(3)
落下をゆっくりに感じながら、この二ヶ月ほどの間に起きたクソみたいな出来事を思い出していた。
これが走馬灯という奴か。どうせならもっと良い事を思い出したかったな。
この亀裂がどのくらい深いかわからないが、本当なら一瞬で落ちていくはずなのにゆっくりに感じる奇妙な感覚の中、あらゆる者に呪いの言葉を吐いていく。あの女子高生、周囲にいた乗客、駅員、警察官、取り調べの刑事、クソ弁護士、裁判官、裁判員、刑務官、そしてあの四人のワーカー。いや、刑務官はちょっと違うか。彼らは俺の刑が決まった後のお仕事だからな。ま、それもどうでもいいや。どうせあと数秒か、長くても数十秒で俺は死ぬのだから。
――久しぶりに見たと思ったらずいぶんとまあ、大変なことになっているようじゃな
「え?」
急にそんな声が聞こえた。頭の中に直接。なんだこれ?これも走馬灯?
――これも何かの縁。そして、恩を返すに良い機会。助けてやろうぞ
「はい?」
トプン……と背中に不思議な感覚を覚えると共に、落下速度が落ち着いて、そっと支えられるような感じになった。下を見ると、幅は亀裂の幅一杯に、長さはぱっと見で見えないほど、厚さもこれまたわからないほどの水が現れ、その上に乗っていた。そう、水に浮いているのでは無く、乗っていたのだ。指先に触れるそれは、ゼリーのような弾力があるものの、そっと指を入れると確かに液体の水。だが、ペタペタと触れるとぷるんと震える。
「何だ……これ……」
手足の痛みも忘れ、ゆっくりと下降していく不思議な水の感触を確かめていると、やがて底につくとするするとその厚みが減っていき、五十センチほどになるとそのまま亀裂に沿って陽を乗せながら北の方へ流れていく。
「えーと、どこへ行くんだ?」
声は帰ってこなかった。上を見上げても暗くてよく見えないが、多分十階層くらい降りてきたのかな。もしかしたらここが最下層か?となると、モンスターはもっと凶悪で、俺なんか一瞬で灰も残さず消されるレベルのはず。一寸先は闇とはこの事か。
だが、不思議と恐怖は感じない。まるで何かに大切に守られているような、そんな暖かな空気すら感じているくらいに。
しばらくすると、壁に開いた穴の一つへ入っていく。もうあれだ、されるがままでいいだろう。神経が機能しなくなったらしく、痛みは感じなくなっていたが、腕と足の出血は止まっていない。この様子ではもって数分だろうな。人間が失血死する出血量ってよく知らんけど、そろそろマズいレベルだろうし。最後の最後でGPS追跡装置が外れたのを喜ぶべきか……うん、どうでもいいや。もうすぐ死ぬし。
それでも声が言っていたことが気になる。「久しぶりに」とは?朦朧とし始める中で必死に考えるが、声に聞き覚えは無い。と言うか、あの声、耳で聞いた感じでは無かったなと思い返したところで、広い部屋に流れ着いて止まった。
「フム、大きくなったな」
声に振り向くと、そこにいたのは龍だった。
晴れた空の色のような鱗に、白いたてがみ。角と爪、牙、目は金色。まるで芸術品のような姿は普通なら恐れおののきそうな程の存在感だが、どういうわけかまるで母親が子供を見つめるようなまなざしでこちらを見ている。
「大きくなった……って、誰?」
「まあ、知らんのも無理は無かろう。妾が一方的に覚えていただけだからの」
妾ときたか。少なくとも今までに自分のことを妾という人物は記憶に無い。第一、目の前にいるのは龍。ダンジョンというファンタジーが存在すると言っても、龍と会った記憶は無い。と言うか、会ったことがあったら絶対に覚えてるはずだ。
「えっと……」
色々と聞きたいことがあるが、限界だ。
グラリと視界が揺らぎ、バタリと倒れ……たことにも気づかず、意識を失った。
「フム……仕方ない。だが、これもまた運命か」
龍は一人呟くと、その大きく鋭い爪でそっと陽の体に触れた。
「後は任せるとしよう」
龍がそう言って目を閉じてからのことを見ていた者は誰もいない。