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「……悪く思うなよ」
「え?」
走り出そうとする足元に棒きれ――ダンジョン探索で罠がないか探すのに手軽に使えて便利な一品――を引っかけるとそいつは間抜けな声と共に転倒した。
「ま、待ってくれ!おいてかないでくれ!」
後ろから助けを求める、またはこちらを非難する声が聞こえるが無視。ダンジョン探索は命あっての物種。そして奴らは人間のクズ。ここで俺たちを生かすために命を使うのがせめてもの罪滅ぼしだぜ。
そう心の中で答えながら一気に走り抜け……ん?
突然視界が暗転し、ドサッと地面に転倒した。必死に体を起こしたその先を走って逃げる後ろ姿の俺が見える。
「な……こ、これは……」
何が起こったのかわからず、混乱し始めた直後、
「ガアッ!」
ズドン、とすぐ右で音がした。
「ぎゃあああああ!」
お、俺の!俺の右腕が!
ズドン!
俺の……足……
「あああああっ!」
飛び起きた。
全身に嫌な汗をかいて。
あの痴漢野郎の死後しばらくして、裁判に関わっていた者が次々行方不明になっていった頃から毎晩のようにこうして夢に出てきて、夜中に何度も目が覚める。
「あ、あ、あ……アイツは、死んだ!死んだはずだ!」
あの状況で生き延びることなんて出来るはずがない。
生きてるはずがない。なのになぜ、関わった者が次々行方不明になっているのか。
警察に呼び出されたときは、何かやらかしたかとヒヤヒヤしたが、まったく違う用件で、「一応見回りは強化しますが、ダンジョン内ではどうにもなりませんので」と言われた。
確かにダンジョン内まで警官が身辺警護でついてくるのは無理だろうからそれは仕方ない。
なんて納得できるわけがなく、「なんとかしろよ!税金払ってんだぞ!」と食い下がったがダメだった。
結局、俺たち全員の意見は「あまりダンジョンの深いところに行くのはやめよう」で一致し、ダンジョンに行ってもゴブリン数匹を狩ったらすぐに出るという、他の連中からは臆病者と呼ばれるような狩り方になった。
当然稼ぎは激減し、月の稼ぎは一人頭にすると十万に行くかどうか。家賃もロクに支払えなくなり、この安アパートに移り、電気も水道も極力使わない生活をしているが、それでもカツカツ。
このままでは来月の家賃を払えそうにない。
「クソ!クソ!クソ!」
ダン!ダン!と床を殴りつけるが、なんの解決にもならない。
「なんで俺たちがこんな目に遭わなくちゃならないんだ!」
あの痴漢野郎……もしも生きていたら、ぶっ殺してやる!
「うーっす」
「おう、来たか」
「大丈夫か?」
「何がだ?」
「ひでえ顔してるぜ」
「お前もな」
最近、それも特にこのひと月ほどは、全員が同じような状態で、毎晩悪夢にうなされていて、ロクに寝られていない。
そのせいで顔色はだいぶ悪いし、頬が少し痩けていて目の下もクマが出ている。本来ならこんな状態でダンジョンに行くなど自殺行為だが、ダンジョンに行く以外の稼ぎ方を知らない。
もちろん、バイトなどをすれば良いのだろうが、この歳までバイトをしたこともなく探索者家業だけだったので、普通の仕事が出来る自信がないのだ。
「全員揃ったな……行くか」
今までは、ダンジョンへ向かう足取りはそれなりに軽く、さて今日はどのくらい狩れるだろうかと期待しながら入っていったものだったが、ここ最近はまったく逆になった。
疲れ切ったように足をすりながら歩くことも珍しくないし、ダンジョンに入るときに思うのは、
「今日も奴に狙われませんように。生きて出られますように」
実に後ろ向きになったものだが、そうだと気付く者はいない。いやむしろ、気付くだけの余裕がないとも言えるだろう。
「そろそろいい感じになってきたようだな」
「ブルルン」
「ああ、よくやった。いい子だ」
「ブルルン」
この二、三ヶ月、ダンジョンの改造はほとんどしていない。理由はとても簡単で、俺を指導したこの四人を追い込むためだ。
見方によってはコイツらに悪意はなかったとも言えるだろう。俺がダンジョンマスターを引き継いだときに確認した限り、二層でオークの群れにあうというのは相当に運が悪いケースだというのがわかったからな。誰の運が悪いのかは知らんが。
そう、つまりあれは事故だ。初めてダンジョンに入るクライムをワーカーが指導している最中に起こった不幸な事故。ダンジョン内でモンスターに襲われるのは当たり前の出来事。
確かにな。
だが、オークがでる可能性がある階層へ行ったのは彼らの判断だし、オークがでたときに対処できずに逃げ出した上、俺を囮にしたのは言い訳無用だ。
これが、ちゃんと正直に「滝川陽を囮にして逃げました」と申告していたら俺の考えも変わったかも知れないのにな。
ということで、どうしようかと考え、ダンジョンコアから生み出すモンスターの一覧に見つけたのがこの馬。悪夢の象徴、ナイトメアだ。
戦闘能力はあまり高くなく、俺の両親どころか、七田と川畑あたりでも簡単に勝ててしまう程度。だが、コイツの真価は単純な戦闘ではなく、相手に悪夢を見せ、衰弱させることにある。
見せる悪夢の内容は様々で、「とりあえず酷い夢」から「これこれこう言う感じの夢」という細かいところまで練り上げたものまで自由自在。だが、「とりあえず悪夢」ならわずか一千ポイントという格安な一方で、ある程度以上内容をコントロールしようとすると、五百万という大量のダンジョンポイントをつぎ込んだ、上位種っぽいのでないとダメというのが難点。さすがに四頭呼び出すのはキツかったので一頭だけにしておいた。移動が大変だったけどな。アイツら金がないなら一緒のアパートで共同生活すれば家賃がだいぶ浮くのにな。わざわざ別の、それも結構離れた位置のアパートを借りてるから本当に面倒だったんだ。
そう、毎晩ナイトメアを四人のところに向かわせ、悪夢を見せ続けたんだ。俺が丁寧にカスタムした悪夢を。
ナイトメアって見た目は馬だし、機動力もあし知能も高いので、場所を教えてやれば自分で勝手に行けるよ?というか、「場所覚えたんで、自分一人でも大丈夫です」とか言ってたが、さすがにダメだと言い聞かせた。日本の道路を馬がひとりで歩いて行くのは色々問題になるからな……と言い聞かせようとしたが、「自分、馬じゃなくてナイトメアです」とか返されそうだったので、こう言い聞かせたんだ。
「道路交通法上、お前は軽車両という扱いになる」
「軽車両?なんですか、それは」
「詳しいことは知らなくていいんだが、これだけ覚えておいて欲しい」
「はあ」
「お前が道路を歩いたり走ったりするには」
「するには?」
「クラクションとかヘッドライトをつけなきゃならん」
「そ……それは……さすがに」
とりあえず人間の領域では人間の決まりに従わなければならない、と言うことは理解しているようで、こんな適当なやりとりも納得してくれたのは助かる。だが、代わりにトラックでナイトメアを運ぶという仕事が増えてしまったのは誤算だった。さすがに大型車になってくると、インキュバスに運転させるのはキツいからな。
ちなみに見せている夢としては俺と同じ目に遭って絶望する、というもので、それぞれに見せて回った初日は、四人とも絶叫しながら飛び起きたらしく、隣から「うるせーぞ!」という声が聞こえたりもした。
で、しばらくは毎日四人のところに行っていたんだが、全部回って悪夢を見せると四時間くらいかかってしまうので結構キツい。そこで五日程経ってからは、一日一人&二人毎に一日休むってローテーションにしたんだけど、どうやら毎晩悪夢を見ているらしい。
ナイトメア曰く「そのくらいの恐怖を与えたということです」とのこと。




