第23話「冥銭」
現世での調査をひとまず終えた劉陽華と袁閃月は、冥界に戻って疫凶に報告した。
孫鈴が生前の行いを審判しなければならない冥府から姿を消すのは、現世に戻っている事、そしてその動機は、妊娠中に死んだために自分と共に埋葬された赤子が実は生きており、この赤子の世話をするためであると言う事だ。
「なるほど、その話を聞けば合点がいきます。この冥府において死人はその力に大きな制限を受けます。そのため、多少の修業を積んだ道士であっても姿をくらませる事は出来ないはずなのです。ですが、お二人の報告によると、孫鈴は現世でまだ生きている自分の子どもと臍の緒で繋がっているとか。恐らくこの影響で疑似的に生きているのと同じような状態になっているのでしょう。だから冥府の力の影響を受けないのです」
報告を聞いた疫凶は、その内容から事件の真相を整理し、二人に話した。陽華達は現世で見聞してきたのだが、それがどの様な意味を持っているのかまでは理解していなかった。だが、疫凶の解説により、何が起きていたのかを知る事が出来た。
「それで、どの様に解決しましょう? 事件の実態は判明しましたが、これだけでは孫鈴さんを助ける事は出来ません」
陽華は指である方向を指し示しながら言った。その方向には、冥府の審判のために亡者が列をなしている。そして、その中には孫鈴の姿があった。疫凶によると、冥府から姿を消していた彼女だったが、ついさっきふらりと舞い戻り、再び列に並んだのだという。
恐らく、現世で孫鈴が棺桶に入った時、その魂は再び冥界に転移する事になったのだろう。
「現世に戻らない様に説得できればいいんだけどな」
「無理でしょうね。さっきも話しかけてみたけど、全く反応が無かったわ」
冥界に来た亡者は、そのほとんどが自我を制限されてしまう。孫鈴もそれに漏れず、話しかけてみても何の反応も無い。現世に舞い戻るのは、彼女の意思と言うよりも、母としての本能なのだろう。特に現世では赤子と臍の緒で繋がったままなので、赤子が空腹を感じた時にそれを不思議な力で感じ取るのだろう。
冥界で自我を保てるのは、よほど強い意思を持った人間だけなのだ。それか、何か深い恨みや執着に縛られる事で、その事に対してだけ自我を保てることもある。過去に出会った明明という女性も、心中相手の事が気掛かりで自我を保っていた。
もっとも、その様な場合は精神に歪みが生じているので、まともな自我とは言い難いのだが。実際、明明は水落鬼と化していたし、心中相手に裏切られていた事を知った時に狂乱状態に陥り、完全な化け物となってしまった。
「となると、現世であの赤ちゃんを誰かに見つけてもらえれば、解決しそうね。誰かが世話をしてくれれば、孫鈴さんが現世に戻る事も無いでしょ」
「そうだけど、どうすれば良いんだろうな? 普通なら、もうとっくにそうなってるはずなんだけど、あの墓守が余計な事をするからな」
孫鈴は墓穴から這い出て、赤子のための乳を求めて街に出て行くが、墓穴に戻った時に土を元に戻したりはしない。普通なら、土が掘り返されて棺桶が露出した有様を見た住人が調査をし、孫鈴が死後に出産した赤子の姿を棺桶の中で発見する事だろう。
こうなれば、何の問題も無く事件は解決である。
だが、孫鈴の墓のある墓地の墓守は、自分が墓地の見回りをさぼっているのを知られたくないために、毎朝孫鈴の墓穴を証拠隠滅として復元してしまっている。この不幸な偶然が事件を複雑化しているのだ。
「これからも墓が荒らされ続ければ、流石に何かおかしいと気付くんじゃないかしら」
「確かにそうかもな。だとすると、放っておいても事件は解決するのかな?」
「そう、単純な問題ではありませんよ」
楽観的な見解を述べた陽華達に、疫凶が否定的な事を言った。
「そのうち、街の誰かが墓の異変に気付き、孫鈴さんの赤子を救助すると言う事は確かに可能性としてあります。ですが、それまで事態がもつかどうか」
「ああ、そうでしたね。現世に戻るたびに罪が重くなっているんでしたね」
冥府における審判の場は十あり、それぞれの宮殿は冥府の裁判官たる十王達が統括している。これは、第一殿から順に重い罪を担当している。そして、孫鈴の様に審判の途中に姿を消してしまった者は、次の宮殿に送られてしまうのだ。つまり、姿を消すたびに孫鈴の罪は自動的に重くなっているのだ。
「それだけではありません。孫鈴さんは乳を買うために、一緒に埋葬されていた冥銭で支払っているようですが、それは一体どれだけ残っているのでしょう。もし使い果たした場合、どうなってしまうのか、それは私にも分かりませんよ」
鬼籍に記述されていた孫鈴の経歴を見るに、彼女はそれほど裕福な暮らしをしていなかったはずだ。ならば、埋葬された冥銭の量もたかが知れている。冥銭を基本的に供える文化を持つ枢華世界の民たちも、流石に自分の生活を圧迫してまで大量の冥銭を埋葬したりはしない。
皇帝の葬儀に匹敵するほど副葬品を供えた陽華達の遺族の方が異常なのである。この辺りの事情は生前の記憶が曖昧な陽華達には不明な点が多いのだが、このおかげで彼女らは冥府の審判を受ける事すらなく、こうして冥府に仕える事が出来ているのだ。
孫鈴の置かれている状況とは、かなりの格差がある。
「冥銭を使い果たしたなら、どうなるのかしら? 乳を買えなくなるから、あの赤ちゃんは死んでしまうの?」
「もしもそうなってしまったら、一体どうなるんだろう。現世との縁が断ち切れて冥界から消える事が無くなるのか、それとも……」
「狂乱状態に陥って、現世で人々を襲う鬼になるのか、可能性は色々ありそうね」
その様な最悪の事態だけは避けなくてはならない。それに、まだ生きている赤子の命だって救いたいし、苛烈な地獄に孫鈴が落ちる事だって避けたい。
事態の重さを改めて理解した陽華達は、解決策を考えることにした。




