第百二十四話 詩恩くん、家族を出迎える
祖父母の家に行った翌日、朝起きて最初に目に入ったのは、すやすやと規則正しい寝息を立てて眠る桔梗ちゃんのあどけない寝顔だった。その顔を見ていると愛おしさがこみ上げてきて、僕は彼女の髪をそっと優しく撫でた。
「すぅ、すぅ......んぅ」
「ふふっ、可愛い寝顔ですね」
安心しきった寝顔で僕にしがみついて眠っている桔梗ちゃん。出来ればこのまま寝かせてあげたいしずっと寝顔も見ていたいところだけど、残念ながら今日の夕方までに済ませておかなければならないことがあり、あまりのんびりもしてられない。
(桔梗ちゃん、すみません!)
僕は心の中で彼女に謝りながら、その小さな額に一瞬触れるくらい軽く口づけした。所謂おはようのキスというやつだが、その効果は覿面だった。
「は、はぅぅ!!??」
軽いキスにもかかわらず、今までぐっすり眠っていた桔梗ちゃんが、鳴き声を上げながら一瞬で目覚めたのだ。しかも彼女の頬は上気しているので、何をされたのかも理解しているようだった。そんな彼女にしれっと挨拶する僕。
「桔梗ちゃん、おはようございます」
「お、おはようございます......しーちゃんに襲われちゃいました」
「襲われたって、僕達婚約済みですしいいじゃないですか。それにもう起きないと溜まった家事を片付けられません」
「ああっ!? そうでした!!」
枕元の時計の時間を確認し飛び起きる桔梗ちゃん。長い間留守にしていた分、掃除すべき場所も多いのだが一昨日は長旅の疲れで最低限の掃除しか出来ず、昨日は午前中は墓参りで午後は桔梗ちゃんが気化したアルコールで酔ってダウンしたため動けなかった。結果、帰ってきた当初よりもやることが増えてしまった。
「はぅぅ、私が朝食の準備とお洗濯をしますから、ひとまずしーちゃんは」
「家の掃除ですよね。任せてください」
蒲団から出た桔梗ちゃんと役割分担を行い、彼女が洗濯と朝食作りをしている間に、僕は二階の部屋の窓拭きと床掃除を始めた。自分の部屋の掃除もあるのだけど、いつも世話になっている義理を果たすのが優先だ。
(出来れば彩芽さん達が帰る前に済ませたいですからね)
桔梗ちゃん曰く、長期旅行から帰った翌日はいつも大掃除しているそうなので、今回彼らが帰る前に掃除を済ませることで恩返しをしたい。とはいえ個人の私物に下手に触れるのもよろしくないので、各部屋は最低限にしておいて、廊下や共有スペースの掃除を重点的に行った。一段落したところで朝食を食べたのだけど、その際桔梗ちゃんから一昨日買った食材がほぼ尽きたことを伝えられた。
「お米とインスタント食品くらいならありますけど」
「昼はともかく、夜は厳しそうですね。あとで買い物に行きましょう」
今日も暑くなるらしいので行くなら午前中に行きたい。そのためには家事をある程度キリのいいところまで終わらせないとならないので、食べ終わってから僕は掃除の続きを、桔梗ちゃんは洗濯を行い三十分くらいした辺りでインターホンが鳴った。
「はーい」
桔梗ちゃんが洗濯物を干していて手が離せなかったので代わりに応対すると、来客は意外な人達だった。
「来たわよ。何か手伝えることは無いかしら?」
「遠慮しなくていい。恩返しの一環」
訪ねてきたのは雛菊さんと桐矢さんで、話を聞くと今回の旅行に対する恩返しが外の掃除一回だけでは足りないと二人とも感じたらしく、手伝いに来たとのことだった。
「助かりますけど、いいんですか?」
「全然構わないわよ。どうせ暇だったし」
「それで、おれ達は何をしたらいい?」
「ではひとまず桐矢さんは僕と一階の掃除を、雛菊さんは洗濯物を干している桔梗ちゃんの手伝いをお願いします」
先輩方が手伝いたいというのなら、断るのも逆に失礼だろう。手が足りないのも事実なのでそれぞれの手伝いを頼み、僕は桐矢さんを連れて掃除を再開した。
「シオ、おれが高いところの担当でいいの?」
「ええ。僕の身長は女子の平均くらいで小柄な方ですから」
「わかった」
それほど掃除に慣れていなくても、自分よりも大柄な人が一人いるだけで作業効率が倍近くになり、時間がかかると思っていたダイニングの掃除が思ったよりも早く終わった。一方桔梗ちゃん達も洗濯物を干し終えて和室の掃除をしていた。
「お二人とも、手伝った方がいいですか?」
「だったらあたしと詩恩は交代ね。桐矢、買い物に行くから付き合いなさい」
「いいけど何を買いに行く?」
「冷蔵庫に入れる食材よ。二日分くらいあれば足りるかしら?」
「あの、そこまでしていただくわけには」
「逆にそのくらいしないと彩芽さん達に恩を返せない。キキちゃんもシオも、黙って受け入れる」
彩芽さん達への恩返しだと言われると強く反論出来ず、結局彼らの要求を受け入れ買い物を頼むこととなった。凄く助かるけど、仕事を取られたように思えてちょっと落ち着かない。
「はぅぅ」
「まあ行ってしまったものは仕方ないので僕達は掃除しましょう。お二人にこれ以上何もさせないよう、戻ってくるまでに終わらせます」
「そうですね」
それと、今晩彩芽さん達が帰ってきたら、雛菊さんと桐矢さんが今日してくれたことを事細かに伝えようと思う。彼らは望まないだろうけど、このくらいはしてもいいだろう。和室の掃除も高いところは終わったとのことなので桔梗ちゃんと手分けして終わらせ、最後に玄関まで済ませ後片付けまで終わったあと、二人が戻ってきた。
「あら、掃除は終わったのかしら?」
「お二人のおかげで、早く終わりました。せっかくですから、お昼食べて行ってください」
「それなら、おれが作ろうか?」
「こういうのは私のお仕事です。しーちゃん、お手伝いお願い出来ますか?」
「構いませんよ」
僕個人としては手伝ってくれたお礼がしたかったので、桔梗ちゃんからの提案は渡りに船だった。二人が買ってきた食材からメニューを考え、桔梗ちゃんが作り始め僕はサポートを行って出来た料理を振る舞った。
「あら、腕を上げたわね桔梗」
「さすが、シオと婚約しただけある」
「今回は二人の共同作業です。こっちのポテトサラダはしーちゃんが作ったんですよ?」
「こっちはこっちで悪くないわね」
「お褒めにあずかり光栄です」
うっかり作りすぎてしまったので失敗してたらと内心戦々恐々としてたけど、問題なさそうなので安心した。これなら彩芽さん達に出してもよさそうだ。
「それで、昼からどうするつもり?」
「家の掃除も終わりましたし、とりあえず時水さんと土橋さんに戻ってきた報告と、自分の部屋の掃除でもしようかと」
「もちろん私も協力します」
「だったら報告だけでいい。昨日時水さん達が掃除したそうだから」
「えっ!?」
時間が空いたので自分の部屋の掃除をしようと思っていたのだけど、まさか時水さん達にされているとは思わなかった。雛菊さんと桐矢さん曰く、二人ともお盆の帰省ついでに数日間旅行に出て、昨日帰ってきて設備のチェックがてら掃除をしたそうだ。
「それなら納得ですが、荷物の整理くらいしかすることが無くなりました」
「だったらのんびりしたらいいわよ」
「二人は頑張りすぎ。あと一つ大仕事が残ってるのに、無理はよくない」
「「大仕事ですか?」」
「「家族の出迎えが残ってる(残ってるじゃない)」」
そうだった。戻ってきた僕と桔梗ちゃんの家族を笑顔で出迎えないと今回の旅行は終わらない。雛菊さん達が帰ったあと、間違っても寝過ごさないよう何重にも目覚ましをかけ僕と桔梗ちゃんは和室で昼寝をし、夕方目を覚まし晩ご飯の仕込みをして帰りを待った。
「「「「ただいま(ただいま帰りました)!」」」」
「「お帰りなさい!」」
そうして僕達は帰ってきた家族を笑顔で出迎え、今回の旅を締めたのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
この話でストックが切れましたので、またしばらく更新が滞ります。今回は話の途中ですので完結済みにはせず、なるべく早いうちに続きを投稿します。




