第六十七話 詩恩くん、背中を押される
桔梗ちゃんとのデート当日、僕はいつもよりも早い時間に目を覚ました。外はまだ薄暗く、どれだけ彼女とのデートを楽しみにしているのだろうと自分自身に呆れつつ、今から何をすべきか考えた。
(この時間から家事をすると、まだ寝ているであろう雪片先輩や時水さん達に迷惑がかかりますし、かといって眠気も無いですし)
そもそもデート当日に二度寝なんかしたら、確実に寝坊する。別に待ち合わせの時間とかは決めてないけど、朝から夜まで桔梗ちゃんとデートしたいと口にした手前、寝こけるのは人としてどうかと思う。どうするべきか悩み、手元の携帯を見て一つ思いついた。
(ダメ元で桔梗ちゃんにメッセージ送ってみましょうか)
彼女が起きているならそのままやり取りを行い、そうでないなら調べものでもしよう。そう考えおはようのメッセージを送った。すると十秒もしない間に返事が来た。
(早っ!? もしかして桔梗ちゃん、また眠れてないとか無いですよね?)
あまりにもレスポンスが早かったため、彼女が早起きしたのでは無く、昨晩から一睡も出来ずにいるのではと思い心配になり、ちゃんと眠れたのか確認した。
『桔梗ちゃん、随分早いですけど眠れましたか? 僕は昨日早く床についたから、それでこの時間に起きたのですが』
『私も同じです。前みたいにしーちゃんにご迷惑をおかけしたくないですから、ちゃんとぐっすり眠りました』
桔梗ちゃんからの返事を読みひとまず安堵する。僕に心配かけまいと嘘を書いている可能性もなきにしもあらずだけど、そこは実際に顔を合わせればわかることなので疑っても仕方ない。
『ならいいですけど。実は早起きしすぎて、家事をしようにも下手に物音を立てると雪片先輩達を起こしてしまいそうで』
『それで私に連絡したわけですね。わかりました。でしたら雪片お兄ちゃん達が起きるまで、メッセージのやり取りをしましょう』
『ありがとうございます』
そうして桔梗ちゃんと三十分ほどメッセージを送り合った。ほとんどは他愛ないものだったけど、二人で同じ時間を共有していることを実感出来て、とても楽しかった。普段起きる時間になったのでやり取りを終え、掃除に取り掛かろうと思ったところで、ドアを叩く音が聞こえてきた。
(こんな早くにどなたでしょう?)
疑問に感じながらドアを開けると、そこには時水さんが立っていた。もしかしたら起こしてしまったのではと思ったけど、僕の真下の部屋は土橋さんの部屋のはずなので、抗議に来たとは考えにくかった。
「時水さん、おはようございます。何かご用でしょうか?」
「おはよう桜庭。今日お前は佐藤妹と丸一日デートだったな」
「そうですけど、それが何か?」
「だったらこんなところでのんびりせず、早く佐藤妹のところに行け。掃除や洗濯は俺や椿がやっておく」
「えっ!?」
時水さんからの意外すぎる申し出を聞き、最初に抱いた感覚は戸惑いだった。デートのことは知っていてもおかしくなかったけど、だからって掃除や洗濯を彼らにして貰う理由が無かったから。
「何ということは無いだろう。俺や椿は佐藤妹を含めあの家の人間には世話になっているし、お前や千島にはアパートの掃除を肩代わりして貰っている」
「ですけど、していただくのは悪いですよ」
「構わん。大体桜庭、お前丸一日デートするつもりなら、洗濯物はどうするつもりだったんだ?」
「それは、一度着替えを取りに戻るついでに片付けようかと」
「......お前、それ本気で言ってるのか?」
時水さんからの質問に、僕は常識的な答えを返したつもりだけど、何故かため息をつかれ呆れられてしまった。何が悪いのかわからず、質問に質問で返す。
「本気ですけど、何か問題ですか?」
「あのな、デートの途中で洗濯物が気になるから帰るなんて言われたら、せっかく楽しんでるのに現実に引き戻されるだろう?」
「あ~、それもそうですね」
彼の意見を聞いて、確かにそうだと相槌を打った。彩芽さんの誕生日に僕達が佐藤家の家事を肩代わりしたのと同じ理屈だったから。僕が納得したことで、時水さんが表情を崩した。
「だろう? だから俺達に任せて、さっさと行ってこい」
「ありがとう、ございます」
時水さんに感謝の言葉を告げ、着替えなどの荷物を持って自宅を出た。桔梗ちゃんとのデートを楽しむため、そして時水さん達の気遣いを無駄にしないよう、今日は自宅に戻らないことを決めた。
「おはようございます、鈴蘭さん」
「詩恩さん、おはよう」
こんな早朝に訪ねたにもかかわらず、鈴蘭さんは嫌な顔一つせず玄関で僕を出迎えてくれた。こういった所作に彼女の懐の広さを感じ取れ、やはりこの人は年上の頼れる先輩なのだと思った。
「今日は桔梗ちゃんとデートだよね。呼んでこようか?」
「はい。それと図々しいのは承知でお願いがあります」
「いいよ。何でも言って」
「僕の泊まりの荷物を置かせて貰いたいんですけど、駄目ですか?」
「全然構わないよ。でも、荷物を置くってことは、今日は家には帰らないんだね」
「ええ。実は――」
鈴蘭さんに時水さん達が家事を代行してくれたことと、その理由を説明したのだけど、最後まで聞いた鈴蘭さんは何だか複雑な顔をしていた。
「鈴蘭さん? どうされました?」
「ううん。そういう気遣いは本当ならわたしがすべきだったなって思っただけだよ。この間かか様に代わって家のことしたわけだし」
「当事者である僕も気付いてなかったですから、お気になさらず」
「ありがとう。それはそうと詩恩さん、朝ご飯食べた? もしまだならうちで食べていかない?」
鈴蘭さんから指摘され、朝食を食べてなかったことを思い出した。一日外出するから準備すらしておらず、掃除が終わったあとにでも適当に何か食べるつもりだったのだけど、すっかり忘れていたのだ。
「でしたら御相伴にあずかります。数少ない桔梗ちゃんとの朝食の機会ですし」
「よかった。じゃあ桔梗ちゃん呼んでくるから、上がって待っててよ」
「わかりました」
ダイニングに移動し、桔梗ちゃんを待つ間、朝食を準備している楓さんに話しかける。今日僕が泊まる許可を出してくれたことへのお礼を、面と向かって言うためだ。
「その、桔梗ちゃんが喜びますし、わたし達も歓迎してますから」
「だとしても、お礼は言わせてください。もしかしたら、これが最後になるかもしれませんから」
「最後って詩恩くん、何かあるんですか?」
「今日は特別なデートですから、その、皆まで言わせないでください」
今日桔梗ちゃんに告白するため、その返事次第ではこの家に泊まる機会はもう無くなるだろうから。僕の様子で何となく理由を察した楓さんは、とても困った顔をしていた。まるで答えがわかっているのに言えない状況に置かれた人のようだった。
「えっと、わたしからは何も言えないですけど、今後もお泊まり出来たらいいですね!」
「そうですね。階段から足音聞こえてきましたので、この辺で」
「はい。詩恩くん、ご健闘を祈ります」
楓さんからの激励を背に受け、ダイニングに下りてきた桔梗ちゃんに僕は、
「桔梗ちゃん、おはようございます。今日は一日中デートですから、ずっと一緒にいましょう」
「はぅぅ!? ど、どうしてしーちゃんがここに!?」
そう笑顔で桔梗ちゃんに語りかけた。言われた側の桔梗ちゃんはまさか僕が家にいるとは思っていなかったみたいで、とても驚いていた。ビックリした桔梗ちゃんも可愛かったので、もし告白が上手くいったらまたサプライズを仕掛けてみたいと思った。
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