から溢れ出た淫液で濡れる菊門に指を入れた。


 稚媛は荒い息を漏らし、甲高い声を上げさせられた。

 敏感な箇所の殆どを同時に攻められてはさしもの稚媛も堪らず、目を潤ませて涎を垂らしながら星川王子に抱き付いた。

 星川王子は稚媛の色っぽいうなじや胸元に唇を這わせながら、彼女の熟れた子宮に子種を授けた。


 暫くは星川王子の胸に頬を寄せ、荒く息を切らせていた稚媛は、やがて眠りに就き、妖艶な寝顔を我が子に見せた。

 そうした関係を結ぶ稚媛と星川王子は、日頃から母子ではなく、男女の視線を交わしていた。

 それでも、稚媛の夫は田狭だけだった。


 夫婦の繋がりを稚媛は田狭との間にしか認めなかった。

 けれども、田狭と星川王子はそれで割り切れてはおらず、稚媛もそのことを痛感していた。

 ただ、三人とも家族が大事だった。


 田狭にも稚媛に苦労を掛け、彼女のことを星川王子に任せてきた負い目があった。

 稚媛と星川王子もそうした田狭の心中を察していた。

 やがて三人は夫婦と親子で交わるようになり、吉備氏を復権させられぬまま生涯を終え、吉備王国は完全に大和王権へ屈した。



   註


*新羅が倭典を設ける:金富軾『三国史記』


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