(8)
「それが、よくわからない」
「は?」
「ち、誓って言うが……私は弁護士として、これまでキチンと仕事をしてきている」
「キチンと?」
「ああ。その……私のいる弁護士事務所では私は中堅どころで、私自身、いくつかの企業の顧問弁護士を担当している……いや、いただな」
「ほう」
「それと、そうした契約を結んでいない、個人や企業からの弁護の依頼だって受けている。ただ、今回の国選弁護人としての仕事は……」
「仕事は?」
「偶然だ。私くらいの歳になると国選弁護人を受けることは滅多にない。今回は、事務所に持ち込まれたときに若手の弁護士が出払っていて、たまたま私が受けることになった。そこはまず、理解して欲しい」
まあ、そこはいいか。
「その……よく言われていることだからわかると思うが、日本の刑事裁判ってのは基本的に有罪が確定していると言っていい」
「それは聞いたことがあるな」
「なあ、ちょっと良いか?」
話が盛り上がりそうな(?)ところで、ウラが口を挟んだ。
「俺、帰っていいか?」
「……外に送り出すの、少し面倒だから待ってろ」
「わかった。あっちで寝てる」
そう言って、壁際に言ってゴロリと横になった。自由な奴だな。
「っと、で……刑事裁判が基本は有罪ってところだよな」
「ああ。だから今回もそういう感じかな、とは思っていたんだ」
だが実際に事件のあらましを確認したところで、違和感があったという。
「違和感ねえ……どんな?」
「証拠が少なすぎるんだ」
「少なすぎる?」
「ああ。今回の場合、電車内に防犯カメラがなかったから、その……犯行の一部始終が捉えられていたわけではない。被害者の証言と周りの乗客が状況判断した結果に基づく逮捕、それが事件のあらましだろう?」
「まあな」
「それに対して……その、君の反論は、なんて言うか、ひどく具体的だった」
「フム」
「だから、私としてはどうして検察が起訴に踏み切ったのか、不思議でならなかったんだ」
つまり、その場では逮捕はしたが、証拠不十分、あるいは勘違いによる誤認逮捕のような感じで無罪放免。俺の方が、名誉毀損なんかで訴えるかどうか、という流れになるはずだと言うことらしい。
「じゃあ、なんで……俺が無罪という証拠を」
「そこだ。その……色々調べようとしたところまでは覚えているんだ。だが、それで出かけようとして」
「出かけようとして?」
「それから……えーと……」
思わず身を乗り出してした。
「あああああっ!思い出したぞっ!アイツだ!」
「アイツ?」
「この前、夜中に呼び出してきて、護衛をしてやるとかなんとか言ってきた奴!そいつに会ったんだ!」
「ほう……って、思い出したってどういうことだよ」
「さっきまで頭に靄がかかっていたような感じで、記憶が曖昧だったんだが、急に思い出したんだっ!」
「ふうん?」
と、よく見ると、氏間の周りに黒い靄のようなものが漂っている。正確に言うと氏間の背後に。なんだろうと思ってちょいと回り込んでみたら……シュウ、と消えた。
なんだこれ?
「ああ、それ……魔法だな」
「魔法?」
振り返るとウラが起き出してきて、そんなことを言う。
「精神干渉系の魔法だ。ダンジョンポイント、一億くらいだったか」
「そんなのがあるんだ」
「おそらく、その会ったとか言う奴にかけられたんじゃないかな?」
「つまりそいつは……探索者?」
「まさか。そんな高いのをダンジョンに置くと思うか?」
「うーん……あ、もしかして使い方によってはダンジョンマスターにも効く、とか?」
「効くな」
「で……なんでこんなふうに?」
「お前に近づいたからだろ?」
「俺に?」
ああ、俺が無意識のうちに垂れ流している龍神の力で解除できたとか?
「お前、最初に会ったときよりも、なんて言うか……威圧感が増してんだよ」
「そうか?」
自覚はないが、俺自身が力になじんできているとかそういうことなのだろうか?まあ、俺に悪影響がない分には問題ないか。
「じゃあ、こうしたらどうなる」
トン、と氏間の肩に手を置くとぶわっと靄が吹き出し、俺の周囲でパチパチと弾けて霧散した。どうやら俺に敵対的なものを浄化というか消し去っているような、そんな感じか。
「さて、何をどう思いだした?」
「ああ……その、滝川陽は絶対に有罪で、証拠をこれ以上集めたりする必要はない。そういう暗示というか、そういうのがズシンと頭の中に居座っていたような、そんな感じだ」
「マインドコントロールどころじゃねえな。つまり、それが原因で、俺の事件の弁護をまともにするつもりがなくなったと」
「そう、だ。形式的な接見や弁護側の反論っぽいものは当然用意したが、どれも形式的なもの。はっきり言って、無罪の主張どころか情状酌量とか初犯だから考慮して欲しいとかそういうのは全く無いもの。裁判資料を見る者が見れば、私が何もしていないに等しいことがすぐにわかるほどだ」
「うーん……ソイツに見覚えは?」
「無い。信じてもらえないだろうが、全く記憶にない。もちろん、街ですれ違った程度ならあるかも知れんが、まともに言葉を交わしたのはあのときが最初だった」
「なるほどね」
アイツがダンジョンマスターだとして……新宿ダンジョンのマスター?見た目が全然違うんだよな……ああ、俺と同じように姿を変えている可能性があるか。
「な、なあ」
「うん?」
「私は無罪だよな?悪くないよな?操られていたってことなら」
「そうだな。だが、やったことは消えないんだよ」
「し、しかし!」
「まあ落ち着け」
どうどう、と両手を広げて落ち着くように促す。
「今までの相手にも同じようなことを言ってきたが、俺の目的はお前たちの命を奪うことじゃないんだ」
「は?」
「いいか、よく考えてみろ。ダンジョン労働刑は死刑じゃないだろ?」
「ま、まあ、確かに」
「俺の基本方針も同じなんだよ」
「同じ?」
「そう。俺と同じようにダンジョンに放り込んで、あとは好きにしてくれ、だ」
そう言ってパチンと指を鳴らすと、壁の一部がゴゴゴ、と開く。
「あそこから出ると螺旋階段がある。ダンジョンの一層まで一気に行けるようになっている。登り切れば外に出られるぞ」
「お、おお!って、痛た……」
「落ち着けって!」
まだ拘束しているのに動こうとするから、縄が食い込んでるじゃないかと慌てて解いてやる。
「さ、いいぞ」
「ああ。その……なんだ。すまなかったな」
「気にするな」
「せめてもの償いとして、君が無実であると、何らかの形で知らしめるようにしようと思う」
「無理はしなくていいぞ」
「ハハッ、大丈夫さ」
ここに連れてきたときとは一転して、にこやかに足取り軽く出ていったのを笑顔で見送ってやると、あきれたようにウラが寄ってきた。
「いいのか?」
「何が?」
「始末、しないのか?」
「あのな……ここはダンジョンだぞ?」
螺旋階段は確かにあって、ここ九層から一層まで一気に登れる。が、螺旋階段が安全とはひと言も言っていない。
螺旋階段の設置場所は竜骨ダンジョン名物の亀裂。周りが囲まれているわけではなく、ただ足場になる板が宙に浮いているだけで手すりすらない。実は板に罠が仕掛けてあって、という事もなくてビビらずに歩みを進めれば問題ない作り。まあ、間隔がちょっと広くて、階段を上ると言うより、板から板へ飛び移るような感じになってるのは不幸な事故だ。最初の一段目がすでに地上三十メートルくらいの高さになっていて、各層が三十~四十メートルほどで九層分。落ちたら死ぬ高さで冷静さを失わないようにするのが攻略のコツだ。
そして、この亀裂、モンスターが飛び交っているので、登ってる最中の安全確保が大変なのは言うまでもない。あと、うまいこと一層まで登ったとしても、かなり奥の方なので外に出るまでに平均してゴブリン六、七匹に遭遇するはず。
まあ、頑張って欲しいところだ。




