第百三話 詩恩くん、両親に婚約を誓う
帰宅した僕達を出迎えたのは楓さんだった。テスト期間に入ったことやその他連絡事項を伝えてから彼女に父さん達の所在を訪ねると、今は揃って和室にいると言われた。なお、昨日からの迷惑料として戻ってきてから家の掃除を手伝っていたそうだ。
「何といいますか、うちの両親がすみません」
「いえ、お掃除をお手伝いしていただいて助かりましたから。お昼からはどちらかへ出掛けられていたみたいですよ?」
「ありがとうございます。桔梗ちゃん、行きますよ」
「は、はい」
住んでいたのは十年くらい昔で大分様変わりしているだろうこの町の、一体どこに父さん達は出掛けていたのか気になるところではあるものの、聞けばすぐにわかることだと思い直し、桔梗ちゃんと一緒に和室へと足を踏み入れた。
「帰ったか詩恩。早速で悪いが、この書類にお前と桔梗さんの名前を書いて欲しい」
「書類、ですか?」
僕達が帰ってくるなり、父さんはいきなり一枚の書類を差し出して来た。書類の上部には婚約証明書と印字されていて、婚約する当人達の名前はもちろん、保証人の名前を書く欄などもあってすでに父さん達の名前が記入されていた。
「そうだ。どこに提出するものでもないし婚約自体には法的根拠もないのだが、書面で交わしておけば安心だろう?」
「そうですけど、随分しっかりした書類ですね」
「私の古い友人に行政書士がいてな、昨日頼んで用意して貰い、今日受け取りに行ったのだ」
「肝心なその人への説明はあたしがしたんだけどね。遥馬さん口下手だから」
「なるほど、昼に父さん達が二人で出歩いていたのはこれを受け取るためだったんですか。桔梗ちゃん、どうします?」
「もちろん書きます!」
僕と桔梗ちゃんは父さんが差し出してきた婚約証明書に目を通し、内容に問題が無いことを確認し書き間違えが無いよう慎重に記名した。法的根拠は無いと父さんは語ったものの、こうして書類に二人で名前を書いたことで改めて婚約者になったのだという実感が湧いてきた。
「こうして二人で一つの書類に記名すると、婚姻届の予行演習みたいに思えて、感慨深いものがありますね」
「はぅぅ、婚姻届///」
「二人とも、結婚願望があるのは嬉しいけどまだ気が早いわよ。まずは無事に高校を卒業しなさい」
「わかってますよ」
愛している女の子と結婚するのなら、誰に憚ること無く堂々と籍を入れたい。むしろ高校を卒業することが結婚の条件ならば、将来の進路を決めるところまで含めても破格の易しさだと思う。記名した書類を父さんに返すと、丁寧に封筒へとしまい込んだ。
「確かに受け取った。彩芽さんが記名したあと写しを取るので原本は佐藤家、写しは私の家で保管することにしよう」
「あの、原本はうちでいいのでしょうか?」
「私達が保管すると汚損や紛失の恐れもあるからな」
「汚れたり破れたりしてもまた書き直せばいい話だけど、それでも軽んじたい訳じゃないのよね。だから、あたし達よりも彩芽や楓に預けたいの」
「......それが最善ですね」
自分達が私生活で問題ありなのを自覚しているからこそ、信用出来る彩芽さん達に婚約証明書を渡したいと父さん達は口を揃えて言う。僕は若干のいたたまれなさを感じながら発言に同意する。
「わ、わかりました。パパやママにも、大切に保管するよう頼みます」
「助かるわ。それと桔梗ちゃん。墓参りの帰りはうちの両親のことを話してて、言えてなかったことがあるから改めてここでちゃんと言うわね」
「は、はぅ?」
急に真剣な表情をしながら呼び掛ける母さんに戸惑う桔梗ちゃん。隣の父さんも母さんと同じく桔梗ちゃんをじっと見つめ、揃って深々と頭を下げた。
「詩恩は病弱で、取り柄といえば勉強と的当てと、あとはあなたを想う一途さくらいしか無いけど、それでもあたし達にとっては自慢の息子だから、これから婚約者として、詩恩のことをどうか支えてください」
「歌音も触れたとおり詩恩の桔梗さんのことを想う気持ちは本物だから、絶対にあなたを泣かせることはしませんから、見捨てないでやってください」
二人から出た言葉は、結婚を認めた親が口にする言葉そのもので、聞いていてとてもむず痒かった。そんな僕の内心を知ってか知らずか、桔梗ちゃんは父さん達の目を見て、
「はい。あのときも言いましたけど、私はしーちゃんのことが大好きで、関係性が変わっても傍に一生いたいと思ってます。ですから、安心して彼のことを任せてください」
引っ込み思案な彼女とは思えないほど、ハッキリと僕への想いを言葉で表した。僕と婚約したことが桔梗ちゃんの中で大きな変化をもたらしたみたいで、その事実がとても誇らしかった。
「桔梗さんなら安心だな」
「そうね。詩恩の方が心配になってくるわ」
桔梗ちゃんの返事を聞いて満足げに頷く父さんと、僕に水を向ける母さん。もちろん、僕だって桔梗ちゃんのおかげで強くなれたのだ。彼女に負けないくらいの強い想いを口にして誓う。
「ご心配には及びません。僕も桔梗ちゃんを生涯愛し守り続け、彼女と幸せな家庭を築くことをこの場で改めて誓います。病弱でいつどうなるかわからない僕達ですけど、それでも父さん達よりも長生きしますし、いつか出来るであろう桔梗ちゃんとの子供にも悲しい思いはさせません」
「しーちゃん///」
「そうか。だったら言葉通りに実行しろ。桔梗さんを泣かせたらその時点でお前との親子の縁を切るぞ?」
「言っておくけどあたし達は二人の孫を見るまで死ぬつもりはないから、相当長生きしないと駄目よ?」
「もちろんわかってますよ」
僕の誓いの言葉を聞いて、両親が厳しい言葉を投げかけてくる。普段保護者してくれてる彩芽さんと楓さんが優しいからこそ、こういう目で見てくれるのはありがたい。
「ならいい。話は以上だ」
「あとは夕食まで休んでていいわよ?」
「ええ。桔梗ちゃん、行きますよ」
「は、はい! し、失礼しました!」
話も一区切りして和室から退出したのだけど、ふすまを閉めると同時に急に桔梗ちゃんがへたり込んでしまった。見るからに緊張の糸が切れたといった様子だった。
「はぅぅ、き、緊張しました~」
「気持ちはわかります。立てますか?」
「その、手を貸していただいたら......」
僕もまさかいきなり婚約証明書を書かされるなんて思ってなかった。多分うちの両親なりに祝いたかったのだろうが、突然重要書類を作らされる身にもなって欲しい。桔梗ちゃんとの関係が形として残ると考えれば悪くないけど。何とか桔梗ちゃんを立たせた僕は、両親への愚痴を零した。
「それにしても父さん達にも困ったものですね。驚かされた分、何らかの報復をしたいところですが」
「しーちゃん?」
「桔梗ちゃん、今晩の食事ですが僕に一品作らせてくれませんか?」
「構いませんけど、何をされるおつもりですか?」
「ちょっとしたサプライズです」
確か二人ともポテトサラダにリンゴが入るのが苦手だったはず。僕はどちらでも大丈夫だけど、桔梗ちゃんのレシピがそちらだからむしろ入れる方に慣れている。人の家で苦手料理を出されてせいぜい困って欲しいと悪いことを考えながらサラダを作って食卓に出したのだけど、僕が作ったことが秒でバレてしまった。
「まったく、こんな地味な嫌がらせするのやめなさいよ。食べられなくもないけど」
「詩恩、お前は普通に親に手料理を振る舞えないのか?」
「父さん達がちゃんとしてたら、普通に出してましたよ」
「仲いいですよね、詩恩くんの家族も」
「喧嘩するほどってやつだろうね。雪片も鈴蘭ちゃんも、こんな家族の形があるってしっかり目に焼き付けておきなよ」
「了解っす」
「桔梗ちゃん、詩恩さんの家でこういうの日常茶飯事だったの?」
「割と毎日こうでしたね」
喧嘩もほとんどしない家族からすると僕達みたいなのは珍しく映るのか、馬鹿みたいな言い争いをしている僕達を見て彩芽さん達は楽しそうにしていた。この日は何だかんだで全員で過ごし、翌日の早朝僕達は帰って行く父さん達を見送ったのだった。
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