救世主の幼馴染み
2020.8.27
ジャンル別日間ランキング[異世界(恋愛)]部門 1位
日間ランキング[総合] 2位
みなさまのお力でランク入りすることができました。
誠にありがとうございます。
2021.2.22
続編「救世主の幼馴染み2」を投稿しました
『待つのに
疲れました。
手紙はもう要りません。
手間がはぶけて良かったですね。さようなら』
レイラは長年やりとりを続けていた幼なじみとの手紙にそう書くと迷わずポストに投函した。
レイラがこう書くに至った理由は約10分前に遡る。
仕事を終えて帰宅したレイラはいつものようにポストの中身を確認した。
いつもと違ったのはレイラ宛の手紙が2通、届いていたことだ。
ひとつは、見慣れている幼なじみの字で書かれた手紙。
もう一通は、見覚えのない可愛らしい字で書かれた手紙。
その手紙をひっくり返すと、差出人にはエリーナと書かれていた。
嫌な予感がした。
そしてその予感は当たっていた。
部屋に戻ったレイラはまずギルバートからの手紙を開けた。
そこにはいつものような素っ気ない文章でこう書かれていた。
『単刀直入に言う。
好きな人と
結婚することにした。
手紙は書けなくなりそうだ』
本当に単刀直入だ。
レイラは思わず眉をひそめた。
思うところは沢山あるがそれをいったん押しとどめて、次にエリーナという人物からの手紙を手にとる。
開けると中から女性らしいピンクの便箋が出てきて、紙面にはこう綴られていた。
『はじめまして。わたくしはエリーナと申します。ギルバート様の婚約者です。
今回、お手紙を書かせていただいたのは他でもない、ギルバート様のことです。
単刀直入に申します。ギルバート様と関わるのをやめてください。
今までは、あなたが幼なじみということで容認してきました。
しかし、わたくしたちは、とうとう来月に結婚することが決まりました。
これからは妻として、夫が幼なじみとはいえ他の女性と手紙のやりとりをしているのは不快ですし、なにより他に示しがつきません。
彼は優しい性格ですので、あなたとの手紙を何度もやめようとしましたが、あなたを傷つけてしまうのではないかと思いとどまってきました。
ですが、今回ようやく踏み切ってくれたようです。ギルバート様からの手紙は本心です。なのでどうか、あなた様からもギルバートとの関係を終わらせると明記してください。妻としてのお願いです。どうかよろしくお願いいたします。』
読み終える頃には、レイラはその手紙を握りつぶしていた。
震えが止まらない。
悲しみではなく、怒りでだ。
レイラはその怒りのまま、バンッと手紙を机に叩きつけた。
私が馬鹿だった。
あなたの帰りをずっと待っていた私が馬鹿だったのだ!
レイラは引き出しから便箋をとりだすと、勢いのまま彼に手紙を書いた。
そして話は冒頭に戻る。
ギルバートが魔術師になるために王都に旅立ったのはかれこれ5年前のことだ。
レイラとギルバートは家が隣同士のいわゆる幼なじみで、生まれたときからいつも一緒に過ごしていた。
どちらかといえばお転婆なレイラにギルバートが振り回されていたと言うほうが正しいかもしれない。
それでも2人は喧嘩もしたことがないぐらい仲良しだったし、これからもその関係が続いていくのだとあの頃のレイラは信じていた。
しかしギルバートは突然、魔術師になるために王都に行って勉強がしたいと言い出した。
反対なんて出来るはずもなかった。
12歳になったあの日、教会での魔力測定で、ギルバートに類稀なる魔術の才能があると分かったのだから。
ギルバートが王都に旅立つ日。
レイラとギルバートは約束した。
お互い必ず手紙を書こう。
これが、レイラが彼に会った最後の記憶だ。
そこからのギルバートの生活は全て彼の手紙を通じて知ったことだ。
魔術学校に入学した彼は順調にその腕を磨いていった。3ヶ月が経つ頃には学園生活にも馴染み始め、半年が過ぎた頃には友人と呼べる存在も出来たらしい。
ギルバート曰くその人物はとても頼りがいがあり、いつも明るく優しい性格だとか。
正直、無口無表情な彼によくそんな友達が出来たものだと驚いたが、なんだかんだ言いつつギルバートが彼を信用していることは文面からでも伝わってきた。
楽しい学園生活が過ごせているようだ。
レイラはそのことにひどく安堵した。
レイラも欠かさず手紙を書いた。
学校生活のこと。新しく出来た友人のこと。近所にオープンしたパン屋のこと。
最近、自分の父が料理にはまっていること。ギルバートの父がそれを真似て料理をしたところ、うっかりキッチンを爆破させてギルバートの母に怒られていたこと。
とりとめのないことを、レイラは毎回書き続けた。
文通を始めて3年が経つ頃。
卒業を間近に控えたギルバートから、国家魔術師の採用試験を受けることにした、という手紙が来た。
これには彼の両親もびっくりしたが、レイラは必ず受かるよとだけ書いて返事をだした。
その1ヶ月後、試験に合格したという知らせが届いたときは我がことのように喜んだものだ。
その日はギルバートの両親を呼んでレイラの家でパーティを開いた。
肝心のギルバートは帰ってこなかったけれども。
ギルバートが国家魔術師になっても手紙のやり取りは続いた。
『劇場が街のはずれに出来ました。きっとあなたはそ
んなに興味がないでしょうね。身体に
気をつけて。風邪はひいてませんか』
『劇に興味はありませんが、レイラが好きなら、ほ
んのちょっと気になります。
気遣いありがとう。風邪はひいてません』
他愛もない内容だったが、レイラはギルバートからの手紙を楽しみにしていたし、それは彼も同じだったと信じたい。
さらに1年が過ぎる頃にはレイラも就職して、忙しい日々を過ごしていた。
ギルバートはレイラ以上に忙殺されているようだ。
そういえば、学生の頃の友人は今は同じ部隊で働いているらしい。
なににせよ、ギルバートが充実した毎日を過ごせているならなによりだ。
そう思った矢先に、国の北で大規模な魔物の襲来があった。
ギルバートは国家魔術師として現場に駆り出されることになったようだ。
彼からの手紙でそう知らされた時、レイラには彼の無事を祈ることしか出来なかった。
その日から彼の手紙は途絶えた。
後に風の噂で聞いたのは、魔物との戦いが終わったこと。その戦いでギルバートが活躍したこと。その功績を讃えられて昇進したこと。
ギルバートが生きている!
それを知りレイラはどれほど喜んだことか。
正直、活躍なんてどうでもよかった。
彼が生きてさえすれば。
レイラは急いで彼に手紙を書いた。
そして毎日、仕事から帰るとポストを覗き、彼の返事を今か今かと待ち侘びた。
そんななか届いた手紙がこれだ。
「私、旅にでる」
ポストに手紙を投函した足で家に戻ると、レイラは両親にそう告げた。
「どうしたんだ、いきなり」
そう尋ねた父親に、「傷心旅行だから」と告げると、誰のことをさしてるのか分かったのか押し黙った。
レイラは自分の部屋に戻ると旅支度を始めた。幸いなことにお金はある。
いつかギルバートに会いにいくためにコツコツと貯めていたのだ。
まさか使うことになるとは。
とりあえず服とお金があればなんとかなるだろう、と思いレイラはそれらをカバンに仕舞った。
おっと、いけない。
杖を忘れるところだった。
そう思い出して、慌てて棚の上に置いてある杖を手に取る。
ギルバートほどではないがレイラも魔術師だった。
しかも魔術を使えるようになったのはギルバートよりも先で、幼い頃はよく彼を魔法で脅かしていたものだ。
そうだ、と思いたちレイラは引き出しから手紙の束を取りだした。
今までにギルバートからもらった手紙だ。
「ファイヤー」
レイラがそう呟くと手紙はみるみるうちに炎に包まれて消えた。
これはきっと誰にも読まれない方がいい。
「それじゃあ行ってくる」
「気をつけるんだぞ」
「いってらっしゃい、レイラ」
「ありがとう、いってきます」
両親にそう告げるとレイラは家を出た。
さて、家を出たと言ってももう夕方だ。日没までまだ時間があるとしても、そう遠くにはいけない。
レイラは地図を広げながら行き先を考えた。
そして、ある地名を見つけて閃く。
「そうだ、サブレに行こう」
サブレとはここから北西にあるおおきな街のことだった。
有名なものはその名の通りサブレ。
お菓子作りが盛んな街で他にもいろいろなスイーツが売っている、女子なら一度は行ってみたい街だ。
そうと決まれば、今日は隣街までいって宿をとろう。
仕事場へ退職願も出さなくてはいけない。
レイラはカバンを背負い直すと、北へと足を進めた。
「うわぁー、美味しそう!!」
レイラはひとつの菓子店の前で足を止めると、思わずそう呟いた。
家をでて10日。
レイラは無事にサブレへと辿り着いていた。
それにしても街に足を踏み入れたときは驚嘆したものだ。
見るものすべて、お菓子、お菓子、お菓子!
まるでお菓子のテーマパークのようだ!
甘いもの好きが一度は訪れたいと思うのも頷ける。
「可愛い、これなんだろう」
「それはカヌレって言うのよ」
ポツリとこぼした独り言に返事が返ってきて、レイラは慌てて後ろを振り返った。
そこに立っていたのは、大きなお腹を抱えた20代ほどの女性だ。
「あなたこの街にくるのは初めて?」
「あ、はい。今日着いたばかりで」
「そう、なら驚いたでしょう。ここはパン屋よりお菓子屋の方が多い街だから」
そう言われてレイラは辺りを見渡した。お姉さんのいう通り、確かにパン屋の数が少ない。
「この街の人にとったらケーキがパンのようなものだからね」
なるほど、かつて滅びたという国がこの街だったら、革命は起きていなかったかもしれない。
「良かったら見ていく?」とお姉さんは今までレイラが覗き込んでいた店を指さした。
どうやらお姉さんのお店だったらしい。
咄嗟に断ろうとしたが、レイラが返事をする前にお姉さんはお店の中へと入っていく。
おずおずとお姉さんの後をついて店中に入ると、目に飛び込んできた光景にレイラは目を見開いた。
「すごい……!」
「それはマカロン。これがラングドシャ。こっちがスコーン」
名前は聞いたことあるが、どれも初めて見るものばかりだ。
レイラは目を輝かせてそれらを見つめた。
これがマカロンというのか。ギルバートからの手紙でとてもカラフルなものだと聞いていたが、本当にその通りだ。
ラングドシャはサクッとした食感が魅力だとか。
そしてスコーンは、ビスケット、南国のお菓子でサーターアンダギーという食べ物と並んで、3大口の水分をもっていかれる食べ物として有名らしい。
「良かったらお茶をいかが? えーと」
お姉さんの声が聞こえてレイラははっと我に返った。
「あ、すみません。レイラと申します」
「レイラちゃんね。私はマーガレット。マギーって呼んで」
「このお菓子はマギーさんが作ってるんですか」
「えぇ、そうよ。私と、夫のステファンとふたりでね」
その旦那様は今は裏の工房で注文のお菓子を作っているらしい。
良かったら座って、と誘われてレイラはマギーの向かいの席に腰掛けた。
目の前にゆらゆらと湯気のたった紅茶を差し出されてぺこりと頭を下げる。
「ところでレイラちゃんはどこから来たの?」
「えっと、キートの街から」
「あら、山を越えてところから来たのね。ひとり?」
「はい」
そう聞かれてレイラは素直に頷いた。
街道が整備された昨今、女のひとり旅は珍しくない。
その証拠にここに来るまで何人もの女性と知り合った。
その多くの人たちの行き先が、ここサブレだ。
この街にきて実感したが、遠くからわざわざ来た甲斐はあったと思う。
きっとここまで一緒に来た人たちも同じことを思っているに違いない。
「そういえばキートってこの前の魔物襲来のときに活躍した、ギルバート様の出身地だったわよね。もしかして知り合いだったりするの?」
「!?」
マギーに唐突にそう聞かれて、レイラは紅茶を詰まらせそうになった。
慌てて咳払いする。
「い、いえ、そんなことは……」
「そっかぁ、残念。なにか面白い話が聞けると思ったのになぁ」
はははっ、レイラは誤魔化すように笑った。面白い話なら山のように持っている。ここで披露できないのが残念なくらいに。
「近くで見たことがあるけど、とてもイケメンよね。彼」
「見たことあるんですか?」
「王都に行ったときに一度だけ。ちょうど魔物との戦いが終わって、凱旋パレードが行われていたから、その時にね」
「そうなんですか」
「やっぱりレイラちゃんも憧れたりする? 王子様みたいだものね。ギルバート様って」
そうマギーに悪戯っぽい目で聞かれて、レイラは首を横に振った。
ギルバートは王子様なんかじゃない。どれだけ世間が彼を天才と囃子立てようとも、レイラにとって彼は、いつだってどこか頼りない隣の家の幼なじみなのだ。
「レイラちゃんって、意外と現実主義なのかしら?」
そう言って首を傾げたマギーに、レイラは曖昧に微笑んだ。
だが、次に発せられた言葉にレイラは衝撃のあまり目を見開く。
「でも、そうよね。もうすぐ結婚するものね、彼」
「…………。え!?」
「あら、知らない? 末の王女様と結婚するそうよ。まだ正式な発表はされてないから、あくまで噂だけど」
「末の王女様……。末の王女様の名前って確か」
「エリーナ様よ」
開いた口が塞がらなかった。一緒の名前だと思っていたが、まさか本人だったとは。
それに。
「その噂が、流れ始めたのはいつ頃ですか?」
「ん? そうねぇ、1年ぐらい前だったかしら」
1年!?
レイラは驚きを通り越して絶句した。
1年も前からそんな噂が流れていたことなど、レイラは知らなかった。
レイラの周りの人間が、わざとレイラの耳に入らないようにしていたに違いない。
レイラのことを思ってやったことだから怒る気にはなれないが、もっと早くに知っていればレイラだって準備が出来たというものを。
唯一、腹立たしいのは、1年もの間レイラになにも言わなかったギルバートだ。
一言でいい。たった一言、伝えてくれたなら。
レイラはつきそうになったため息を飲み込んだ。
自分が情けなくて仕方なかった。
もっと早くに気づいていれば。
彼が大丈夫というからずっと信じて待ってきた。その結果がこれか。
レイラは震えそうになる体を押さえた。
その時だ。
「うっ……」
「マギーさん?」
「うーっ、いた、い」
「マギーさん!? しっかりしてください」
目の前にいるマギーが突然お腹を抱えて苦しみだした。
これは。
「待っててください。今、人を。旦那さんを呼んできます!」
レイラは言うが早いか、お店の裏口から飛び出した。
そこは、四方を建物に囲まれて中庭のようになった空間だった。
どうやら目の前の建物が工房のようだ。窓から男性が作業しているのが見える。きっとあれがマギーの夫のステファンに違いない。
レイラは急いで入り口のドアノブに飛びついた。しかし、
「開かない!」
残念なことに扉には鍵が掛かっていた。
窓も同じだ。
「ステファンさん、気づいて! マギーさんが、マギーさんが大変なんです!」
レイラは窓越しに叫んだ。どんどんと、叩いてみもしたが、防音にでもなっているのか外の音は聞こえないようだ。
一体どうすれば。
「……。そうだ!」
レイラは急いで杖を取り出した。
窓の向こう側に鉢植えがある。これを魔法で倒せば……!
パリンっと言う音がしてステファンがこちらを振り返った。
そこで、レイラの姿に気付いたらしい。
こうしてようやくマギーの容体をステファンに伝えることが出来た。
「レイラちゃん、ありがとう。お陰で助かったわ」
「私からもお礼を言います。妻を助けてくれてありがとう」
3日後の夕方、レイラがマギーさんの元を訪れると、2人にそう言って迎え入れられた。
レイラは恐縮して首を横に振る。
レイラのやったことと言えばステファンを呼んで来ただけだ。お礼を言われることのほどでもない。
「でもね、もともと予定日は1か月も先だったの。それなのに突然、痛みだして」
「そうだったんですか」
「レイラちゃんがうちの前にいた時は、普段からお客様があまり来ない時間帯で。もしあの時レイラちゃんがいなかったら、って思うといまでも怖いわ」
「それなら良かったです」
大したことはしていないが、少しでも役に立てたというなら嬉しい。
ベッドに横になりながら優しい顔で笑うマギーにレイラもにこりと笑い返した。
すると、マギーさんの隣にかけていたステファンさんが、おもむろに立ち上がる。
「それじゃあ、レイラちゃん。ゆっくりしていってください。私は工房に行かなくてはいけないので」
「えっ、仕事ですか?」
そう言ってマギーの部屋を立ち去ろうとするステファンに思わず聞くと、ステファンはバツの悪そうな顔をした。
「実はお菓子の注文が大量に入っていまして。それを来週に納品しなくてはいけないんです」
「毎年、注文してくれるお客様でね。彼は私のことがあるから断ろうとしたけど、私が無理やり引き受けさせたの。さっきも言ったけど予定日は1か月先のはずだったから……」
マギーはそう言いながら眉を下げた。
ステファンはそんなマギーに近寄ると肩をそっと撫でる。
明るく振る舞ってはいるが不安なのだろう。
想定外の事態になれば誰だってそうだ。
会ったばかりの他人とは言え、その姿を見るとレイラも心配になる。
自分になにか出来ることがあったら良いのだが。
そんなことを思っていると、ステファンは何かを思いついたのか、突如レイラを振り返った。
「そうだレイラさん。よろしければしばらく我が家に滞在しませんか? そうすればマギーも私が不在の間、安心すると思いますし」
「不在って、どこか行かれるんですか?」
「えぇ、お菓子の納品に王城まで。ここからは馬車で1日も掛からないので、出発した次の日には戻ってこれると思いますが」
「王城……!」
「あ、もちろん無理にとは言いません」
王城といえばギルバートがいる場所だ。これは何かの巡り合わせだろうか?
いや、きっとどこを辿っても最後は彼に行きついたに違いない。
「私でよければ、お世話になります」
考えたのは数秒ほどで、レイラは2人に向かって頭を下げた。
レイラは出来上がったサブレたちを鞄に詰めこんだ。
そして自分の鞄にはお礼としてステファンさんにいただいた荷物を仕舞う。
「レイラちゃん、大丈夫? やっぱり私が」
「大丈夫です! 任せてください!」
心配そうなステファンにレイラは元気よく答えた。
マギーさんのお宅にお邪魔すること5日。今日は王宮にお菓子を届ける日だ。
レイラはその役目を買って出た。
マギーさんにはやはり旦那さんがついていたほうが心強いだろうし、なにより自分が王城に行きたかったのだ。
2人を利用する形になってしまうのは心苦しいが。
「それにしてもそんな荷物どうするんだい」
「秘密です。すみません、こんなにたくさん貰ってしまって」
「それはいいんだよ。店まで手伝ってもらって、本当にありがとう」
「いえ、私がしたくてやったことですから」
「レイラちゃーん! 馬車がきたわよー」
「はーい、今行きます!」
外からマギーに呼ばれ、レイラはふたつの重い荷物を軽々と背負うと店をでた。
「レイラちゃん、気をつけてね」
「はい、行ってきます!」
ステファンさんと、すっかり起き上がれるようになったマギーさん、そしてその腕に抱かれたローラちゃんに手をふるとレイラは急いで乗り合い馬車に駆け込んだ。
ぎゅうぎゅうに詰められた人の中でなんとか場所を見つけて座る。
もちろんお菓子が崩れないようにそっと。
すると、馬車はすぐさまガラガラと音をたてて動き出したのだった。
王都へは予定通り昼過ぎ前についた。サブレの街も人が多いと思っていたが、さすが王都。それ以上の賑わいだ。
それにここには菓子店だけでなく、洋服店、靴店、本屋、宝石店までもが所狭しと並んでいる。
レイラは物珍しさからキョロキョロと歩いていたが、人とぶつかりそうになって慌てて鞄を抱え直した。
ステファンさんが作ったサブレをボロボロにするわけにはいかない。
もっとゆっくり王都観光がしたかったが残念だ。
可愛い洋服やアクセサリーたちに後ろ髪を引かれつつもレイラは王城を目指した。
「レイラさんですね。事情はお聞きしています。案内しますのでついてきてください」
レイラが王城へ着くと早速中へと案内された。
お菓子の届け先は城の西にあるとのことなので、衛兵について長い道を歩く。
それにしても広い。外からは城壁しか見えなかったので分からなかったが、下手すればキートの街と同じぐらいあるのではないだろうか。
これでは、どこに何があるか分からなくなってしまいそうだ。
道も複雑で、方向音痴の人なら迷子になってもおかしくない。
レイラはチラチラと辺りを見渡しながら歩いていたが、衛兵にあまりよそ見をしないよう注意されて「すみません」と前を向いた。
城に足を踏み入れてからおよそ10分ほど経過しただろうか。ようやく届け先である国家魔術師団の建物が見えてきた。
そう、サブレの届け先はギルバートが所属する国家魔術師団のもとだったのだ。
偶然というにはあまりにも出来すぎた偶然で、運命だったと言われてもきっと疑いはしないだろう。
「こんにちは、お菓子をお届けにあがりました」
「おぉ、待っていたよ。ありがとう」
建物に入ると白髪に長い髭をはやした、いかにも好々爺という老人に迎えられた。
どうやらこの方が毎年マギーさんのお店にサブレを注文しているらしい。
「すまないが、研究室まで運んでくれないかね」
「はい、もちろんです」
ライオネルと名乗った老人の後をついて階段を上がる。
国家魔術師の仕事は大きくふたつに分かれる。ひとつは魔術を使って人々を守ること。もうひとつが国の発展のために魔術を研究すること。
どうやらこの建物は魔術の研究がメインで行われているらしい。
生活を支える道具や魔法がここで開発されていると思うと、ありがたみが湧いてくる。
「みんな、休憩にしよう。サブレが届いたぞ」
ライオネルが部屋に入ると、席に座っておのおの研究に打ち込んでいた魔術師たちが顔をあげた。
その顔を見るに、みんなお菓子を楽しみにしていたに違いない。
レイラもお店で食べさせて貰ったが、本当に美味しくて、手が止まらなかったほどだ。
「ここに置いてくれるかな」
「はい」
レイラは指定されたテーブルに近づくと、鞄から箱を取り出した。
中を確認すると、どれも綺麗な状態のままでほっとする。
「ご注文いただきました、サブレです。どうぞ、お召し上がりください」
言うが早いか、いつの間にかテーブルの近くまで来ていた魔術師たちが、箱にむかって一斉に手を伸ばした。
「これこれ、そんなに慌てるでない。まったく」
そう言ってみんなを嗜めるライオネルの手にもちゃっかりサブレが握られている。
レイラは思わずふふっと笑った。
ふたりの作ったお菓子が人気だと、レイラも嬉しい。
だが。
レイラは部屋の中を見渡した。
魔術師たちの中にギルバートの姿がない。
彼は研究がメインの国家魔術師だったから、通常であればここにいるはずなのだが。
そう思っていると、部屋の端に立っていたひとりの男性に目が止まった。
明るい金の髪に、森を思わせるような深い緑の瞳。女性のようにも見える中性的な顔立ち。
身長は周りの男性陣と比べてひと回りほど小さいが、体は服の上からでも鍛えられていると分かる。
そうか、恐らく彼が。
「あの」
気づけば声をかけていた。
男性は突然のことに微かに驚いたようだったが、すぐに笑顔に戻る。
「どうかしたかな?」
「ギル、ギルバート様はいらっしゃらないんですか?」
「君、ギルバートのファン? だったら残念だったね。今はいないんだ」
こういう質問をされることに慣れているのか、不躾な質問にも彼はにこやかに答えた。
「もう少し待てば戻ってきますか?」
「悪いけど彼は今いろいろあってね。なかなか出歩けないんだ」
「ここに来てないということですか?」
「そうなるね」
ということはギルバートはどこか行動の制限される場所に閉じ込められているのだろうか。
いったい、どこに?
レイラは少しの動きも見逃さないとばかりに男の目を真っ直ぐ見つめた。
「では、今どこにいるんですか?」
「さぁ、どこだろうね……」
それはわずかな表情の動きだった。だが、彼は間違いなく憂いた瞳で窓の外にちらりと視線を向けた。その視線を辿ってレイラも外を眺める。
視界に入ったのは赤く塗られた三角の屋根。
あぁ、行動は言葉よりも雄弁だ。
「あそこにいるんですね」
窓の外を見つめたままそう呟いたレイラに男性は怪訝な目を向けた。
「君はいったい」
「私はこれで失礼いたします」
男性の言葉を遮ってレイラは頭を下げると、足早に部屋をでた。
そして先ほど来た道を戻る、ことはせず赤い屋根がある建物に向かって足を進める。
きっとあそこにギルバートがいる。少し来るのが遅くなってしまったが、これぐらいは許して貰わなければ。
レイラは迷わず、王城の奥へと進んだ。
最初は警戒されることなく衛兵の横を通り過ぎていたが、奥にいくにつれてどんどん怪訝な表情をされるようになった。
そして遂に声をかけられる。
「見かけない顔だがなんの用だ? ここから先は許可がない者は通れないぞ」
出来れば少しでも穏便にギルバートのもとにまでたどり着きたかったが、ここまでが限界のようだ。こうなれば仕方がない。
「ファイヤー!」
レイラは心の中で目の前の男性に謝ると、その体を魔法で吹き飛ばした。
「なにをしている!」
「侵入者だ! 捕まえろ!!」
案の定、あたりは騒然となった。レイラは兵士が集まらないうちに急いで駆け出す。
「こら! 待て!」
待てと言われて待てるのなら、こんな危険を犯して来るものか。
レイラは目の前の道をとにかく駆けた。
「いたぞ! こっちだ!」
「ファイヤー!」
前から飛び出してきた兵士たちを次々と魔法で倒していく。
一応、火魔法の中でも弱くて初歩的なものだから大きな怪我はしていないだろう。
「待て!」
「ファイヤー!」
どうにか、次々と飛び出してくる兵士をかわしていくと長い廊下の先に、赤い扉が見えた。
間違いない。レイラには分かる。
あそこにギルバートがいる!
だが、その前に。
「誰だ、お前は!?」
扉の前に兵士が2人。後ろから追ってきた兵士の数は今や何人に膨れ上がったのか、振り向くのが怖いほどだ。
ギルバートはもう目の前だというのに。
しかし、そうは言っても、もともと簡単にたどり着けると思っていない。だから“これ”を持ってきたのだ。
「追いついたぞ。いい加減、観念して、っておい!?」
レイラはリュックから大量の袋を取り出した。ステファンから譲ってもらった、小麦粉だ。
それを見た瞬間、衛兵たちの頭に『小麦粉爆発』の5文字がよぎったに違いない。
ギルバートの父が、料理をしようとしてうっかり台所を爆発させてしまった原因だ。
衛兵たちはなぜそんなものを、と思ったことだろう。
だが、驚くのはまだ早い。
レイラは懐から杖を取り出した。そして思いっきり息を吸うと、
「舞い上がれ!」
高らかに呪文を唱え上げた。
すると、小麦粉の入った袋はふよふよと宙に浮き出したではないか。
「な、なに……!?」
鳩が豆鉄砲を喰らったようとは、まさにこのこと。
男たちは唖然とした表情でその光景を見つめた。
「舞い散れ!」
さらにレイラが呪文を唱えると袋は次々と男たちめがけて飛んでいく。
それは、普段から鍛えている兵士たちが咄嗟に避けられないほど奇異な光景だったに違いない。
その証拠に男たちはそれらを受け止めきれず、袋は人や壁にぶつかって中身が宙に広がった。
窓からさす光に反射して小麦粉がキラキラと光る。
さぁ、準備は整った。
手加減は出来ないから、悪いが自分たちの身は自分たちで守ってくれ。
そしてギルバートに続く道は空けてもらう。
なぜならレイラは、手紙を受け取ったあの日から、ギルバートを助けるために、ここへ、やって来たのだから!
ようやく頭が追いついたのか、男たちははっとするとレイラを止めようと手を伸ばす。
「やめっ……!」
だが、もう遅い。
「ファイヤー!!!」
どんっ!という凄まじい音と共に窓ガラスが砕け散り、人は弾け飛び、ギルバートがいる部屋の扉はものの見事に吹き飛んだのだった。
「ギルバート」
レイラが部屋に一歩踏み込むと、ベッドに腰掛け唖然とした表情でこちらを見ていた男性と目があった。
「ギル」
最後に会ったのはもう5年前だ。彼がまだ12の頃。
その頃に比べ、ずいぶん身長が伸びたように見える。顔立ちもすっかり大人びて、まるで別人のようだ。
ひょろひょろで吹けば飛ばされそうだった幼い少年はもうどこにもいない。
でも。
レイラは目の前の男ににこりと微笑んだ。
「助けに来たよ。ギル」
変わらない。
癖っ毛な黒い髪、晴れた空のような鮮やかな青の瞳。
そして、
「レイラっ!!!」
泣き虫なところも。
あっと思う間もなく、レイラはギルバートに抱きしめられていた。
あの頃とは違う逞ましい腕で、あの頃と同じようにぎゅうぎゅうと抱きしめられる。
姿はすっかり変わってしまったが、中身はレイラのよく知っているギルバートのままのようだ。
そのことに少しほっとする。
まったくもう、と呆れつつも、ぐずぐずと泣くギルバートの背をレイラはぽんぽんと優しく叩く。
「遅くなってごめんね」
「ごめん。ごめん。レイラ」
レイラの肩に顔を埋めながら、ギルバートはごめん、ごめんと繰り返す。
よほど今回のことが堪えたらしい。
今回のことはレイラも怒っているから、これでおあいことしよう。
「これに懲りたら、次からはもっと早くに助けを呼ぶこと」
「でも、だって」
「でも、も、だって、もない。次は本当に結婚させられちゃうかもよ」
レイラはつい意地悪でそんなことを言うと、ギルバートは顔を埋めたまま、うっと押し黙った。
レイラがギルバートと最後にあった日。
2人が交わした約束はふたつ。
お互いに手紙を書くこと。そして困ったことがあれば、お互い助けを呼ぶこと。
“目印は手紙の頭文字”
あの日、待ち望んでいた手紙の頭文字に書かれていたのは『たすけて』の4文字だった。
それを見たレイラはどれほど悔いたか。
ギルバートが大丈夫だと言うから、ずっと信じて待ってきた。
彼が、難しい魔術がうまくいかず落ち込んでいる時も、友人と喧嘩したと悲しんでいる時も、魔術の実験で怪我をしたと聞いた時も、じっと我慢した。
魔獣と戦うと聞いたときは、本当はすぐにでも飛んで行きたかったのに。
こんなことならもっと早くに来ればよかった。
そのための費用はこつこつと貯金をしていたのだから。
今まで貯めていた思い出の手紙も見られてこの法則がバレないよう燃やしてしまったし。
「ごめん」
「もう、いいよ。私はもういいの」
ギルバートがあまりにも落ち込んだ声を出すから、レイラは息を吐きつつも彼の髪を撫でた。
別に彼だけが悪いわけじゃない。気軽に頼れる存在ではなかった私も悪いのだ。
分かってる。
それに。
レイラは部屋をぐるりと見渡した。
この部屋は魔術師にとってまさに牢屋だ。内装は普通の部屋となんら変わりはないが、恐らく壁紙の裏に魔術を封じ込めることが出来る魔封石が埋め込まれている。
それも、とても高価なものだというのに、ギルバートの魔力でさえ抑え込めるほど大量に。
「ここにどれぐらいいたの?」
「分からない。でも多分3ヶ月ぐらい」
「そう、辛かったね」
誰とも会えない。助けもこない。
かといって自分で逃げだすことも出来ない。
きっとギルバートは必死にここを抜け出そうとしたに違いない。
必死に必死に戦って、でもどうにも出来なくて、そしてレイラに助けを求めた。
「ごめんね、ギル」
そのことに気付けなかった自分が、レイラは情けなくて仕方がなかった。腹立たしくて仕方がなかった。
そしてそれは、レイラがいなければきっと起こらなかった。
だから。
「私のせいでごめん」
「違う! レイラのせいじゃない!!」
小さな声で呟いたのにレイラの肩に顔を埋めていたギルバートにはしっかりと聞こえたようだった。
がばりと顔を上げたかと思うと、レイラの二の腕を掴んで詰め寄る。
そんな彼の姿を見て、あぁギルの瞳は本当に綺麗だな、と場違いな感想を抱いた。
純粋で清らかで、まるで夜があけていく時のような透明感をはらんだ美しい色。
レイラの、闇を誘うような不気味な夕焼け色とはまるで正反対だ。
「このことはレイラは一切関係ない。俺がエリーナ様に気に入られちゃって、それで」
「国を救った英雄になったから、これ幸いとばかりに?」
「うぅ」
ギルバートは気まずそうに目を逸らした。
きっとギルバートは国からすればなんとしてでも繋ぎ止めておきたい人物に違いない。
若く、才能に溢れ、しかも見目までいいときた。
そしたら丁度よく末姫が彼に惚れているというではないか。こうしてあれよあれよと言う間にギルバートは末姫と結婚させられそうになりましたとさ、という物語がレイラの頭をよぎった。
さて、正答率は何%ほどだろう。
「でもそんなに嫌だったの? エリーナ様は王族の中でもとても美しいそうね。そのまま結婚しても」
「レイラお願い。意地悪いわないで」
思わず口をついて出た言葉は、ギルバートの弱々しい声に遮られる。
ギルバートを見るとせっかく引っ込んだはずの目に再び涙が盛り上がりはじめていて、さすがにいまのは意地悪を言いすぎたと思ったレイラは慌ててギルバートの頭を胸に抱き寄せた。
「ごめん」
「うん、いいよ。慰めてくれたから許す」
「ありがとう。それとやっぱりごめんね」
「何が」
「ここに来るきっかけを作ったのは私だから」
「違う。全部、自分のことだよ」
いや、きっとレイラがいなければ彼は国家魔術師になることも、そのために魔物討伐に行くこともなかっただろう。だから、私のせいなのだ。
その時、遠くから人の騒ぐ声が聞こえてレイラははっと我に返った。
のんびり会話をしている暇などなかった。あれだけ派手に爆発すれば、気づかれないはずがないのだから。
「ギル。なんか乗れそうなのものない?」
レイラは急いで部屋の中を物色し始めた。そんなレイラの姿にギルバートは慌てる。
「乗れそうってまさか飛ぶの!? やめてくれ! この部屋から出られれば魔法が使える! それでどうにかっ」
「もう飛んだの」
「……え?」
「もう、飛ばしたの。だから、いいの。もう、ギルだけを犠牲にはしない」
これでいいか、と部屋の隅にあったモップを手にして振り返ると、酷く傷ついたギルバートの顔が目に入って、レイラは思わずドキリとした。
レイラは以前、その表情を見たことがある。
あれは昔、ギルバートを乗せてシーツで空を飛んだ時だ。
私の使う魔法が誰とも違うと知った時。
「ごめん、レイラ」
「どうして謝るの。ギルも言ったでしょ。私のことは、私のことだよ」
ぼろぼろと涙を流すギルバートにレイラは苦笑する。
この幼馴染みは昔からそうだ。
他人を想って涙を流す。
相変わらずの泣き虫さん。
でも、そういうところが大好き。
「おい、大丈夫か! なにがあった!」
「ギル、急ごう」
先ほどの声が思ったより近くから聞こえて、レイラは急いでギルバートの手を引くと部屋を出た。
数十メートル先では倒れている兵士を抱き起こす同じ服装の男たちが目に入る。
そして男たちもレイラたちに気づいたようだ。
と同時にギルバートの姿を見て瞬時に状況を理解したようだ。
流石、王宮の兵士だけある。
だがこれは想像していなかっただろう。
「ギル、これ持ってて」
レイラは手にしていたモップをギルバートに渡すと杖を取り出した。
何事かと構えた兵士たちに見向きもすることなく、レイラはモップに向かって呪文を唱える。
「舞い上がれ!」
すると。モップは先ほどの小麦粉と同様、宙にふわふわと浮き上がる。
レイラはそれに軽やかに飛び乗った。
いつもこっそり空を飛んでいるレイラにはお手の物だ。
「ギル、乗って」
「うん」
もう後には引けないと理解したのか、表情に葛藤を残しつつもギルバートはレイラの後ろに座った。
「それじゃあ、いきますか!」
レイラの杖がくるくると円を描く。
「舞い踊れ!!」
その声と共にレイラたちは、本日2度目となる、鳩が豆鉄砲を食らっているような表情の男たちを残して、空高くに飛び上がったのだった。
向かうのはレイラの生家とギルバートの生家。
と言っても隣同士なのでほぼ一緒だが。
「レイラ。……後悔してない?」
王城が見えなくなるまでずっと黙りこくっていたギルバートは唐突にそんな質問をした。
レイラはちらりと後ろを振り返る。
「ギル、私はずっと言ってるけど、この力が誰に知られたって構わないの。だってそれで私が変わるわけではないから」
この世界には4種類の魔法が存在する。
火、水、風、光。
全ての魔法は必ずどれかに属し、それらの力を得て発動することが出来る。
だが、本当はもうひとつ存在していることをこの国の人間なら知らない者はいない。
“空間魔法”。
「かつて空間魔法を操れた人間は2人いる。周囲の空気を自在に操ることが出来たと言われている我らが建国の祖・オフィーリア王。そして建国以前に存在していたここ一帯の国を纏めて滅ぼしオフィーリア王に討たれた、空間移動ができる大魔女・ベルローズ」
レイラの腰に回されていた腕にぐっと力が入った。
「どれだけ調べてもふたり以外の記録は出て来なかった」
「つまり3人目」
空間魔法を操れる3人目の人間。
ありとあらゆる物体を空宙に浮かせることのできる存在。
それはこの国にとってどれだけの影響を及ぼすだろう。
「王城にある、ありとあらゆる本を読み漁った。でもどうしたら空間魔法が使えるようになるのか、どうして空間魔法が使える人間が生まれるのか、なにひとつ分からなかった」
うっ、と喉を詰まらせる音が聞こえてレイラは腰に回された腕にそっと手を重ねた。それはギルバートにとって、とても無念だっただろう。
なにせ彼は、この力を解明するために王都行きを決意したのだから。
だから。
「ありがとうギル。私のためにありがとう」
「レイラ、レイラ……」
ギルバートに類稀な魔術の才能があると分かったあの頃、ただギルバートが自分自身のためだけに魔術を学びたいのだと街を旅立ったなら、レイラはどれだけ手放しでその事実を喜んだだろうか。
だが違う。彼は密かに空間魔法を調べるために王都行きを決意したのだ。
それはレイラにとって悲しい選択肢だった。
魔術の素質がないレイラには彼の後を追っていくことさえ出来ない。
本当は誰にもこの力に振り回されて欲しくはないのに。
それに本心を述べるなら、レイラは自分の力が知れ渡っても構わないと思っているのだ。
もちろん、それがレイラになにを及ぼすか分かっていないわけではない。
国はレイラを野放しにはしないだろう。
きっとレイラを捕まえ、その魔力を解明しようと躍起になるに違いない。
なんせ空間魔法は、解明されていないことが多すぎる。使い手がいなかったのだから当然と言えば当然なのだが。
でもそれの何が悪いことなのか。
実験しようというのなら、レイラはいくらでも魔法を振るったって構わない。
レイラにとって、みんなが空間魔法を使えないのは、レイラが初歩的な火魔法以外使えないことと同じようにしか思っていない。
つまりレイラはこの魔法が特別とは、これっぽっちも思っていないのだ。
だが、この幼馴染みは違った。
レイラの操る魔法が他人と違うと知ったあの日、彼はまるでこの世界に絶望したかのような顔をしたのだ。
そしてレイラの力が他に知られることを厭った。
それはギルバートだけではない。自分の両親も、ギルの両親も、親しい人間はみんな。
だから、レイラはこの力を隠して生きてきた。
自分がどれだけ平気でも、みんなの、ギルの傷ついた顔はもう見たくなかったから。
でもそれも今日でお終い。
きっと家に帰っても訪れるのは束の間の休息。恐らく、すぐに国の使者がレイラの家のドアを叩くだろう。
その時はまた行ってきますを言わなければ。
「ねぇ、ギル。私、嬉しかった。最後の最後に私を頼ってくれたこと」
前を向いたままそう口にすれば、ギルバートがレイラの肩に埋めていた顔を少し上げた気配がした。
それでも振り向かずに、まっすぐ前を見る。
ずっと飛んで行きたかった。
ギルバートが落ち込んでいる時も、悲しんでいる時も、怪我をしたと聞いた時も。
魔獣と戦うと聞いたときは特に、文字通り、すぐにでも飛んで行きたかった。
たくさん守られた。たくさんの犠牲をくれた。だから今度はレイラが、ギルバートを守る番だ。
「忘れないで、ギル。世界が私の力を崇めたいというなら勝手に崇めればいい。恐れたいのなら勝手に恐れればいい。そうしたところで私は変わらない。私が変わらなければ私で世界を変えることは出来ない」
それは決意だ。そして確信だ。
これから待ち受けるのは希望か、困難か、あるいは絶望か。
なにが待っていても、レイラは恐れない。
そうこうしているうちに日はすっかりと傾いていた。ひとつ、ひとつ、と家に灯りが灯っていくのが見える。
「あっ! ねぇ、ギル。あれ見て!」
それを見るとはなしに眺めていたら、一件の軒先にぶら下がっているランタンを見つけて、レイラはそれを指さした。
「建国祭のランタンだね。もうそんな時期か」
「でもまだふた月も先だよ。あのお家は気が早いね。きっとお祭りが楽しみなんだろうな」
「1年で1番大きなお祭りだしね。レイラも毎年、待ちきれずに早くからランタン吊るしてたね」
「だって願うなら早めの方がいいと思うの」
毎年、建国祭が近づくと人々は軒先にランタンを吊るす。それは晴れのおまじないだ。
『建国祭の日が晴れますように』
ランタンに本当に魔力が宿っているわけじゃない。
ただ明日も笑って暮らせますように、そう思う人々の願いの象徴なのだ。
「そう言えば、マギーさんの誕生日は建国祭と同じ日だって言ってたっけ」
「マギーさんって?」
「あぁ、ギルのもとに行く途中にね、いろんな人に出会ったの。マギーさんにステファンさんにローラちゃん、一緒に旅したジェシカちゃん」
「随分寄り道したんだね」
後ろから少し拗ねた声がしてレイラはあはは、と苦笑いした。
「ギルがどういう状況で、どこにいるかも分からなかったから、情報を集めようと。それに楽しいだけじゃなかったんだよ。こーんな大荷物抱えて走ったりさ」
「レイラが普段から重い物は浮かせて運んでいることは知ってるよ」
「うっ」
レイラは言葉に詰まった。
慎重に隠しているつもりだったのに、まさかバレていたとは。
実は、重いものはなんでも浮かせてしまうから、レイラの力を知らない人から裏で怪力娘と呼ばれていたりすることをレイラは知らない。
「あぁ、そういえば、ギルのお友達に会ったよ。多分」
「アルフに?」
「うん、少しお話しただけだったけど」
「そうか。元気そうだった?」
「ギルのこと、すごく心配してた」
初対面のレイラに、その憂いた表情が伝わるぐらいには。
「帰ったら、話をするね。この旅で出会った人のこと」
「うん、全部聞きたい。旅のことだけじゃなくて、その前のことも、もっと前のことも、手紙に書かれていない、レイラの全部」
「1日じゃ足りなさそう」
欲張りなギルバートの願いにレイラは思わずふふっと笑った。
それにつられてギルバートの口角も微かに上がる。
良かった。少し元気が出てきたようだ。
レイラはようやくもとの調子を取り戻してきたギルバートの姿に胸を撫で下ろした。
太陽はすっかり地平線の彼方に沈んだ。
あたりは闇の中だ。だけど、星が輝いている。真上にも、足元にも。
そして、ようやく2人の視界からでもキートの街がはっきりと見えるようになった。
隣り合う2つの家にはまだ灯りがたかれている。
「ねぇ、レイラ」
「なに?」
「お願い、ひとりで行かないで。どこにも行かないで」
「……。私はずっとここにいるよ。この空の上に」
ギルバートは今までで1番強くレイラを抱きしめた。
それを合図とばかりにモップはゆっくりと高度を落としていく。
彼がまだ何も知らない少年だったなら。
レイラが自分の力をバラそうと、わざとシーツで空を飛んだあの日だったなら。
ギルバートはまだ平穏な日常の中にいられたのだろうか。
いいや。きっとこの先、試練が待ち受けているのはレイラだけではない。
この顔がよくて、他人には無愛想で、その実泣き虫な幼馴染みは、いまや否応なく国の事情に巻き込まれていく。
なんて運のない人間なのだろう。レイラが幼馴染みでなければ、彼に魔術の才能がなければ、彼が私を救いたい、と思わなければ。
だがそう考えたところで現実は変わらない。変わらないのなら、レイラの誓いはひとつ。
ギルバートを守る。
家の扉が開かれたかと思うと、4つの影がこちらに向かって手を振った。
レイラとギルバートもその影に手を振り返す。
きっとここでの休息が終われば、レイラの “3人目の空間魔法の使い手” の物語が幕を開ける。
その時ふと、レイラは思った。
ではこの人生が終わる時、ギルバートは一体なんと呼ばれているのだろうか。
国を救った英雄? 稀代の魔術師?
もしかしたら国を滅ぼした大魔女の幼馴染み、なーんてものかもしれない。
どれにしても今のレイラたちには知る由もない。
「ただいま」
その日、5年ぶりに帰宅したギルバートをギルバートの両親もレイラの両親も手放しで喜んだ。
食卓には時間をかけてたくさんの料理が並ぶ。ギルバートの大好物のシチューはレイラが作ったものだ。
もちろん、この楽しい時間は長くは続かないことをこの場にいる全員が分かっている。
けれど、その夜この家から笑顔が絶えることはなかった。
お読みいただきありがとうございます。
今回はストーリー背景が作者自身も難しかったのでメモ。
・手紙の頭文字で密かにやりとりしていたレイラのもとに幼馴染みから「たすけて」というメッセージが届く
・レイラは幼馴染みを助けるため家を出発
・ギルバートの情報を手に入れつつ、ギルバートの父親がうっかり台所を爆発させてしまったことに着想して小麦粉入手
・マギーさん、ステファンさん、ローラちゃんは一家は本当に親切
・王城走り回って廊下爆発
・軟禁状態のギルバート救出
・みんなレイラが使う物を浮かせる魔法にびっくりしている
・実はレイラは歴史上3人目の空間魔法の使い手
・作中、レイラが魔法を使って浮かせたものは3つ
(植木鉢、小麦粉、モップ)
・ヒロインTUEEEE
・なんでレイラが空間魔法の使い手なんていう複雑設定が出てきたのか思い出せない
・ヒーローは泣き虫
・結局エリーナって誰やねん
・もとから設定を知っている状態で書いているので矛盾点や結びつかないな点が存在するかもしれませんが自分じゃ気づけない
8/27追記
評価、ブックマーク、感想、誠にありがとうございます。
多くの方にお読み頂けてとてもビックリしております。
続編につきましては前向きに検討させて頂きますので気長にお待ち頂けましたら幸いです。
みなさまのお陰で貴重な経験をさせて頂くことが出来ました。本当にありがとうございます。