第29話「天帝廟の仕事」
袁閃月と劉陽華が疫凶から呼び出しを受けたのは、冥府での仕事の最中の事であった。
閃月は冥府の門番を、陽華は同じく冥府の書記をしており、最近ようやく慣れ始めた所だ。
職場の先輩方の覚えもめでたく、楽しい毎日を過ごしている。もっとも、冥界に太陽は存在しないため、まだ冥界に慣れていない閃月達にとって一日の感覚がまだ定まっていないのであるが。
二人で連れ立ち、冥府にしつらえられた疫凶の執務室に向かう。疫凶の執務室はかなり奥まった所にあり、閃月が勤務する通用門はともかく、陽華がいつも作業をしている部屋と比べても廊下の内装からして違う。華美な装飾は無いものの、その造りは素材からして極めて高級であり、この辺りに部屋を構える冥府の役人たちの官職の高さが伺えるというものだ。
「まるで玄界殿みたいだ。豪華さは無いけど質の高いあたりがよく似ている」
辺りを見回しながら言った閃月の言葉の中に出てきた「玄界殿」とは、現世の枢華世界を統べる蓬王朝における宮殿の名前である。その機能に応じていくつか宮殿があるのだが、玄界殿とは皇帝が執務をする宮殿の名称である。
何故、その様な場所の内部に関して閃月が知っているのかは不明である。本人にも分かっていない。
二人は生前の記憶が極めて曖昧であり、時折こうして意識せずに生前の知識が口をついて出るのだ。
その事が陽華にも分かっているため、特にその内容を閃月に問いただすことも無い。
「袁閃月」
「劉陽華」
「「入ります」」
疫凶の執務室の前に辿り着いた二人は、扉の前で中に声をかけて入室する。
中に入ると、よく見知った仲である疫凶が書類の山と格闘していた。
書物があちこちに散乱しているため部屋中に混沌が広がっているのだが、よくよく見てみると部屋の内装はかなり豪華である。現世でこれだけの部屋を所持できるのは、位人臣を極めた大臣や、大富豪位のものだろう。
疫凶は自分の事を一介の獄卒だと名乗っていたのだが、やはりただ者ではない様だ。その事は、冥府で勤務する他の官吏達の彼に対する態度からでも分かっていたのだが、こうして物的証拠を目にすると更にその推測が補足される。
とは言っても、閃月達にとって疫凶が何ものであろうと、どうでも良い事なのであるが。
「ああ、来ましたかお二人さん。……子作りの方はどうですか?」
「…………要件がそれなら帰りますが?」
「お待ちを、用件は別です。その態度を見れば大体分かりましたよ」
既に死人である閃月と陽華であるが、二人の両親が二人の遺体と共に埋葬したという宝貝の力により、子供を作る事が出来るのである。
生前の二人は何の面識も無く、特に婚約関係にあった訳でもない。二人の両親達が若くして結婚もせずに死んだ事を憐れんで冥婚をさせたたために、死んで目が覚めたら既に夫婦になっていたのだ。
そのため、二人の間に恋愛感情は無いのである。特に閃月は武人肌、陽華は文人・芸術家肌であり、その趣味嗜好はかなり相違がある。この二人に急に夫婦生活を営めと言われても、はいそうですかとはいかないのは当然である。
ただし、死後に依頼を受けて解決した事件を通じて、二人は絆を築いて来た。それに、根本的な所で相通じる点がある。正義・道徳的な価値観や、弱者を守ろうとする意思などがそうである。
このため、疫凶は似た者夫婦であると評価している。それに最近は二人も互いの事を憎からず思う様になってきた。
だが、若くして死に、恋愛経験に乏しい少年少女としては、「ゆうべはおたのしみでしたか?」の様な事を言われるとつい反発をしてしまうのだ。
疫凶としては、おくてな二人を後押ししているつもりなのだが、実のところ余計なお世話である事は間違いがない。
「ご覧の通り忙しいので手短に言いますが、お二人に新たな勤務先が命じられました。とは言っても、今の勤務場所も継続です。新任地は定期的に顔を出せば構いません」
「はあ、そうですか。こちらも宮仕えですから特に文句は言いません。謹んで承りました」
閃月は生前も武人として官職に就いていたふしがある。その習性のためか、特にこの辞令に対して異議を唱える事はなかった。例え新たな勤務先が何なのかを聞いていなくてもだ。
「それはそうと、その新しい勤務先って一体どこなのですか? 私も特に異存はありませんが」
閃月とは対照的に陽華は少し不安そうな面持ちだ。それはそうである。冥府からの辞令なのだ。
場合によっては、地獄で罪人たちを切り刻んだり、焼いたり、穴に突き落としたりと、やってる方も精神的にまいってしまう職場に行く可能性だってあるのだ。断るのは難しいが、素直に承諾も難しい。
もっとも、その様な職務に就く可能性は極めて低いと言える。その様な荒事は、羅刹などの種族が遂行している。極めて頑強で剛力を誇る巨躯を持つ彼らに対して、閃月や陽華はいかにも貧弱である。とても適任とは言えない。閃月はその羅刹たちを素手で殴り飛ばす武術の達人なのだが、こういった仕事は見た目も重要である。
「実はその職場は冥界ではありません」
「え? そうなのですか。てっきり冥府の仕事だと思っていました」
閃月達がこうして死後に裁きを受ける事も無く、冥府で役人をしていられるのも、大量の宝物が二人の葬儀の際にともに埋葬されたからである。この、皇帝の葬儀に匹敵する宝物の一部が規定により冥府に納められたため、審判を免除されて冥府に取り立てられたのだ。
まさに地獄の沙汰も金次第である。
だが、それは裏を返せば銭を支払った先の冥府にしか、銭の力による特権は通用しないという事でもある。そのため、冥府の外で働くことになるとは思っていなかったのだ。
「冥界でないと言っても、冥府と関係が深い場所でしてね。いわば出張とか、連絡役とかそういった意味があります」
「なるほど」
疫凶の言葉に二人は納得した。
「それでは言い渡します。袁閃月、劉陽華の二名は、冥界と現世を繋ぐ錦鳥地区の天帝廟の管理、及び現世の神々との連絡調整を実施するように」
疫凶に告げられた勤務場所は、閃月達が現世に行く際にいつも転移先として使用していた天帝廟であった。




