(1)
竜骨ダンジョンの現在の最下層、十層。人類未到達の階層は、普通の人間なら危険を感じ、一刻も早く逃げ出したくなる場所だが、今の俺はこのダンジョンの支配者、ダンジョンマスターである。つまり、この階層に配置されている、作動した瞬間にパーティーを全滅させるような罠も、その威圧感だけで普通の人間なら心停止しかねないモンスターも、何の脅威にもならない。と言うか、俺が意図しない限り罠は俺相手には発動しないし、モンスターも俺に襲いかかったりしない。当たり前だ。
そんな十層の中央に巨大な何も配置していない部屋を作り出した。普通にダンジョンを探索してここに来たとしたら、何もないと言うことにかえって警戒するだろう事間違い無し、と言うくらいに何もない。広さが東西に三キロ、南北に四キロ、高さが二キロという超巨大空間。いずれダンジョンポイントを大量に貯め込んでから巨大なモンスターを配置しようと思っているが、今ここにいるのは別件だ。
「こ……これはなかなか……うん」
現在、俺はそんな空間のほぼ中央に浮いている。一応、空を飛ぶ魔法というのが風のレベル二からあるのだが、そう言う物ではなく、純粋に龍神の力で。
人間をやめて龍神になった。その結果、体力――つまり、筋力とか持久力とか――はとんでもないレベルになっている。どのくらいかというと、垂直跳びで軽く成層圏を越える。自動車をメリメリと折りたたみ、ぎゅっと圧縮して数センチ角に出来る、など。物理法則が仕事してない気がするが、そこはそれ、ファンタジーという奴だ。しかも別に全力を出した感じはしない。おそらくだが、ウラは勿論、他のダンジョンマスターとも力負けしないレベルのはず。ただの龍でも相当な物のハズだが、龍神だからな。
では、それ以外に何が出来るのか。
元の辰神さんは龍の姿だった。だから龍の姿になれるかと思って色々試してみたが、姿は変わらず。では他に何が出来るだろうか。と言うことで、空くらい飛べるのではと試してみたら案外簡単に宙に浮いた。現在の高度は約八百メートル。部屋全体をそこそこ明るくしているが、地面が薄暗くて見えないほどの高さに何の支えも無く浮いているというのは人間の頃だったらタマヒュンな状況だが、幸いなことに自分の力で浮いているというのがしっかり理解できているので縮み上がることはない。そんな感じだ。
「おりゃああああ!」
気合い一発、声を張り上げてから一気に加速し……壁に激突した。どのくらいの速度が出るのかを試してみたかったのだが、この広さの空間でも狭すぎたようだ。
なお、隠し扉のような構造でも無い限り破壊不可と言われるダンジョンの壁と龍神の俺の体の衝突の軍配は俺の体の方に上がり、壁にめり込んだ。放っておけばすぐに元通りになるんだけどな。ちなみにこの階層にいる各種モンスターはそんな俺の姿を見ながらガクブル状態。ダンジョン内の全ての生殺与奪はダンジョンマスターの胸一つ、と言うこともそうだが、それ以上に俺の格を感じ取っているようだ。
「安心しろ。ダンジョン内のモンスターを俺がどうこうするつもりは無いから」
そう言っておいた。気休めになればいいかなと思って。
「さて……行くか」
調査は順調に進み、駅員二人と警官二人の住所も抑えた。ちなみに四人とも寮だった。これはちと厄介かも知れん。んで、裁判官と裁判員の情報を得ようとして来たのが、俺が判決を言い渡された地方裁判所。
本当なら、一審判決の後に無実を訴えて控訴していくべきなんだが、あの弁護士、「これ以上やっても無駄です」と控訴しませんという手続きを勝手にしやがった。まあ、おかげで……と言うのもなんだかおかしな感じだが、裁判所関係の復讐相手は一審の裁判官と裁判員だけに収まった。ま、それでも合わせて九人もいるんだが。
さすがに裁判官全員をつけ回すのは色々マズそうだったので、裁判長の自宅だけ突き止めておき、さらにここに来る前に少しだけ仕込みをしておいた。全部幻覚魔法で作ってもよかったのだが、念のためリアリティを重視して。
「幻覚魔法……光学迷彩!」
あまりどぎつくない程度に周囲の光を乱反射するように幻覚をかぶせると、周囲からは見えづらくなる。この状態なら人間の目もごまかせるし、監視カメラにも「なんか靄みたいなのが映ってる」という程度になる。まあ、怪奇映像になりそうだが、裁判所内の監視カメラ映像がお茶の間をにぎわすことは無いだろうから気にせずに中へ向かう。
欠点としては赤外線検知タイプの自動ドアが反応しなくなることだが、誰かの後ろについて歩けば特に問題は無い。
あちこちうまいことくぐり抜けて目的の部屋に侵入成功。こういう場所だからセキュリティのためにドアが自動ロックだったが、他の人のすぐ後ろについて入れば何の問題も無いというわけだ。
そして目的の部屋に入ると、少しそのまま待つ。ここで焦っては意味が無いからな。そう思って一緒に入った人物を眺めていたが、鞄を置くと何も持たずに外へ出て行った。あの様子だとトイレだな。
魔法を解除して、姿を現す。あとは戻ってくるのを待つだけだ。
白波一夫は、出勤後、まずトイレに行くことを習慣にしている。裁判官という職業柄、緊急の仕事が入ることは滅多に無いが、落ち着いて仕事をするための……というかルーティーンという奴だ。
自室のドア――八桁の番号を入力する電子錠だ――を開けて、中に入る。十時に今日の午後の裁判について打合せがある。その資料を持って……ああ、あれも持ってこれも持って……と考えながら入ったところで、思わぬ来客に思考が停止する。
「どうもー」
ジーンズにグレーのパーカーというあまり特徴の無いその人物はフードで顔を隠したまま、軽い挨拶をしてきた。声質から若い女性だろうと推測するが、体型は少年のようにも見える。
「な……どこから入った?!」
「ドアからです」
「は?そんな馬鹿な……」
「そんな些細なこと、どうでもいいでしょう?」
「いいわけあるか!」
警備を呼ぼうと閉じたドアを振り返ると、なぜかそこにいた。
「え?」
もう一度振り返って見るが、さっきまでいたところには……いない。
「まあまあ、落ち着いて。そこに座って深呼吸でも」
「あ……ああ」
とりあえず言われるままに椅子に座り、ふう、と深く息をする。
「別に今すぐどうこうするつもりは無いから、まずは話を聞いて欲しいんだけど、いいかな?」
「話?」
今すぐどうこうしない、ということはいずれ何かをするつもりと言うことか。だが、相手のペースに飲まれたらおしまいだと、改めて呼吸を整え、気を落ち着かせる。
「いくつか教えて欲しいことがありまして。それさえ教えてもらえば、今日はすぐに退散するつもりです」
「な……何を教えろと……言っておくが、職業柄、色々と守秘義務がついて回る。言えないことは言えないぞ」
「ま、そうでしょうね」
他の作品同様、週一更新に切り替えます……