第百四話 明日太くん、弟達の世話をする
明日太視点です。
彼も彼で苦労しているようです。
テスト期間中のある日、放課後三十分ほどクラスメート達と勉強会をしたあとで下校していたところ、弟の月治を見かけた。ランドセルを背負っていないので恐らく友達の家に遊びに行く途中なのだろう。月治も僕に気付いたのかこちらにダッシュで駆け寄ってきてお帰りと挨拶してきた。
「ああ、ただいま月治」
「明日兄ちゃん、なんかいつもより遅くない?」
「さっきまで学校で勉強してたんだ。テストが近いからな」
「ふーん、それで残るなんて明日兄ちゃんも大変だね」
ちなみに前の中間テストのときも似たような会話をした覚えがある。まあ小学生になったばかりの月治にはテストのために勉強する感覚はわからないのだろう。実際わかってないみたいで、月治は他人ごとのように同情してきた。
「月治も小学校卒業したらわかるようになる」
「そんな先のことわからないって。じゃあ俺は友達のところに行くから」
「ああ、待たせるのもよくないから早く行ってこい」
「ありがとう明日兄ちゃん。それと母ちゃん買い物に出て今いないから火参と水史が散らかした後の片付けと、木悟と金陸、土長の世話よろしく!」
「は? ちょっと待て月治、どういうことか説明して――」
遊びに行く月治に見送りの言葉をかけると、とんでもない置き土産を残し脱兎のごとく走り去った。それはもう見事な逃げ足で、聞き返したときには既に月治の姿は視界から消えてしまっていた。話を聞いただけでもう既に頭痛がしてくるが、とりあえず早足で帰りながら状況を整理しよう。
(月治のあの口振りだと父さんはもちろん母さんも不在で、下の弟五人だけが家にいるわけか)
逃げた月治もどうかと思うが、小学一年生のあいつ一人で弟五人の世話は無理があるだろう。ちなみに火参は六歳、水史は五歳、木悟は四歳、金陸は三歳、土長に至っては二歳児で、そんな子供を置いて買い物に出る母さんが一番の問題児だった。
(というか母さんも僕が片付ける前提で買い物という名のパチンコ店に出かけた可能性まであり得る。はぁ、今日は勉強にならないな)
月治が生まれてから毎年のように弟が増え、その都度僕も世話を手伝っていたから今や子育てが特技だと豪語出来るようになってしまった。だからテスト勉強が出来なくなったことを嘆きはしても、家の惨状を想像し途方に暮れるようなことはない――と、そこまで考えて一つ大事なことが抜けていたことを思い出した。
(その前に、鈴菜には断りを入れておくか)
帰った後で彼女の家で勉強会をする約束だったが、弟達の世話で行けなくなったと連絡を入れておいた。家の近くに差し掛かった辺りで『わかったよ』と短い返信が届く。今度埋め合わせすると返してから、自宅のドアを開けた。
「おトイレ、おトイレ行きたいの!!」
「わぁぁぁん、もくごにいちゃんが~!!」
「土長が悪いんだからね!」
「バカ水史、お前のせいだぞ!」
「アホの火参兄ちゃんに言われたくない!」
家の中に入った瞬間に、思わず耳を塞ぎたくなるくらいの騒がしさと、目を覆いたくなるほどの惨状が僕を襲った。あちこちに本やゴミが散乱する中で年長組が喧嘩し、年少組は泣いていた。とりあえず緊急性が高そうな金陸から対処しようと考え、股を抑えて泣いている金陸を小脇に抱えトイレへと走った。どうにか間に合い胸を撫で下ろす。
「明日お兄ちゃん、ありがとう」
「金陸ももう三歳だから、そろそろ自分で出来るようになってくれ」
「はーい」
どうにか漏らす前に連れて行けたのでホッと胸を撫で下ろす。この調子ではまだ一人で行けそうに無いだろうと思いつつリビングに戻ったが、火参と水史の喧嘩は続いていて最年少の土長も泣いたままだった。泣かせたのは木悟のようなので、何があったのか話を聞くことにした。
「それで木悟、土長と何があった?」
「土長がここでオシッコ漏らしたから叱っただけで、僕は悪くないもん!」
「びえぇぇぇぇん!!」
木悟の言い分を聞いた僕はため息をついた。言ってることだけで考えれば木悟が正しいし、同じ間違いを犯さないよう躾のために叱るのも間違ってない。しかし、あくまでもそれは出来るのにしなかった場合に限っての話だ。
「叱ったというが木悟、土長はまだ二歳なんだぞ?」
「それがどうしたの明日兄ちゃん?」
「言っておくが、お前がまともにトイレに行けるようになったのは三歳半だ。それで、自分が同い年の頃には出来なかったことを、弟が失敗したら叱りつけるのか?」
もっとも木悟は一人でトイレに行けなかっただけで、漏らしたことは無かったのだが。それでも漏れそうになったことが何度もあったことを思い出したのか、木悟は僕に謝罪の言葉を口にした。
「うっ......ごめんなさい明日兄ちゃん」
「謝るのは僕じゃなくて土長だろう?」
「ごめん、土長」
「ううん、ぼくももらしてごめんなさい。もくごにいちゃん、ぼくをおこりながらおそうじしてくれたから」
「そうか。木悟、後始末お疲れさん。ちゃんと兄貴出来て偉いな」
「うん!」
なるほど、だからトイレに行けなかったと言う割に異臭がしなかったのか。考え無しに叱りつけたのはよくなかったが、土長が漏らした後始末をしたことは立派だったのでそこは褒めておいた。我ながら甘いと思わなくもないが、未だに喧嘩しているどうしようもないのが二人いる以上、多少でもそいつらとの扱いに差を付ける必要があった。
「さて、僕は今さっき木悟を叱ったわけだが、あと二人叱られるべきやつらがいるのはわかるよな?」
「だ、誰のこと?」
「そんなのいるかな?」
「お、ま、え、た、ち、だ!!」
火参と水史には、思い切り拳骨を落としてやった。暴力に訴えるのはよくないとわかってはいるのだが、足の踏み場も無いくらい散らかした挙げ句、トイレに行きたいと主張していた弟達を放置して喧嘩を続けていたのだ、このくらいやっても当然だと思う。殴られた二人は頭を抑えて蹲っていた。
「明日兄ちゃん、オーボーだぞ!」
「そうだそうだ、暴力反対!」
「横暴で結構。それで喧嘩の原因は何だ?」
「だって、アホの火参兄ちゃんが俺のお菓子食べたから」
「バカ水史も冷蔵庫のプリン食っただろ!」
「......もういい」
大喧嘩の理由としてはあまりにもしょうもなかったので、思わず僕は大きなため息をついた。この二人より年下の木悟の方がしっかりしてることを情けなく感じながら沙汰を言い渡した。
「喧嘩をやめて自分達が散らかしたところを掃除しろ。しなかったら今度二度とお前達の頼みは聞いてやらない」
「「うっ、わかったよ。掃除すればいいんでしょ!」」
「それでいい」
僕の脅しは効果覿面で火参も水史もすぐに後片付けを始めた。散らかっている範囲は広かったが二人だけでもどうにかなりそうなので、罰としてもちょうどよかった。一段落したので母さんが帰ってくるまで金陸と土長の様子を見ようと考えていたところ、インターホンが鳴らされた。
「明日太くん、何か手伝えることは無いかな?」
玄関は鈴菜が立っていた。彼女曰く、弟の世話で勉強出来ないのは彼女としても委員長としても見過ごせないから手伝いに来たとのことだが、問題そのものは片付いていて手伝えることは何も無い。そう伝えたのだが鈴菜も引き下がらなかった。
「それでも弟くん達を見てないといけないんだよね? だったらウチも一緒に見ててあげる。それにたとえ家を散らかしたとしても、子供だけで留守番してたご褒美はあげないと」
「......その発想は無かったな」
僕としては喧嘩してた火参と水史は救いようがないと思っていたが、月治と違い弟達を放置して出てないだけまだ評価すべきところはあるのだと考え直した。まあ月治にしても、僕に現状を伝えて帰宅を急がせたと思えば帰ったあとで褒めてやってもいいか。
「そういうわけだから上がらせて貰うね? 弟くん達、こんにちは!」
「「「鈴姉ちゃん、こんにちは!」」」
「「すずねーちゃ、こーにちは!!」」
家に上がった鈴菜は弟達全員に向かって挨拶した。まるで児童向け番組のようなノリだったが、弟達も大概子供なので元気に挨拶を返した。
「元気に挨拶出来たね。みんなお留守番を頑張ってたみたいだけど、散らかしちゃったのはよくないかな?」
「「ご、ごめんなさい!!」」
「火参くんに水史くん、散らかしたならお片付けまでちゃんとしよう? 出来たらウチがパンケーキ作ってあげるから」
「「うん、頑張るよ!」」
「木悟くんと金陸くんは二人のお片付けが終わるまででいいから土長くんのこと、見てあげてね。そうしたら三人にもパンケーキ作ってあげるよ」
「「「うん!」」」
食べ物で釣るという、僕には出来ない方法で弟達に努力を促す鈴菜。彼女に言われたとおりに動く弟達を見て、思わず僕は舌を巻いた。
「鈴菜、お前凄いな」
「大したことないって。それよりも明日太くん、今から勉強会しようよ」
「......そうだな」
火参と水史の後片付けが終わるまでの間、僕と鈴菜の勉強会は誰にも邪魔されることなく順調に進んだ。ちなみに鈴菜の特製パンケーキは非常に好評で、次はいつ鈴菜が来るのかと毎日弟達から聞かれるようになった。そしてこの日から弟達が少しだけ聞き分けがよくなり、父さんと母さんは鈴菜の母親と姉から代わる代わる説教されたのだった。
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