第43話「天帝廟の夫婦神」
「そうか、土地神は復活し、民を襲っていた僵尸は消え去りましたか」
青白い細面の男がほっとした様な口調で言った。冥府の獄卒を名乗る疫凶である。
そこは冥界に構えた袁閃月と劉陽華の館である。もちろん館の主たる閃月と陽華も疫凶の前に座っている。
閃月と陽華が現世での任務を終了させて帰宅したところ、疫凶が待ち構えていたのだ。二人も冥府に事件について報告しに行くつもりだったのでこれはありがたい事であった。地上での巨大僵尸との死闘では、体力を相当消耗していた。もうあまり動きたくなかったのである。
疫凶は冥府でも高位の役人であるらしい。その疫凶が直接出向いて来たのだ。今回の事件がどれだけ重大であったか知れようというものだ。
「そうです。民が無自覚ですが球冠様に対して祈りを捧げた時、球冠様は土地神としての在り様を思い出したようです。そうしたら立ちどころに巨大僵尸はその動きを止め、最早再生する事は叶わず消滅しました」
「祈りを捧げたらすぐに異常な事態が収まったのです。あの場にいた民も僵尸や百鬼夜行の妖怪を目撃した事は半信半疑でしょうが、それでも何かが心に残ったのではないでしょうか」
「分かりました。ならばこの先もしばらくは祭祀が絶える事はないでしょう。これで都もひとまずは安泰です」
閃月と陽華の重ねての報告に、疫凶は安堵したようだ。いつも余裕の表情を崩さないこの男にしては珍しい事である。
だがそれも無理はない。現世で最大勢力を築いている蓬王朝の都が、土地神の加護を失ったとしたらどれだけの悲劇が起こるか想像もつかないのである。都はまず衰退し、人々は飢餓や貧困、疫病に悩まされる事だろう。霊的な守りも失われるのであるから、人に害を成す妖怪もその動きを活発化するに違いない。そしてこれは都にとどまる事なく、王朝全体に波及するのは明白だ。
加えて言えば、当代の国際社会において要となる蓬王朝の不安定化と衰退は、戦乱の火種となって全世界に被害をもたらすであろう。
その様な事態を閃月と陽華は防いだのである。
「本当は私も現世に赴いて対処出来れば良かったのですが、冥府の役人が現世に行って力を大々的に行使する事は禁じられているので」
現世における事件は現世で祀られている神や、その代行者が対処するのが基本だ。冥府の役人がある程度介入出来るのは、冥府が管理するべき鬼などが関わる事件に限られる。しかも大っぴらに力は振るえない。
以前疫凶が閃月と陽華と共に現世で事件を解決した際、原因となった生者があまりにも無反省のままという後味の悪い事件があった。生者には接触する事すら出来ない閃月と陽華には、この者に手出しする術がなかったのだが、疫凶は二人に代わって姿を現して意趣返しをした。意趣返しといっても、実害を与えたのではなく姿を現して不吉な言葉を投げかけただけである。だが、これだけの事ですら大問題になって、疫凶はしばらく現世に赴く事を禁じられたのであった。
その様な事も有って、閃月と陽華を現世の天帝廟の管理人に任命したのである。まだ死にたてで霊的な修業を積んでいない二人なら、余りにも現世に影響を及ぼし過ぎる事は無い。それに天帝廟の管理人なら天帝の代行としてある程度の事件に対処する事が可能だ。
最初の事件がこの様な世界を揺るがす重大なものだとは、疫凶にも、その上役である閻羅王にすら予想出来なかったのだが。
「ところで疫凶様。あの僵尸達、なんで合体して巨大化するとか、そんな能力を得たのでしょう。いえ、私もああいう怪異についてそれ程詳しくないので、ある程度の数が集まれば当たり前のことなのかもしれませんが」
「その疑問はもっともです。私もあの様な例は聞いた事がありません。恐らく何らかの人為的なものがあるのでしょう」
陽華の疑問に疫凶が答える。あれだけの異常事態が発生したのだ。何かの意思が働いている可能性があると言う事は、陽華も閃月も感じていたのだ。それを疫凶は肯定した。
人為的だと何が問題なのか。それは、次も類似の事件、または別の方法で都を窮地に追いやる事件が発生する可能性が高いという事である。
「そもそも、ある一定の時期に死んだ者達のほとんどが僵尸に変じる事自体が前代未聞です。この時点で何らかの邪悪な意思が介在していると考えるのが自然でしょうね」
疫凶の断定するような言葉を聞いて、二人は重く黙り込んだ。過去から現在に至るまで、重大な事件がある意思により発生しており、それはまだ解決していないというのだ。ならば今後も発生すると予想するのが自然である。
「まあお二人ともあまり深く考え過ぎないでください。今回の事件を通して、球冠様が以前にもまして信仰を取り戻しました。これで都を守る加護の力が増すはずですので、そう簡単に事件は起こせないでしょう」
気分が沈んだ様子の二人を元気づける様に、疫凶は懐から取り出した鏡を見せながら明るく言った。鏡の中には現世の球冠廟が映っている。どうやら離れた場所を映し出せる宝貝の様である。その中では、麵豊地区の民衆が焼け落ちた球冠廟を建て直している光景が映っている。
また、祭壇に捧げられた供え物の数も多く、球冠様への祭祀が前にも増した形で復活している事を伺わせた。この光景をみて、二人はひとまず安堵した。先程原初の時代から存在する旧き神である球冠様の実力を目の当たりにしたばかりだ。あの力が人々を守るのであれば、そうそう悪い事は起きないだろう。
「ほら、こちらも見て下さい。あなた達の管理する天帝廟の方も供え物が増えてますよ」
「あれ? 何でだろう?」
「そういえば現世の人達からすれば、天帝廟から湧き出て来た妖怪が麵豊地区に出現した僵尸を退治した様に見えるんでしょうね」
当初陽華と閃月は、妖怪の一団を麵豊地区で暴れさせることにより、妖怪を恐れた民が神への祈りを捧げるように仕向ける作戦を実行しようとしていた。結果的に球冠廟に行く途中で僵尸と遭遇して戦闘に突入したため、民からは天帝が妖怪を遣わして僵尸から守ってくれた様に見えたのだろう。
これまで閃月と陽華が管理する天帝廟は、見向きもされず朽ちそうになっていた。信仰を取り戻す事によって多少は綺麗になるのであればそれに越したことはない。
「民がどの様に信仰しているのかも分かりますよ。どうやらこの天帝廟は若い夫婦神が司っていると思われているようですね。ほら、お二人の肖像画が供えられています」
疫凶の言葉に驚いて鏡の中を覗き込んでみると、確かに閃月と陽華の似顔絵が書かれ、天帝像の横に祀られている。まだ事件が起きてから時間が経っていないので手が込んだ絵ではないが、そこに描かれた男女には明らかに閃月と陽華の特徴が反映されている。
そして、その絵には由来として天帝廟から出て来た夫婦神が妖怪を率いて僵尸を成敗したと書かれている。
まあ、夫婦なのは本当の事であるが。
「……」
「そういう事ですので、願い事もそれに因んだものが増えてますよ。例えば『子宝を授けて下さい』とか『安産祈願』だとかですね。と言う事ですので、早速子作りでも……」
「今日は疲れましたのでお開きです!」
「さようなら!」
夫婦とは言えど未だ夫婦の営みに縁の無い二人は、顔を赤くして別れを告げると疫凶を館の外へと強引に追いやった。どうやらまだそういった事に疎い彼らには、こういう話は早い様だ。
「やれやれ。何時になったら本当の夫婦になるんでしょうねえ」
外に追い出された疫凶はそう呟くと、冥府に向かって歩き出した。




