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レッツ異世界気分

「おめでとう、慎吾。君には早速、副部長の権限を与えてやろう。泣いて喜べ」

「……二人だけじゃ、なかったらね」


 放課後に静まり返る、誰も使わぬ空き教室。そこが異世界転生研究部の、部室にあたる部屋だった。もちろん教員の許可など無く、無断で使用しているに過ぎない。


 部員にはユニフォームが用意されている。といってもだ、決して運動部でも委員会でもなく、腕章とかゼッケンとか、そんな手頃なアイテムでもない。


 目の前にはフリルにスカート、そしてカチューシャを身に着ける、典型的メイドスタイルの伊勢原世界がいて。対して俺の手には、未だ装着を躊躇ってしまう、猫耳カチューシャが握られている。


「なぜ付けん、異世界気分を堪能したくはないのか」

「誰が付けるかよ。つうか、猫耳のどこが異世界気分になれるって言うんだ」


 すると伊勢原世界は手を返し――やれやれとでも言いたいのか?


「まったく、慎吾は獣人という種族を知らんのか? せっかくだからここは授業といかせて――」

「知ってるわ! 獣人くらい! だがな、放課後の教室で猫耳付けて、それに異世界気分の欠片もねぇって言ってるんだ!」


 半分本気の半分冗談。しかし真に受けてしまったのか、世界は口を一文字に黙り込む。変わった奴だが、思いのほか打たれ弱いのかもしれない。


「悪い、ちょっと言い過ぎ――」

「そう……だな! 雰囲気はとても重要だ! 空き教室にも異世界要素を加えよう。予算は無いから、とりあえず私のイラストで我慢してくれ」


 弱ってたんじゃなくて、ただ考え込んでいただけかよ。おまけに雰囲気の解釈にも齟齬がある。こりゃあ面倒な奴に絡まれたもんだ。


 世界は早速、プリントの裏紙を使ってイラストを描いていく。絵には色味もなければ、なんとも低予算で呆れてくるが、次第に描き上がる風景を目にして、吐く息は呆れから、感嘆のものへと移り変わった。


「へぇ……あんた、絵が上手いんだな」

「たくさん描いたからな。これくらいしか他にやることもないし」


 他にやることがないって……今のご時世でそんなことあるだろうか。伊勢原世界は無趣味じゃない。現に異世界が大好きで、変人レベルで奇行に走り続けている。そんな人間のやることが、絵を描くだけなんてのはおかしいだろう。


「漫画とかアニメとかさ、他にも色々やることあるだろ。よっぽどそっちの方が、異世界気分に浸れる――」

「ないよ」


 ――――え?


「家に、そういうのはないよ。あるにはあるけど、私は見れない。叔父と叔母が厳しいからね。電話だって、持たせてくれないんだ」

「それって――」


 ぽたぽたと、モノクロの風景画が落ちる雫で色付きはじめる。


「両親はね、中学の時に死んじゃった。車で出かけて、父と母は前にいた。私は後ろで、ちょっとふざけたんだよ。そしたらちらっと振り返って、少し困っていたけれど、とても優しい微笑みで。それが最後で、気付けば車はぺちゃんこだった。衝突したのは居眠り運転のトラックだったよ。それから私は、叔父と叔母に引き取られたんだ」

「…………」

「幸せだったなぁ。優しい父と母だった。遠い過去のように思えるけれど、気が付くと涙が止まらない。生きているだけで幸運なのに、なんでなんだろうな――」


 ぎざぎざと、描く風景に亀裂が走る。ペンを握る手は震えており、歪んだ景色はまま、伊勢原世界の心を表している。同情すると目には熱いものが込み上げてくるが、しかし伊勢原世界は想いに馳せれど、決して後ろ向きなどではなかったんだ。


「だがね、私は挫けちゃいないんだよ。どうやら世の中、異世界転生というのが流行っているらしいじゃないか。私にそれを見る金は無いが、存在はクラスメイトの話を耳にした。聞けば転生の引き金は、なんとトラックみたいじゃないか。私が憎んだそれは、同時に異世界へと繋がるものだったんだ」


 瞳に潤う二つの世界は、雫となって絵画に恵みを。つまりその涙は、絶望から滲むものなんかじゃなくって――


「きっとね、父と母は異世界にいるのだ。私は傷心でトラックに向かったのではない。父と母、再び家族が巡り合う為に、私は転生トラックを受け入れるのだよ」


 伊勢原世界はやっぱり変人だ。だけど決して、一笑に付せるものではなかった。


 それにしてもだ。漫画を買う余裕が無い割には、手にする猫耳と身に着けるメイド服。そのどちらもが汚れのない、真新しい新品のように思える。


「この、猫耳とメイド服は……」

「ふふ、驚いたろう。私はそれを買ったのだ。量販店の安物だがな、それで伊勢原財政は一挙に破綻だ。しかしな、新たな部員の入部となれば、祝わん訳にはいかないだろうよ」


 腰に手を当て、胸を張る伊勢原世界は得意げだ。彼女の人生、一世一代のお買い物。それを俺なんかを祝う為に。


「そっか……」


 ちんけだと感じた猫耳だが、今ではとても尊いものに思える。


「お、付けてくれたか! 嬉しいぞ! とても似合ってるじゃないか!」


 なんだか少しこっ恥ずかしいが、伊勢原世界が――


 いや、世界が喜んでくれるなら、それはそれでいいのかもしれない。


「なぁ、世界」

「なんだ?」

「似合ってるよ、メイド服」


 俺の言葉を耳にして、世界はちょっぴり俯いた。それは恥ずかしいのか嬉しいのか、はたまた言葉を胸に刻んでいるのかは分からない。だけど再び顔を上げた時には、満面の笑みを振り撒いて――


「当然だろう! 私は異世界転生研究部の、偉大な部長なのだからな!」

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