第32話「旧き土地神」
麺豊地区は、袁閃月と劉陽華が担当する錦鳥地区から少し離れた所に存在する。
錦鳥地区は都でも中心部から少し離れた地域であり、地区の大通りも都の中心地域に比べたら栄えているとは言えない。現在天下を統べる蓬王朝の建国よりも前から住民が住んでいたため古い建物がいくつも残っており、新しい建物と混じり合った時代の流れを感じさせる風景ではある。だが、一部は破落戸が根城にする廃墟も存在するし、ぼろい建物はぼろい建物なのだ。
閃月達が管理を任されている天帝廟も、誰にも省みられる事のない、時代に取り残された過去の遺物である。
麵豊地区も錦鳥地区とは距離的に近いため、都の中では似た様な立ち位置であるはずだ。そのため、この地区の神が祀られている廟も閃月達の天帝廟と同じく寂れたものであると閃月は予想していた。もちろんこの地域の住民が非常に敬神精神に溢れ、供え物も欠かさないのであれば話は別だが、今時そんな奇特な者はそうそうあるまいと閃月は高を括っていた。
が、この予想は外れていた。
廟が閃月達の天帝廟に比べて立派なのではない。
廟そのものが存在しなかったのだ。
「……ここだよな?」
「ええ、間違いなくここです。妖力を得る前にねぐらを転々としている時に、ここに来たことがあるから間違いありません」
閃月の問いを、御供として随伴していた狐の胡幕が肯定した。
閃月と胡幕の目の前にあるのは、焼け落ちた炭と化した残骸ばかりである。よくよく見ると、「何とか廟」と書かれた板切れが転がっている。恐らくここに紙を祀る廟が建っていたのだが、火事か何かで焼失してしまったのだ。
「なるほど、これでは別の地域の神に祈りたくなる訳だ」
事情を察した閃月は、何故管轄外であるはずの自分の管理する天帝廟に、祭の成功を祈願されたのかに合点がいった。
そして閃月達は廟の敷地内に入り、この地域を担当する神を探す事にした。神が不在の廟も存在するのだが、ここには担当の神がいるはずであった。天帝廟に閃月達が赴任した時、何らかの調整が有るかもしれないため、近場の神がいる廟は調べている。ここには確かにいるはずであった。まさか、神が火事程度で滅びるわけがない。
敷地内に入って進んで行くと、すぐに神らしき人影が見つかった。それは、白い道服を来た老人の様に見える。しかしよく観察してみると、目は猛禽類の様にぎょろりとしており、足は牛の様な蹄である。人間の老人とは思われぬ。
だが、その身に纏う霊気は明らかに妖怪の者とは種類を異にしており、神仙の類である事は間違いない。
「もし。あなた様は、この球冠廟の神ではありませぬか? 私は、錦鳥地区の天帝廟にこの度赴任しました、袁閃月と申します。まだ死にたての若輩者ではありますが、何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
「……」
「あの……もし?」
「……あ~」
「もしも~し」
閃月は口上を述べたのだが、何故か反応が無い。何か失礼な事でもしてしまったのかと心配になって顔色を窺うのだが、なにしろこの神様は純粋な人間とは種を異にしている。何を考えているのか分かりづらい。
いや、どうも何も考えていない様にしか見えないのだ。
「ここの神様ですよね?」
「か……み? う……む。土地……かみじゃ……」
なんとか意味のある反応があった。やはり目の前にいるのは、この廟を担当する神なのだ。
「土地神様とは驚きましたね」
神の途切れ途切れの言葉に胡幕が反応した。
「土地神だと何か珍しい事でもあるのか? どこの村にでも土地神は必ず祀られているものだろう」
閃月が胡幕に言う通り、土地神はどの集落にも必ず一柱は存在している。集落を作る際はその土地の守護者として、以前からその土地を縄張りにしていた霊的存在や、自分達の祖先から適当な人物を選んで神として祀る。場合によっては人柱として犠牲になった者を祀ったりもする。祀る対象こそさまざまであるが、土地神を必ず祀るのがこの枢華世界の常識である。
何か驚く事でもあるのだろうか。
「いえ、土地神の存在は珍しいものではありませんが、考えてもみて下さい。ここは蓬王朝の都なんですよ。それどころか、前の王朝からずっと都なんですよ」
「なるほど、そういう訳か」
一つの町や村には、一柱の土地神しか存在しない。天帝やら閻羅王やらの別の神を祀る事はあるが、土地神は原則一柱のみを祀る。
となれば、今目の前にいるのは、世界最大の都市である蓬王朝の都を司る土地神なのである。土地神としては最高位の存在だと言えるし、都の歴史を考えてみれば最古参の土地神と言えよう。何しろ、この地は蓬王朝の民族誕生の地とも呼ばれているからだ。
だが、それ程の存在であるのに、この体たらくはどうした事なのか。
結局これ以降芳しい反応が得られず、狐につままれたような感覚に包まれながら、閃月は天帝廟に帰還するしかなかったのだった。




