【Unanswered②(答えられないこと)】
夕食を摂り終わる頃には、もう窓の外に広がる空は濃い群青色に変わり、ところどころに星の瞬きが見え始めていた。
食事も終わり、俺はシンクに立って洗い物をして、エマはテレビドラマを見ながら時々話しかけてくる。
この時間なら、どこでも行われているであろう日常。
いつか俺も、こうして普通の日常を過ごす日が来るのだろうか?
最後のお皿を濯いでいるときに「ナトー」と呼ばれた気がした。
「んっ?」と、顔を上げるとリビングのソファーの上で寛いでいるハンスが、ザリバン高原で出会ったあの狼犬を撫でながら優しく笑みを見せてくれる。
狼犬の名前はジャミ―と名付けた。
「ジャミー」
ハンスの顔を見るのが恥ずかしくて、狼犬の名前を呼ぶとジャミーは、ハンスとまるっきり同じ優しい笑みを見せてくれた。
「ジャミーって誰?」
「犬よ……」
顔を伏せたままでも、キッチンカウンターに肘をついたエマが俺を見ているのが分かり驚く。
想像の世界に溺れていた。
「楽しそうね」
「そっ、そうか……」
「それに今の返事、珍しく女言葉だったよね」
「たまには使っておかないと、いざと言う時に出てこなくなるからな」
「ジャミーって言う犬を飼うのね。ひょっとしてجميل(ジャミール)の事? ジャミールはアラビア語で“可愛い”よね。ひょっとしてお皿を洗いながら未来のマイホームを夢見ていたの?さてジャミーちゃんを抱いている旦那様は、誰かしら?」
「ばっ、馬鹿な。ジャ、ジャミーって言うのは、ザリバンとの戦いの最中で出会った狼犬に俺が付けた名前で、その時の事をつい思い出してしまっただけだ」
さすがに腕利きのエージェントだけあって勘が鋭い。
俺の嘘の言い訳など通用しないくらいは分かっていたが、それでも正直に話す事は出来ない。
「お皿洗いもう少しだから、おとなしくテレビでも観ていてくれ」
これ以上、あれこれ詮索されたくなかった。
「ハイハイ。でもその最後のお皿に、かれこれ5分は掛かっているよ」
「……;」
“すべて、お見通しだな”
だけど“お見通し”なのはエマの方だけではない。
食器を洗い終わると、バーに行きカクテルを二つ作る。
ひとつはドライジンとシャルトリューズ・ジョーヌを2対1~3対1でシェイクして作る『アラスカ』今日は3対1でアルコール度数を高めに作り、切り目を入れたチェリーを刺したグラスに注ぐ。
もう一つは自分用で、アプリコットブランデー、ペルノアブサン、イエローシャルトリューズを等分ずつミキシングした『イエロー・パロット』俺の方にはレモンの輪切りを挿した。
ベースの異なる同じ黄色のカクテルを、トレーに二つ乗せてリビングに向かう。
リビングからズット俺の様子を気にしていたエマの目が俺を……いや、トレーの上に乗せられた2つの黄色いカクテルを追っていた。
「どうぞ」
アラスカの方をエマの前に差し出し、自分の方にイエロー・パロットを置く。
エマはまるで起爆装置の外れた爆弾にでも触れるように、ゆっくりとカクテルグラスに手を伸ばし持ち上げたままジッと薄黄色の液体をまるで時が止まったように眺めていた。
「さてと、話してもらおうか」
俺の言葉をきっかけに、エマの止められた時間が動き始める。
持っていたカクテルから目を離し、一旦テーブルに目を落とすとそれを徐々に上げて行く。
俺のカクテルに目を移すと浅い溜息を洩らし、意を決したように俺と目を合わす。
「いいわよ。でも質問されたこと以外には答えないし、答えられない事もあるわ」
珍しく挑発的な目が光る。
「いいだろう。俺も気になること以外には、聞きたくはないしエマの職務上外部に漏らすことのできない情報もあるだろ事くらいは分かっているつもりだ」
持っていたグラスに軽く唇をつけ、ゆっくりとテーブルに置いた。
「先ず一つ目。ザリバンとの闘いで、捕らえられた俺を迎え終わった後、バグラム空軍基地から何所へ行った?」
「答えられない」
「トライデント将軍は何所へ行った」
「答えられない」
トライデント将軍と言うのは、俺たち外人部隊の顧問をしている元米軍の将軍で、ザリバンとの闘いが終わってから部隊に顔を出していない。
「レイラはDGSEで何をしている」
「上司の指示に従って、作業を進めているわ」
「レイラの上司は誰だ」
「私に決まっているじゃない」
「じゃあ、その上の上司は」
「答えられない」
エマの直属の上司はギャバン大佐だと言うことは知っているし、その上のオリバー准将も知っている。
なのに、エマの回答はNo answer。
これまでエマは、俺の質問に何一つとして答えてはいない。
「最後の質問くらい答えてもらうぞ」
「さあ、どうかしら……」
余裕の笑で答えようとするエマの顔の奥底には、あまり余裕が見受けられないエマが居た。
恐らく秘密にするのは本意ではないのだろう。
「今日買った洋服の中で、一着だけ一緒に居ない時に買ったものがあるだろう。なぜ俺に隠さなければならない?」
「……」
今までとタイプの異なる質問に困惑したのか、それとも真意を計り兼ねているのか、エマが少しだけ間を開けたあと笑った。
「なにが可笑しい」
「だって、あれだけ袋があったのに、よくそんなことに気が付いたわね。それに気づかれないように他の袋の中にコッソリ入れておいたのに」
「1つだけ袋の厚みが変わったのだから、普通気が付くだろう」
「気が付かないわよ。だって、春物のワンピースが1枚増えただけだもの」
「ワンピース?」
「そう。ナトちゃんが迷っていた。湖畔のデートに来ていくやつ」
「なんで、それを!?」
「分かるわよ。だって私は……私はナトちゃんの……ナトちゃんの家族で居たいもの。だから――」