(2)
そいつがポケットに突っ込んで置いた手を出し、指先でつまんだコインを見せる。
「五百円玉?」
「ええ。正真正銘本物ですよ。下の自販機でも使えます」
カラカラと笑うと同時に五百円玉がグニッと折れ曲がった。指先に力を込めた様子も無いのに。
「使えなくなっちゃいましたね」
アハハ、と笑いながら放ってくるので白波は反射的に受け取った。投げる瞬間にも折り曲げたのか、四つ折りになっている。
「やろうと思えばこのドアも同じ要領で開けられるんですけど、穏便に済ませたくてこっそり入りました」
力を誇示していると言うことか?チタン製の頑丈な鍵ですら障害にすらならないと。だが、暴力に訴えるつもりは無い、と。
「何が目的だ」
「瀧川陽」
「?!」
「覚えてますよね?」
「まあな」
ほんの半月ほど前にダンジョン労働刑の判決を出した痴漢の容疑者……いや、今は受刑者か。大した事件でも無いが、ごく最近のことだからまだ覚えていた、その程度だ。
「そいつがどうした」
「彼にこう言いましたよね?『しっかりと反省し、二度とこのようなことを起こさないことを願います』って」
「ああ、言ったな」
だいたいの裁判の判決で言うけどな。
「無理言っちゃダメですよ。彼、何もしていないんですから。やってないことを二度とするな、なんて」
「有罪だろ」
「冤罪です」
「証拠は」
「彼が痴漢をしたという証拠自体ありませんね」
「被害者の証言、目撃者、それから……」
「ま、どうでもいいです」
いきなり話を切りやがった。
「どうせ何を言っても平行線ですからね」
「それで、お前は何者だ?」
「関係者です。あ、言っておきますが、家族は一切関係ないですよ?」
「ほう?」
そう言えば思い出した。家族から「一切関係ないのでどうぞご自由に」という連絡があったとかいう話だったな。
「では何者だ?」
「もう少し正確に言うとダンジョンの関係者、ですね」
「ダンジョンの?」
「ええ。彼……瀧川陽は死亡しています。調べればわかりますが、ダンジョン内で命を落としました」
「そうか」
ま、よくある話だな。
「で、何をしに来たんだ?」
「復讐です」
「は?」
「彼の遺志を継いで代わりに復讐を」
「意味がわからんな」
「私にとっては意味があります」
話がかみ合わない。
「ま、こちらの事情はどうでもいいでしょう?貴方は冤罪被害者の気持ちなんて理解するつもりも無いでしょうし」
「そんなことは無いぞ。俺は「黙れ」
室内の温度が数度下がったかと錯覚するほど空気が変わった。
「こちらの事情を理解してもらうつもりは無い。そもそも過ぎたことと言う次元を越えている。お前は、いやお前たちは調書の内容が正しいのか疑いもせずに」
「そんなことは」
「いくつもの反証があったと思いますよ。傘とか、電車の定期とか」
「傘などカモフラージュに過ぎないというのが検察の見解だ」
「あなたの見解ではないですよね。では電車の定期は?」
「記録はなかった」
「そうですか。では、仕事の帰りだったと主張していたと思いますが」
「戯言だ。会社は夜勤ではなかったと回答があったと聞いている」
「ふーん……なるほどね」
何を納得しているのだろうか。
「なるほどなるほど……色々と調べないとだめですね……ま、いいや」
「え?」
「どうせやることは変わらない」
「何?」
本能的に命の危機を感じる……本当に何者だ、こいつは。
と、こちらが怯えた様子を見せたせいなのか、少し態度が柔らかくなった。
「こちらからの要求は単純です。あの裁判に関わった裁判官二名と裁判員六名の氏名、住所を教えてください。あと裁判の資料一式をいただきたい」
「断る」
「でしょうね」
即答したが、当然その回答も予想していたようで、軽く流された。
「お嬢さん、小学校の三年生と一年生ですか。かわいいですねぇ」
そう言って、スマホを取り出し、動画を見せる。そこには見慣れた家の近所の道路を歩いている二人の娘。
『パパ、お仕事頑張ってね~』
『頑張って~』
無邪気にカメラに向かって手を振る二人。
「こ……れ……」
「今朝、撮りたてです。えーと、三年二組と一年一組でしたっけ?」
「く……」
スマホを奪おうと席を立とうとしたが「座れ!」と強い語気で止められた。どうしてか逆らうことの出来ない圧力を感じる。
俺が座ったのを見て満足したのか、トントン、とスマホを操作するとこう告げる。
「定期的にこのスマホである操作をしないと……異常が通知される。そうしたらすぐに娘二人の命を刈り取る手筈になっている。それだけ覚えておけ」
瞬時に理解した。コイツは……やると言ったら本当にやる……クソッ、どうすれば……
「さて、こちらの要求は以上です。すぐに回答を」
「無理だ」
「やれ、と言っている」
「守秘義務「そういう話をしているんじゃ無い」
何とかのらりくらりとかわして、誰かにこの事態を伝えるか……と机の下でスマホを操作しようとした。
「熱っ」
異常なほどの熱さに思わずスマホを落としてしまう。
「さっさと調べろと言ったが、スマホで調べろとは言ってない」
スマホの画面は真っ黒になっており、煙が上がっている。あいつが何かしたの……一体何をどうやって……
「ま、少しは時間が必要でしょう。一時間待ちます」
そう言うと、奴の姿が透けてきた。
「何かしようとしたらすぐに……わかりますよね?」
ニヤリと笑みを浮かべ……完全に姿が消えた。
思わず立ち上がり、奴のいた辺りを確認したが、何も無い。
普通、人がいると、息づかいや体温などといった物があり、それが気配、として感じられるのだが、それが無い。
だが、手の中には綺麗に折りたたまれた五百円玉と、煙を出して完全に壊れたスマホ。そして、自分の娘を完全に掌握しているという脅迫。
「どうすれば……」
ガクリと膝を落とし、呟いた。
今回の仕込みはなかなか面倒だったが、効果は抜群だったようだ。
コイツの自宅を突き止めたら、同僚の裁判官が訊ねてきており、どうやら大学の頃から家族ぐるみの付き合いをしていることが判明。これは使えると姿を覚えておいた。そして今朝、登校していく娘を追いかけ、幻覚でその同僚の姿になって、たまたま仕事の都合でこっちを通りかかって偶然会った、という自然な感じで挨拶。
「そうだ、パパに『お仕事頑張って』って送ろうか。今日は一緒に仕事をするからその時に見せておくよ」
「うん!」
長年築き上げてくれていた信頼というのはありがたいねと感謝していたら、白波がフラフラと立ち上がり、部屋を出ていくので慌てて追いかける。
一応、何かしでかさないか監視していないとな。裁判所がダンジョン内だったら監視も楽なんだけど。フラつきながらたどり着いた先は自販機。カップのコーヒーを飲み干すと、「仕方ない……」と呟いてまた部屋に戻っていった。
そして、PCを操作しながら何かを考えているようだ。
ちょっと区切りが微妙になってしまったので……本日2回更新にします!
18時予約です。




