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ヤマト奇談集  作者: flat face
弥生時代
3/19

台与


   一


 ()の皇帝である(そん)(けん)は将軍の(えい)(おん)(しよ)(かつ)(ちよく)に一万の兵を与え、西(せい)(れき)の紀元後二三〇年に()(しゆう)(台湾)および(たん)(しゆう)(沖縄県)へ遣わした。

 目的は(つく)(しの)(しま)(九州)を確保することにあった。

 (しん)(たん)(中国)の覇権を呉と争う()は、筑紫島を呉に対する戦略的な要地と見なしており、呉としても筑紫島は放っておけなかった。


 しかし、孫権の派遣した大艦隊は、風土病などにより兵の半数を失って失敗した。

 衛温と諸葛直は孫権に罪を問われて死を賜った。

 それでも、呉が筑紫島と関わりを持たなかったわけではない。


 ()(しま)(本州・四国・九州)に土着の()(じん)が呉の(かい)(けい)(紹興市)と往来してもいた。

 彼らは八洲に土着した夷洲や亶洲からの移民たる(はや)()だった。

 厳しい自然の中で生活を送る隼人は、勇猛であって戦さに長け、(くま)()(熊本県・鹿児島県)を支配下に置いていた。


 彼らは()()(こく)の王たる()()()()(彦御子)によって完全に統率されていた。

 卑弥弓呼は実力のある王で、そうでなければ隼人は王と認めず、彼が強い限りは忠実に従った。

 それ故に卑弥弓呼は筑紫島の北部を支配する(じよ)(おう)(こく)から服属を求められると、その要求を一蹴して開戦となった。


 筑紫島の全域を支配すると高らかに宣言し、彼は()()()()()(菊池彦)を伴って女王国に攻め入った。

 狗古智卑狗は狗奴国の傘下にある小国の王族だった。

 彼は狗奴国の高官として卑弥弓呼に仕えていた。


 狗奴国の軍は無人の野を行くがごとく勝ち進んだ。

 巫女を君主とする女王国は、青銅製の祭器を作っていたが、狗奴国はそのようなものを作らず、代わりに鉄製の武器をより多く作っていた。

 勇敢な隼人を鉄器で武装させた卑弥弓呼たちは、女王国の軍を圧倒した。


 卑弥弓呼の軍が迫る中、女王国は使者の(さい)()()(えつ)らを遣わし、宗主国の魏に援助を求めた。

 魏は狗奴国と女王国に対して停戦するよう勧告した。

 狗奴国を属国であるかのごとく扱う魏に卑弥弓呼は激怒したが、それに輪を掛けて狗古智卑狗が猛ったので、却って冷静になった。


 歴戦の勇士たる狗古智卑狗は卑弥弓呼からの信頼も厚かった。

 だが、彼は真面目すぎて融通が利かないばかりか、血の気が多く、甘く見られぬよう魏と一戦を交えるべきであると主張した。

 他方の卑弥弓呼は激情家だったが、一旦、感情を爆発させて落ち着きを取り戻すと、寧ろ頭が冴え渡った。


 卑弥弓呼とて魏と戦っても勝ち目がないことは分かっていた。

 しかしながら、宗主国でもない魏の勧告に唯々諾々と従うのは、狗奴国の威信を傷付けるものだった。

 そこで、卑弥弓呼は女王国が魏を仲介とし、和を乞うてきたと臣民たちに説明した。


 その説明で狗奴国の隼人たちは溜飲を下げ、女王国との停戦に応じ、狗古智卑狗も納得して引き下がった。

 もっとも、狗奴国にとって停戦は文字通り戦闘の一時的な停止でしかなかった。

 魏の勢力が衰え、その権勢が筑紫島に及んでこないようになると、再度、狗奴国は攻勢に出た。


 魏は停戦の勧告を受け入れさせるため、筑紫島に軍を進駐させていた。

 けれども、実質的に敗戦した属国たる女王国の政局が安定すると、撤兵してしまっていた。

 女王国はまた魏に和平を調停してもらおうとしたけれそも間に合わなかった。


 そして、狗奴国は女王国の都たる(やま)(との)(あがた)(山門郡)の()()(たい)(こく)を攻めた。

 卑弥弓呼は邪馬台国に使者を送って降伏を要求した。

 やがて女王国の君主たる()()(豊)が卑弥弓呼の下をに赴き、恭順の意を示した。


 狗奴国と開戦した時、女王国の君主は()()()(日巫女)なる巫女だったが、彼女は魏から敗戦の責任を追及されて処刑された。

 魏は()(こく)(おう)の末裔たる()()()を女王国の君主に任命した。

 (なの)(あがた)(博多区)の()(こく)はかつて王が()(かん)に遣使し、捕虜である(せい)(こう)を奴隷として献げ、倭人の王に任じられたのだが、魏は後漢の後を継いだ王朝だった。


 ところが、難斗米は失政を重ねて人心を失い、巫女の台与に取って代わられた。

 台与は卑弥呼の一族と言われ、(とよの)(くに)(福岡県東部・大分県)の出身とされていた。

 女王国が台与を君主と認めたのには卑弥呼の旧臣たる(えき)()()の働きが大きかった。


   二


 台与は表向き卑弥呼の遠い親戚ということになっていた。

 しかし、実際は卑弥呼と男弟の娘だった。

 邪馬台国の王たる男弟は卑弥呼の実弟でもあり、近親(はらから)相姦(たわけ)は禁忌とされていた。


 だが、神々の女王たる天照の依り代とされていた卑弥呼は、やがて自らを女神の化身と信じるようになり、己と血を分けた実の弟だけを伴侶に相応しいと見なした。

 それ故に彼女は台与を後継者にしたいと考え、娘を()(しん)(どう)で学ばせた。

 鬼神道は邪馬台国にある巫術者の学び舎で、女王国の君主は鬼神道の巫女でなければならず、卑弥呼も鬼神道で巫術や方術を学んでいた。


 台与は母に似て利発で、卑弥呼は娘の将来に大きな期待を懸けたのだが、その躾は常軌を逸していた。

 彼女は己と同じく自らを女神の化身と信じるよう台与に求めた。

 幼い娘を卑弥呼はそれこそ神の子のごとく溺愛する一方、彼女が女神の化身らしからぬ振る舞いを見せると、狂ったように体罰を加えた。


 そのように奇矯な母を台与は女神の化身であると信じられず、自身についても同様だった。

 それでも、彼女は母が恐ろしかったので、その期待に添うよう振る舞った。

 台与が卑弥呼の後を継ぐのは確実と思われたが、卑弥呼が魏の命令で処刑されると、台与を取り巻く状況は一変した。


 女王国の新たな君主となった難斗米は、卑弥呼の残滓を拭い去るために鬼神道を弾圧した。

 台与も難斗米に命を狙われたが、掖邪狗に守られながら()()(宇美町)の()()(こく)や豊国にある(しん)(おう)(こく)など各国を転々と逃げ回った。

 各地に散った鬼神道の巫術者たちも台与たちを手助けした。


 彼は魏に遣使された使節団の副使を務めたこともあり、震旦の進んだ文明を目にして劣等感に打ち拉がれたが、それを跳ね返すため、女王国は女神の化身が治める神の国であると信じるようになった。

 そうして卑弥呼への忠誠を強め、台与も命懸けで守り、彼女の即位に全身全霊を捧げた。

 その甲斐もあって難斗米は廃され、台与が即位して鬼神道も復興したが、女王国に往年の輝きはなかった。


 狗奴国との戦いに再び敗れた女王国は、人質として台与を卑弥弓呼に献上した。

 彼女を迎えた卑弥弓呼は固唾を飲んだ。

 台与は美しいところも母の卑弥呼に似ていた。


 彼女は鼻筋の通った器量良しで、切れ長の眼をしており、口は小さくて可愛らしく、しなやかな体も目を惹いた。

 卑弥弓呼は台与の美貌に魅了された。

 隼人とて美を知らないわけではなく、熊襲の(めん)()(免田町)で作られる土器は、品が良くて端正だった。


 卑弥弓呼は台与に結婚を申し出た。

 拒絶したなら狗奴国の軍が筑紫島の北部を荒らし回りかねず、自身の命も危うかったので、台与は卑弥弓呼の申し出を承諾した。

 そもそも、彼女は卑弥呼の前では神の子を、掖邪狗らの前では卑弥呼の代わりを演じ、命を繋いできた。


 それらと同様に卑弥弓呼の前で彼の妻を演じるまでだった。

 衣裳を脱いだ台与は、首を垂れて顔を背けたまま裸体を晒した。

 肌は白蝋のごとき白さで、乳房は大きく盛り上がっていた。


 台与は全身を卑弥弓呼に預け、卑弥弓呼は台与を抱き、月日が満ちて男児が産まれた。

 彼はそれを大いに喜んだ。

 そして、山門で新たに居を構え、そこから筑紫島の北部をも支配し、女王国の遺臣を多く登用した。


 筑紫島の北部と熊襲では環境が異なっていたので、隼人たちだけで治めるのは難しかった。

 勝利に沸く隼人たちは、統治の面倒な実務を筑紫島の北部に委ねると、自分たちは更なる栄光を求め、(から)(くに)(朝鮮)に目を向けた。

 女王国を構成する国々には(きん)(かん)(金海市)の()()(かん)(こく)もあった。


 韓郷の南端部は()()と呼ばれ、倭人が多く住んでいた。

 彼らは女王国が混乱すると、統率が取れなくなり、韓郷の南東部たる辰韓などを襲撃するなどした。

 辰韓の大国であった()()(こく)は倭人の襲撃に抵抗したが、二四九年に王族の名将たる(せき)()(ろう)を失うなど苦戦していた。


 軍才に恵まれた昔于老は傲り高ぶり、倭人の使者である(かつ)()()を接待した際、いずれ倭王の夫婦を奴隷にしてみせようと放言した。

 これに倭人たちは激昂し、将軍の()(とう)(しゆ)(くん)は昔于老を捕らえて焼き殺した。

 狗奴国はそのような争いに介入することで漁夫の利を得ようとした。


   三


 狗奴国は隼人の軍を韓郷に派兵し、その費用を筑紫島の北部に負担させた。

 軍を率いるのは狗古智卑狗だった。

 普段ならそれは誇らしかったが、狗古智卑狗の気持ちは晴れやかなものではなかった。


 卑弥弓呼は狗古智卑狗を疎んじるようになっていた。

 彼は凄艶な台与の妖色に迷った。

 征服や統治への関心を失い、自ら韓郷に攻め入るでも熊襲に帰るでもなく、山門の新居で台与と愛欲の日々を送った。


 臣下の諫言には激怒するもやがて冷静になり、的確な判断を下す卑弥弓呼だったが、台与の甘言には骨抜きにされた。

 狗古智卑狗が惰弱な徒に成り下がるなと言っても耳を貸さず、寧ろ彼を追放するかのごとく韓郷に派遣した。

 そのような狗古智卑狗には掖邪狗が同道していた。


 事務の面で狗古智卑狗を補佐するよう卑弥弓呼から命じられたのだが、掖邪狗にはそれを守るつもりなど更々なかった。

 卑弥呼の後継ぎである台与が卑弥弓呼の妻になるなど掖邪狗には許しがたかった。

 表では狗古智卑狗を支えつつ、裏では台与の名義で西(せい)(しん)に密使を送った。


 震旦では魏が倒れ、西晋が建っていた。

 掖邪狗は重臣たる(たい)()()(せい)()を正使とした使節団で副使を務め、魏に赴いたことがあり、(ちよう)(せい)なる魏の使者を帰国させる使節団では正使を務めた。

 そうした経験を活かし、二六六年、掖邪狗は西晋に貢ぎ物を贈り、狗奴国の打倒に助力してもらおうとした。


 女王国を神の国と信じる掖邪狗にとって異国の力を頼るのは屈辱だったが、神の子たる台与が卑弥弓呼の妻にされたとあっては形振り構っていられなかった。

 しかし、西晋は呉と震旦の覇権を争うのに忙しく、魏の属国に注意を払う暇などなかった。

 しかも、密使を送ったことが狗古智卑狗に気付かれ、掖邪狗は彼に誅殺された。


 狗古智卑狗は卑弥弓呼の目を覚まさせるため、このことを注進しようとしたが、韓郷の(から)(ひと)に急襲されて戦死した。

 流石に韓郷では隼人も環境が違いすぎ、思うように活躍することが出来ず、狗奴国の軍が負けたことは、卑弥弓呼の武威を著しく傷付けた。

 だが、そのことを卑弥弓呼は気にしなかった。


 台与を心底から好いた彼は、彼女がいなくてはもう駄目になり、それ以外のことは何も興味を示さなかった。

 もっとも、それは台与もお互い様だった。

 彼女も卑弥弓呼のことしか考えなかった。


 台与にとって卑弥弓呼は夫であると同時に父のごとく見てもいた。

 実父の男弟は奇矯な卑弥呼に気圧されて彼女の言いなりだった。

 彼は偉大な姉だけを見ており、掖邪狗たちも台与に卑弥呼の面影しか見出さなかった。


 卑弥弓呼は台与を彼女として愛した。

 そのことに台与は初めて安らぎを覚え、卑弥弓呼の妻という役割を進んで引き受けるようになった。

 しかしながら、周囲にはそういった二人の関係を認めない人々もいた。


 狗奴国の隼人は卑弥弓呼が台与に毒されたと見なし、最早、王には相応しくないと考えた。

 そうして彼らの中でも過激な者たちが卑弥弓呼を弑逆した。

 彼らは卑弥弓呼を惑わせた毒婦として台与を嬲り殺しにした。


 これには筑紫島の北部にいた倭人も怒りを爆発させ、狗奴国の支配に反旗を翻した。

 卑弥弓呼と台与の息子が女王国の君主となったが、一度、火の手が上がった反乱は、そう簡単には鎮まらなかった。

 筑紫島は再び乱れ、血生臭い戦いが続けられた。



   註


*孫権が衛温と諸葛直を夷洲および亶州に遣わす:陳寿『三国志』

*倭人が会稽と往来する:倭人字磚

*昔于老が葛那古へ放言して于道朱君に焼き殺される:金富軾『三国史記』

*台与の名義で西晋に使者が送られる:『晋起居注』

*男が台与の後に王となる:『晋書』


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