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冥婚鬼譚  作者: 大澤伝兵衛
第一章「水落鬼の嘆き」
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第6話「天帝廟」

 冥現鏡(めいげんきょう)により冥界から現世に転移した袁閃月(えんせんげつ)は、凄まじい立ち眩みに襲われた。冥現鏡による現世への移動は、正規の経路ではない。それなりの代償があると言う事なのだろう。


 閃月が到着したのは、狭い建造物の中だった。中には天帝を模した古びた木像が祀られている。どうやら町に多く存在する天帝廟の一つの様である。あまり人々に省みられている様子は無く、像は埃をかぶり往年は極彩色の装飾が施されていたであろうその肌も、今では木目を晒している。


 閃月はもっと信心深い人たちが暮らす地域で暮らしていたようで、この様に無残な天帝廟は見た事がない。あまり人が来ないらしく、狐が一匹安らかな寝息を立てていた。獣のねぐらにちょうど良いのだろう。


 そんな事を考えていると、廟の中に一人の老婆が入って来て、天帝像の前に捧げられた杯の水を新しいものに入れ替えた。一応管理する者はいるようである。だが、この老婆はかなり腰も曲がっており、足取りも弱々しい。彼女ではもうこの廟を隅々まで清掃する体力や気力は無いだろう。像の上部に被った埃を払おうとしたら、態勢を崩して落下してしまい、そのまま天帝の御許へ昇天しかねない。


 そんな下らぬ戯言はともかく、老婆は作業をして廟を出ていくまでの間、すぐ近くにいる閃月に何の関心も払わなかった。目が悪いとかその様なものではない。全く視認出来ていないのだ。現世に戻ったとはいえ、死んで鬼になっているとはこの様なことなのだ。


 自分が死んだ事を閃月は実感したが、特に感慨は湧かなかった。生前の記憶に乏しいため、死んでしまった事の後悔などは特に無いのだ。


 それよりもこの「生者には見えない」という特性は、これから町に出て呉開山(ごかいざん)を探すのにちょうど良い。閃月は死んだばかりである。都は広いとはいえ、もしも生前の知人に出くわした時、死者が歩いていては障りがある。見えないのであれば、その様な恐れはない。


 廟の外に出ると、冥界では拝むことが出来なかった日輪の光に晒される。もしかしたら怨霊の類であれば日光で浄化され、消滅してしまうのかもしれない。だが、閃月はれっきとした冥府に所属する鬼である。その様な事にはならない。


 先ずは呉開山が通っていたと言う学者の私塾に向かう事にする。と思っていたのだが、現在どの辺りに居るのか分からない。現世に来てみれば何とかなると思ったのだが、そうは都合よくいかない様だ。これは、あまり長い間現世に来ることに障りがある明明を、いきなり来させずに良かったとも言える。


 一応疫凶は、呉開山がよく活動していた地域を狙って送り出してくれている。冥現鏡は、大まかに指定した地域の廟や寺院等に移動が可能だ。なので何とか明明に教わった店の名前や通りの配置と、その地域の天界に関係する施設の位置関係を思い出し、目的地を目指すことにする。


 結局、閃月が目的地である私塾に到着したのは、二刻ほど経過してからだった。


 私塾を開いている学者の王仙亀は、閃月も知る高名な人物だ。高い見識と人格で知られ、時には皇帝や宰相に求められ、政策に助言する事もあると聞く。


 この様な学者の下で学問に励んでいると言う事は、呉開山もかなりの人物なのかもしれない。豪商である明明の父は、単なる書生にすぎない開山との交際を許さなかったようだが、それは軽率だったとも言えるかもしれない。何しろ将来は師の王仙亀の様に国を導く立場に成れるのかもしれないのだ。


 私塾の戸をすり抜け、中に入って開山の捜索を開始する。私塾の中には、十数名ほどの若者が集まる部屋があり、少し年かさの青年が講義を実施していた。恐らく入りたてで未熟な者は、この様にして学力を向上させるのだろう。


 そこには開山の姿は無かった。


 隣の部屋も探してみる。そこでは、初老の男性が青年と中年の男と、何かについて活発に議論をしていた。内容に耳を傾けると「知とは何か?」などという、閃月にはあまり興味の湧かないお題である。恐らく初老の男性が王仙亀であり、議論の相手は高弟なのだろう。


 この部屋にも開山の姿は無かった。


 その後も、私塾のあちこちを探して回るが見当たらない。厨房や下宿部屋、果ては厠まで捜索しても発見できないのだ。


 今日は私塾に来ていないのかもしれない。よく考えてみれば、心中騒ぎを起こしたばかりの者が、勉強をしに来る気にもならないだろう。


 私塾を探すことを諦めて閃月は、他の場所を探すことにした。明明から教わった位置関係を頼りに、彼女らが良く言っていたと言う飯店に向かう。


 閃月が向かった先の飯店は、落ち着いた雰囲気の店であった。住宅街に近い場所に位置しており、古びてはいるがしっかりとした作りの店構えだ。戸をすり抜けて店内に入ってみると、現在天下を支配している蓬王朝より一代前の、梗王朝時代の様式の机や椅子が並んでいる。かなりの高級店と言えよう。


 都において飲食店は、屋台がその大半を占めている。先ずもって店を構えていること自体が少数派だ。また、机や椅子を置く事なく、(むしろ)を敷いてそこに客を座らせる事も多い。


 この様な店に頻繁に出入りする明明達の財力が伺われる。


 閃月は、この店を探しに来たのは失敗だったかと少し後悔した。


 心中騒ぎを起こしたばかりの開山が、この様な店に来る気になるとは考えづらい。


 現在昼を少し回ったあたりであるが、店内ではいくつかの組が食事をしている。閃月は期待はしないもののせっかく来たのであるから、彼らの中に開山がいないか確かめてみることにした。


 裕福そうな身なりの者達の面体を検めていった閃月は、最後の組の男の顔を見て驚きに震えた。


 そこにあった顔は、まさしく呉開山だ。劉陽華(りゅうようか)が明明から聞き出して描いた人相書きと全く同じである。


 線の細い顔立ちも、どことなく冷たさを感じさせる目付きも全く同じだ。この店の客に相応しく、かなり仕立ての良い服を着ている。どことなく華美なのが気になるが、ここまでは良い。


 ある事に関して閃月は、気に食わなかった。


「何でこいつは、女と飯を食べてるんだ?」


 開山は、若く富裕そうな女性と談笑しながら食事をしていたのだった。

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