住宅街の警備員
これは僕が中学生の頃の話です。
僕の家は坂の上の住宅街にあり、そこから自転車で20分程かけて通学していました。
通学路の途中にはちょっとした下り坂があり、坂の下の方は車の侵入が確認できない程度のカーブがあります。
小学生の頃こそは全速力で坂を下り、ドリフトの真似事なんかしていましたが、中学生となった自分は自転車の恐ろしさを理解していますし、例え寝坊して急ぐ事になってもブレーキは忘れないでしょう。
小学生の登校時間とも若干被っていますから、より一層注意を払います。
僕は左右の確認を怠らない優良チャリンカーなのです。
ある日のこと、英語で言えばOne dayでしょうか。
あの坂にさしかかろうとしたところ、坂の入口に人が立っています。
どうやら警備員のような装いをしているようで、その時の僕は小学生の登校の見守りかなと思いました。
その人に挨拶の言葉でもかけて通り過ぎようとしますが、警備員が誘導棒を掲げ僕の事を止めてきます。
素直に自転車を止めた僕に、警備員はこう言ってきました。
「ここは自転車は進入禁止だ。」
呆れた顔で言葉を続けます。
「お前にはこの標識が見えないのか。」
「お前の親はどういう教育をしているんだ。」
散々な言われようですが、僕は何も言い返せす事が出来ませんでした。
なにせ中学生です。大人との関わりは学校と家でしか存在しません。
それに、その時の僕は警備員というものが、強い権力を持った偉い存在であると感じられ、萎縮するしかなかったのです。
周りを見渡すと、確かに標識がありました。
赤い丸に白い横線の入ったマークです。
今まで気にも止めていなかったですし、道路標識の知識なんて持っていなかったのですが、確かにその標識からはこれ以上の立ち入りを許さないような圧が感じられます。
僕はとてつもない罪悪感を抱きました。
学校での成績は人様にお見せできるようなものではありませんが、普段の行い、とりわけ食事の作法と交通ルールは厳しく躾られたおかげで、例え市長の面前でも胸を張れる程には立派なものだと自負しています。
僕は酷い後悔を胸に、警備員に対して深く頭を下げ謝罪しました。
今考えると、警備員に対して何か迷惑をかけた訳でもないのに何故頭を下げたのかは分かりませんが、きっとこの時の自分は警備員から逃げ出したかったのでしょう。
何故なら、警備員は僕に罪人の枷を嵌める権力を持っているのですから。
その後、僕は道を迂回し学校へ向かいましたが、道中もさっきの事で頭がいっぱいです。
恐らく、道路標識には人一倍敏感になっていたと思います。
授業が終わり家へ帰ってきても、朝ほどではありませんが気分は優れません。
法廷の被告人席で判決を待つ被疑者もこのような気持ちなのでしょうか。
夕食の時に、僕は両親へ今日起きた事について話しました。
僕は今日のことについて深く受け止めていますが、両親に断罪されるほどの事ではないとも考えています。
僕に厳しい躾をした彼らですが、ちょっとしたミスではそうそう怒りません。
今日僕が傷つけられたのは、ルールを厳しく守り、違反を絶対に見逃さないといった正義の心ではなく、今まで積み上げてきた社会的規範、人様に迷惑をかけない行動、そういったものから成る自尊心です。
僕は今日の出来事を再確認し、自尊心の再構築をしたかったのです。
次の日、僕は警備員の目に入らぬよう大回りをして登校します。
彼に目をつけられたのではないか、また何か言われるのではないかと恐れたのです。
放課後の帰り道、昨日はあの坂を上らなかったのですが今日はいつも通り上ってみました。
下校時刻も居るのかは分からなかったので恐怖心はありましたが、それ以上に確認したい事があるのです。
実は昨日、父親が妙な事を言いました。
曰く、「あそこの坂は自転車は通っていい。」
「標識の下を見てみろ。」
この言葉に僕はどれ程の希望を見出したでしょう。
他の人から見ればたわいのない出来事かもしれませんが、人生経験の浅い僕からしてみれば昨日の出来事は人生における大きな挫折でした。
そんな折にこのような甘言を言われれば食いつくに決まっています。
僕は坂に差し掛かり、恐る恐る坂の上を覗きました。
そこに警備員の姿はなく、なんの障害もなく上りきれそうです。
どうやら警備員は朝の時間だけ立っているのでしょう。
僕は数十年ぶりに故郷へ帰ってきたかの様な気持ちで坂を上りました。
坂を上りきり左の方を見上げると、あの標識があります。
口を一文字に結び顔を真っ赤にして僕を睨むその標識に、僕の心はだんだんと苛立ってきます。
こいつが居なければ僕はこんな思いをしなくて済んだのにと、標識のように顔が真っ赤に染まります。
我ながら思春期のお手本のような逆ギレに、今では微笑ましく思えるほどです。
しかしよく見てみると、その標識は首にプレートを下げており、そこには「軽車両を除く」と書かれています。
恐らく、父親が言っていたのはこれの事です。
軽車両というのは軽自動車のことを指しているのでしょうか。
期待ハズレな事実に僕は気落ちしてしまいます。
高い期待を持っていた分、その落差から目眩がしそうです。
父親に罵声のひとつでも投げないと気が済ません。
僕は肩を落とし、俯きながら家へと帰りました。
その日の夕食前に、僕は父親をボロクソに言ってやろうと思い「軽車両」の意味を、入学式の時に買い与えられたスマートフォンで検索します。
親に攻撃するために、親から与えられた物を使うとは何とも皮肉なものですね。
インターネットには「自転車や牛車などの、エンジンを搭載しない車」とあります。
どうやら軽自動車とは別物のようです。
これに僕は大歓喜。青天の霹靂とも言いましょうか。
入試合格者発表日に補欠合格の電話を貰ったような気分です。
先程までは父親へネガティブな感情しかありませんでしたが、今では感謝の気持ちでいっぱいです。
僕は明日、この情報をあの警備員に突きつけてやろうと思います。
子供がいつまでも言われっぱなしだと思ったら大間違いなのです。
あの警備員は国を護る聖騎士でも、皆を守るヒーローでもなく、嘘を武器に町人を害していくペテン師だったのですから、大義名分はこちらにあります。
その日の夜、僕は勇者の剣を磨き立てるように、標識についての情報を精査しました。
翌朝、僕は意気揚々と自転車を飛ばし、あの坂へと向かいます。
家の前の大通りを真っ直ぐ進み、十字路を右に曲がれば正面にあの坂が見えます。
あの警備員に何て言ってやりましょうか。
素知らぬ顔で坂を通ろうとし、止められたところで印籠を掲げるのも悪くないですが、少し物足りません。
親の教育やらなんやらと罵倒されたのですから、こちらもそれ相応のお返しをしないと気が済まないのです。
坂まで来たら目の前に止まって「こんな所で何してるんですか」と煽り気味で言ってやりましょう。
そして「軽車両を除く」の標識を指差し、自らの無知を警備員に突きつけてやるのです。
勿論、罵詈雑言もセットです。
大人な対応が出来ない程度には、僕はまだ子供なのですから。
僕は少し気持ちを荒ぶらせながら十字路を右折します。
そして僕の目に映ったのは、4、5人の小学生と、散歩をするご老人。幼稚園のバスを待つ親子だけでした。
あの警備員が居ないのです。
予想だにしない光景に、慌てて自転車にブレーキをかけます。
どうしましょう。
思わず呆ける事しかできません。
確かに、僕があの警備員を見たのはあの日の朝だけですから、ここに今日もいるという確証は無いわけです。
しかし、あの警備員への鬱憤が溜まっている僕としては、到底受け入れられる話ではありません。
僕は家を出た時以上に鼻息を鳴らしながら、学校へと向かいました。
次の日、またその次の日もあの警備員は現れず、一月経っても姿を見せることはありませんでした。
そのうち僕はこう考えるようになります。
もしかしたら、あの警備員は僕より先に誰かに標識の事を指摘されたのかもしれない。
住宅街の一角をたった一日だけ警備するなんて事は考え難いので、この考えが妥当な気がします。
しかし、僕の気は済みません。
では、心に溜まったこの鬱憤はどう消化したらよいのでしょう。
行き場を失った拳はどこに振りかざせばよいのでしょう。
このモヤモヤを打ち晴らすための、悪という名のサンドバックはどこかに転がってないでしょうか。
あの日から20年近く経った今でも、あの警備員の事を思い出す事があります。
それだけ、思春期の頃の出来事というのは人生において強烈な物なのです。
今、僕は中学校の教師として働いています。
仕事の相手は絶賛思春期の中学生です。
僕は生徒達にあの警備員の様に思われないように気をつけながら接しています。
僕はあの警備員とは違い、ここから消える事ができないのです。
生徒達はいつでも己の聖剣を振りかざすことが出来ます。
ですので、生徒達の刃が僕に向かないことを祈りながら、僕は毎日仕事をしています。
僕の頭の影には、必ずあの警備員の姿がチラつくのです。
初投稿です。
全く関係ない話なのですが、先日B’zのライブに行ってきました。
皆さんはB’zの曲を聞かれますでしょうか。
私は浪人生の頃に稲葉浩志さんを見習い、B’zの曲を流しながら勉強しておりました。
チケットが買えるチャンスはまだありますので、是非皆さんもライブに足を運んで欲しいなと思います。