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ヤマト奇談集  作者: flat face
三輪王朝
13/33

兄遠子

兄遠子はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/128968855)


   一


 (おお)(きみ)を君主とする大和(やまと)(おう)(けん)は、十代目である()()()の治世において全国的な連合政権たる大和(やまと)(せい)(けん)となった。

 それを御間城は戦争によって成し遂げた。

 御間城の後を継いだ(いく)()は、(いく)さのない平和な時代に成長したため、逆に和を重んじた。


 しかし、その姿勢を軟弱と見なされ、却って叛乱を招き、彼は愛する妻の()()(びめ)を失った。

 それ故に活目は己に対してだけではなく、太子の(おお)(たらし)(ひこ)らにも自分のようにならぬよう強さを求めた。

 大足彦の兄である五十()()(しき)は軍事に関心を抱いたため、強力な将軍となるよう教育された。


 それ故に彼は太子になれなかったが、気にすることはなかった。

 将軍となるための教練ばかり受けてきたからか、五十瓊敷は太子の兄という地位に似付かわしからぬほど好戦的で、中央で国を統治するよりも地方に出征する方が性に合っていた。

 対して大足彦は政治に興味を示し、強権的な大王となるよう育てられ、活目の崩御により即位した。


 大和政権をより強大なものにするため、彼は(いな)()(ひめ)を妻に迎え入れた。

 (はり)(まの)(くに)(兵庫県南部)の王女たる稲日姫は()()(おう)(こく)の王統にも連なっていた。

 大足彦は稲日女との結婚によって播磨国や()(びの)(くに)(岡山県・広島県東部)と更に緊密な関係を結び、西方に国威を伸ばす布石を打った。


 彼は東方でも()(のの)(くに)(岐阜県南部)を訪れ、()(さか)(いり)(ひこ)の娘である()(さか)(いり)(びめ)を妾にした。

 活目の兄たる八坂入彦は美濃国に駐留し、現地の豪族や()(だの)(くに)(岐阜県北部)に睨みを利かせていた。

 飛騨国は(りよう)(めん)宿(すく)()の称号を襲名する王によって治められ、大和政権には参加していなかった。


 そうした飛騨国など東山(やまつ)(みち)(滋賀県・中部地方・東北地方)への干渉を強めるため、大足彦は八坂入媛を妾に迎えた。

 彼は多くの妻妾を持ったが、妾も公的な地位を与えられ、実家の勢力を背景とし、政治的な助言もなした。

 八坂入媛は母方が()(わりの)(くに)(愛知県西部)の豪族で、東海(うみつ)(みち)(東海地方・関東地方)とも繋がりが深く、大足彦が稲日姫に先立たれると、彼女に代わって大王の妻となった。


 もっとも、大足彦は稲日姫の実家である播磨国や吉備国への気配りを忘れなかった。

 彼は頭ごなしに怒鳴り付けて他人を従わせるのではなく、人当たりの良い態度を取ることで周りをその気にさせて支配した。

 稲日姫に求婚した時など川向こうの彼女と会うため、渡し守を殿下と呼んで持ち上げたことさえあった。


 大足彦は稲日姫との息子たる(おお)(うす)を美濃国に遣わした。

 その目的は美濃国で最大の豪族である(かむ)(ぼね)に娘を人質として差し出させることだった。

 それによって大足彦は美濃国を完全に従属させようと目論み、大碓にその仕事を任せ、彼が出世できるよう取り計らった。


 数多くの妻妾を持つ彼は、子女もまた多く、どれだけ手柄を立てられるかで優劣が付けられた。

 そうすることで大足彦は子女を競わせ、効率的に国威を伸ばそうとし、妻妾も寵愛を争わされた。

 稲日姫はそのような競争の中で命さえ狙われて心身を害し、療養のために故郷の播磨国に戻ってそこで薨去した。


 大王の妻たる母を失ったのは、大碓にとっては大きな痛手だった。

 それゆえ、美濃国への派遣は願ってもない好機と言えた。

 神骨に人質を差し出させ、美濃国に影響力を及ぼすことが出来たのなら、母親の地元である播磨国や吉備国と合わせて東西を制し、天下を取るのも夢ではなかった。


 大足彦はそうした好機を大碓に与えたばかりか、五十瓊敷を護衛に付けてやった。

 将軍となった五十瓊敷は、武器庫でもある(いその)(かみの)(かむ)(みや)の管理者も務め、そこでは剣などの武具が鍛えられていた。

 更に彼はその剣を振るう私兵も従え、凶暴な戦士の一団として恐れられた。


 戦いを好む五十瓊敷は、勇壮ではあるけれども残虐と見なされていた。

 それでも、類い稀な戦力を有することもまた事実で、大足彦がそのような五十瓊敷を大碓に付けたのは、格別の配慮と評せた。

 それは過保護と言われかねなかったが、美濃国は八坂入媛の出身地だったので、大碓がその妨害に遭う可能性も有り得なくはなく、大足彦も内輪揉めで無駄に子女を失うつもりはなかった。


   二


 神骨は大碓たちを出迎えて手厚く持て成した。

 少なくとも彼は大和政権と表立ってことを構えようとは思わなかった。

 既に大和政権は()(しま)(本州・四国・九州)の一大勢力となっており、真正面から抗うことは叶わなかった。


 しかし、美濃国で最大の豪族たる気概を失っているわけでもなかった。

 神骨は娘を差し出すと大碓に約束し、長女の()(とお)()に彼を付きっきりで接待させた。

 大碓は兄遠子の艶やかな美しさに惹き付けられた。


 華やかな容貌をした彼女は、眉が濃くて長く、胸や腰が震い付きたくなるほど豊かで、鼻筋が通っており、瞳の勝った眼やその体は大きかった。

 兄遠子はその美貌が永遠に続くようにとの願いを込めて(おお)(たちばな)()()とも呼ばれた。

 葉が常緑の橘は永遠を象徴した。


 大碓はそのような兄遠子を侍らせ、連日、彼のために開かれた宴を楽しんだ。

 旨い食べ物や酒、美しい侍女たちの歌や舞いなど神骨は酒盛りに惜しみなく贅を尽くした。

 居心地の良さから大碓は腰が重くなり、美濃国の者たちも彼を引き留めようとした。


 兄遠子も妖艶な美貌を使い、大碓を美濃国から離れがたくさせた。

 そのために彼女は大碓に体を開いた。

 神骨には娘しかおらず、跡取りとして育てられた兄遠子は誇り高く気丈で、弱みを見せまいとしながら大碓を悦ばせた。


 彼女は大碓の股間に顔を埋め、彼のものを口に含み、唇の動きと合わせて舌を繰り出した。

 大碓が登り詰める前に兄遠子は口を離し、身を起こして彼の首に手を回した。

 兄遠子の口を吸いながら、大碓は彼女の裳裾に手を這わせ、湿った温もりを手指の先で探り当ててそこに分け入った。


 大碓に押し倒された兄遠子は、くぐもった声を上げ、激しい息遣いを示した。

 彼女は狭まった部分を大碓のものに貫かれ、昂まった声を上げた。

 大碓は兄遠子の中で果て、自らの体内から迸り出たもので彼女を満たした。


 (まぐ)(わい)の最中にも兄遠子は美濃国を去らないでくれるよう大碓に頼み込んだ。

 その甲斐もあり、大碓は美濃国に残りたいという気持ちに傾いていった。

 そもそも、彼は父が強いる競争に辟易し、それは母が心身を害したことで決定的なものとなった。


 そうして大碓は普段、遊び人のような生活をしていたのだが、そのような大碓が美濃国へと赴いたのは、自分を支持してくれる播磨国や吉備国の勢力を慮ったからだ。

 彼らに報いる形でなければ美濃国は残れなかった。

 大碓は兄遠子の婿にしてはくれないかと神骨に願い出た。


 兄遠子は大碓を饗応するため、彼に身を捧げた。

 美濃国に残るのならばその責任を取らねばならず、それは自分を支持してくれた勢力に報いるためでもあった。

 神骨の跡取りたる兄遠子に婿入りすれば、美濃国の国婿となれた。


 神骨は大碓の希望を快く聞き入れたが、本当は最初からそうなることを狙っていた。

 大王への従属が避けられないのなら、大和政権で高位を占めるのが美濃国で最大の豪族としての意地だった。

 大碓を婿にすれば、大和王権とは縁戚になり、一族から大王を出すことも夢ではなかった。


 無論、大足彦の求めに応じ、娘を人質として差し出すことも忘れなかった。

 神骨は兄遠子の妹たる(おと)(とお)()を大足彦の下に向かわせた。

 弟遠子は姉に倣って(おと)(たちばな)(ひめ)とも称され、大足彦の妹である(やまと)(ひめ)に気に入られた。


 倭姫は()(せの)(くに)(三重県中部)の()(せの)(おお)(かみの)(みや)を管理していた。

 弟橘媛は倭姫に連れられて伊勢国へと渡り、現地の豪族である(おし)(やま)の養女となった。

 大足彦はそれらの縁組みを全て許可し、度量の広い大王を演じた。


 美濃国で最大の豪族たる神骨の娘婿なら、大王の息子という立場と釣り合いが取れた。

 大碓を婿に出すことで美濃国を従属させられるのなら安いものだった。

 神骨は弟橘媛を人質に差し出してきたから、大和政権としても面子は保てた。


 それに、神骨がおかしな動きを見せていれば、五十瓊敷が黙ってはいなかった。

 大碓の婿入りを見届けた五十瓊敷は、東山道の奥地を目指して進軍していった。

 五十瓊敷が大足彦から課された任務において大碓の護衛はついででしかなく、本命は()(たか)()(東日本)を巡察することにあった。


   三


 美濃国に滞在する間、五十瓊敷は兵士たちがだらけぬよう彼らを訓練した。

 大和政権と美濃国の融和を図るため、その訓練には現地の将兵も参加し、彼らの中には神骨の親族である(おと)(ひこ)もいた。

 弟彦は美濃国が大和政権に圧迫される中で育ち、美濃国の将来を憂え、大和政権の兵法を学び取ろうと訓練に励んだ。


 訓練は厳しいものだったが、弟彦は美濃国の者が馬鹿にされぬよう必死に耐え、特に弓の鍛錬においては抜群の才を示した。

 五十瓊敷は弟彦の生真面目さや負けず嫌いなところを気に入り、彼をどこに出しても恥ずかしくない武人に鍛え上げた。

 そして、もし本土たる畿内(うちつくに)(奈良県・京阪神)で大王に仕えるつもりがあるなら推薦すると約束した。


 弟彦はどうすべきか迷った。

 すると、兄遠子が弟彦に助言し、大王のお膝元で活躍して美濃国の地位を向上させるべきであると述べた。

 美濃国そのものは自分に任せろと兄遠子は弟彦に胸を叩いてみせた。


 弟彦にとって彼女は姉のごとき存在だった。

 そのような女性の勧めに従い、弟彦は畿内へ行くことにした。

 五十瓊敷は弟彦を(かつら)()(葛城地方)の豪族たる(みや)()(ひこ)に預け、大王の宮廷に出仕するのを世話させた。


 弟彦は五十瓊敷や兄遠子が期待した通り畿内で頭角を現していった。

 兄遠子も弟彦に言ったことを守り、美濃国の経営に尽くした。

 大碓はそうした兄遠子の秘書のごとき立場にあった。


 少なくとも故郷の美濃国で兄遠子が大碓に遠慮する謂われはなかった。

 大碓もそこは弁え、元から野心がないだけに兄遠子を支えることに徹し、美濃国の者たちとも上手くやった。

 そのような大碓を兄遠子も邪険には扱わなかった。


 兄遠子は割り切れない想いを抱きながらも大碓との間に息子の(おし)(ぐろ)を授かった。

 押黒は美濃国を治める()()(うぢ)の先祖になった。

 大碓は東海道の豪族たちと繋がりを深めるため、()(かわの)(くに)(愛知県東部)に遣わされた際、()(なげ)(やま)に登って山の幸を兄遠子への土産に持ち帰ろうとしたが、蛇に噛まれてその毒で亡くなった。


 他方、大碓と別れた五十瓊敷は(みち)(のく)(東北地方)に到達した。

 大足彦が命じたのは飽く迄も巡察だったが、好戦的な五十瓊敷は大和政権の版図でない土地が広がるのを目にし、征服欲に駆られて先住民たる(つち)(ぐも)毛人(えみし)との戦端を開いた。

 副将の(とよ)(ます)は開戦に反対したが、聞き入れられることはなかった。


 そこで、彼はこのことを大足彦に密告した。

 大足彦は五十瓊敷の行為を大王への叛逆と受け取った。

 五十瓊敷に叛意がないことは大足彦も分かっていたが、一介の将軍に過ぎぬ彼が大王の命令に叛いたのも事実で、現地では五十瓊敷をもう一人の大王に推す声も上がっていた。


 これを放っていては将軍たちが大王の命令を無視し、勝手に戦争を始め、軍閥を形作る前例となりかねなかった。

 普段、大足彦は気さくな男と見られるよう振る舞っていたが、その本質は強権的な大王だった。

 道奥で戦果を挙げた五十瓊敷は意気揚々と凱旋したが、美濃国で捕らえられて処刑され、石上神宮は(ものの)()(うぢ)が管理することとなった。


 大足彦は弟彦を派遣して五十瓊敷を捕縛させたので、五十瓊敷の部下たちは大足彦よりも弟彦を裏切り者として恨み、妻の()()()(ひめ)が五十瓊敷を弔った。

 大碓の弟である()(うす)が大足彦から命じられて道奥に遠征すると、弟彦はその遠征軍に参加した。

 彼は名誉を挽回すべく勇敢に戦って死んだ。


 兄遠子は弟彦の戦死を報されると、弔問も兼ねて小碓たちを慰問した。

 弟橘媛と親しかった小碓は兄遠子を大橘比売と呼び、死者を追悼するため、彼女と共に狩りと漁の競技会を催した。

 美濃国に帰った兄遠子は、民のために渟熨斗姫ともども私財を投じて土地を開拓し、機織りや米作りの発展にも寄与して生涯を終えた。



   註


*大足彦が川向こうの稲日姫と会うため、渡し守を殿下と呼んで持ち上げ、彼女が故郷の播磨国に戻って薨去する:『播磨国風土記』

*忍山が伊勢国の豪族とされる:『忍山神社記』

*大碓が猿投山に登って蛇に噛まれ、その毒で亡くなる:猿投神社の伝承

*五十瓊敷が豊益に密告され、美濃国で処刑されて渟熨斗姫に弔われる:伊奈波神社の伝承

*小碓と大橘比売が狩りと漁の競技会を催す:『常陸国風土記』


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