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第五十八話 詩恩くん、母親を部屋に上げる

 GWの後半に入った五月三日、今日は母さんがこっちに来る日だ。前に来たときと違って予告されていたため、彩芽さん達や雪片先輩達に話を通す余裕もあり、歓迎の準備は出来ている。


(特に土橋さんが挨拶したがってるんですよね)


 時水さんも土橋さんも最近は就職活動で忙しかったのだけど、大家代理として店子の親御さんに挨拶したいという当人の希望もあり、母さんと会って貰うことになった。そのため、一度僕の部屋に母さんを連れて行き、土橋さん達と会わせてから佐藤家に向かうことになった。


(さて、そろそろ来る頃ですね)


 母さんが空港に着いた時間から計算すると、大体もう到着する時刻だろう。そう考え部屋を出て下の駐車場に場所を移し母さんを待つ。十分ほどして駐車場に一台のタクシーが停まり、後部座席から母さんが降りたった。


「あら詩恩、外で待ってたの?」

「ええ。長旅でしたし、荷物くらいは持とうと思いまして」

「そう? ならお願い出来るかしら?」


 母さんが僕にボストンバッグを渡してきた。実家からの移動時間を含めれば、二泊三日分の荷物になるだろうけど見た目ほど重くなく、非力な僕でも片手で担げるくらいだった。そんな僕を見て、母さんが意外そうに呟いた。


「あら、昔はこんな荷物も持てなかったのに、ちょっとは鍛えてるのね」

「母さん、いつの話をしてるんですか。いつまでも昔の僕じゃないんですよ?」

「そうみたいね。前に来たときと同じくらい顔色もいいし、乱れた生活は送ってないみたいで安心したわ。これも桔梗ちゃんのおかげかしらね?」

「あはは......」


 正直否定出来ない。自炊するようになったのも、規則正しい生活を送るようになったのも彼女の影響が大きいからで、桔梗ちゃんに会わなかったらきっと外食中心の生活になっていたと思われる。


「それで、桔梗ちゃんは一緒じゃ無いの?」

「ええ。桔梗ちゃんやそのご家族に会っていただく前に、母さんに紹介しておきたい人がいるので、まずは僕の部屋にお連れしますね」

「わかったわ」


 母さんを連れ、自分の部屋へと戻った。ドアを開け母さんを中に入るように促し、携帯で雪片先輩達にメッセージを送ってから僕も部屋に入った。


「母さん、長旅お疲れさまです」

「このくらい平気よ。それより紹介したい人って誰よ?」

「すぐ来ます」


 事前に打ち合わせしていた通り、メッセージを送ってから一分もしないうちに雪片先輩達が僕の部屋にやって来て、母さんに次々と挨拶した。挨拶が終わると、母さんは彼ら一人一人と握手を交わしながら、僕のことでお礼を口にする。


「いつもうちの息子が世話になっているみたいね。まず土橋さん、だったかしら? うちの子を受け入れてくれて、ありがとうございます」

「いえいえ、詩恩さんはアパートの掃除にも積極的に参加してくれているので、こちらとしても助かってます」

「そう。時水さんも時間が無い中、うちの子を気にかけてくれてありがとうございます」

「このくらい、大したことないです」

「そして千島くん。久遠くんから聞いたけど、詩恩が受験のとき世話になったそうね?」

「たまたま通りがかっただけです」

「それでも、あなたが詩恩を助けなかったらどうなってたかわからなかったから、本当にありがとうございます」


 雪片先輩達に感謝を表す母さんはいつも僕に見せている姿とは違っていて、やはりこの人はちゃんとした大人なのだと改めて思った。


「これからも詩恩のこと、よろしくお願いします」

「「「はい」」」

「さてと、真面目な話はこのくらいにしましょうか。あなた達も楽にしていいわよ?」


 そう三人に呼びかける母さん。慇懃な僕が身内にいるから、逆に母さんは堅っ苦しいのが苦手だったりする。そのため、正座して話を聞いている雪片先輩達を見てむず痒く感じていたのだろう。


「ありがとうございます。それにしても意外です。詩恩さんが敬語なので、礼儀に厳しいと思いました」

「そんなこと無いわよ。礼儀とか世間体とか気にするのは夫の方で、あたしは大して気にしないわよ。目の前でババア呼ばわりされたら怒るけど」

「それは女性なら誰だって怒りますよ。歌音さん、言われたことあるんですか?」

「僕が向こうにいた頃、僕と母さんをナンパしてきた馬鹿な男に罵倒されたことがあるんです」


 母さんの代わりにそのときのエピソードを語った。あのときの母さんは表面的には平静を装っていたけど、それが逆に本気で怒っているのだと感じられ、寒気がするほど恐ろしかった。その男が泣きながら逃げていったので、すぐに怒りは収まったみたいだけど。


「お気の毒ですね、詩恩も歌音さんも」

「まったくね。向こうが勝手に勘違いしただけなのにね。だから、彼女がいる時水くんはともかく、千島くんも詩恩の見た目に騙されたら駄目よ?」

「俺も彼女いるんで大丈夫っす」

「えっ、ちょっと意外。恋愛とか興味なさそうに見えるけど」


 雪片先輩は口数少なくて硬派なイメージがあるから、僕も出会った当初は母さんと同じように少し意外に感じたけど、実際付き合ってみると彼女である鈴蘭さんだけでなく妹の桔梗ちゃんにも優しかったりと、ただ表情や態度に表すのが苦手なだけなのだとわかってくる。


「俺自身も、アイツと付き合うまではそう思ってたっす」

「ふぅん、ならその子が千島くんを変えたのね。機会があれば会ってみたいわ」

「すぐに会えますよ? 雪片先輩の彼女って桔梗ちゃんのお姉さんですから」

「へぇ、そう......ってちょっと待ちなさい詩恩、それ早く言いなさいよ!」

「すみません、言ってなかったですね」


 怒られてしまった。母さんの今回の旅の目的の一つが桔梗ちゃんやその家族に会うことなので、秘密にされて面白くないのは当たり前か。雪片先輩当人が話さなかったので、僕が言うべきことでも無いという理由もあるにはあったけど、そもそも雪片先輩が自分から鈴蘭さんと付き合っていると知らない相手に話すわけがなかった。


「まったく! そんな話されたら、桔梗ちゃんのお姉さんのことが気になってくるじゃない!」

「でしたらちょうどいいですし、そろそろ桔梗ちゃんの家に向かいましょうか」

「そうね。でも行く前に――みなさん、あたしと詩恩のために集まってくれて、ありがとうございます」

「ありがとうございます、雪片先輩、時水さん、土橋さん」


 母さんは姿勢を正し、雪片先輩達に深々と頭を下げお礼の言葉を口にした。僕も母さんに習い頭を垂れる。特に時水さん達は就職活動の忙しい合間を縫って協力してくれたのだから、感謝してもし足りない。


「いいですよ。賑やかなの好きですし、こちらとしても就職活動中のいい気分転換になりました」

「俺も詩恩の意外な姿が見られて、よかったと思ってます。忙しいからとそれにかまけていたら、きっとわからなかったので、今日あなたと会ったのは正解でした」

「そう言って貰えて嬉しいわ」

「じゃあ私達は帰るけど、彩芽さん達によろしく伝えておいてね」

「遅ればせながら、誕生日おめでとうともな」

「「お疲れさまです(お疲れさまっす)」」


 席を立ちながらそう言い残し、土橋さんと時水さんは自分の部屋へと戻っていった。僕達も準備をしてから佐藤家へと向かった。なお顔合わせの際に母さんが彩芽さんのことを母親と間違えたり、桔梗ちゃんと楓さんを見て姉妹だと勘違いしたのは言うまでも無い。

お読みいただき、ありがとうございます。

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