エピローグ 詩恩くんと桔梗ちゃん、支え合う
誕生日の翌日。目を覚ました僕はまず枕元に手を伸ばして携帯の時間を確かめた。時刻は五時半と普段よりもかなり早い時間の目覚めだったけど、二度寝するつもりはないので未だ胸の中で眠っている桔梗ちゃんの顔をじっと見つめながら、昨日のことを思い返す。
(昨日は頑張りましたね、桔梗ちゃん)
昨夜、僕と桔梗ちゃんは初めてのキスを交わした。ただ予定では指輪を渡し、雰囲気作りをしてからするつもりだったのだけど、慎重に進めすぎたせいか彼女の方からキスしてきたのだ。
(していただけたのはありがたいですけど、だからこそお返しは早急にしませんとね)
女の子の方からキスして貰って何も返さないままでは男としての沽券に関わる。とはいえおでこや頬へのキスならまだしも、寝てるときにセカンドキスを奪うのはどう考えてもNGだろう。起きるのを待とうと考えしばらくすると、腕の中で桔梗ちゃんが身じろぎし始めたので少しだけ体を離し、囁くような声でおはようの挨拶をした。
「おはようございます桔梗ちゃん」
「んっ......しーちゃん、おはようございま――はぅぅ!!」
「桔梗ちゃん? どうされました?」
しかし桔梗ちゃんは挨拶の途中で頭を抱えて、蒲団の中に潜り込んでしまったのだ。今回はパジャマの前も開いてないので理由を誰何すると、ある意味彼女らしい答えが返ってきた。
「その、しーちゃんとキスしたのを思い出してどきどきしまして」
「それで僕の顔が見られないのですか?」
「あともう一つ、最後まで言い終わらずに眠ってしまったのが恥ずかしくて」
「大丈夫ですよ。ちゃんと届いてますし、ずっと見ていてあげます」
「はぅぅ、ありがとうございます」
呂律が回ってなくても言いたいことはわかったので、昨晩桔梗ちゃんが眠る直前に口にしていたことの返事をした。伝わっていたことに安堵したのか、蒲団からゆっくりと真っ赤な顔をした彼女が顔を出したので、頭を軽く撫でてあげた。
「はぅぅ///」
「桔梗ちゃん、昨日は時間が無くて話せなかったことがありましたので、どうかそのままでいいので聞いてください」
「えっと、はい。わかりました」
本当なら昨日話すべきだったのだけど、話している途中で時間切れになりそうだったため深く触れなかった話題を、撫でながら話すことにした。
「昨日僕が、忘れられない誕生日になったと言ったの覚えてますか?」
「はい。お祝いのことを喜んでいただいたのだと思いましたけど、違ってましたか?」
「いいえ、嬉しかったですよ。これまでの誕生日で一番いい日になったと断言出来るくらいには。そもそも僕って誕生日にあまりいい想い出が無かったですから」
「えっ!?」
僕の爆弾発言に驚く桔梗ちゃん。まあ誕生日が終わったあとでこんな話を聞かされたらそうなるのも仕方ないと思う。絶句している桔梗ちゃんに、続きを話す。
「こっちにいた頃と中学時代はまともでしたが、引っ越してから小学校卒業までがまあ辛かったですね」
「こちらにいらした頃って、しーちゃん入院中でしたよね?」
「ええ。ですけど祝っていただけただけよかったなと」
仲良くなってから誕生日を迎えたので、たとえ病院でもいい想い出だと言えた。一方中学時代は父さんと仲違いしてたり友達がほとんど出来なかったものの、母さんやお店の人に祝われたので何だかんだ嬉しかったのを覚えている。だけど一般的な感覚からすれば寂しい誕生日に含まれるのだろう。
「それですらよかったと思えるだなんて、小学生の頃のしーちゃんは、どのようなお誕生日を過ごしていたのですか?」
「基本的に普段の日と同じでしたね。最初の数年間は父さんも母さんも忙しかったのと、病院での友人もいなかったので」
桔梗ちゃんの当然の質問に事実で返す。引っ越したばかりで父さんも母さんも入院費用を稼ぐのに必至で、そんな状況で僕に出来ることは文字の練習と勉強、あとは桔梗ちゃんからの手紙を読むくらいだった。傍から見てそんな面白みの無い子供に、同世代の子供が興味を示すわけもなく孤独な日々が続いた。
「しーちゃん、寂しかったですか?」
「今にして思えばそうですね。ですから、ああしてお祝いしていただいて、僕がどれだけ孤独な誕生日を過ごしてきたのだと、突きつけられました」
「すみません! 私余計なことを」
「いいんです。いつかは自覚することでしたし、おかげで僕の欠点に気付きましたから」
そう。僕は自分の中で済んだことだと判断した問題を、誰にも伝えず自分の中でしまい込んでしまう悪癖があるのだと、今回のことで自覚した。だけどこの欠点は指摘されないと気付けないもので、少々説明に困るものだ。
「それに、小学生の頃でも生活が軌道に乗ってからは母さんや、知り合いに祝っていただいた年もありました。しかし、最後の退院した年に事故が起きたので、総合的にはいい想い出が無かったなと」
「事故、ですか?」
「この間お風呂で話した、手術の傷痕が開いた件ですよ。しかも血に染まる傷跡をクラスメートに見られ、虫が這ってるみたいで気持ち悪いと言われましたね」
「......」
自分の欠点を桔梗ちゃんへと説明すべく話を続け、問題となるエピソードに触れた。隠していた部分だけでも重い内容だと感じたので、なるべく軽い口調を心掛けて語ったのだけど、桔梗ちゃんが沈痛な面持ちになってしまった。
「一つ弁解するなら、発言したクラスメートもすぐに謝ってくれましたから、気にしてないと言いつついつまでも覚えている僕が悪いので――」
「しーちゃん、めっ、です」
少しでも空気を軽くしようと自虐を交え早口で説明しようとしたのだけど、言い終わる前に桔梗ちゃんに人差し指で唇を塞がれ、怒られてしまった。彼女が怒っても全然迫力はないのだけど、何故か何も言えなくなった。
「しーちゃんは悪くありません。たとえ事故でも暴言を謝罪されても、お誕生日にそんな不幸な目に遭ったのなら覚えているのが当たり前です」
「......」
「ずっとお一人で抱え込んでいたことを、私にお話しされたこと、すごく嬉しく思います。ですけど、どうして以前のお風呂のときに教えてくださらなかったのですか?」
「それは、もう済んだことですし、変に同情を買いたくなかったんです。ですが、終わっているからと言わないのは間違いだと気付いたんです。それが先程述べた、僕の欠点です」
桔梗ちゃんからの至極当然の指摘に、僕はそう返した。自分の欠点そのものとしか表せない実例に、彼女は怒るでも呆れるでもなく、微笑みをたたえながら自分の考えを伝えてきた。
「その欠点はきっと、しーちゃんが長い入院生活で、降りかかる不運を受け入れ生きてきたことで生まれたのだと思います」
「そう、でしょうか?」
「はい。それは誰にも頼らず一人で生きていかれるのでしたら、欠点にならず逆に強さになるんです」
言われてみればそうかもしれない。自分一人の中で完結しているのなら、僕の欠点は誰にも頼らない強さに変わるのだろう。だけど、僕はもう一人じゃないし、桔梗ちゃんにもっと頼って欲しいとお願いされたのだ。
「ですから、私は嬉しいんです。しーちゃんが、私のことを頼ってくださって」
「ええ。これからは僕が誰にも言えず抱えてきた闇を、桔梗ちゃんにも背負っていただきます。本当の意味で、あなたと一緒に生きていくために」
そう言いながら二度目のキスを桔梗ちゃんと交わしたのだけど、昨日の甘いキスと違い、今回は涙の味がしたのだった。なお、一階に降りたあとみんなから二人して目が赤いことを指摘され、目薬を差して登校することとなった。それからしばらく学校でのあだ名がうさちゃんカップルになったのはまた別の話だ。
「しーちゃん、行きましょうか」
「ですね。でも桔梗ちゃんすぐにバテるんですから、体力面では僕を頼ってくださいね?」
「はぅぅ、疲れました」
「ほら、いわんこっちゃない」
これからも僕と桔梗ちゃんは支え合いながら生きていくだろう。ときには周りの人の力を借りながら、ときには周りの人を助けながら。大丈夫、僕も桔梗ちゃんも一人じゃないのだから。
お読みいただき、ありがとうございます。
ひとまずこれで区切りです。




