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ヤマト奇談集  作者: flat face
三輪王朝
16/33

宮簀媛

宮簀媛はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/130489789)


   一


 ()(しま)(本州・四国・九州)の諸王が連合した大和(やまと)(せい)(けん)は、(おお)(きみ)なる君主を戴いており、(おお)(たらし)(ひこ)という大王は(つく)(しの)(しま)(九州)の北部と(みち)(のく)(東北)を除き、八洲の主要な地域を支配下に置いた。

 彼は晩年にあっても(うみ)(つぢ)(東海地方)や(あづまの)(くに)(関東地方)などの征服地を巡幸し、(ひこ)()(しま)東山(やまの)(みち)(滋賀県・中部地方・東北地方)の都督(かみ)に任じると、()(のの)(くに)(群馬県・栃木県南部)の()()(おう)(こく)を攻めさせた。

 彦狭島の父は大足彦の従兄たる()(つな)()だった。


 毛野王国は手強くて中々征服できず、彦狭島は陣中で没し、彼の息子である()(もろ)(わけ)が父の地位を継承した。

 御諸別は毛野王国を征し、大和政権に支配されていない大国は、筑紫島の北部にある(じよ)(おう)(こく)と道奥の(あら)()(ばき)(おう)(こく)だけとなった。

 大足彦の息子たる(わか)(たらし)(ひこ)は十三代目の大王に即位すると、支配地の統治組織を整えた。


 彼は文武に優れた大足彦や武事に秀でた異母兄の()(うす)と違い、武人の素質はなかった。

 本人にも武勲を立てるつもりなど更々なく、それどころか如何に武威を示さないで済ませるかに知恵を絞った。

 稚足彦は文事においては優秀で、武断ではなく文治によって統治する体制を構想した。


 大足彦は諸国に大王の直轄地である屯倉(みやけ)を設け、そこの田畑を耕作する()()を置いた。

 それらの設置で稚足彦は抜群の貢献を見せた。

 また、宮中で宴会が催された時も、皆がくつろいだ隙を窺われぬよう警備を厳重にし、宴をつつがなく終わらせた。


 そうした点を評価して大足彦は稚足彦を太子に据えた。

 彼は度重なる遠征で大和政権が疲弊していることに気付いており、武力に頼らないで国を再建することを稚足彦に期待した。

 しかし、誰もが大足彦のように考えたわけではなく、特に英雄の小碓を次の大王に推していた派閥は、稚足彦の治政に不満を募らせた。


 大王に即位した稚足彦は、山や川を基準とし、(くに)(こおり)(あがた)(むら)などの境界を明確化させ、それらの首長たる(くにの)(みやつこ)(こおりの)(をさ)(あがた)(ぬし)(むら)(をさ)らが職権を行使できる範囲をはっきりとさせた。

 そうすることで彼は首長を領地の経営に専念させ、国力を回復させようとした。

 首長は大和政権に協力的な豪族が委任されるか、大王の一族である()()(うぢ)から派遣され、稚足彦は同母弟の()()()を除き、兄弟の全員を各国に遣わした。


 その際に彼は支配が困難な一部の辺境を放棄した。

 手放された領土は小碓が道奥にて征服したところが多く、そこでは彼を大王と呼んでさえいた。

 それゆえ、小碓を推していた派閥は、稚足彦の統治に強く反発した。


 そこで、稚足彦は彼らをなだめるため、小碓の息子たる(たらし)(なかつ)(ひこ)を太子とした。

 稚足彦には妻の(おと)(たから)との間に息子の()()()()がいたが、弟財と和謌奴気はどちらも亡くなっていた。

 大足彦から指名されて大王となった稚足彦は、望んで即位したわけではなく、自分の政策を次代に受け継がせようとまでは考えていなかった。


 己の代で武力を行使せずに文治で国力を回復させられれば十分だった。

 それには稚足彦を支持する勢力も納得していた。

 稚足彦の母である()(さか)(いり)(びめ)()(のの)(くに)(岐阜県南部)の出身で、主に東海の勢力が稚足彦を支持した。


 弟財は()(せの)(くに)(三重県中部)の豪族たる(おし)(やま)の娘だった。

 稚足彦の弟である五百城も()()()()()()を娶っていた。

 志理都紀斗売は()(わりの)(くに)(愛知県西部)の豪族たる(たけ)(いな)(だね)の娘だった。


 ただ、忍山や建稲種に中央の政界を牛耳るつもりはなく、中央では(かわ)()(くに)(大阪府南東部)の豪族である(ものの)(べの)()(くい)()(くい)が政界の長たる(おお)(おみ)となった。

 胆咋は()()(ひめ)を娶っており、彼女は()(かわの)(くに)(愛知県東部)の豪族である()()()の妹で、胆咋は東海の豪族と知己を得てもいた。

 忍山や建稲種も胆咋とは旧知の間柄で、稚足彦に恩を売り、領地の支配を確固たるものに出来ればそれで良かった。


 小碓を推していた派閥も、足仲彦が太子となった以上、忍山や建稲種を敵対しようとは思わなかった。

 建稲種の指揮する水軍は、()(いの)(くに)(和歌山県)から(とおと)(うみの)(くに)(静岡県西部)までの海を支配していた。

 そうした水軍によって建稲種は小碓の東征に貢献し、一時は海難で溺れ死んだという誤報が広まるくらい命懸けの働きを見せ、忍山の娘である(おと)(たちばな)(ひめ)もその学識により小碓に協力した。


 弟橘媛は知識人たる巫女で、巫術者の最高学府である()(せの)(おお)(かみの)(みや)(伊勢神宮)で学問を修めていた。

 伊勢太神宮の(いつきの)(みこ)たる(やまと)(ひめ)は小碓の叔母で、英雄である甥を興味深く感じて支援を惜しまず、小碓も東征で得た捕虜を奴隷として倭姫に贈った。

 弟橘媛も倭姫の指示で小碓に同道し、倭姫は稚足彦にも弟橘媛の妹弟子たる(みや)()(ひめ)を派遣した。


   二


 宮簀媛は建稲種の妹で、伊勢太神宮では首席の弟橘媛に次ぐとされていた。

 しかし、自分以上の優等生である弟橘媛に憧れていたため、次席の地位に傲ることなく、自信に欠けると言えるほど謙虚だった。

 それでも、倭姫が派遣するだけあり、その能力は高く、弟橘媛と死別した小碓は、彼女が持っていた(くさ)(なぎの)(つるぎ)を宮簀媛に託した。


 (あめの)(むら)(くもの)(つるぎ)とも呼ばれる草薙剣は大和政権の神宝で、宮簀媛はそれを奉斎するために(あつ)(たの)(やしろ)(熱田神宮)を創建した。

 知識人たる巫術者がいる神社は、研究や教育だけではなく、諜報のための機関でもあり、巫覡と巫女が各地の情報を集めていた。

 宮簀媛もその学識だけではなく、巫術者たちが間者となって集めた情報を活かし、地方行政の整備などに貢献した。


 そのような宮簀媛のことを稚足彦も評価していた。

 宮簀媛は自分を高く買ってくれた稚足彦を慕うようになった。

 文事において優秀な稚足彦は知識人である巫女の宮簀媛と相性が良かった。


 稚足彦も賢くて美しい宮簀媛に惹かれた。

 宮簀媛は童女のような顔をしていたが、胸は大きく膨らみ、腰部は締まって臀部の肉は豊かだった。

 しなやかな手足は長く、白い肌はうっすらと紅を帯びており、油を塗ったかのような艶があった。


 大王の知恵袋たる宮簀媛は稚足彦の傍に侍ることが多く、やがて稚足彦は密談と称し、宮簀媛を閨へ引き入れるようになった。

 寝具に横たわった宮簀媛は股間を拡げ、稚足彦は柔らかくて弾力のある肌に手を伸ばした。

 宮簀媛は稚足彦と結ばれ、彼との娘であるさざれ(いし)を産んだ。


 小碓を推していた派閥は、さざれ石が産まれたことで再び稚足彦を警戒するようになった。

 彼らは稚足彦が足仲彦を廃し、自身の子供を太子にするのではないかと疑った。

 稚足彦にそのようなつもりはなく、足仲彦が円滑に大王となれるよう()(うみの)(くに)(滋賀県)に都を置いてもいた。


 表向きは行幸していた大足彦が近江国で亡くなったため、そこに設けられた仮の御殿を引き継いだと説明された。

 だが、本当の理由はその地が足仲彦を推しているからだった。

 それでも、稚足彦に実子の産まれたことは、小碓に代えて足仲彦を推す派閥の疑念を抱かせるのに十分だった。


 足仲彦を推す派閥は、小碓の陵墓を各地に造営した。

 英雄と讃えられた小碓は、死後も魂が白鳥に姿を変え、大和政権を見守っていると信じられており、その目撃談が各地で報告された。

 陵墓の造営には兵士が動員され、彼らは足仲彦を推す派閥の指揮下にあった。


 それゆえ、足仲彦を推す派閥の兵士が各地に配置され、稚足彦は彼らに包囲された。

 大王と言っても稚足彦には僅かな手勢しかおらず、建稲種はその一族である()(わり)(うぢ)の軍を派兵すると申し出た。

 だが、稚足彦は建稲種の申し出を受け入れなかった。


 もしも稚足彦も兵士を動員すれば、緊張が更に高まり、内戦に陥ってしまいかねなかった。

 稚足彦はさざれ石を建稲種に託すだけで、自身は宮簀媛ともども近江国に残った。

 宮簀媛も稚足彦と添い遂げる覚悟が出来ており、いつもは気弱そうな妹の決然たる面持ちに建稲種は驚かされた。


 彼は稚足彦と宮簀媛がそのように覚悟を決めたのなら、それに水を差すような野暮はせず、さざれ石を引き取って尾張国に帰った。

 大臣の胆咋もせめて敵地と言うべき近江国から離れるよう稚足彦に進言した。

 しかしながら、稚足彦はその進言も退け、胆咋は建稲種と違い、主君に見切りを付けた。


 確かに彼は稚足彦の母方の故郷たる東海と繋がりがあった。

 胆咋が稚足彦を支持したのは、大足彦も評価したその政治力を買ってのものだった。

 ところが、稚足彦は宮簀媛との色恋にうつつを抜かしたばかりか、子供まで儲けていたずらに政局を混乱させた。


 しかも、軍事的な緊張が高まっても身を守ろうとしなかった。

 このような大王を戴いていては国が傾きかねない。

 胆咋はそう判断して稚足彦を裏切り、足仲彦の派閥に与することにした。


   三


 稚足彦を裏切ることにした胆咋は、足仲彦の派閥と密かに接触し、稚足彦を打倒するために手を組んだ。

 彼は配下の兵士を変装させると、稚足彦の手勢と偽り、足仲彦の派閥が指揮する兵を襲わせ、それを人々にわざと目撃させた。

 これによって足仲彦の派閥は稚足彦を攻撃する口実を得た。


 そのような奸計で主君を倒すことに胆咋は躊躇しなかった。

 大王は胆咋にとって大和政権のために存在するものでしかなかった。

 胆咋の先祖である()()(ひこ)は畿内にあった「()()(さと)」の王で、初代の大王たる()()に降伏し、その子孫は大和政権において(ものの)()(うぢ)(うぢ)()を賜った。


 物部氏は大和政権の警察を司ったが、胆咋が秩序を保つのは、大和政権が「鳥見の里」の後継であったからだ。

 その大和政権を護るためなら、胆咋は大王の首を挿げ替えることも厭わず、足仲彦の派閥に鞍替えし、出世しようとすることも恥と思わなかった。

 道徳的には優れていても能力的に劣った者が統治するのは、胆咋にしてみれば、国を不幸にするだけだった。


 胆咋は警備の配置などを足仲彦の派閥に教え、(いその)(かみの)(かむ)(みや)に所蔵される武器も横流しした。

 胆咋は神社にして武器庫たる石上神宮を管理してもいた。

 足仲彦の派閥は兵士たちを稚足彦の御殿に押し入らせて彼を暗殺させた。


 不意を打たれた稚足彦は、手勢を皆殺しにされ、自身も縄で手を縛られて吊るし首にされた。

 兵士たちは宮簀媛にも襲い掛かり、猿轡を噛ませて荒縄で縛り上げ、頭が下がって尻は持ち上がる格好にした。

 剥き出しになった宮簀媛の白い尻に兵士たちは代わる代わる挿入し、彼女が死ぬまで乗り潰した。


 兵士たちにとって宮簀媛は小碓から恩を受けたにもかかわらず、稚足彦を誑し込んで足仲彦に仇なす姦婦だった。

 最後に兵士たちは御殿に火を放って全てを焼き払った。

 あたかも稚足彦の存在そのものを消し去ろうとするかのようだった。


 足仲彦の派閥は稚足彦が足仲彦を廃そうとし、稚足彦の死は誓いを破った本人に責任があると説明した。

 しかし、その説明を肯んじえない者がいた。

 建稲種が稚足彦に義理立てし、畿内と東海の境まで進軍してきたのだ。


 これに対して足仲彦の派閥は胆咋を遣わし、建稲種の説得に当たらせた。

 足仲彦の派閥と胆咋が巡らした奸計は、建稲種に見抜かれていた。

 だが、建稲種は内戦の回避に努めていた稚足彦の想いを無下にしたくはなかった。


 それゆえ、彼は戦端を開かず、稚足彦を正統な大王として認めるなら、足仲彦の派閥に協力すると述べた。

 胆咋はそれで東海を敵に回さないで済むなら良いと考え、正統なる大王の大足彦に指名されて即位したのだから、稚足彦も正統な大王であると返答した。

 宮簀媛の名誉も保たれ、彼女が小碓から授かった草薙剣は熱田社に留め置かれた。


 建稲種は妹がどのような最期を迎えたのかは知らず、胆咋の答えに満足して撤兵し、足仲彦が大王となった。

 彼が筑紫島の北部を征服するため、妻の(おき)(なが)(たらし)(ひめ)(おき)(なが)(ひめ)と共に遠征すると、建稲種も軍船に乗って戦場へ駆け付けた。

 建稲種は息長姫の前に立ちはだかった敵船へ乗り移り、壮絶な死を遂げた。


 胆咋も息長姫が筑紫島から北上するのに同行し、道奥の毛人(えみし)を平定しようとした。

 狩猟民たる毛人は荒覇吐王国から支援されており、苦戦に陥った胆咋は敗死させられた。

 荒覇吐王国は胆咋の先祖である安日彦が道奥に落ち延びて建てた国で、大和政権への抵抗を続けていた。



   註


*小碓が大王と呼ばれる:『阿波国風土記』

*胆咋が伊佐姫を娶り、稚足彦の大臣となって石上神宮を管理する:『先代旧事本紀』

*宮簀媛はそれを奉斎するために熱田社を創建する:『尾張国風土記』

*稚足彦の娘にさざれ石がいる:『御伽草子』

*建稲種が息長姫の前に立ちはだかった敵船へ乗り移る:『先代旧事本紀大成経』

*息長姫が筑紫島から北上し、同行した胆咋が道奥の毛人を平定しようとする:『物部文書』


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