猫又千草
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—チリン
どこからか穏やかな鈴の音が聞こえた。
—チリン
口裂け女の動きが止まった。雅楽がおそるおそる目を開けると、口裂け女は彼の背後をじっと睨んでいた。
「嬉しいのお、嬉しいのお」
鈴を転がしたような美しい女性の声が響いた。口裂け女は鋏を雅楽の頬から離すと、じりじりと後ずさりを始めた。
「ようやく夫に会えた。一千年もの間、仕えるべき夫を探して、ようやく見つけた。……じゃが、其方は妾の夫に何をしておるのじゃ?」
美しい声の主は、口裂け女にゆっくりと近づいていく。
彼女は二十歳くらいだろうか。大きな目の中に金色の瞳を光らせ、血のように赤い色の口紅を唇に塗っていた。遊女のように肩をはだけさせながら着物を着崩している。
彼女の姿には、そんな時代錯誤の見た目よりも遥かにおかしな点があった。それは頭の上に生えた猫の耳と、お尻に生えた尻尾だ。金色の毛は夜の中でもきらきらと輝いて、思わず触れたくなるほど美しかった。
彼女の容姿で美しいものはもう一つあった。首元についている鈴だ。彼女は首輪をはめており、そこに鈴がついている。古いものなのかくすんでいて光沢はないが、歴史の重厚感が小さな鈴の中に閉じ込められていた。
「許せぬのお。夫の口を切ってキレイにじゃと? そんなことしなくても夫はキレイじゃ。お主のようなあやかしごときが触れても良い存在ではない」
そう言うと彼女は妖艶な笑みを消し、眉間にシワを寄せた。彼女は怒った顔ですら美しかった。
「ニゲル。ニゲル」
「穢れたハサミで主に触れた報いを受けるがよい。『繊月』」
一瞬、美しい女性が消えたと思ったら、彼女はいつの間にか口裂け女の後ろにいた。口裂け女は何が起こったのか分からない様子で、呆気にとられている。そして雅楽が瞬きをして再び目を開けた瞬間には、口裂け女の首だけが胴体から離れ、ポトリと地面に落ちていた。
「ア……、ア……」
「残念じゃったのお。でも因果応報じゃ。手向けの花もないが、お主には似合いの死に方じゃ」
口裂け女はだんだんと透明になっていき、やがて完全にその姿は夜の闇に溶け、消えてしまった。
それと同時に周囲の気温も元に戻った。
美しい女性はカツカツと可愛らしい下駄の音を響かせながら、雅楽の前まで近づいてきた。太もものあたりまでスリッドの入った着物は歩くたびにヒラヒラと舞い、こんな非常事態だというのに、雅楽は見惚れてしまった。
「驚かせてしまって申し訳ないのお。妾の名は……」
「手を見せて」
「えっ」
雅楽は女性の言葉を遮ると、彼女の左手を握った。白磁のような白い肌には、ひびのように赤い傷が一線できていた。
「さっきの人のハサミが当たったんだね。一応消毒しよう」
「……ああ、やっぱりとっっっても優しいのお。思った通りじゃ。妾の婿にふさわしい」
女性は両手を雅楽の肩におくと、首筋を通り頬まで滑らせた。彼女の手は冷たく、暑い夏の夜にはむしろそれが心地よく感じられた。
「妾の名は千草。生まれてから一千年の時を経て、猫又となったあやかしじゃ。そなたと結婚するために深山を降り、人の世へと赴いたのじゃ」
「け、結婚?」
千草は頬を赤らめ、目をとろけさせている。いきなりのことで雅楽は状況が飲み込めず、ただ驚くことしかできない。
「ど、どういうことっ」
「どうもこうもないのじゃ。さ、早く妾の口でも吸うておくれ」
「そ、それってキスってこと!」
「そうに決まっておろうに。妾たちは夫婦なのじゃから、普通のことじゃ」
「いやいやいや、普通じゃないって」
千草は唇を突き出しキスを迫るが、雅楽はそれを拒否した。
そもそも、先ほどの口裂け女に殺されたことも含め全てが謎だった。何より、目の前の千草の存在もいまいち理解できない。あやかしと言っていたこともそうだし、頭から生えている猫耳も、お尻から生えている二股に別れている尻尾も彼女が人間ではないということを証明していた。
「だ、だいたい君もお化けだよね! 人間と似てるけど、なんか猫耳と尻尾まで生えてるし。怖いよ!」
「妾は人をとって食ったりするあやかしではないわ! まあ、一かじりくらいならしてみたい気もするが……」
「ほら! 一かじりって言った!」
「冗談じゃ。そんなに怖がるなて」
二人が言い合っていると、どこから聞き馴染みのある声が聞こえた。
「雅楽!」
なぜか神社で巫女をやっているはずの蓮香がこちらに駆け寄ってきていた。
ただ蓮香だけではなく、その背後には、傘に一つ目と一本足が生えている妖怪、白装束に長い黒髪を携えた幽霊、妖精のように小さいが妙に長い鼻が特徴的な天狗など、たくさんのあやかしがついていた。
元々、そういった類のものが大の苦手だった雅楽の心にとうとう限界がきた。口裂け女、猫又ときて、怖がりの雅楽が意識を保っている方が奇跡だったのだ。
「ああ、もうだめ……」
「雅楽殿!」
蓮香の後ろにいたあやかしが決め手だったのか、雅楽は意識を失った。千草は力の抜けた雅楽のことを抱き抱えた。
気絶した雅楽のことを、夜空に浮いた月が照らしていた。
作者の紫 凡愚と申します!
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