付喪神
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「ん? なんだろうこれ」
先程倒したヒダル神の耳に耳飾りがついていた。元々は柄が書いてあったのだろうが、今はただ真っ黒なだけだった。
他のヒダル神にはそのようなものはついていなかった。
ヒダル神にも個性があるのだろうか。
疑問に思った雅楽はヒダル神に向かって屈み、それを触ろうとした。
「やめるんじゃ! 雅楽殿!」
「え?」
千草が止めた時にはもう手遅れだった。雅楽の手が耳飾りに触れた途端、頭に誰かの記憶が流れてきた。雅楽は内側から頭蓋が割られるような痛みを感じ、頭を抱えて跪いた。
「うわあああ!」
どんなに頭を抱えても、痛みと共に記憶は勝手に流れ込んできた。
記憶は遥か昔、第二次世界大戦中の兄妹のものだった。兄は小さい時から体が弱く、それが理由で徴兵を逃れたが、逆に地域の人間から「非国民」と忌み嫌われる存在となってしまった。
親もおらず、体のせいで働けない兄の代わりに妹が働いていた。
妹の名前は鞠子と言った。鞠のように丸い顔をした、少女という言葉が似合う女性だった。
最初は木を切って売ったりしていたが、それでは満足に食べ物を買うこともできず、妹は身体を売り始めた。まだ小さいのにも関わらず、身を売っている妹を兄は止めたが、それでも妹は身体を売り続け、貧乏には変わりないがなんとかその日の食べ物は買えるようになった。
しかし成長していくにつれ、段々と妹は兄のことを見限るようになっていた。
「おにい、これあげる」
ある日の朝、妹は稼いだ金で買った耳飾りを渡した。兄はたいそう喜んだが、それは手切れの品だった。妹はいつものように仕事に行ったきり、帰らなかった。噂によると、懇意にしていた客と駆け落ちしたらしかった。
兄は妹に捨てられたことに知りながら、それを恨んだりはしなかった。自分を忘れて幸せになって欲しかった。
鞠子には自分のせいで苦労させた。その分、別の場所で幸せになってほしい。
悲しさは残るものの、それが兄の本音だった。
しかし、兄はまた貧乏な生活に戻ってしまった。自分で木を切ってみたりもしたが、力が足りない。なんとかして木を手に入れても、それは二束三文にしかならなかった。働けば働くほど体調は悪くなっていく。
そしてついにはまた寝たきりになってしまった。
耐え難い空腹に耐えながら、何も食べない日が二週間続いた。
「鞠子は元気にやっているだろうか……。お腹すいた。お腹すいた……」
彼は布団に横になっている間、常に耳飾りを撫でていた。
今の自分が持っているものはこの耳飾りしかない。何度も撫でたせいで、元々あった柄は擦れて無くなってしまった。それでも彼は耳飾りを撫で続けた。
強く吹き付ける風が玄関の扉を鳴らすたび、妹がまた食べ物を持ってきてくれるのではないかと期待した。しかしあるのは無機質でかたい扉だけだった。
「鞠子。鞠子のせいだ……。鞠子! 鞠子!」
兄はだんだんと妹のことを恨むようになった。もちろんそんなことは筋違いであったことは兄自身が一番よく知っていた。しかし、あまりの空腹に惑わされ、正常な判断ができなくなっていた。
「鞠子。お腹すいたなあ。鞠子。お腹すいたなあ。鞠子。お腹すいたなあ」
空襲のサイレンがなってもその言葉を言い続けた兄は、爆弾の火に包まれながら死んだ。火傷の痛みも、瓦礫が体を押しつぶす痛みも、空腹に比べれば遥かに楽なものだった。
死んだ兄は何故か家の瓦礫の上で目が覚めた。体は変わり果て、腹が膨らみ、肌は紫になっていた。ヒダル神になっていたのだ。
彼に人間の時の記憶はない。ただ耐えきれない空腹と、いくら食べても満たされない腹だけが、動く理由になった。それから何十年も各地を転々としながら、横浜の防空壕に流れ着いたヒダル神はそこに住み着くようになったのだった。
「はあ。はあ。なに、今の」
雅楽は涙を流しながら、先ほど見た記憶を整理していた。今のはヒダル神の記憶だろう。もしこの記憶が正しければ今自分が殺したのは人間ということになる。
「……長い間、誰かと共に過ごした道具は記憶を持つようになるのじゃ。その記憶を昔の人々は付喪神(憑具持神)と呼んだ。ヒダル心と共に過ごしたその耳飾りは、持ち主の記憶を持っていたんじゃな」
「ねえ、もしかして、あやかしって元々は人間なの?」
「生まれた時からあやかしというものもおるが、人間だったものもおる。そもそも妾だって猫として千年生きることで猫又というあやかしになったのじゃ。人間がなっても不思議ではなかろう」
「じゃあ、僕は……人間を殺したの?」
雅楽の手は小刻みに震えている。
彼は人の心が読める千草が認めるほどの純情な人間だった。そんな人物が元とはいえ、人間を殺してしまったことを気にしないはずがなかった。
「確かにヒダル神は元々人間じゃ。じゃが、その時の記憶はない。それにヒダル神はどんなに食べても腹が満たされぬという業を背負っておる。いくら食べても食べても、腹は空くばかりで、満たされぬ。奴らも心では除霊されることを望んでいたはずじゃ」
千草は本心からそう言っているが、それでも雅楽には先ほど見た記憶が忘れられずにいた。このヒダル神は小さい時から空腹に苦しみ、ヒダル神になっても空腹に苦しみ、最後に雅楽に倒された。
彼の苦痛を考えるだけで、雅楽の瞳から涙が溢れ出てきた。
「今日はもう帰ろう。雅楽もかなりショックみたいだからな」
そう言った治郎に逆らうものはいなかった。今回、雅楽は自分の力であやかしを除霊することに成功し、闇祓いとして進歩したが、それ以上に精神に傷を負ってしまった。心優しい雅楽だからこその傷だった。
人間界の日はすでに傾いていて、あやかし界のように空が茜色に染まっている。雅楽の影は悲しげに伸びていた。
作者の紫 凡愚と申します!
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