(2)
では一体誰が?
わからん。
少なくともこの裁判所に同じ容姿の者はいない。外部の者が何をどうやったのか潜り込んで、裁判官になりすまし、記録を改ざんしたのだろう。
だが、いったいどうやって?
裁判所ってのは、結構な頻度で犯罪者を連れてくる場所だから、セキュリティは厳重。それに裁判官になりすますというのは相当大変なはず。
基本的に刑事裁判では裁判官が三名つく。ということは最低でも残り二名の裁判官に「同僚」だと認識させなければならない。
もちろん、各所にいる警備担当にもそう認識させなければならない。
うん、今さらだが、裁判官二名をさっさと始末したのは早計だったかもと後悔。生きていればその辺を聞き出すことも出来たのだが、今となっては、な。
と、過ぎたことをグダグダ考えても始まらない。気持ちを切り替えて……そうだな、裁判員の徳田由衣を探しに行こう。
「やはり留守か」
徳田は年齢の割に稼いでいるのか、それとも長いローンを組んだのか、まだ三十手前だというのに、駅からほど近い新築タワマンの高層階に住んでいた。俺の記憶だと、確か五千万はしたハズの物件。お金ってのはあるところにはあるモンだなと思いながら、室内を見て回るがどこにもいない。
鍵?世の中には鍵を開ける魔法のアイテムがあるか簡単に入れるぞ。まあ、こんなアイテム、ダンジョンの宝箱に入れるマスターはどこにもいないと思う。犯罪し放題になるし、コア部屋に厳重な鍵をかけても意味がなくなるからな。
で、それはそれとして室内を見て回っているのだが、数ヶ月、誰もここに入っていないような、そんな感じ。
冷蔵庫の中身は空っぽで家電のコンセントも全部抜かれている。そしてあちこちの収納にも衣類などがほとんど残っていない。キッチンのシンクを見てもきれいに掃除されているし、俺なら長期保存できるからと安いときに買い込むような缶詰なんかも残っていない。
俺に狙われていると気付いてどこかへ逃げたのは明らかだが、ここまできれいに片付けてあると年単位でこちらに帰ってこられないのを前提に動いているのだろう。
仕方ない、あまりやりたくなかったが……
キーンコーンカーンコーンとどこからともなく昼を報せるチャイムが鳴ると「よし、メシだメシ!」「今日、なんにする?」「悪い、午後イチに訪問だから移動しながら食う」なんて声が聞こえる。
そんなどこにでもありそうな会社の一室の昼休み風景。俺も少し前まではこの風景を構成していたんだよなと感慨深げに出ていく者を見送ると、狙いをつけていた隅の席へ座る。
もちろん姿はこの席の者で。
「ええと……人事通達なんてのはあるかな」
PCを操作してグループウエアを表示して、ポータルを表示。えーと、会社からの通知的なものは……これかな。
「お、人事通達があるな……今月分にはなし。先月……先々月、あった」
本人が希望したのか、それとも偶然か、徳田は他の支店へ異動していたようだ。
「って、これ、日本じゃないな」
そこに書かれていたのは謎のカタカナの羅列。見た感じで言うと、どこか外国の地名っぽいが、聞き覚えが全く無い。とりあえず名前をメモして帰ってから調べるしかないな。ここにこれ以上の長居は無用だし。
地名っぽい謎のカタカナ文字列をメモしたらグループウエアを閉じておき、痕跡を残さないようにしておく。アクセスログとか残ってるだろうけど、このPCを使ってる社員から見れば不正アクセスじゃないから大丈夫だろう。
ダンジョンに戻ると、すぐに地名で検索したが、なかなかヒットしない。
地名をカタカナにするときに「ヤ」「ユ」「ヨ」をそのままにするか拗音にするとか、細かい発音を簡略化するか、みたいな違いがあって、どうやらこの会社の場合、かなり微妙な簡略化をしているらしい。
ちなみに会社のホームページを見てもカタカナ表記だった上に、住所もそんな微妙な表記を引き継いでいるような感じで、地図検索をしてもヒットしない。本当にそんなところに支店があるのかと疑いたくなるレベルだな。
どうにか地図でそれっぽい地名を探してみると……おお、確かにちゃんとこの会社の支店がある。何してる会社なのかは知らんけど。
で、この国について調べると……日本人は十数人滞在しているらしい……って、この会社の従業員だけじゃないか?まあいいか。
さて、どうするか。ある程度、身の安全のために逃げ回ることは想定していたが、まさか地球の裏側まで逃げるとは。
そんなに俺って恐ろしい存在なのか?
大学時代の俺に対する評価って「人畜無害」「草食を通り越して無食」だったんだがな。それに今だって、結構野菜多めの生活、ってそれは関係ないか。
とまあ、そういう下らないことは置いとくとして、とりあえず向かうか。
念のためにコア部屋までの通路を再確認。問題なしどころか、ここへ通じる隠し通路自体、誰も見つけていない状況だな。仮に隠し通路を見つけたとしても、そこからさらに隠し通路、隠し通路だし、水の中を通っていくルートはダンジョンポイントが貯まる度に増築していて、既に俺にも正解ルートがパッとわからないレベル。
さらに何ヶ所かの不正解ルートには転移魔法陣も用意してある。行き先はランダムじゃなくてダンジョン入り口付近。深い層にしていない俺って、親切だよな。
一通りの確認を終えると外、元神社の裏にあった池の畔へ。相変わらずここには誰も来ない。草が伸び放題で荒れ地になってるのがちょっと切ないので、戻ってきたら草刈りでもするか。
そんなことを考えながら空へ。
旅客機の航路よりも高く飛んでいけば邪魔にもならないだろう。
距離にして二万キロ弱、あまり飛ばしすぎると衝撃波とかで周りに迷惑をかけるので程々に抑えて飛ぶことほぼ丸一日。ほぼ真下に徳田の異動した支店の建物が見える位置に辿り着いた。
到着が深夜になってしまったので、さすがに無人。
本当にここにいるかどうか確かめるために中に入ることも考えたが、一応はセキュリティがかかっているようなのでやめておいた。さすがの俺もドアや窓を開けずに中に入るのは不可能だからな。
三階建てのこぢんまりしたビルも、この辺りだと背の高い方で、屋上からは街全体がよく見える。そして、日本に比べると街灯が少なくてほぼ真っ暗。時折車が走っているのが見える程度。日本製でもなく、ヨーロッパのメーカーでもない、この国あるいは近隣の国のメーカー製なのだろう、実に古いデザインで道路事情も相まってガタガタ言いながら走っている。そしてライトはほとんどが片目で、テールランプが点いている方が珍しいかもという具合。ウィンカー?俺の位置からは見えなかったな。この国の交通事情、大丈夫なんだろうか?慣れもあるんだろうが。
絵に描いたような発展途上国の姿だが、これでも経済的には結構豊からしく、この十年ほどで急速に発展しているらしい。まあ、経済発展にインフラが追いつかないのはよくある話か。
軽く姿を隠して屋上に寝そべり夜明けを待つ。街灯がほとんどないせいで星がよく見えるな。
「はあ……こうして宇宙に思いを馳せられるようなのを見ていると、自分がちっぽけに見えるな」
龍神という、自然を司る神になっていると言っても、精神的には人間のままだから、余計にそう感じるのかも知れない。この広大な宇宙に比べればあまりにも小さな体。そしてその体の持つ様々な能力に対して全く理解が追いついていない、人間のままの精神。
と言っても、この宇宙の広大さに比べれば俺のことなんて、と復讐を諦めたりはしない。
そう、逆に考えるんだよ。ちっぽけだからこそ、やり遂げてもやり遂げなくてもこの広大な宇宙に与える影響なんて微々たるものどころか無視できるレベル。
ならば、俺の心の平穏のためにもやり遂げなければと、改めて星に誓う。やり遂げてみせる、と。




