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ヤマト奇談集  作者: flat face
河内王朝
33/33

眉輪王

眉輪王はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/137486040)


   一


 大和(やまと)(せい)(けん)()(しま)(本州・四国・九州)の諸国が連合した政権で、()()(おう)(ちよう)なる王朝によって樹立された。

 しかし、三輪王朝は代を重ねる内に衰微して(かわ)()(おう)(ちよう)に取って代わられた。

 河内王朝は王朝の交替を(じゆ)(きよう)の易姓革命により正当化した。


 儒教は超大国である(しん)(たん)(中国)の教えで、社会の秩序がどうあるべきかを問題にしていた。

 易姓革命は王朝が徳を失えば、有徳者による新王朝に取って代わられるという理論だった。

 徳とは秩序を維持する能力を意味した。


 王朝の交替を易姓革命で正当化した河内王朝は、それ故に儒教など震旦の思想や制度を学習させた。

 河内王朝の分家たる(くさ)(かの)(みや)(おう)()でも長の(おお)(くさ)(かの)(みこ)が震旦の(あや)(ひと)を先祖とする()()から儒教を学んだ。

 大日下王は育ちが良くて穏和だった。


 彼は大和政権の君主である(おお)(きみ)になろうとはせず、息子の(まよ)(わの)(みこ)にも君臣の別を弁え、分家として本家を支えるよう穏やかに教え諭した。

 幼い眉輪王は父の教えを素直に信じ、それを血肉としたが、本家は大日下王に濡れ衣を着せて日下宮王家を滅亡させた。

 大和政権は八洲に土着の()(じん)を代表する()(こく)と認められており、その地位を維持するには震旦のごとき文明国と見なされなければならず、漢人の皇帝は全ての権力を自分に集中させていた。


 大王の一族たる()()(うぢ)も漢人のように()(せい)を名乗って集権化を図った。

 そのためには分家の日下宮王家が邪魔だった。

 大日下王は(ずい)の名前で震旦の(そう)から(へい)西(せい)(しよう)(ぐん)に任命されており、それは大王の(あな)(ほの)(おお)(きみ)(こう)の名で任じられた(あん)(とう)(しよう)(ぐん)と殆ど差がなかった。


 また、日下宮王家は港湾に近い(かわ)(ちの)(くに)(大阪府南東部)に宮殿を構え、海上交通に利権を有していた。しかも、大日下王の妻にして眉輪王の母である(なか)()(ひめ)は穴穂大王とお互い相手が初恋だった。穴穂大王は大王に権力を集中させ、初恋の相手を奪い返すため、冤罪によって大日下王を攻め滅ぼした。


 彼は中蒂姫を手許に置いたが、眉輪王とその姉たる(わか)(くさ)(かの)(みこ)は自分の兄弟に預けた。

 それは日下宮王家の生き残りを団結させないためだったが、中蒂姫が親として若日下王と眉輪王に会わせる顔がなかったからでもあった。

 穴穂大王と再会した中蒂姫は、その真意を知って初恋が再燃し、夫の仇たる彼と愛し合って再婚したが、そのことを恥じる感情も捨てられなかった。


 眉輪王は穴穂大王の兄たる(くろ)(ひこの)()()に預けられた。

 黒彦王子は先代の大王たる(わく)()の次男で、穴穂大王は三男に当たった。

 元々、大王の地位は長男の(かるの)()()が継ぐとされており、黒彦王子は気楽な次男坊として(どう)(きよう)に耽溺していた。


 道教は震旦の信仰である()(どう)が哲学者の(ろう)()(そう)()の思想を取り入れ、(てん)(じく)(インド)から伝わった(ぶつ)(きよう)に刺激されて成立した。

 社会の秩序を問題とする儒教に対し、道教は個人の幸福を如何に実現するかを問うた。

 そのために道教は個人の幸福に資するよう世界を利用すべく自然の法則を解明しようとし、科学技術たる(れん)(たん)(じゆつ)を発展させた。


 漢人は公人としては儒教を、私人としては道教を信奉した。

 大王になれぬ黒彦王子は、公的な生活から離れて煉丹術に耽った。

 稚子の妻にして黒彦王子たちの母たる(おし)(さかの)(おお)(なかつ)(ひめ)(おし)(さか)(ひめ)は倭人の知識層である巫術者だった。


 黒彦王子は忍坂姫から学問の手解きを受け、(こむ)()(ちむ)(かむ)()()(こむ)()から煉丹術を学んだ。

 金武は(から)(くに)(朝鮮)の東南部にある新羅(しらぎ)の薬師で、病弱な稚子を治療するために招聘されていた。

 彼は薬を作るため、煉丹術に精通しており、薬種が豊富な八洲に関心があった。


 八洲の薬種を採取するのと引き換えに金武は黒彦王子に煉丹術を教えるよう命じられ、黒彦王子は金武に様々な薬の調合を伝授された。

 そうした黒彦王子のところに眉輪王はやってきた。

 黒彦王子と眉輪王の出会いは二人の運命を狂わせることになった。


 眉輪王はさらりとした髪と水晶のように煌めく眸を持ち、その肌は艶やかだった。

 少年である彼は体付きがまだ幼く、驚くほど軽くて肩や腰は少しでも力を加えれば折れそうなほどに細かった。

 それでいて甘い香りを漂わせ、輝くばかりの美しさが黒彦王子の血を騒がせた。


   二


 公的な生活から離れた黒彦王子は、暇に飽かして煉丹術で酒や媚薬を作り、酒色に溺れていた。

 彼は男色も嗜み、それを女色よりも好んだ。

 眉輪王を預けられた黒彦王子は、彼にも手を出した。


 意外なことに眉輪王はそれを嫌がらなかった。

 それどころか、彼は黒彦王子に甘えることさえした。

 無論、眉輪王が黒彦王子に惚れたというわけではなく、その真意は別にあった。


 大日下王の教えを素直に信じた眉輪王は、冤罪で攻め滅ぼされた父の仇を討つため、穴穂大王への復讐を誓っていた。

 眉輪王には穴穂大王に復讐できる力などなかったが、無謀と言われようとも親の仇を討つのは子の務めだった。

 それが大日下王から学んだ儒教の教えで、眉輪王は子供であるがゆえの純粋さで仇討ちに手段を選ばなかった。


 黒彦王子が手を出してきたことも、眉輪王にとっては彼を味方に付け、穴穂大王に復讐する力を得るための好機だった。

 眉輪王は黒彦王子の歓心を買うべく彼から与えられる怪しげな薬も躊躇うことなく飲み干した。

 その薬も煉丹術によって作られたもので、男性の体を女性的に変化させる効用があった。


 震旦では服妖という言葉が性転換や両性具有、同性愛、異性装などを意味していた。

 道教でも男性と女性の両性を具有する者は、完全な存在とされた。

 黒彦王子が金武から学んだ煉丹術は、丹薬によって両性具有者を生み出そうともしていた。


 眉輪王が飲まされた薬はその副産物だった。

 薬を飲んだ眉輪王は、胸がぷっくりと膨らみ、尻も愛らしい果実のごとく実った。

 黒彦王子は眉輪王の体がそこまで変化してから彼に伽の相手をさせた。


 彼は眉輪王の乳首に吸い付くと、つんと尖った乳頭を舌先でつついた。

 眉輪王はもどかしそうに腰を捩らせ、その皮膚から放たれる匂いが濃厚になった。

 黒彦王子は眉輪王の膝に手を掛けて開くと、既に蕩けている彼の窄まりへ己自身を宛がった。


 眉輪王は体を震わせて吐息を漏らし、余りの心地良さに黒彦王子も顔を歪めた。

 全身を痙攣させながら眉輪王は快楽の声を上げ、黒彦王子の首筋に爪を食い込ませた。

 艶めかして美しい表情で彼はしなやかな肢体をくねらせた。


 黒彦王子は手の平で眉輪王の乳房を揉みしだき、大きく揺さ振りながら前もしごいでやった。

 眉輪王は髪を乱してよがり声を上げ、泡混じりの蜜液を先端から迸らせた。

 黒彦王子も極まりを迎え、眉輪王の内壁に精を放った。


 肩で息をしながら、黒彦王子は腕の中にいる眉輪王を胸に抱き寄せ、彼と唇を求め合った。

 眉輪王はその若くて美しい体を黒彦王子に調教され、あらゆる性技を身に付けていった。

 黒彦王子はそうした眉輪王の虜となり、彼を寵童とした。


 すると、稚子の四男たる(しら)(ひこの)()()(うら)(しま)()なる密使を黒彦王子の下に遣わしてきた。

 白彦王子は眉輪王の姉である若日下王を預けられていた。

 若日下王も眉輪王と同じことを考え、日下宮王家を再興するために白彦王子を誑し込み、弟とも連絡を取ろうとした。


 その密使に選ばれた浦嶋子は大日下王の家臣で、白彦王子に預けられる若日下王に同行していた。

 彼は誠実であって忠義に篤く、大日下王が攻め滅ぼされても日下宮王家を見捨てなかった。

 また、主君に似て穏やかで、腕力に訴えるよりも話し合いを好んだため、若日下王から密使に抜擢された。


 浦嶋子は(おお)(おみ)たる(かつら)(ぎの)(つぶら)のところにも派遣されていた。

 大臣とは政界の長で、最大の豪族である(かつら)()(うぢ)は大王の妻を輩出していたが、日下宮王家の残党と裏で手を結ばんとした。

 その原因は穴穂大王の乱行にあった。


 冤罪で大日下王を攻め滅ぼした罪悪感から穴穂大王は中蒂姫との情事に没頭し、政務を疎かにしていた。

 そのせいで大和政権の政治は混乱し、大王を穴穂大王の兄たる黒彦王子に挿げ替えようとする動きが起こった。

 黒彦王子も乱行に及んではいたが、公的な生活から離れていたため、穴穂大王ほど目立ってはおらず、(おし)(はの)()()が即位するまでの中継ぎとしか捉えられていなかった。


   三


 穴穂大王の従兄である押磐王子は母が葛城氏たる(かつら)(ぎの)(くろ)(ひめ)(くろ)(ひめ)だった。

 妻も葛城氏の(かつら)(ぎの)(はえ)(ひめ)(はえ)(ひめ)を娶っていた。

 夫婦の間に子は出来なかったが、妹である(あお)(みの)(ひめ)(みこ)の子供たちを養子に迎え入れた。


 その子供たちは葛城氏の傍系たる(おし)(ぬみ)(べの)(ほそ)()(ほそ)()を父としていた。

 眉輪王の虜になっていた黒彦王子は、彼に言われるがまま押磐王子とその養子たちを跡継ぎにすると約束した。

 そもそも、公的な生活から離れた黒彦王子には大王となる野心などなかった。


 それに対して父の()()()(わけ)が大王であった押磐王子は即位したいと欲しており、円もそれを応援していた。

 葛城氏は最大の豪族で、大王の妻を輩出してもいたが、権勢の大きさを警戒されて粛清されてもきた。

 そうした過去を踏まえ、円は大王の一族たる阿毎氏と一体化することで葛城氏の安寧を図ろうとした。


 押磐王子の養子たちが即位すれば、葛城氏が大王となったようなものだった。

 ただ、円の意図はそれに留まるものではなかった。

 本土の畿内(うちつくに)(奈良県・京阪神)から韓郷までの海上交通網を掌握していた葛城氏は、海外の諸国と積極的な交渉を展開し、それにより円は見識を蓄え、巨視的な視点で倭人の行く末に思いを馳せた。


 彼は大和政権の集権化に反対していた。

 多島海にある八洲は、大平原が広がる震旦を真似るのではなく、分権化してその地理的な多様性を活かすべきであるというのが円の持論だった。

 それを実行に移すため、円は阿毎氏と葛城氏を不可分のものにせんと画策した。


 しかし、それは葛城氏が大和政権を乗っ取るようなものだった。

 表沙汰にすれば要らぬ反発を招きかねなかった。

 それゆえ、円はその大胆不敵な計画を周囲にも秘し、押磐王子やその養子たちを大王に即位させ、じわじわと既成事実を作り上げていくつもりだった。


 ところが、腹の底を読ませぬその姿勢が周りを疑心暗鬼に陥らせ、押磐王子までもが円に疑念を抱いた。

 円は利用するだけ利用して捨てるつもりではないかと押磐王子は疑い、黒彦王子らともども円を排除しようとした。

 眉輪王が葛城氏の兵たちに守られながら、大王の宮殿に侵入し、穴穂大王を刺し殺して父の仇討ちを果たすと、押磐王子はそれを稚子の五男たる(わか)(たける)に密告した。


 幼武も大王の地位を狙っており、穴穂大王の暗殺に関与したとしてまず白彦王子を手に掛けた。

 押磐王子の差し金により黒彦王子と眉輪王が円の屋敷に逃げ込むと、幼武の私兵たちが円の屋敷を取り囲んだ。

 円は幼武から黒彦王子と眉輪王を引き渡すよう求められたが、葛城氏の当主として保護した者を突き出すことなど出来ず、自ら交渉に出向き、娘の(かつら)(ぎの)(から)(ひめ)(から)(ひめ)と政略結婚をして同盟しないかと幼武に持ち掛けた。


 嫁資として領地を献上することまで提案したが、幼武が黒彦王子と眉輪王の引き渡しにこだわったために交渉は決裂した。

 円は屋敷に戻り、幼武の攻撃に応戦した。

 伊達に最大の豪族と見なされてはおらず、葛城氏の兵たちは善戦したが、幼武の私兵たちは彼らよりも精強だった。


 円は乱暴者の幼武を侮っていたが、それが間違いであったことを認めた。

 敗北を確信した彼は、矢が尽き果てたこともあって自決した。

 眉輪王は黒彦王子に己の首を斬らせ、幼武が円の屋敷に火を放つと、黒彦王子は眉輪王の遺体を屍姦しながら焼け死んだ。


 押磐王子は幼武に円ばかりか、黒彦王子たちも始末させるのに成功すると、自分が幼武を始末し、漁夫の利を得ようとした。

 だが、幼武は押磐王子を返り討ちにし、養子たちの命も狙った。

 押磐王子が養子にした子供たちの内、()()()()の兄弟は(たにわの)(しりの)(くに)(京都府北部)に逃亡したが、そこには浦嶋子も移住していた。


 大王となった幼武は、日下宮王家の残党を懐柔するため、(わか)(くさ)()()という阿毎氏の直轄民に再編し、浦嶋子はその一部を丹後国へ入植させた。

 彼は袁祁と意祁が播磨国(兵庫県南部)へ移ってからも丹後国に住み続け、(ふく)(じの)(たけ)(富士山)のある駿(する)(がの)(くに)(静岡県東部)からやってきた(かめ)()()と夫婦になった。

 黒彦王子のところに出入りしていた浦嶋子は、彼から煉丹術を教えられ、媚薬を用いて亀比売との房事を愉しみ、老いて彼女を亡くすと、山河に遊んで行方知れずとなった。



   註


*亀比売が浦嶋子と夫婦になる:『丹後国風土記』

*浦嶋子が亀比売との房事を愉しみ、老いてから山河に遊んで行方知れずとなる:『続浦島子伝記』


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