第十八話 詩恩くん、母親が襲来する。その一
朝、桔梗ちゃんからおはようのメッセージが来ていたので、返信してから朝食と洗濯を済ませ掃除を行う。学校が始まったら今までよりも朝使える時間が少なくなるので、効率よくやっていきたい。
(今日は桔梗ちゃんと出かける日ですから、それまでに済ませませんと)
今回出かける名目が日頃お世話になっているお礼なので、待たせたりしたら本末転倒だ。なので手早く済ませ片付けまで終わらせた。約束している時間より三十分ほど早くに完了したので上出来だろう。着替えも済んでるしあとは待つだけだ。
ピンポーン。
そう考えた矢先、インターホンが鳴った。桔梗ちゃんは割と真面目だけど、こんな早くに来る子じゃない。そうなると宅配便かなと思いながらドアを開けた。
「来たわよ」
「......」
来訪者は非常に見覚えのある顔をした女性だった。しかし、あの人がここにいるわけないと思い、僕はそのまま無言でドアを閉めた。
(疲れているのでしょうか? 幻覚が見えて幻聴も聞こえるなんて)
一人暮らしを始めて一週間、楽しんでいるようで自覚していないストレスを感じているのかもしれない。念のためもう一度ドアを開けると、やはり同じ女性が立っていた。どうも幻覚じゃないらしく、眉間に皺が寄っている。
「詩恩、いきなりドア閉めるなんて、それが訪ねてきた母親への態度なの?」
「そう言われましても、母さんがいきなり来るとは思ってなかったですから、つい」
そう、目の前にいる女性は僕の母親で、名を桜庭歌音という。この人の容姿をひと言で表すなら、間違いなく妖艶であり、実際スタイルもいい。性格は思い立ったら即行動とかなりアクティブだ。
「つい、じゃないわよ。それにいきなりでもないわ。三十分前にメッセージ飛ばしたもの」
「すみません、その時間は掃除してて気付きませんでした」
「あらそう。悪いけど上がらせて貰うわね」
「......スリッパ、これ使ってください」
母さんが靴を脱ぐのに合わせて来客用のスリッパを差し出す。桔梗ちゃんが毎日のように遊びに来るので、タイミングはバッチリだ。ただそのせいで母さんから疑惑の目を向けられる。
「一人暮らしを始めたばかりにしては随分気が利くわね。もしかして来客多いの?」
「ええまあ。隣の方が受験のときに助けていただいた恩人でしたから、その縁で交流させていただいてます」
「そう。すごい偶然ね」
幸い千島先輩という、この場の言い訳に都合のいい人物がいてくれて助かった。まあ彼の場合自宅にあるスリッパをそのまま持ち込んでいるから、正確には違うのだけど。
「その人にはお礼した?」
「しようとしたら辞退されました。普通の先輩として接してくれと」
「だったら、望み通り普通に接することが恩返しになるわね」
僕もそう思い普通にしようと心がけているのだけど、千島先輩からはもう少しフランクにしてくれと言われるため、中々難しい。
(思い切って呼び方を変えてみましょうか?)
学校が始まるまでに、どうにか適切な距離感を測りたいところだ。一方部屋に上がった母さんは、早速部屋の隅々まで目を向けていた。
「部屋は綺麗にしてるのね。洗濯物も干してるし、コンロも使ってるみたいだし、ちゃんと自炊出来てるわね」
「教えて貰いながらですけど。緑茶でいいですか?」
「構わないわ......お茶の淹れ方はまだまだね、五十点」
僕の淹れた緑茶を口にした母さんは、厳しめの採点を付けた。ひとまず赤点でないだけマシだと思うことにしよう。湯飲みを置いた母さんが、僕を見据えながら話を切り出す。
「さてと、あたしがここに来た理由、もちろんわかってるわよね?」
「僕が一人暮らし出来ているか、様子を見に来たんですよね?」
「正解よ。あんたや久遠くん、悠馬義兄さんのことを信じてないわけじゃないけど、やっぱり自分の目で確かめるのが一番だから、こうして有休使って来たのよ」
予想通りの理由を告げる母さん。ちなみに悠馬というのは久遠兄さんの父親で僕にとっては伯父さんになる。伯父さんの方が来てくれた方がやりやすかったのだけど、来てしまったのだから今さらどうしようもない。
「それで、母さんの目で実際に見た評価はどうでしょうか?」
「そうね、あんたが家事を真面目にしてるのは見たらわかるし、顔色見れば元気なのも伝わってくるから、個人的には一人暮らしを続けさせていいとさえ思ってるわ」
思いの外高評価だった。ただ個人的にはという部分が少しだけ引っかかった。その懸念は的中し、続く言葉で母さんが難色を示した。
「でもそれはここで一人暮らしをしないといけない理由や、今じゃないといけない理由にはならないわ。保護者代わりの悠馬義兄さんの家からも遠いし、あんたはまだ未成年なのよ? これを正直に遥馬さんに話したら、どうなるかしらね?」
確かにその通りで、いくら条件付きで一人暮らしを認めてくれてても、まさかアパートの場所が保護者の家から遠いなど思いもしなかっただろう。それを母さんの言う遥馬――僕の父親に知られると非常に都合が悪いため、素直に謝った。
「そうですね。選んだアパートの場所と、悠馬さんの家が離れてることを黙ってたことは謝ります」
「ええ。そこはあとで悠馬義兄さんを問い詰めるから」
「ですけど、引っ越すつもりは毛頭ありません。ここじゃないとならない理由も、今じゃないとならない理由もありますから」
「一応聞かせて。それであたしが納得するような理由なら遥馬さんには黙っておいてあげるわ」
ここで頭ごなしに否定せず僕の言い分を聞いてくれるだけの度量のある母さんで助かった。そして、母さんを説得出来る切り札が、僕にはあった。
「わかりました。では――」
僕が話そうとしている最中、インターホンの音が響いた。ふと時計を見ると桔梗ちゃんと約束した時間になっていた。
「宅配便かしら? せっかくだから取りに行ってあげるわ」
「あっ、母さん待って!」
僕の制止も虚しく、立ち上がり玄関へと向かい、母さんはドアを開けた。その向こうにいたのは、小学生にしか見えない少女、佐藤桔梗だった。
「えっ、しーちゃんの家に、私以外の女性が!?」
「ちょっと詩恩、この子が誰なのか説明してくれるわよね?」
巡り合わせがいいのか悪いのか、僕が今ここにいる理由である女の子が母さんの目の前に現れた。しかし、この状況は俗に言う修羅場ではないだろうか。二人に詰め寄られ、僕はそう思ったのだった。
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