第44話「夫婦神への願い事」
劉陽華と袁閃月は頭を悩ませていた。
彼女らはまだ新婚であるが、別に夫婦生活に悩んでいる訳ではない。いや、ある意味夫婦生活についてか。
悩んでいるのは仕事の事である。彼女らは死後冥府に役人として採用されていたが、最近は現世の天帝廟で管理者として勤めている。冥府の仕事と掛け持ちであるが、管理人としての仕事は毎日出なくても雑用の妖狐達が処理してくれるため、そこまで忙しいという事はない。
では、何に頭を悩ませているのか。
それは天帝廟に届けられる願い事の内容である。もちろん神々の領域の存在が、いちいち人間の些末な願いを聞き届ける必要は無い。もしもその様な事をしていたら神々は幾つ体があっても足りないだろうし、世界の均衡を大きく崩しかねない。
基本的に現世の人間達は自らの力で道を切り開くべきなのだ。もちろん人間側もその程度の事は理解しているし、そもそも神々の存在を本気で信じている者は少数だ。だから基本的に神への願い事はゲン担ぎとか決意表明の様なものである。そこまで願い事の内容を真面目に受け取る必要は無いのだ。
もちろん、願い事が重要な事態に繋がる事はある。陽華と閃月が天帝廟の管理人になってすぐ、願い事が世界を揺るがす重大な事件をしるきっかけになった事がある。願い事の内容は途絶えそうな祭を再開したいというささやかで素朴なものだったが、これをきっかけに事件を解決される事が出来たのだ。
この事件の解決により天帝廟への供え物も増えた。祭壇に捧げられた供物は天界に届き、その多寡によって廟を管理する神々や管理人の評価が決まる。陽華と閃月が管理する天帝廟への供え物や願い事が増えた事自体は実に良い事である。
だが、その願い事の内容が問題だった。
願い事が増えるきっかけとなった事件のおり、陽華と閃月はその姿を生者の前に晒して人々を脅威から救い出した。既に死んで鬼となっている陽華と閃月の姿は普通の人間には見えないのだが、その時は濃厚な妖気が満ちていたために見る事が出来ていたのだ。
若い二人の少年少女が妖怪を率いて僵尸と戦うという非現実的な光景は、流石に幻覚だったのではないかと人々は思っている。だが、その印象的な姿は人々の目に焼き付いている。
若い夫婦の神が人々を救ったという光景がだ。
そういうわけであるから、天帝廟に増えた願い事は、主な祭神である天帝に対するものではなく、天帝に仕える夫婦神に対するものであった。もちろんその夫婦神は陽華と閃月の事である。
――子宝に恵まれますように――
――良縁に恵まれますように――
――子供が健やかに育ちますように――
その様な願い事が大半であった。
が、そんな事を願われても陽華も閃月も困ってしまうのである。
陽華と閃月は確かに形式上夫婦であるが、子宝と言われても二人の間には子供はいない。それどころか子供を授かる様な夫婦生活すら営んでいない。
良縁と言われても二人は生前出会いには全く恵まれなかった。良縁に恵まれず若くして独身で死に、ちょうど二人が同時期に亡くなったため二人の両親が冥婚という形で死後結婚させたのである。蓬王朝において見合い結婚は一般的であり本人だけの意思で恋愛結婚する事は非常に稀である。だが、例え見合い結婚でもする時には一応本人は事前に結婚について聞かされている。二人の様に死んでから意識の無いうちに結婚が決まり、冥界で目覚めた時には既に結婚していた様な者はそうそういないだろう。良縁もへったくれもないと二人は思っている。
また、子供が健やかに育つようにと願われても困る。何せ本人たちは十代半ばという若さで死んでしまったのだ。成人する前に亡くなる事は珍しくはないが、わざわざ早死にした奴に願わなくても良さそうなものだ。
そんな訳で二人は頭を悩ませていたのであった。別にこの様なささやかな願い事は聞き流しておけば良いし、部下に処理させてしまっても構わない。だが、まだ若く真面目かつ要領の悪い二人は真正面からこれらの願い事に向きあっているのであった。
「浮かない顔ですね。大丈夫ですか?」
天帝廟に勤める狐の胡幕が二人に言った。大丈夫ですかと口では言っているが、別に心配そうな口調ではない。何を二人が悩んでいるのか分かっているからだ。
「離婚したとかそういう設定にしたらどうだ?」
「そんな事したら、地獄行きになるかもしれない。それは出来ない」
狸の李侠が無責任な提案をする。形式とはいえ二人は夫婦という事で冥府に採用されている。そして二人が死後即座に冥府に採用されたのは、二人の冥婚も兼ねた葬儀で大量の供物が埋葬されたからだ。この皇帝の葬儀に匹敵すると言われる供物の一割が冥府に税として徴収されたので、二人は死後の冥府での裁判をすっ飛ばして役人として採用されたのである。
裁判の結果により地獄に落ちたり畜生に転生する危険を冒さずに、この様な立場になれたのだ。地獄の沙汰も金次第とはまさにこの事であろう。
そういう事情があるために離婚するのは非常に拙い。離婚したのなら夫婦名義の供物はどう処理するのかなどの問題が発生する。その場合二人の処遇はどうなるのか、考えてみても分からない。
まさか地獄に落ちたりはしないだろうが、今まで通りの生活はおくれないかもしれない。
もっとも、二人はお互いの事を憎からず思っているのだが、その感情は未だはっきりと自覚していないのであった。
「まあ神様が離婚とかしたら風紀に悪いですしね。あ、冥府から召喚状が届いてますよ」
狸の梵盆が二人に書状を差し出した。送って来たのは冥府に勤める獄卒の疫凶である。疫凶は二人が冥界に来た時から何くれとなく世話を焼いてくれている。書状には特に用件は書いていないが、冥府にある疫凶の執務室に来るように促している。
疫凶は何事につけ二人に子作りを勧めて来るのでそれには閉口しているのだが、悪い人ではない。それに大変世話になっているのは確かである。
期日は示されていなかったが、あまり待たせるのも不義理である。陽華と閃月は胡幕達に後の事務処理を指示して冥府に向かうことにした。




