(4)
「ん……」
これは生きているのか、死んでいるのか。
ゆっくりと目を開けると、ゴツゴツとした岩の天井が見えた。
「えーと……」
朧気ながら、何があったか思い出してきた。
ダンジョン探索、亀裂への落下。
なぜか水のようなもので受け止められ、龍の元へ流された。
だが、右腕と右足を切断していた。出血を止める術も無かったから、ここは死後の世界と言うことだろうか。何となくの雰囲気で言うと地獄?
神の遣いのような聖人君子だったとは言わないが、地獄に落とされるような悪事を働いた記憶は無いんだがな。痴漢も冤罪だし。そりゃ、亀裂に落ちたときは、恨み辛みも言ったけど、そのくらいはノーカンにして欲しい。
「く……う……」
ゆっくりと体を起こす。
少しだが水が溜まっている場所に倒れていたせいで体が冷えている。
起き上がって全身を確認。泥まみれ。当然か。
「ん?」
右腕がある。右足も。
袖は千切れて無くなっていて血で染まっているし、ズボンも膝丈になって靴も履いていないが。
「生えてきた?」
いや、まさか。つか、一つ気になることが……一つどころじゃ無い。見える範囲全部がおかしい。
「縮んでる?……だが、この体は……何か違う……つか、何か色々おかしい」
さっきから呟いている独り言も全然違う声に聞こえる。
「そう言えば、龍がいたんだっけ」
辺りを見回すが、龍はいない。
代わりに、小さな台座の上に不思議な雰囲気でなんとも言えない色の輝きを放つ玉が一つ。
「状況が全くわからん」
何となくわかるのは、ここが気を失う直前に運ばれた場所だろうと言うことと、体が治っている一方で体の感覚があちこちおかしいことか。
「この玉ってもしかして……」
世界中にダンジョンが出現したとき、一部でまことしやかにささやかれていた――そう言うのが好きな連中の間での噂でしか無いから信憑性なんて皆無だが――のが、ダンジョンの奥にはダンジョンコアがある、と言う噂だ。
さらに、何の根拠も無いのだが、ダンジョンコアを支配するダンジョンマスターがいるとされている。
曰く、ダンジョンマスターはダンジョンコアを使ってダンジョンを自在に操り、支配する。
曰く、ダンジョンマスターを倒すとダンジョンコアの所有権を得られる、などなど。
もしもあの玉がダンジョンコアという奴だとしたら?
「触ってみるか」
罠の可能性は高い。だが、あの亀裂から落ちてきた高さを考えると、今いる場所はかなり下層。それもまだ誰も到達していない程の下層と言う可能性がある。
運良く生きているようだが、いつどんなモンスターに襲われるかわかった物では無いこの状況では、罠だろうが何だろうが気になった物は片っ端から確認してもいいだろう。
死んだも同然のこの身、触れた瞬間に死ぬような罠だとしても別に構わない。死ぬタイミングが少しばかり前後した程度だ。ならば、これがダンジョンコアだという、万に一つの可能性に賭けたっていいじゃないか。
ゆっくりと手を伸ばし、ぺし、と玉に触れる。硬くて滑らかな、まるで磨かれた石か金属のような感触。そして、頭の中に聞こえる声。
『ダンジョンマスターの無力化を確認しました。ダンジョンマスターの権限が委譲されます』
「は?」
マジで?マジでこれがダンジョンコアって奴なのか?で、俺がダンジョンマスターになったって事?
かすかに予想していたこととは言え、突然の出来事に戸惑っていると、さらに声が続いた。
『新たなダンジョンマスターを瀧川陽と確認しました。瀧川陽宛に前ダンジョンマスターからの伝言が残されています。今すぐ確認しますか?』
よし、もうゴチャゴチャ考えるのは止めよう。
前のダンジョンマスターからの伝言?誰がどんな伝言を残したってんだよ。と言うことで答える。
「はい」
『伝言はこちらになります』
ジジ……と、少しのノイズのあと、あの龍の声が聞こえてきた。
『あー、あー、これでいいのか?……よさそうじゃの。ん、ゴホン。えーと、何から話せばいいんじゃ?ああ、そうじゃな、どうしてお主のことを知っておったのかから話した方がよいかの』
龍って、龍神という表現があるように神様に近い存在だと思ったんだが、結構アレだな。気さくな感じなんだな。
『お主と初めて会ったのは、かれこれ十五年も前になるかの?夏の暑い日に、お主が妾の住む祠を直してくれたことがあったのじゃが、覚えておるか?』
十五年前……まだ、ここがダンジョンになる前か。えーと……ああ、アレか。神社に遊びに来て、ボロッボロになって崩れそうになった小さな祠を見つけて、あまりにもひどかったから、扉を元の位置に戻して、たまたま持っていたテープをペタペタ貼り付けたのを覚えてる。
あんな適当な補修……と呼ぶのもおこがましいアレのことを言っているんだろうな。
『本来、ここにあった神社は妾を祀ったものだったんじゃが、その昔、社を建て直そうとしたときにたまたま雨が降ってな。妾は特に何をしたというわけでもない、ただの雨だったのじゃが、辰神様がお怒りじゃとか言う事になってしまったんじゃ。そして、妾の依り代たる神体はそのまま祠に残されたんじゃが……いつしか、そのことも忘れられてな。ほったらかしになってたんじゃ』
そりゃ大変だな。
『じゃから、嬉しかったんじゃ』
嬉しかった?
『誰からも忘れられた神は消滅するのみ。消え果てるのも運命と思い、覚悟していたのだが、救われた』
そういう解釈か。
『いつか恩を返そうと思っておったのだが、直後に妾のいる周囲がダンジョンとやらになってしまってな、身動きが取れなくなってしまったのじゃ』
そう言えば、あの夏の日の直後だったな、ここにダンジョンが出来たのって。
『ダンジョンマスターとやらになったはいいが、これはこれで誰からも顧みられることのない生活。再び消えるかと思っておった矢先に今度は死にかけのお主が落ちてきた』
ダンジョン化と共に鳥居を始めとする神社全体が消えてしまったからお参りする人もいなくなって、という感じか。俺、運が良かったんだな。
『死にかけのお主を救おうとしたのじゃが……妾の力を注ぎ込む以外に策が無くての。姿形も変わってしもうたが堪忍しとくれ』
そうか、この姿はあの龍の力――神通力とかそういう奴だろうか?――を注ぎ込まれ、変化してしまった結果か……うん、確認は後回しだな。
『さて、めでたくダンジョンマスターになったお主に、妾がこれ以上伝えることはない。どうやら色々揉め事に巻き込まれていたようじゃからケリを付けるもよし、姿が変わったところで心機一転、新たな人生を歩むもよし、ダンジョンマスターとしてここを運営してのんきに暮らすもよしじゃ』
俺に求めることは何も無い、か。
『この部屋の奥に、妾がここに来てから思いついたことを書き連ねた帳面がある。たいしたことは書いておらんが何かの参考にでもするといい』
部屋の奥に小さな机があり、数冊のノート(?)が置かれている。
『では、元気での……』
伝言はここまでで終わっていた。