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ヤマト奇談集  作者: flat face
三輪王朝
17/20

田油津媛


   一


 君主である(おお)(きみ)(わか)(たらし)(ひこ)西(せい)(れき)の紀元後三五五年に亡くなった時、大和(やまと)(せい)(けん)(じよ)(おう)(こく)(あら)()(ばき)(おう)(こく)()(しま)(本州・四国・九州)を三分していた。

 (つく)(しの)(しま)(九州)の北部にある女王国は都市国家の連合体で、神々の女王たる(あま)(てらす)を共に祀ることで連合し、かつては(やま)(との)(あがた)(山門郡)の()()(たい)(こく)が盟主の地位にあった。

 ところが、(くま)()(熊本県・鹿児島県)にあった()()(こく)との戦争で疲弊すると、女王国の結束は弱まり、邪馬台国も(つち)(ぐも)が支配するようになった。


 山岳民の土雲は新来の移民によって山地に追い遣られた先住民で、山を移動しながら焼き畑や狩猟を行い、活動的であるがゆえに軍事的にも活力があった。

 彼らは女王国が弱体化したのを見て取ると、平地に降りて幾つかの都市で国家権力を握るに至った。

 ただし、土雲は平地の住民を根絶やしにせず、その首根っこを押さえ、生産物を貢ぎ物として差し出させた。


 そうして彼らは支配者として君臨し、支配される者たちの文化を身に着け、制圧するに至らなかった都市とも交流した。それによって女王国の枠組みは維持されたが、盟主のいない緩やかな連合に再編され、構成国の間に対立が生じると、解決することが困難になった。そして、女王国が大和政権に属国化させられると、大和政権とどう向き合うかで対立が生じた。


 邪馬台国の女王たる()(ぶら)()(ひめ)は大和政権からの自立を主張した。

 土雲の彼女は邪馬台国の文化を身に着け、()()()(日巫女)の再来となることを目指していた。

 邪馬台国の王女であった卑弥呼は学問を修め、女王国の君主たる()()()(日向)になると、統治にその知見を活かし、女王国の最盛期を築いた。


 教養が豊かな田油津媛は機知に富み、ゆとりのある振る舞いにより周りの信頼を集めていた。

 また、田油津媛の容貌は麗々しく、黒光りする体は黒檀のようで、完璧な形をした乳房はふくよかに盛り上がり、大きな尻は肉が締まって美しかった。

 そうした魅力も手伝い、田油津媛は(つく)(しの)(うみ)(有明海)の諸国に支持を広げていった。


 しかし、(かん)(かい)(玄界灘)の諸国は田油津媛と対立した。

 その原因は新羅(しらぎ)に対する態度の違いにあった。(から)(くに)(朝鮮)の東南部にある新羅は、八洲の土着民である()(じん)と古くから交流し、かつては女王国と同盟していた。

 そのおかげで女王国は大和政権の属国になりながらも完全に支配されることだけは免れた。


 だが、三四四年、政略結婚が破談になったことで女王国と新羅の関係は悪化し、三四五年に断交したばかりか三四六年には武力衝突まで発生した。

 女王国の兵は新羅の都たる(きん)(じよう)(慶州市)を囲んだが、食糧が尽きて敗走させられた。

 田油津媛は新羅との関係を修復して再びその力を借り、大和政権から自立しようと考えた。


 しかしながら、瀚海の諸国は大和政権の軍事力を利用し、新羅に報復しようとした。

 そのためなら大和政権に帰服しても構わなかった。

 それゆえ、同じ女王国の構成国であっても筑紫海と瀚海には対立が存在した。そこで、田油津媛は熊襲の(はや)()と組んだ。


 熊襲にあった狗奴国は、漁撈民たる隼人の国だったが、大和政権により征服され、大和政権が任命した隼人の(くにの)(みやつこ)によって支配された。

 けれども、隼人は大和政権の威を借る国造を認めていなかった。

 田油津媛はそのような隼人たちと手を結び、新羅の一派とも合した。


 (ぼく)(せき)(きん)の三姓から回り持ちで王を出す新羅は政争が絶えず、王位を争って敗れた一派が邪馬台国に落ち延びていた。

 その一派を率いる王子は、韓郷の琴が得意であることから(から)(こと)と呼ばれた。

 音楽を趣味とする唐琴は風雅を好み、荒事には向いていないせいで政争に敗れたが、文化を愛する田油津媛とは馬が合った。


 田油津媛は唐琴の孤独を癒やす中で母性的な愛に目覚め、唐琴も田油津媛に安らぎを感じた。

 二人は絆を深めて媾合(まぐわ)うようにもなった。

 田油津媛はじっとり湿った辺りを唐琴の手で弄くられ、唐琴は田油津媛の厚い唇で気をやった。


 田油津媛は唐琴ら新羅の(から)(びと)たちや熊襲の隼人たちと手を組み、瀚海の諸国に圧力を掛け、女王国の連合を再び強固なものにしようと試みた。

 そうした女王国を新羅や熊襲と連携させ、大和政権に対抗しようと図ったのだが、隼人が先走ってしまった。

 状況が整うよりも早く大和政権に反旗を翻したのだ。


   二


 稚足彦の後を継いで大王となった(たらし)(なかつ)(ひこ)は、熊襲の隼人が反旗を翻したことを報告されると、その鎮圧を口実にし、女王国を併合するため、自ら筑紫島に遠征した。

 彼は女王国が隼人に反乱を起こさせたと詰った。

 田油津媛は兄の(なつ)()を熊襲に向かわせ、隼人を統率させようとした。


 夏羽は学芸に秀でた妹を支えるべく武芸に打ち込み、猛将として知られ、暴れ牛や悪鬼のように闘志を前面に出して戦ったため、(うし)(おに)とも呼ばれていた。

 過酷な環境で生きる隼人は、強い者を尊び、他人の威を借るのではなく、自身の実力を示す人間には敬意を払った。

 それ故に夏羽は熊襲の隼人を統率できた。


 しかし、瀚海の諸国は田油津媛の働き掛けも空しく、女王国を離脱して大和政権に加わった。

 ()(との)(あがた)(怡土郡)の()()(こく)は国王である五十()()()が足仲彦に帰順した。

 五十迹手の先祖とされる()(ぼこ)は、新羅のある(しん)(かん)からやってきた(くに)()(がみ)だったが、田油津媛に味方しようとはしなかった。


 (なの)(あがた)(博多区)の()(こく)も足仲彦に服属した。

 伊都国や奴国など瀚海の諸国は多数の軍勢を率いてきた足仲彦に対し、その軍勢を以て筑紫海の諸国や新羅へ出兵してくれるよう期待した。

 足仲彦は伊都国や奴国の帰服を受け入れ、筑紫海の諸国や新羅に出兵すると約束し、百済(くだら)に使者が派遣された。


 韓郷の西南部にある百済は、新羅と対立していた。

 大和政権が新羅に出兵すれば、百済からの軍事援助が期待できた。

 足仲彦は百済からの使者が渡来するのを待つ間、筑紫海の諸国に侵攻した。


 田油津媛は()(じろ)(くま)(わし)に足仲彦を迎え撃たせた。

 羽白熊鷲は唐琴の配下の武将で、本名を(じん)(りん)と言った。

 彼は熊鷲の飛び来たるがごとく行動が俊敏で、軍装に新羅の白衣を用いることから羽白熊鷲と称された。


 羽白熊鷲は身分が低かった。

 そのせいで些細なことから死罪となりかけたところ、唐琴の温情に救われたため、彼に高い忠義心を持っていた。

 田油津媛は大和政権の圧倒的な兵力に対抗するには羽白熊鷲が適役と判断した。


 羽白熊鷲はその異名に恥じず、遊撃戦を得意とし、寡兵で大軍を翻弄させるのに長けていた。

 力の差が懸け離れていたにもかかわらず、彼は田油津媛の期待通り神出鬼没な襲撃で大和政権を混乱させ、足仲彦は乱戦の最中に矢が当たって死去した。

 大和政権は大王が戦死するという手痛い敗北を喫し、田油津媛はこれで狙い通り敵軍も撤兵するであろうと考えた。


 ところが、大和政権は遠征を継続した。

 百済からの使者が渡来し、大和政権と百済の同盟が結成され、百済が武器や鉄資源を供給してくれたのだ。

 大和政権は遠征に同行していた足仲彦の妻たる(おき)(なが)(たらし)(ひめ)(おき)(なが)(ひめ)が彼の子供を妊娠中だったので、その子を大王と見なし、彼女をその摂政とした。


 彼らは百済からの供給で息を吹き返すと、復讐の念に燃えて侵攻を再開した。

 寡兵がいつまでも大軍を相手に持ち堪えられるわけもなく、遂に羽白熊鷲は()()()()(雷山)で撃ち滅ぼされた。

 夏羽は日向(ひゆうがの)(くに)(宮崎県)から攻め寄せる大和政権の軍勢によって釘付けにされ、羽白熊鷲を助けに向かえなかった。


 唐琴は大いに悲しみ、勇気を振り絞って羽白熊鷲の弔い合戦を企てた。

 だが、田油津媛はそれに反対し、熊襲に逃れて夏羽と合流すべきであると言った。

 大和政権に勝てるかは新羅と同盟できるかに掛かっており、その王子たる唐琴を失ってはならなかった。


 しかしながら、田油津媛は唐琴に同行できなかった。

 女王たる田油津媛が邪馬台国に留まらなければ、ただでさえ劣勢の女王国が自壊してしまいかねなかった。

 唐琴は田油津媛が同行しないのなら、自分も熊襲に逃れないと訴えたが、王子としての務めを果たせと彼女に説得され、熊襲に逃れていった。


   三


 女王国の拠点が邪馬台国だけとなり、田油津媛はいよいよ追い詰められた。

 奇しくも女王国と大和政権の最終決戦は()(しん)(どう)の流れを汲む女王たちの間でなされた。

 鬼神道は山門県にあった巫術者の養成所で、卑弥呼もそこの出身者であったばかりか、大和政権の成立に関わってもいた。


 田油津媛は卑弥呼の再来を目指し、息長姫も鬼神道の学統を受け継ぐ巫女で、未だ胎中にいる大王の摂政として実質的な女王と言えた。

 大和政権は百済から援助され、復讐の念に燃えて士気も高く、劣勢の女王国が抗えるわけもなかった。

 民の命を救うため、田油津媛は大和政権に降伏し、ここを以て女王国は最終的に滅ぼされた。


 大和政権は民から信頼されていた田油津媛を貶めるため、彼女の衣を剥ぎ取り、剥き出しになった尻や胸に笞が振るわれた。

 田油津媛は裸のまま城壁の外に吊され、民の目に晒された。

 笞打ちで衰弱した彼女は、呻くような声を漏らしながら息絶え、その亡骸は朽ち果てるまで放置された。


 熊襲に逃れた唐琴は夏羽と合流し、田油津媛の仇を取ろうとする夏羽を説き伏せると、隼人の兵士も引き連れ、敵中を突破して共に()()(うち)へ逃れた。

 このまま熊襲に留まっていると、南北から挟撃されてしまいかねなかった。

 唐琴と夏羽は瀬戸内で海賊になり、大和政権の船を攻撃して略奪した。


 そうして彼らは敵の補給に打撃を与え、己の勢力を増強していった。

 羽白熊鷲や田油津媛の無念を晴らすと誓った唐琴は覚悟を決め、それまで柔弱さが嘘のように堂々と振る舞い、豹変したその威風によって夏羽をも従えた。

 田油津媛を討った息長姫は、瀚海の諸国に約束した通り新羅へ出兵していたので、本国たる畿内(うちつくに)(奈良県・京阪神)の留守政府が唐琴に対応した。


 しかし、留守政府は唐琴たちの掃討に手を焼いた。

 足仲彦による筑紫島への遠征はかなり大規模な軍事行動で、畿内は最低限の兵力しか残されておらず、後方支援の負担も重くのし掛かっていた。

 それゆえ、唐琴の勢力は瀬戸内の全域に渡り、新羅と連絡を取ろうとさえした。


 だが、息長姫が新羅への出兵を成功裏に終え、八洲に凱旋してくると、情勢は一変してしまった。

 百済と同盟関係を結んだ息長姫は、武器や鉄などの物品を供給されただけではなく、援軍まで出してもらった。

 彼女は足仲彦の後妻で、留守政府は先妻の息子である(かご)(さかの)(みこ)(おし)(くまの)(みこ)に率いられており、足仲彦の先妻たる(おお)(なかつ)(ひめ)は既に故人だったが、次の大王は香坂王と忍熊王が最有力の候補だった。


 そのような香坂王と忍熊王から足仲彦の戦死について責任を問われれば、息長姫は破滅する他なかった。

 彼女はそれを回避するため、百済に臣従して便宜を図ってくれるように頼み込み、(しん)(たん)(中国)からも倭人を代表する国の王として認められるよう取り計らってもらった。

 そうして自らの陣営を国際的に正統なものに仕立て上げると、息長姫は八洲に帰還し、留守政府を倒すべく畿内に進軍した。


 百済としても自国に臣従する息長姫には勝ってほしかったので、兵を貸すのも吝かではなかった。

 対立する新羅は百済と大和政権に敗れ、当分は大人しかったため、多少の兵員を貸し与えても問題はなかった。

 息長姫は瀬戸内を通って畿内を目指し、その途上に唐琴が立ちはだかった。


 留守政府と比べて息長姫の遠征軍は規模が大きく、新羅への出兵で鍛えられており、百済の援軍も加わっていた。

 対して唐津は新羅と連絡を取れず、海戦で敗北して夏羽が海の藻屑と消えた。

 彼は態勢を建て直すために撤退しようとしたが、息長姫がそれを許さなかった。


 武装して自ら戦闘に参加していた息長姫は、己の手で弓を引き、唐琴に矢を放った。

 浜辺を遁走していた唐琴は、その弓矢に射貫かれて仕留められた。

 (うし)(まど)(牛窓町)を拠点にしていた唐琴の海賊は、こうして壊滅させられた。



   註


*倭人が新羅と同盟するが、政略結婚が破断になったことで関係が悪化し、断交したばかりか武力衝突まで発生する:金富軾『三国史記』

*五十迹手の先祖が日槍とされる:『筑前国風土記』

*足仲彦が塵輪から襲撃される:『塵輪』

*息長姫が女王とされる:『王年代記』

*唐琴に仕える牛鬼が海の藻屑と消える:『備前国風土記』

*息長姫が唐琴を射貫く:大沢惟貞『吉備温故知秘録』


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