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PCを操作し、裁判資料を見ようとしながら、あの裁判の内容を白波は必死に思い出していた。
事件のあらましは特筆するような所のない、電車内での痴漢行為。瀧川陽が同じ車内にいた高校生の尻を触り、高校生が周囲に助けを求めた結果、乗客によって取り押さえられた。
その後、到着した上坂林駅の駅員により駅事務所内へ連行。通報を受けた警察が到着して逮捕。その後の取り調べを経て起訴となったのだが、瀧川は一貫して無罪を主張したものの、無罪の決め手になるようなものがない一方で、被害者の「触られた」という証言は揺るがず有罪。
現行法では懲役刑は一部の特殊なケースにしか適用されないため、ダンジョン労働刑が求刑された。そして犯罪の内容が内容なので、判決は一番低い二千ポイントとした。
では、あの裁判に何かおかしな点があっただろうか?
実際に犯罪行為が行われていたかを確認する術は無い。最近は電車内に防犯目的のカメラが設置されるケースが増えてきているが、首都圏をはじめとした大都市の路線が主で、ここのような地方の路線ではまだ普及していないため、犯行の様子が映像に捉えられていたりはしない。
だから検察側の主張としては被害者の証言に基づくものがメインで、被告の主張する「それは○○だから!」に対しての反証が多い。
では瀧川はどのように無罪を主張していたか。
まず、彼の主張は「傘が当たっただけ」というもの。
なるほど、傘が当たっただけならば犯罪にはならない。もちろん、傘を振り上げて叩きつけたなら傷害罪だが、そういうわけでは無い。高校生に不快感を与えてしまったかも知れない部分は謝罪しますと述べていたので、実は裁判官、裁判員共に心証は悪くなかった。
だが、検察の反証はこうだ。
「朝から快晴で、降水確率は10%を切っていたのになぜ傘を持っていたのか」
もちろん折りたたみ傘なら普段から持ち歩くことはあるだろうが、瀧川が持っていたのは折りたたみではなかったし、コンビニで購入できるようなビニール傘でもない、比較的しっかりした傘だったという。
その点についての瀧川の主張はシンプルだった。
「夜勤明けだったから。前日は台風だった」
毎日の天気を全て覚えていられるほどの記憶力はないが、前日は大型の台風が来ていたという。確かにその頃に台風が来ていたのは覚えているが、なるほど夜勤のために前日出勤していて、朝になって帰宅というのなら傘を持っている理由はわかりやすい。
だが、ここからおかしな話になっている。
瀧川が会社から帰宅する途中だというなら、会社の最寄り駅である音ヶ崎駅から自宅の最寄り西井田駅まで下りに乗っていたはずだ。しかし、駅員によると彼が犯行に及んだのは上りだったという。
それを検察が示すと、瀧川は「そんなことはない。しっかり確かめてくれ。そうだ、定期!定期の記録だ!」の一点張りになった。
なるほど定期を通した記録ならと思ったが、駅員によると、瀧川は定期を持っていなかったという。電車通勤で定期を持っていないというのもおかしな話だとしてきすると、瀧川は「定期は持っていた」と主張している。
だが、所持品から定期券は見つかっていない。
定期を使っていないと言うことは、普通に乗車券を購入して改札を通ったということになる。そして乗車券を連行のゴタゴタでどこかに落としてしまったら確認のしようがなくなる。
一応検察が、駅員を通じて瀧川の定期券の発券有無を確認しているが、過去に発行した履歴はあるが、犯行当日に有効な定期券は無かったと言う回答だったというので、それ以上は確認していない。
そして、さらに検察が瀧川の会社に当日の勤務について問い合わせたところ、夜勤では無かったという回答があったという。勤務表の類いは提出されず、口頭での回答だったというところに不自然さを感じるが、会社が嘘の証言をするメリットは無いだろうということで瀧川の主張は崩された。
見ようによっては、何者かが瀧川をはめたようにも見える。だが、瀧川は家族が国内有数の実力を持つオフィサーという以外にこれと言った何かがあるわけでもない人間。
これをネタに家族を強請るとかいうのもあるかも知れないが、その家族から「知らん」と切り捨てられていたらしいので、あとは個人的な怨恨か?
強盗や殺人といった犯罪の場合は、被告の人となりを調べた資料が用意されることもあるが、痴漢行為で用意されることは無く、どういう人物かはよくわからない。
だが、あの謎の人物は、その瀧川陽が無罪であることを確信していて、その無念を晴らすべく動いているような事を言っていた。
そこまでの人物だったのだろうか?
そんなことを頭の中で――ほぼ一瞬で――考え終えたところで、PCに各種資料が表示され始めた。
今できることは……こうしておくか。
しばらくすると、白波が紙に何かを書き付けた。
「これでどうだ?いるんだろ?」
「ええ、いますよ」
姿を見せ、紙を受け取ると、そこには八人の氏名と住所が書かれている。
もちろん、それぞれ本人確認をしてから復讐するけどね。
「これでいいんだろ?」
「ええ……何をしている?」
「え?」
さらに何かをしようとしたので、背後に回り込み、親切にも「見てますよ」アピールをしてやる。
「っく……」
「そうだ。それが裁判の記録ですね?」
「あ、ああ……」
「見せてください」
「ことわ「見せろ、と言っている」
少しだけ語気を強めたらブルブル震えながらPCを操作。資料一式が画面に表示された。
「ふむ……次の資料……次のページ……次の……へえ」
俺に対する取り調べ調書の内容は、一応俺が喋らされたまま記録されていた。そこは改竄しちゃダメな奴だからな。目撃者の証言も、彼らが喋ったままなんだろう。見たままではないだろうが、そこもどうでもいいや。人間の記憶なんて、思い込み一つでいくらでもブレるからそれを追及する意味は無い。それに、どうせ始末するし。
だが、ヤバいのは証拠品とか、付随する証言だろう。明らかに捏造されていたり、普通なら提示するだろうという証拠が何一つ揃っていない。それどころか、俺は「この資料を証拠として提示していますから」と聞かされていたものがない、なんてのもある。こんなので良く裁判が行われたものだ。疑わしきは罰せずの原則はどこに行ったのかと問い詰めたい。これを見るまでは、「同じ事を二度とやるんじゃねえぞ」と脅かしながらダンジョンに放り込む程度にしようと思っていたが、絶対許さないと脅しながらに方向転換しよう。
「はあ……これじゃ無罪にならないわけだ」
「え?」
「ま、いいや。資料はもういい」
「そうか……それじゃあ」
「心配か?そうだ、娘さんに会いに行きますか?送りますよ?」
ガタッと立ち上がった。ま、そりゃそうでしょうね……ちょっと予定より早いけどこのまま始末しよう。どうせ今日中に始末する予定だったし。
「では外へ。駐車場に車を止めてあります」
慌てて出ていくので、幻覚で姿を隠しながら追いかけて駐車場に。
「どこだ?どの車だ?」
「まあまあ、落ち着いて」
気持ちはわかるけどな。
「こちらへどうぞ」
新しく用意しておいた車へ乗せると、自分も乗り込む。同時に車に幻覚魔法をかぶせ、全く違う車種に見せてから走り出す。
そして、少し走って信号で止まったところで、いきなり魔法で水を操って全身を包んでやると、少し暴れたがすぐに気を失って大人しくなった。まだ死んじゃいないぜ?少し溺れた状態にしただけで、ちゃんと生きてる。ここからダンジョンまでは三十分もかからないが、途中でいきなり逃走されても面倒だから大人しくさせただけだからな。