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ヤマト奇談集  作者: flat face
三輪王朝
11/33

氷羽州比売

氷羽州比売はデザインをpixivにアップしています(https://www.pixiv.net/artworks/127975133)


   一


 (きた)()(うみ)(日本海)の沿岸は(から)(くに)(朝鮮)や(しん)(たん)(中国)に近く、海外との交易で栄えていた。

 (たに)(わの)(くに)(三丹地方)の()()()(こく)も貿易と工業でとても裕福だった。

 多婆那国は精緻な技法で作られた美しい水晶玉を輸出し、代わりに貴重な鉄素材を多量に輸入していた。


 また、交易だけではなく外交も行い、(つく)(しの)(しま)(九州)の北部にあった(じよ)(おう)(こく)と同じく震旦の西(せい)(しん)へ朝貢した。

 女王国の君主は()(おう)と呼ばれ、多婆那国は(とう)()と称された。

 大和(やまと)(せい)(けん)も多婆那国を滅亡させると、先進的な地域として名を馳せた旦波国を重視し、(おお)(きみ)の甥である(みち)(ぬし)に統治させた。


 大王とは大和政権の君主で、旦波国は道主の父たる(ひこ)(います)によって征服された。

 まだ幼かった道主も「(くに)()(つるぎ)」なる剣を佩き、旦波国への遠征に付いていった。

 それが道主の初陣で、彼は子供の頃から戦場を駆け巡り、死んだ者や亡びた国をその目に焼き付けてきた。


 その体験から感情を殺されたのか、道主はいつも淡々としており、冷ややかな(おもて)が見る者をぞっとさせた。

 それでも、道主が旦波国の新たな王であることに変わりはなく、彼は()(すの)(いらつ)()を娶った。

 麻須郎女は現地の豪族たる(かわ)(かみ)(うぢ)の娘だった。


 夫婦の間には()()()()()という娘が産まれた。

 道主は大王が伯父の()()()からその子である(いく)()に代替わりすると、氷羽州比売を大和政権の本土たる畿内(うちつくに)(奈良県・京阪神)に送り、(まき)(むく)(纒向村)にある大王の宮廷に仕えさせた。

 彼は旦波国を良く治めたが、それは飽く迄も大和政権のためで、本土との繋がりを維持するのにも努めた。


 畿内では()()(うぢ)(ひこ)(くに)(ぶく)が氷羽州比売の後ろ盾となった。

 彦国葺は(いつたりの)大夫(まえつきみ)の一人だった。

 五大夫とは活目を支える五人の重臣で、彦国葺は御間城の代から大和王権に仕えていた。


 彼は御間城から(ちゆう)(へい)(めい)(てつ)(とう)を授けられてもいた。

 中平銘鉄刀は女王国が震旦の()(かん)から賜ったもので、女王国の後裔であった(もも)()(ひめ)から御間城に受け継がれていた。

 そのような宝刀を授与されるほど和珥氏は御間城からの覚えがめでたかった。


 元々、和珥氏は交易民たる海人(あま)(ぞく)の弱小勢力だったが、交易で鉄製の武器を手に入れ、大王のために懸命に戦い、豪族へと成り上がっていった。

 彦国葺も()()のごとく戦場を暴れ回った。

 和珥氏の(うぢ)()は海の怪物たる和邇に由来した。


 彦国葺は柄の悪い乱暴者だったが、それは戦場暮らしで身に付いたもので、根は情に脆く、そうであるからこそ一族に安寧をもたらすべく戦火に身を投じられた。

 彼は氷羽州比売の面倒も良く見た。

 旦波国に近い畿内の北部を治めていたので、彦国葺は道主と密接な関係を築いており、己を殺す彼の在り方に同情していた。


 それに、彼は氷羽州比売のことも娘のように可愛がった。

 氷羽州比売は道主にとって初めての子だった。

 戦場に感情を殺された道主は、我が子にどう接して良いか分からず、麻須郎女もそれに戸惑っていた。


 そうした両親の困惑に影響されてか、情緒が上手く育たずに感情表現が不得手だった。

 彦国葺はそういった氷羽州比売に自分や道主を重ね合わせた。

 氷羽州比売は彦国葺の後押しを受けたこともあり、活目の息子たる(ほむ)()(わけ)の侍女となった。


 誉津別の母は道主の妹である狭穂姫だった。活目と狭穂姫は一緒に船遊びをするなど誉津別を溺愛した。

 父母から過保護に育てられた誉津別は神経質なくらいに繊細で、よく人見知りをした。

 誉津別と氷羽州比売は年が近く、お互い対人関係に苦手意識があったからか、二人とも自分と近しいものを相手に感じ、例外的に心を許し合った。


 活目と狭穂姫は誉津別に同年代の友達が出来たことを喜び、道主も氷羽州比売が太子の寵を得たことに満足を覚えた。

 誉津別は活目の次に大王となることが決まっていた。

 しかし、ある事件によって彼らの人生は狂った。


 狭穂姫の兄にして道主の弟たる()()(びこ)が義弟かつ主君である活目に謀叛を起こしたのだ。

 活目は狭穂彦を敗死させたが、彼を説得するため、その下に赴いた狭穂姫も死んだと報された。

 誉津別は叛徒の一族に連なることになり、太子の位を逐われた。


   二


 父と伯父が殺し合い、それに巻き込まれて母が死んだ。

 そのことに繊細な誉津別は耐えられなかった。

 誉津別は言葉を話さなくなり、夜な夜な悪夢に震えおののいては咽び泣いた。


 活目は愛し合った狭穂姫の忘れ形見たる誉津別を可愛がったが、息子は父に心を開かなかった。

 氷羽州比売だけが悪夢にうなされる誉津別の涙を乾かせられた。

 誉津別は氷羽州比売に抱き締めてもらうことでようやく安眠できた。


 道主はそのような誉津別と氷羽州比売の関係を良しとした。

 彼は活目を氷羽州比売と再婚させることを考えていた。

 誉津別が廃太子となった以上、活目は新たな太子を定めなければならず、道主はその子が氷羽州比売との間に産まれることを望んだ。


 彼はより大和政権に尽くせるよう更なる権力を求めた。

 それは己の一族こそが大和政権にとって無私の忠臣であるという自負によるものだった。

 ところが、誉津別と氷羽州比売の関係は思わぬ方向に発展した。


 ある晩に誉津別は氷羽州比売の豊かな乳房に顔をぴったり押し付け、彼女の香しい匂いを嗅いでいると、脚の間にあるものが固くなるのを感じた。

 彼は本能的に下腹を氷羽州比売に擦り付け、剥き出しになった彼女の太腿に自身の腿を押し付けた。

 氷羽州比売は薄い寝間着を着ているだけで、誉津別は口を開けて彼女の乳首を一方は口に含み、もう一方は手で弄くった。


 彼女は低く呻き、誉津別の頭を押し遣ろうとしたが、彼がますます強く吸い続けると、逆にぐいと引き寄せた。

 誉津別は氷羽州比売の寝間着を捲り上げ、濡れてぬるりとした部分に指を突っ込み、悶える彼女に歓びの声を上げさせた。

 彼は氷羽州比売の乳房から唇を離し、口に接吻して舌を絡め合わせた。


 二人の息遣いは次第に荒くなっていき、氷羽州比売は泣くような叫びを漏らすと、男のごとく骨太な体を激しく痙攣させ、枕の上に崩折れた。

 誉津別は氷羽州比売の裸形を見下ろした。

 彼女の顔立ちはぽってりとして蒼白く、艶のない髪が垂れ下がっており、不器量と言えたけれども誉津別にとっては如何なる姫より美人だった。


 誉津別は下半身の疼きに堪えられなくなり、氷羽州比売の膝を開き、彼女の中に自身の強張りを侵入させていった。

 氷羽州比売は逞しい脚を誉津別の腰に絡ませ、その手を彼の背に回した。

 誉津別は完全に挿入すると、信じられないような快感に襲われ、けたたましい声を上げながら、無上の幸福に浸った。


 誉津別と氷羽州比売が結ばれたことは、直ぐさま活目と道主の知るところとなった。

 活目は誉津別が話せるようになったのは喜んだが、氷羽州比売と結婚するのには難色を示した。

 活目が誉津別を廃嫡したのは、政争から遠ざけるためで、氷羽州比売の父たる道主は政界の有力者だった。


 その道主にとっても氷羽州比売が叛徒の一族に連なるのは、政敵に付け入る隙を与えるのに等しかった。

 道主は五大夫の長である(たけ)(ぬな)(かわ)と敵対していた。

 武渟川はその立場を利用し、専横を極めていたので、他の五大夫とすら対立する関係にあった。


 それでも、誉津別は氷羽州比売を娶ると言って聞かず、活目と道主はひとまず彼の頭を冷やさせることで意見が一致した。

 そうして誉津別は視察を名目に出雲(いづもの)(くに)(島根県東部)を訪れることとなった。

 出雲国はかつて出雲(いづも)(おう)(こく)が治めており、大和政権に征服された結果、出雲王国の王族は大和政権から統治を委任された出雲(いづも)(うじ)となったが、その祭祀は戦乱で中絶していた。


 しかし、旦波国には出雲王国の祭祀を担った人々が避難しており、活目は彼らを出雲国へ帰還させるよう道主に命じた。誉津別は祭祀の復活を見届ける役目を任された。もっとも、それは口実に過ぎず、本当の目的は誉津別を外の世界に触れさせ、氷羽州比売が全てではないと理解させることにあった。


 それゆえ、(ひの)(かわ)(斐伊川)の豪族である()()()()()に饗応されると、()(なが)()()という女性を宛がわれた。

 鱗の模様を刺青した肥長比売は蛇のごとく蠱惑的だった。

 だが、誉津別はその誘惑を振り切り、氷羽州比売の下に戻った。


   三


 纒向に帰った誉津別は、氷羽州比売が彼の子供を妊娠したと知った。

 その子を堕ろすことに氷羽州比売は激しく抵抗していた。

 肥長比売との一件で氷羽州比売への愛を再認識した誉津別も、これまでの沈黙が嘘であるかのごとく自己主張した。


 そこで、活目と道主は誉津別と氷羽州比売に妥協案を示した。

 表向きは活目が氷羽州比売と再婚したことにし、誉津別と氷羽州比売の子供は活目との子として養育する。

 もしその案を呑むなら、活目と道主は誉津別と氷羽州比売の事実婚を認めたため、誉津別と氷羽州比売も活目と道主が出した条件を受け入れた。


 その約束は秘密とされた。

 しかし、それ故に誉津別と氷羽州比売、活目と道主は緊密な関係で結ばれた。

 誉津別と氷羽州比売は息子の五十()()(しき)(おお)(たらし)(ひこ)、娘の(やまと)(ひめ)らに恵まれた。


 活目も表向きは我が子、実際は孫たる彼らのことも気に掛けた。

 それぞれの資質を注意深く見極め、各人に相応しい進路を用意した。

 軍事に関心を抱く五十瓊敷には武器庫でもある(いその)(かみの)(かむ)(みや)の管理者にした。


 大足彦は政治に興味を示したので、誉津別の代わりに太子となった。

 倭姫は学問に造詣が深く、()(しん)(どう)の道統を継いだ。

 女王国の都たる()()(たい)(こく)にあった鬼神道は、科学技術を教える学び舎で、震旦の方術と()(しま)(本州・四国・九州)の巫術を教授し、先代の大王である御間城に仕えた巫女の百襲姫もそこの出身者だった。


 邪馬台国は鬼神道で学んだ巫術者たちを他の地域に派遣し、暮らしに役立つ技を教えさせ、民心を捉えようとした。

 御間城もそれに倣い、巫覡である(ものの)()(うぢ)()(かが)(しこ)()や巫女たる()()()(とよ)(すき)ら巫術者たちを各地に遣わした。

 倭姫は豊鍬に師事して()(がの)(くに)(三重県西部)や()(うみの)(くに)(滋賀県)、()(のの)(くに)(岐阜県南部)、()(わりの)(くに)(愛知県西部)、()(せの)(くに)(三重県中部)などを転々とした。


 活目は他の政務を武渟川に任せ、孫たちのことに専念し、それが軌道に乗ってからは一人で過ごすようになって実質的に退位した。

 それ故に活目が没すると、大足彦が滞りなく即位し、道主や彦国葺が後ろ盾となった。

 武渟川は大王が代替わりしようとも自分ほどの人物が除かれるはずなどないと慢心していたので、道主らに不意を打たれて失脚させられた。


 彦国葺も武渟川を失脚させるのに協力した。

 活目は狭穂彦を討った後、彼が統治していた畿内の北部を彦国葺に治めさせた。

 領地が接するようになり、道主と彦国葺の結び付きはより深まっていた。


 誉津別は我が子たる大足彦の即位を見届けると、纒向を出て()()(やま)に籠もった。

 佐保山は狭穂姫の故郷である()()(春日野)にあった。

 そこを治める彦国葺に保護されながら、誉津別は世捨て人となった。


 廃太子の誉津別が都にいては大足彦の統治を脅かしてしまいかねなかった。

 それは誉津別の本意ではなかった。

 氷羽州比売も誉津別に付いていき、()(やけ)(うぢ)()()()(もり)から献上された橘を育てるなどして暮らした。


 その橘は活目に献上されるはずのものだった。

 だが、田道間守が橘を持ち帰った時、活目は既に亡かった。

 なお、活目の墓は纒向の都ではなく、狭穂姫が生まれ育った佐保に築かれた。


 誉津別の方は()()(うぢ)()()が発明した埴輪を作り、その繊細さを活かして芸術的な作品を制作した。

 後に誉津別が病没すると、大足彦は氷羽州比売を宮中に呼び戻そうとした。

 しかしながら、氷羽州比売は大足彦の誘いを断り、佐保に留まってそこで没した。


 大足彦は誉津別を実父と知らされず、誉津別が氷羽州比売を誑かし、実母たる氷羽州比売も間男に惑わされて実子を捨てたと考え、大王に楯突くものとした。

 誉津別と氷羽州比売を護っていた道主と彦国葺も大足彦から冷遇された。

 二人はそれに抗って国を乱すことはせず、各自の領地で勢力を蓄えることにそれぞれの余生を費やした。



   註


*東倭が西晋に朝貢する:『晋書』

*道主が「国見の剣」を佩く:神谷太刀宮神社の伝承


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