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『後三条院、崩御の速記録のこと』速記談1070

作者: 成城速記部

 後三条院は、御譲位あそばされ、延久五年二月二十日、石清水八幡宮や住吉大社、天王寺などに御幸なさった。太皇太后陽明門院や皇女一品宮も御一緒であった。二十七日には還御されたが、急に具合がお悪くなり、四月二十四日には御出家あそばされ、中宮も髪を下ろされた。五月七日には、四十一歳で崩御あそばされ、十七日には葬儀が執り行われた。全て速記録に記載されている。



教訓:後三条院の譲位を受けたのが、第一皇子の白河天皇である。藤原氏の権勢は、あっという間に落ちていく。

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