第38話「僵尸の群れ」
百鬼夜行を率いて目的地の球冠廟がある麵豊地区に到達した袁閃月と劉陽華の前に現れたのは、行く手を阻む人影の群れであった。
妖怪の一群を阻むのである。ただの人間達ではない。
彼らは皆一様に顔色が悪く、身につけた服には泥が付着している。そして閃月達の方に歩み寄ってくるその動きはぎこちない。
その外見、妖怪を恐れぬその態度からして普通ではない。そしてざっと見たところ百人は優に超えている。
「あいつらは一体?」
「奴らは僵尸です。簡単に言えば、動く死体です。聞いた事はありますか?」
「ああ知ってる。単なる怪談かと思っていたよ」
胡幕の返答に、閃月は鞭を構えなおして警戒を強めた。
僵尸は有名な怪異である。生者達は基本的に怪力乱神を信じていないが、怪談話は面白おかしく伝えて楽しんでいる。僵尸は狐狸の類に次いで有名な存在だ。
僵尸は胡幕が話した通り、死体が謎の力によって動く怪異の事を言う。僵尸になった死体は腐敗する事なく生前に近い姿を保ち、夜になると死体の安置所や墓穴から抜け出して徘徊するのだ。
僵尸が発生する原因はよくわかっていないが、自然発生的に天地の霊気によってなるとか、道士が死体を使役する術を行使した事によってなるとか様々な説がある。
その性質も様々で、単に墓を抜け出して徘徊するだけだったり、凶暴な性格をもって人を襲うとか、場合によっては人を食らうなどと言われている。
要は、有名であるが定説は無いと言う事である。まあ、そのどれもが正しいのかもしれない。
「もしかして、私達が妖怪を集めて妖気が濃くなったから、僵尸になって出てきてしまったのかしら?」
陽華が少しばつが悪そうに言った。陽華達の目的は、百鬼夜行を人々に見せつける事で恐怖に陥れ、それから逃れるために球冠廟への祈りが集まる事だ。これによって都の土地神たる球冠廟の神への祭祀が絶える事を防ぎ、ひいては都の滅亡が起きない様にするのが閃月達の作戦である。
都の滅亡は大きな悲劇を呼ぶが、それを防ぐためとはいっても麵豊地区の人々に犠牲を出すつもりも無かったのだ。閃月達が呼び寄せた妖怪は制御が出来るので驚かすだけで犠牲者は出さないが、僵尸はどうなるか分かったものではない。
「いえ、この僵尸達は元々存在していたはずです。先代の皇帝の時に都を中心として大規模な疫病が発生したのですが、その時に死んだ者達が僵尸に変わってしまったはず。この時は球冠様が僵尸を鎮め、大人しく墓穴に戻らせたのです」
「という事は、球冠様の力が弱まっているって事か」
「でしょうね」
都の土地神である球冠への祭祀が途絶えると、霊的な意味での都の命脈が尽き、謎の力で都が滅亡してしまうのだがこのままではそれ以前に大きな被害が出かねない。
「ならば、冥府から都に遣わされた天帝廟の管理人たる俺が、この場で駆逐するとしよう。死体が壊れてしまうだろうが、悪く思うなよ!」
閃月は鞭を振りかぶった後一呼吸置くと、次の瞬間一瞬で僵尸の集団との間合いを詰め鞭を横殴りに振り払った。閃月の携えた鞭は、ただの鉄鞭ではない。高名な仙人が作ったといういわれのある金甲打岩鞭という宝貝だ。修業を積んだ仙人なら岩山すら砕くというその鞭は、霊的な修練を一切していない閃月の一撃すら破壊的なものに変える。
直接打撃を受けた僵尸は一瞬で肉塊へと変じ、その風圧を受けた僵尸が数体吹き飛んで立ち並ぶ家に叩きつけられた。
霊的な修業はしていない閃月であるが、その武術の腕前は元々恐るべきものだ。冥府の番人を勤める羅刹達ですら素手で殴り倒すほどである。生前にどれだけの修練を積んでいたのか閃月自身も覚えていないが、僵尸を倒すには十二分だった。
閃月の後ろについて来た百鬼夜行の妖怪達も、閃月の武勇には畏れ入り、それと同時に勇気づけられる。閃月に続けとばかりに僵尸どもに襲い掛かった。
「陽華様はこちらに」
陽華は閃月や妖怪達と違い、戦う技術を何一つ身につけていない。胡幕は陽華を安全な所まで案内する。
集団と集団がぶつかって激しさを増す戦いを見ながら、陽華は閃月の無事を祈った。




