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「ヤバい、と思ったらマイクの辺りを二回叩いて下さい。すぐに突入します」
「わかりました」
上着の内ポケットのマイクの位置を調節して「こんな感じですか?」と確認しながら小住は思う。誰がどう言うつもりでこんなことをやっているのか知らないが、何かしようとした瞬間に逆に取り押さえてやるつもりだと。現役こそ引退したがコーチとして今も体は鍛えている。相手が実は柔道有段者でしたと言う状況なら、多少手こずるだろうか。その程度だ。
指定された場所は閑静な住宅地にあるこぢんまりした喫茶店。事前に警察が下見をしたところ、サラリーマンを定年退職した老夫婦が呑気に経営している店で、本当に知る人ぞ知ると言う隠れきった店。隠れすぎていて口コミ系グルメサイトでも扱われていないという、いわば通好みの店といった感じ。店内はそれほど広くないと言うから、この茶番を仕掛けた人物と取っ組み合いになったらすぐに組み伏せて合図。そして警察が突入すれば片がつくだろう。
「と言うようなことを考えているんだろうな」
喫茶店周辺の状況からの推測。この周囲もダンジョンの一部だから何が起きているのか手に取るようにわかる。巧妙に隠しているが、パトカー数台を含む警察車両が全部で二十台ほど。張り込んでいる人数は五十弱。ずいぶんと大がかりだな。なんとでもなるけど。
「いらっしゃいませ。どうぞお好きな席に」
出迎えたのは七十近い品のいい婦人だった。ちょっとダンディなおっさんだと聞いていたが、と戸惑っていたら
「今日は主人が少し所用でしてね。ちょっとお出しできないメニューがあるんですけど」
「あ、ああ。構いませんよ……ここの席、いいですか?」
「ええ、どうぞ」
席に着くと、内ポケットのマイクに聞こえるように呟く。
「今、席に着きました。店の主人は出掛けているみたいでご婦人だけです」
指定の時間まであと五分。可能な限り情報は流しておこう。
「コーヒーとサンドイッチのセットをお願いします」
「はい、少々お待ちくださいね」
注文を受けると、カウンターの奥へ。さて、ここからは演技力が物を言う。
今の俺の姿はここを経営している老夫婦の妻。背丈は元の俺より少し低くして百五十そこそこ。対して小住は百八十はあろうかという巨体。
小住は俺を一切警戒していない。体格差がこれだけあるのだから当然だな。だから油断しているところを狙う。
「あの、お客様」
「は、はい?」
「ちょっとすみません……手伝っていただけませんか?」
「え?」
「その……コーヒー豆が棚の高いところにしまってあって届かなくて」
「ああ」
「すみません。主人なら届くんですけど……」
「いいですよ」
何の警戒もなく小住が席を立ってカウンターに入ってきた。
「こちらです。あ、どうぞ入ってください。そこの棚なんですけど」
「そこですか」
「はい」
ダンジョンコア部屋へようこそ。
「ま、コーヒー豆はどうでもいいんですよ」
「え?」
伸ばしかけた腕をつかみ、グンッと奥へ放り投げる。
「うわっ」
今後のことも考えて用意した、仮の拘束所へ放り込むと、ガチャンと鉄柵を下ろす。よしよし、さすがレスリングの選手。ちゃんと受け身を取って怪我を防いでいる。っと、感心している場合じゃない。ここからは時間の勝負だ。
鉄柵には水路に付けたような十桁の番号を揃えて開ける鍵が付いている。ダンジョンの制約で、完全に分断するような檻は作れない。つまり、番号を合わせることが出来れば、この檻を開ける可能性があるのだが、悲しいことに番号の書かれたダイヤルはこちら側。つまり小住はからはそんなダイヤルがあることは見えない。つまり、鍵があって開けられるかも知れない、という事にすら気づけない状態でしばらく過ごすことになる。でも、急ぐけどね。
ダンジョン内転移で六階層へ向かうと、ミニバンの運転席に座ったインキュバスが待っていた。ある程度運転できりゃいいやと言うことで昨日から基本的な運転操作を教え練習させておいたモンスターだ。
「行くぞ、出番だ」
車ごと地上へ送ると、すぐに俺も地上の別の位置へ。ダンジョンの入り口を挟んでほぼ反対側にある今回のために用意した空き家に入り、ついさっき拝借してきたスマホを取り出し、小住の番号にかける。そしてすぐに喫茶店に戻り、小住のスマホを出して受話。
通話状態のままですぐに戻り、終話。スマホの電源を切ると、インキュバスへ車を走らせるよう指示。すぐに喫茶店に戻り、小住のスマホを手にすると小住の姿を自身にかぶせて店の外へ出る。やれやれ、忙しいね。
「そろそろ時間だな……全員警戒を怠るな」
無線から「異常なし」の連絡を受けながら店の様子をじっと見つめる。刑事のカンだが今回はきっと何かがある。
「こちら、西側二班、ミニバンが一台そちらへ向かいました」
「了解、全員注意を」
「小住が店から出てきました!」
「何?!」
見ると確かに小住が店から出てきたところだった。時刻は……ちょうど指定時刻。
「マズい!小住を確保!急げ!」
イヤな予感がして指示を飛ばしたが、間に合わない。ちょうど店の前に滑り込んできたミニバンが刑事たちから見えない左側のスライドドアを開き、そのまま小住を引き込んで走り去った。
「クソッ!追え!」
すぐに数台が後を追うが、角を一つ曲がっただけで見失った。
「そんな馬鹿な!探せ!探すんだ!」
「見つかるわけがないよな」
角を曲がって、警察の目が一瞬途切れたところですぐにダンジョン内へ転移したんだからな。出入りしやすいようにダンジョンコア部屋がかなり広くなってしまったが、広さなんていくらでも変えられるからいいさ。「ご苦労さん」とインキュバスを元の階層へ送り返す。
服を着せてしまえばほとんど人間と変わらない見た目のために運転手役をさせたが、なかなか役に立ったな。あまり難しいことはさせられないし、よく見れば人間と違うことはすぐにわかるから使いどころは難しい上、地上部分へモンスターを出すと、ダンジョンポイントを大量に消費するという仕組みなので、短時間しか使えない手だ。それでも、警察の捜査を攪乱できると思えば安いものだ。
「クソッ!ここから出せ!」
鉄柵を握りしめて小住が吠える。うん、もう少し手を上の方に移動させると、鍵のダイヤルがあるぞ、頑張れ。
騒いでいる小住はまだ放置。まだ作戦は続行中だ。すぐに喫茶店に戻り、小住のいた席に置いた水とおしぼりを回収していたら、予想通り刑事が三人も入ってきた。
「警察です!お聞きしたいことが!」
「は、はいっ」
「ああ、すみません。驚かせるつもりはなくて……えっとですね」
線の細い感じの女性がおびえているためか、しどろもどろになりながら、先ほどまでいた客の様子は?と聞いてきた。俺の演技力もなかなかのモンだろ?
「ええ、電話がかかってきたみたいでして。注文はいいからとそのまま外へ」
「電話ですか」
「はい」
「何を話していたか、わかりますか?」
「さあ……わかりました、とだけ言ってましたねぇ」
「そうですか」
ご協力ありがとうございます、と言って去って行った。そりゃそうだ。ここには手がかりになりそうなものは何も無いのだから。
すこし周囲の様子を見ていたが、十分ほどで店の周りから引き上げていった。小住を連れ去った車を探しているのは間違いない。そして、車がどこにも見当たらないので周囲に検問とか手配するのだろう。
無駄な努力だが、頑張ってくれ。そう思いながら、ドアの外の札を「準備中」に変えて鍵をかける。そしてダンジョン内に戻って原付を引っ張り出して駅へ向かう。ちゃんと入場券を買って改札を通り、ホームに上がると監視カメラの死角を通りながら隅の方へ。ベンチの上に電源を入れたスマホを置いたらすぐに戻る。そしてダンジョンへ原付を走らせる。ああ本当に今日は忙しい。
ダンジョンに戻ると、周囲に警察がいないことを確認してから喫茶店を解体して更地に。やっと一息つけるな。




