第30話「狸(り・たぬき)です」
袁閃月と劉陽華が勤務を命じられた天帝廟は、彼らもよく見知った場所だ。
冥界から現世に行く際の通り道であり、これまでも何回か通り抜けた事がある。一見ぼろい祠にしか見えないのだが、実のところ都が出来た頃からある由緒正しい祠なのだ。天地の霊気が集まる重要な地に建てられているため、冥界との連絡通路に成り得るのである。
かつては時の皇帝が高名な仙人の助言に従って天帝廟を建てたのであるが、時が流れて王朝も移り変わっている。由来が忘れ去られた結果、今では地域の一部の住人が参拝に来るだけになっているのだった。
この様な場所が管理者も無く荒れ果てているのは、実のところよろしくない。場合によっては悪質な妖怪がねぐらにしてその地に溢れる霊力を自分の物にしてしまうのかもしれないのだ。特に、最近現世では怪異が頻発している。
その様な訳で白羽の矢が立ったのが、閃月と陽華なのであった。幸い冥界と現世を結ぶ宝貝である冥現鏡は、疫凶が閃月達の屋敷に置いていったままだ。そのため、屋敷と天帝廟は直結されている。冥府に通勤するよりも天帝廟に行く方が楽なくらいだ。
辞令を受けた閃月達は、早速天帝廟に行ってみることにした。疫凶によると、現地では閃月達の下働きをする役人が待っているのだという。閃月達は冥府の勤務が主であり、天帝廟に毎日出勤する事はないため、この様な措置がされたのだ。
彼らを待たせるのも悪いので、ひとまず顔出しをするという意味合いが強い。
冥現鏡を通って現世に出ると、いつも通り古びた天帝廟に到着した。
いつもは供えられた水を替えにくる老婆くらいしかいないのだが、今日は三人の若者達が車座になって床に座っていた。彼らは役人風の服を着ており、おそらく彼らが協力してくれる者たちなのだろう。
「おや、お早いお着きですね。袁閃月様、劉陽華様。お久しぶりです。私は胡幕と申します」
閃月達を認めると、若者達の中でも一番年長らしい者が代表して挨拶をした。だが、お久しぶりと言われても閃月と陽華には覚えがない。彼とは初対面のはずだ。
「何処かであったかな? 俺は君の顔に見覚えが無いが……」
「もしかして、私たちが生きている時に会った事があるのかしら? ごめんなさい。その時の記憶があまり無くって」
「いえいえ。お会いしたのはちゃんとお二人が死んでからですよ。ほら、この姿ならどうです?」
胡幕はそういうと指を天にかざした。すると、みるみるうちに姿が変わっていき、なんと狐の姿になってしまった。この姿には見覚えがある。
「もしかして君は」
「そうです。この天帝廟に寝泊まりしていた狐です」
「そうか。この前は助かったよ。ありがとうな」
少し前にある事件を解決しようとした際、閃月達は現世に生きる人間にどうしても言葉を伝えなければならない事があった。だが、既に死んで鬼となっている閃月達の言葉を聞ける者は誰もおらず、途方に暮れていた。
いや、一人だけいつもこの天帝廟に水を供えに来ていた老婆だけは、聞くことが出来たのだが、虚空から急に声をかけられたために老婆は驚愕して意識を失ってしまったのだ。そういえば、いつもは天帝廟に来るとその老婆が姿を見せるのだが、今日は見かけない。まさか、閃月達が驚かせたのが原因でぽっくり逝ってしまったのではあるまいか。
話が逸れた。
それはともかく、その時に助けてくれたのが、天帝廟に住み着いていた狐であった。不思議な事に閃月達の言葉を聞くことが可能で、人々を閃月達の望む場所へと誘導してくれたのだ。
「この、霊気の満ちる天帝廟に長年住み着いたおかげで、私も霊力を蓄えて知恵がつき、人の言葉を解せるようになっていました。鬼の姿を見たり、声を聞く事もね。そして、この前お二人に協力した功績を認められ、更なる力を与えられて妖狐となり、仕事も与えられたのです。そういう訳ですので、よろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしく。とすると、残りの二人も似たような経歴なのかな?」
普通の人間には鬼の姿を見たりすることは出来ない。長年修業を積んだ仙人ならば可能だが、その数は非常に少ない。となると、妖怪の類の中から善良な者を勧誘した方が効率が良いだろう。
「その通り。俺は、狸の李侠だ。長年泰山で生きていたところ妖怪に変化したのだが、この前冥府の疫凶という男に誘われてな。こうして宮仕えの身となったのだ」
三人の中でも一番の大男がそう言うと、胡幕の時と同じように姿を変える。そこに現れたのは、一匹のヤマネコだった。口調とは裏腹に可愛らしい見た目をしている。
なお、「狸」の文字は、枢華世界においてはヤマネコを意味している。
「残るは僕だね。僕は狸の梵盆だよ。よろしくね」
残った少年の様な見た目の梵盆なる者も狸の様である。自己紹介をすると本来の姿に戻った。
そこには、丸っこい姿をした茶色い動物が立っている。尻尾は太く、手足が短くずんぐりしている。そして、顔は目の周りが黒い毛が生えている。
同じ狸にしては、李侠とあまりにもかけ離れた姿をしている。というか、ヤマネコには見えない。
「えっと、狸よね?」
「はい。狸ですよ?」
「いやいやいやいや。ネコの類には見えないぞ? それとも妖怪変化としての経歴が長すぎて、そんな姿になったのか?」
自分の事を自信満々に狸だと答える梵盆だったが、陽華も閃月も困惑気味だ。
「あれ? 僕は狸の類とは違いますよ。狸じゃなくて狸です」
「タヌキ? 聞いた事が無いが」
梵盆によると、彼の生まれは蓬王朝が存在する大陸の海に存在する海中国という島国で、タヌキというのはその地域特有の動物なのだという。そして、その国にはまだネコが一般的ではないため、「狸」という文字が伝えられた時に、身近な生物であるタヌキが狸で表わされるようになったのだ。
「何と紛らわしい」
「まあいいじゃないですか。よろしくお願いしますよ」
閃月達は、この三人の動物出身の妖怪達を部下として、天帝廟を管理する事になった。




