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ヤマト奇談集  作者: flat face
河内王朝
30/33

軽王女

軽王女はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/136410130)


   一


 大和(やまと)(おう)(けん)を盟主とし、()(しま)(本州・四国・九州)の諸国が連合した大和(やまと)(せい)(けん)は、各国の諸王が豪族として政権を支えた。

 それゆえ、大和政権の君主である(おお)(きみ)は豪族たちから支持されなければ即位できなかった。

 (おし)(はの)()()は大王たる()()()(わけ)の長子であったけれども即位できないでいた。


 去来穂別は四兄弟の長男で、次男たる(すみの)(えの)(なかつ)(みこ)と大王の位を争い、三男である(みづ)()(わけ)の協力を得て勝利した。

 彼は協力の見返りに瑞歯別を太子とした。

 その立太子は去来穂別と瑞歯別をそれぞれ支持する豪族たちの合意に基づいており、押磐王子が口を挟めるものではなかった。


 瑞歯別が大王となり、その次に即位したのは四男の(わく)()だった。

 それは稚子の妻たる(おし)(さかの)(おお)(なかつ)(ひめ)(おし)(さか)(ひめ)が最大の豪族である(かつら)()(うぢ)の支持を取り付けたからだ。

 葛城氏は去来穂別の母たる(かつら)(ぎの)(くろ)(ひめ)(くろ)(ひめ)の実家でもあった。


 黒媛は去来穂別の宮殿を襲撃した墨江中王に略奪されて犯され、救出されるも心を病んで池に身投げした。

 母親の自死に衝撃を受けた押磐王子は、何とか母の無念を晴らすため、彼女から産まれた自分が即位しなければならないと思い詰めるようになっていった。

 押磐王子の弟である()(まの)()()も兄と同様、自分たちが大王にならねば、母が報われないと思い詰めた。


 ただ、如何に大王となるかで兄弟は異なっていた。

 押磐王子は長子としての立場があったからか、慎重にことを運ぼうとし、策士然として謀略を好んだ。

 御馬王子は兄ほど重責を担わず、自由奔放に育ったため、我慢することが苦手で、武力に訴えてでも玉座を勝ち取らんとして日々、訓練に励んでいた。


 もっとも、そうした違いはあっても母の無念を晴らしたいという願いは共通しており、押磐王子と御馬王子の関係は良好だった。

 大王の地位についても押磐王子が即くということで御馬王子も納得していた。

 兄弟は互いに足りないところを補い合い、武力の行使も視野に入れつつ、手を取り合って策謀を巡らした。


 稚子が忍坂姫との嫡男たる(かるの)()()を太子に据えると、押磐王子は軽王子の悪評を捏ち上げ、彼を太子の座から追い落とそうとした。

 都合の良いことに稚子と忍坂姫の三男である(あな)(ほの)()()も軽王子を敵視し、彼を排除しようとしていた。

 穴穂王子は押磐王子たちと裏で手を結び、軽王子の悪評が広まるのを後押しした。


 稚子と忍坂姫には(かるの)()()なる長女がおり、彼女は烈婦たる母親に似て勝ち気かつ強情で、お転婆なところがあった。

 そうしたことから男兄弟に交じって成長し、自分と同様に強気な軽王子とは馬が合って特に仲が良かった。

 押磐王子はそこに目を付け、軽王子と軽王女が近親(はらから)相姦(たわけ)の関係であるという噂を密かに流した。


 男勝りな軽王女は男のように凜々しく装い、髪はぼさぼさのままだったが、自然の美しさが輝きを添えていた。

 尻の曲線は柔らかく、脚は長くて形が良かった。

 乳房はふっくらと盛り上がり、その先端が大きく突き出ていた。


 軽王女は野性的な美女だったが、軽王子と軽王女は相手に恋愛感情を持っておらず、寧ろ軽王子は忍坂姫の妹たる()(とおり)(ひめ)に恋していた。

 それでも、稚子が独断で軽王子を太子とし、大王の権力が強くなりすぎるのを恐れた豪族たちは、押磐王子が流した噂に飛び付いた。

 彼らは穴穂王子が豪族たちに融和的な姿勢を取っていたので、尚更、軽王子を失脚させようとした。


 これには稚子も抗しきれなかったが、大王の権力を強めようとしてきた彼は、豪族たちの言うままになるのを潔しとしなかった。

 そこで、軽王女は自らを流罪に処すよう父である稚子に申し出た。

 事態の決着を図るため、稚子は軽王女の申し出を聞き入れ、無実の娘を島流しにした。


 彼はせめてもの親心で保養地の()(よの)()(道後温泉)を軽王女の流刑地に選んだ。

 軽王子は軽王女が冤罪で追放されたことに憤った。

 だが、余りに怒りが激しくて彼は自身の軽率さを顧みることがなく、それが押磐王子たちに付け入る隙を与えた。


   二


 伊予湯に流された軽王女は、覚悟していたよりも快適な生活を送った。

 軽王女が近親相姦の科で流罪になったとは現地にも伝わっていたが、現地人がそれを素朴に信じることはなかった。

 現地においても政争はあり、政敵が捏造した醜聞で失脚するなど珍しくはなかったので、大王の長女として遇した。


 それに、軽王子が即位すれば軽王女も無罪となり、大王の身代わりとなった妹として厚遇されるかも知れなかった。

 軽王女はそうした事情から逃亡を試みなければ、行動の自由を許された。

 それゆえ、彼女は土地の豪族たちとも交流でき、()(よの)()()(べの)()(たて)()(たて)もそのような土豪の一人だった。


 小楯の遠祖である(たけ)(いわ)()は初代の大王たる()()の曾孫に当たった。

 健岩古は()(よの)(くに)(愛媛県)の賊を征伐して現地に土着した。

 狭野が興した(かつら)()(おう)(ちよう)は、本土の畿内(うちつくに)(奈良県・京阪神)では既に断絶しており、軽王女は彼らと血縁関係のない(かわ)()(おう)(ちよう)に属していた。


 そうした経緯から小楯は軽王女に対抗意識があった。

 しかし、やんちゃな軽王女にはそのような競争心が気持ち良かった。

 そして、弓術や馬術を競う内に心が通じ合い、二人は競い合うためではなく、愛し合うために逢瀬を重ねるようになっていった。


 小楯は裸の軽王女に顔を押し付けると、平らであって滑らかな腹部から大きな白い膨らみへと唇を這わせ、つんと突き出た頂を擦り、鎖骨からほっそりとした首を通った。

 彼は軽王女の唇を奪い、彼女も細くて滑らかな舌を相手の口中に入り込ませた。

 軽王女は小楯が彼女の太腿に手を滑らせると、くぐもった悲鳴を上げ、豊満な尻を揉まれれば、その背中が波打った。


 仰向けになった彼女は、脚の付け根にある熱くて柔らかな隙間に小楯の猛り狂う棍棒を打ち込まれた。

 悲鳴が喘ぎに変わり、軽王女は彼の名を呼び続けた。

 彼女は指が食い込むほど強く小楯の腕を掴み、彼は体を動かしながら、掌から零れるほど豊かな双丘を鷲掴みにした。


 軽王女は眼を閉じて歓喜の涙を流し、口を開いて官能に呻いた。

 彼女は顎を小楯の肩に載っけて頬を触れさせた。

 肌の熱さが心地良く、軽王女は息を弾ませながら、腰をぐいと突き上げ、信じがたいほどの絶頂に叫んだ。


 二人の交際は軽王女が流人だったので、公認されることはなかった。

 それでも、小楯は軽王女と将来を誓い合った。

 そうしている内に畿内では稚子が身罷り、軽王子と穴穂王子が大王の位を巡って激しく対立した。


 争いは穴穂王子の勝利に終わり、敗者の軽王子は敗れて島流しとなった。

 軽王子を流刑に処した穴穂王子は、彼を軽王女がいる伊予湯に流し、近親相姦の噂に信憑性を持たせようとした。

 衣通姫は軽王子が流罪になると、畿内での地位を捨て、彼の後を追った。


 それにより軽王女は伊予湯で軽王子および衣通姫と再会し、二人に小楯を紹介した。

 軽王女に惹かれた小楯は、彼女と仲が良かった軽王子も慕うようになった。

 他にも伊予国には軽王子を慕う者たちがおり、彼の下に多くの兵が集まった。これに伊予国の勢力は二分された。


 畿内では穴穂王子が大王となっており、政局が変化するのを待たず、叛乱を起こすのは流石に危険が大きかった。軽王子に味方するか否かで伊予国の土豪たちは二派に分かれ、その中で小楯の一族は慎重な姿勢を取った。小楯は軽王子の味方を募れと命じられ、体良く(から)(くに)(朝鮮)に追い払われた。


 そして、反対派や慎重派が懸念していた通り穴穂王子は軽王子の動きを謀叛と見なし、鎮圧のために軍を差し向けた。

 その報せを聞いた小楯は慌てて帰還したけれども既に手遅れだった。

 軽王子は従者である舎人(とねり)()()(つの)使()()ともども斬り殺されてしまい、衣通姫と軽王女は奴隷として売られ、彼女たちの行方は分からなくなっていた。


 衣通姫および軽王女は死んで骸は海に捨てられたとされ、帰郷した小楯にもそう説明された。

 小楯は軽王女の後を追って自決しようとしたが、周りから徒に命を捨てるくらいならば、一族のために尽くしたらどうだと諭された。

 そこで、彼は上京して稚子と忍坂姫の五男たる(わか)(たける)に仕えた。


   三


 大和政権は()(しま)(本州・四国・九州)に土着の()(じん)を代表する()(こく)と見なされた。

 大王の一族である()()(うぢ)は超大国たる(しん)(たん)(中国)の(あや)(ひと)に倣い、()(せい)を名乗っていた。

 去来穂別は(さん)と称し、押磐王子も彼の次を担う者として()と呼ばれた。


 穴穂王子こと(あな)(ほの)(おお)(きみ)は即位に協力してくれた押磐王子を太子に据えた。

 押磐王子は(はり)(まの)(くに)(兵庫県南部)の(いちの)()を拠点として「市辺の大王」とも呼称された。

 ところが、穴穂大王が継子の(まよ)(わの)(みこ)に暗殺されると、押磐王子の地位も危うくなった。


 眉輪王は幼武によって殺された。

 大王の仇を討った幼武は評価を高め、その勢力は侮りがたいものとなった。

 危機感を覚えた押磐王子は、幼武を狩りに誘い、その最中に彼を弓で射殺そうと謀った。


 しかし、幼武もまた大王の地位を望んでおり、押磐王子を謀殺して即位しようと考えていた。

 幼武は猪を狙う振りをして押磐王子を射落とし、彼の舎人である()(えき)(べの)(うる)()(うる)()も殺すと、二人の遺骸を飼い葉桶に放り込んで埋めた。

 御馬王子は母方の実家たる葛城氏と同様、外交を担う()()(うぢ)()(わの)()()()()を頼ろうとしたが、幼武の兵たちに襲われ、勇敢に戦うも彼らに捕らえられた。


 彼は幼武を呪詛しながら処刑された。

 その呪いが功を奏したのか、幼武は大王となって嫡男である(しら)(かの)()()を太子としたが、彼は結婚しても後継ぎが出来なかった。

 そこで、即位した白髪王子は()()()()の兄弟を探させた。


 この兄弟は押磐王子の養子だった。

 押磐王子は(かつら)(ぎの)(はえ)(ひめ)(はえ)(ひめ)と結婚したが、子宝には恵まれていなかった。

 それゆえ、彼は妻の実家たる葛城氏から養女の(いい)(とよの)(いらつ)()(いい)(とよ)と養子の意祁および袁祁を迎え入れた。


 意祁と袁祁は父である押磐王子が謀殺されると、自分たちも殺されると考え、姿を隠していた。

 他方、飯豊は打ち続く内戦を終わらせるため、即位した白髪王子に嫁いでおり、意祁と袁祁は大王の義弟だった。

 そして、和解の象徴として二人を迎えるために小楯が播磨国へ派遣された。


 幼武に仕えた小楯は、白髪王子こと(しら)(かの)(おお)(きみ)にも忠誠を誓って重用された。

 押磐王子の拠点たる播磨国に意祁と袁祁が潜伏していることが分かると、小楯は二人を探すよう白髪大王から命じられた。

 それは密命であったため、小楯は(はり)(まの)(くにの)(みこともち)として播磨国に遣わされると、彼は地元の有力者たる()()()の新築祝いに招待された。


 祝宴の席には酒肴のみならず、娼婦たちも用意されていた。

 未だ軽王女を忘れられなかった小楯は、とても女を抱く気にはなれなかったが、娼婦たちの一人を目が合って固まった。

 その一人とは紛れもない軽王女だった。


 軽王女は逃げようとするも小楯に捕まった。

 小楯は軽王女を落ち着かせ、何があったのかを説明させた。

 軽王女の話によれば彼女と衣通姫は軽王子を殺した男たちに凌辱され、人間であることをことを忘れるほど徹底的に嬲られると、奴隷となって海賊に買われた。


 衣通姫は余りの美しさから海賊の頭領が己の妻にした。

 だが、頭領の手下が反乱を起こし、彼女は夫ともども斬り殺されてしまった。

 軽王女の方は娼婦をさせられ、客に体を売り、来る日も来る日も男たちに組みしだかれた。


 そうしている内に年を取ると、安値で売り飛ばされて播磨国まで流れてきた。

 小楯から逃げようとしたのは、今の自分を彼に見られたくなかったからだ。

 しかしながら、小楯は軽王女が死んだとあっさり信じ、探すことすらしなかった自分こそ恥ずかしいと述べ、彼女に改めて求婚した。


 軽王女はそれを受け入れ、小楯は彼女だけではなく、意祁と袁祁も見付け出して都に連れ帰った。

 白髪大王は意祁および袁祁と養子縁組をし、小楯と軽王女の婚姻も認め、彼を(やまの)(つかさ)に任命した。

 (やま)()(うぢ)という(うぢ)()も授けられた小楯は、山林の管理に従事しながら、改名して身分を隠した軽王女と共に静かな余生を過ごした。



   註


*狭野の曾孫である健岩古が伊予国で賊を征伐し、小楯の遠祖とされる:高家八幡神社の伝承

*讃の次を担う者が弥と呼ばれる:姚思廉『梁書』

*押磐王子が「市辺の大王」と呼称される:『播磨国風土記』


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